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有音劇  作者: 川乃陽市
6/6

第5章「9Vの福音」

「宗崎さん、今度ベース貸して貰えませんか?」

 珍しく飯塚から5th STREETに電話が掛かってきた。

「いいですよ。今は使ってないんで。FenderのジャズベとMusicmanのスティングレイがありますけど、どっちが良いですか?」

「ウチにあるのが全部パッシヴなんで、アクティヴのを使いたいんですよ」

 ベースギターは大きく分けてパッシヴとアクティヴの2種類がある。

「じゃあスティングレイですね。今度スタジオに持って行きますね」

「そんな、お借りするんですから僕がお伺いしますよ」

「それじゃ、明日の夜以降でしたらいつでも大丈夫ですよ。ここに置いておきますから」

「すみません、助かります!」


翌日の夜。ライブの終わった5th。

飯塚はいつもの中古の真っ赤なVOLVOのワゴンで現れた。

事務所に入ると、良く知った顔がニコニコ出迎えてくれた。

「あれ? 美島さんもいらっしゃったんですね」

「うん、達ちゃんに飯塚さん来るって聴いて。丁度TVKの帰りだし」

 TVK(テレビ神奈川)の音楽制作班は5thのすぐ近くにある。

「コッカトリスのPVが出来上がったんで、VHS配りに行ってたんだよね」

「わー! 観たいです!」

「さっきまでみんなで観てたんだけど、評判良いですよ。耽美で」

「あ、じゃあせっかくなんでスタジオで一緒に観ましょうか? デカい音で聴けますし」

「それも良いですね」

「VHSって意外と音良いんですよ。オープンリールと同じくらい」

「え? そうなの?」

「単純にテープの幅が広いんで、記憶容量が大きいからなんですけどね」

「最近はバンドのデモテープの原盤もVHS使ってるよ」片付けの終わった宗崎が事務所に戻ってきて会話に参加する。

「あとは8mmのテープとかね。Hi8だと1本に8トラック入るから」

「ウチにもADATありますよ。S-VHSのテープ原盤にしてレコーディング出来ます」

「また二人で俺の分からない話をする!」

 美島がむくれる。

「佳太もいー加減、少しは機材を覚えなよ。仕事が関係してるんだから」

「だって宣伝だし」

「配置換えとか無いの?」

「どうなんだろう? 制作に行く事は無いんじゃないかな? あれは専門職だし。ま、当分宣伝から離れられないだろうし」

 確かに、美島が今宣伝から離れたら、ビュースターも困るだろう。


「飯塚さん、これね」

 宗崎は事務所の隅に置いてあったハードケースを持って来た。

「ホント、すみません。無理言って」

 飯塚は平身低頭で受け取る。

「今度作った曲が、シンセベースって感じでもないし、パッシヴの暖かい感じでも無くて、困ってたんですよ」

「でもそれってスタジオワークで調整出来るんじゃないの?」美島が無邪気に口を挟む。

「ま、それも出来るんですけど、一度アクティヴのベースも試したかったんですよ」

「達ちゃん、パッシヴとかアクティヴって何の事?」

「このMusicmanのスティングレイってベースはアクティヴで、ベースの中にプリアンプが内蔵されてるんだよ。だから割りとベースラインをハッキリさせたい曲とかでよく使う」

