真綿の手紙
お元気ですか。
あなたのお陰で私は自身の弱さを知る強さというものを知りました。
残念ながら未だ受け容れる術は知らないのですがきっといつか理解できるものと思っています。
私は今、私より弱くどうしようもなく頑固な魂を持つひとの傍におります。
――私が勝手に弱いと思いたいだけで本当は私などよりずっと強靭で純粋なひとだとも存じております――
お陰さまで私には勿体ないほどよい暮らしを賜っており、そのあまりに身に余る幸福に誰にともなく申し訳なく思う次第です。
『弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。』
私が幸福である影で誰かを傷つけているのではないか、負担になっているのではないか、不快な思いを抱かせているのではないか。
何かを奪った上で成り立っているのではとぞっといたします。
疾しくて後ろめたくて、とても他人様にこの生活を晒すわけにはいくまいと思っておりましたがその考えも私の弱さに依るものであると気づきました。
幸福を受け容れる強さを持つため、またこの環境を甘受することで誰かの糧となることができるのならばと外の世界へと飛び出しました。
それはどんなに小さな一滴を戴くとしても心底勇気が要ることでした。
ひとの本質など容易く変わるわけもなく、外に向けた自身は仮初めの張りぼてであり何もかもが中途半端な継ぎ接ぎで造られている。
いつかこの軽薄な私が認められ軽蔑される日が来るかも知れません。
重ねた鍍金が剥がれ散りがらんどうであることが世間様に知れるとき、真の強さを得ることができるでしょうか。
願わくば鍍金を本物とする努力が報われればよいのですが。
つい私の話ばかりしてしまいますね。
私はあなたになんとお声をかけたらよいのか分からないのです。
ただどこかで同じ空を見ているという真実があればそれだけでいい。
あなたに何も望まず、ただ存在していて欲しいという我が儘で無責任な感情しかありません。
私はありのままの自身を許容しつつ新たなものとして咲けるようもがいています。
そのためには過去を過去として置いていくしかない。
手いっぱいに得たものを足下に置き蹴散らしてでも進まなければ『次』は掴めない。
――どんなに愛しく恋しい日々であったとしても――
これもあなたから教わりました。
あの日の私はもうどこにもいない。
喪失し変質された私は不要と見受けられます。
もはや昔も今も忘れてもらって構わない。
私は彼方で反芻され永遠と呼ばれるものになる。
真綿の塵として白々しく生きていきます。
今こちらの空は青く、横たわる峠の頂は雲を阻み、真綿が絡みつくように脈々と覆っております。
それは陽に浮流し東のあなたへと届くでしょうか。
あなたの瞳に映る空はこれからも私の呼吸になります。
どこかで息づく生命のひとつに、私もあなたも在り続けられますように。
いつもあなたの幸福を願っております。
ご機嫌よう。
弱虫は、幸福をさえおそれるものですー
との一文は太宰治著『人間失格』より引用させていただきました。