「へー」美島がまったく心のこもってない相槌を打つ。

「パッシヴってのは内蔵プリアンプがない分、温かみのある音が出て、他の楽器と馴染みやすいんだよね。俺もメインで使ってたFenderのジャズベはパッシヴだったし」

「へー」

「なんでそんな無関心なんだよ!」

「いや、意識した事無かったから」

「…まあいつもの事だしな。もう一つ、スティングレイをライブでメインにしなかったのには理由があるんだけどね」

「理由って?」

 あまり興味が無さそうに美島が訊いた。

「あんたたち、いつまでくっちゃべってんの! もうお店閉めるよ!」

 受付の未散の雷が落ちたので、三人は早々に5thを後にした。


 飯塚のVOLVOの助手席から美島が尋ねる。

「その後、まどかちゃんとはどうです?」

 美島としては、一番気になってる事だ。

仕事上でも重要だし、単なる野次馬的興味もある。

「別に前と変わりませんよ」飯塚は淡々と答える。

美島としても、現状維持に越した事は無かった。イチャつかれたら仕事に支障が出る。纐纈社長にバレるのも怖い。

飯塚は恋愛の経験値が少ないし、まどかは浮世離れしたところがあるので、おそらく進展はしていないのではないかと想像してたのだが、どうやら当たったようだ。

「でもスタジオにはよく来てるんでしょ?」

「そうですね。まあ、忙しいんで前ほどではないですけど、それでも週に一度は必ず顔を出してくれますね」

「いーなー。青春だなあ!」

「そういう美島さんはどうなんですか? 浮いた噂は多いみたいですけど」

「まあ、そこら辺は適当に」

「特定の彼女は作らない主義ですか?」

「そんな事は無いんだけどね」

「美島さん、どんな娘が好みなのかもまったく読めませんねえ」

「好きなのは口の堅い子かな」

 美島が適当にはぐらかしてるうちに、車はサイレントスタジオに着いた。

「美島さん、コーヒーとお酒、どっちが良いですか?」

「え? お酒あるの?」

「実は実家から地元で造ってる日本酒送られてきたんですよ」

「じゃあ、それ戴きますね」

 美島の家までスタジオから徒歩3分だ。いくら酔ってもどうにかなる。

 コッカトリスのPVが良い出来なので、祝杯を挙げたい気持ちもあった。

 飯塚がぐい飲みのグラスと日本酒の五合瓶を持って来た。

「ウチの親父の会社の取引先がこの日本酒のラベルを作ってるらしくて。急に人気が出て来て今や入手困難なお酒なんですけど、特別に貰えるらしいんですよね」

 美島はラベルを確認する。

「どれどれ。『久保田』ですか。この『千寿』

ってのは?」

「いろいろ種類があるみたいですよ。この上に『万寿』ってのもあるんで、今度はそれを送ってくれるみたいです」

 二人でまずは乾杯する。

「じゃあ、サイレントスタジオとコッカトリス、倉敷まどかとビュースターの益々の発展を祈念して!」

 二人とも、ぐい飲みを一気に呑み干す。

「美味い! こりゃあ良い酒ですね!」

「ですねえ、フルーティで。こりゃ別格ですね」

「千寿でこんなに美味いのに、この上の万寿ってどんなに美味しいんだろう?」

「値段も三倍くらい違うらしいですよ」

「うわー! 楽しみだなあ」

 美島は既にご相伴に預かるのを前提に考えていた。


 コッカトリスのPVは大野が監督を務めた。

 PVは普通の映像作品よりも美的センスが求められる。

ストーリーよりも場面場面が美しければそれで良いのだ。

 大野はそこら辺の才能もあるようで、ちゃんとメンバー一人一人がカッコ良かった。

 そしてアヲヰの狂気の部分も映し出していた。

「カッコ良いですねえ! これからいろんなところで流れるんでしょうね」

「今のところ、さっきTVKと打ち合わせて、『ミュートマJAPAN』でヘヴィロが決まって、あとは新宿のスタジオアルタのビッグヴィジョンでも定期的に流れますね。お金掛かるんですけど。あと、ボーリング場とかに設置されてるレーザージュークボックスにも入ります。こっちは逆にお金貰えるんですよね」

 ヘヴィロはヘヴィ・ローテーションの略だ。

「じゃあ、これから観る機会も増えますね」

「ゴールデンの音楽番組が少ないのがネックですね。しかもこの曲、他局のドラマの主題歌だし」

「でも今は音楽好きはみんな専門チャンネルで観てるんじゃないですかね?」

「そうなんだけど、やっぱりそこまで関心の無い一般の人たちにも届けたいんですよね」

 美島は、コッカトリスはマニア受けして終わるバンドではないと確信していた。

「幸いにも、プロデューサーのスケジュールの都合で音源がかなり早く上がってたんで、ラジオや雑誌関係の人には一通り聴いて貰ってましたからね」

「これからたいへんそうですねえ」

「まあ、まどかちゃんのデビューがまだ先だから何とかなってますね」

「僕もその間、じっくりと曲作りに専念出来ます。後藤さんに言われているタイアップ用の楽曲もありますし、大野さん発注の劇伴も、もう何パターンかいるみたいですし」

 劇伴とは、作中で流れる音楽の事だ。

「そうそう。どうやらドラマが好評みたいで、民映で映画化の話もあるみたいですよ」

 民映は、大手の映画配給会社だ。「紅い月」の製作にも絡んでいる。

「え? じゃあその劇伴もやらないとですかね?」

「そりゃあ、テレビと音楽が違っちゃあ視聴者も戸惑うだろうし」

 飯塚も売れっ子になってきた。実際「紅い月」の音楽を聴いて、コンタクトを取ってきた関係者も何人かいる。

「紅い月」のサントラも発売される事が決定したので、いよいよマネージメントが必要になってくるのかもしれない。

「紅い月」のサントラのジャケットにまどかの写真を使うのもアメイジングのOKが取れた。

通常、アメイジングは所属タレントの肖像権にはうるさいのだが、美島が「レコード店にまどかの顔を認知して貰うチャンスですよ」と沢登を口説き落としたのだ。

しかも予約特典のポスターにもジャケットと同じまどかの写真を使える事になった。

顔のドアップで、右頬に口紅で「紅い月」と書いているものだ。

レコード店も、今が旬のまどかのポスターやポップなら店内の目立つところに貼ってくれるだろう。

特にサントラのコーナーだと、他に競合もいないので面取りが楽なのだ。

さらにこれにドラマ主題歌であるコッカトリス「解放の扉」のシングルが加わる。アルバムは当初の予定ではシングルと同時発売だったが、ドラマ先行という事で一ヶ月先送りになった。

ビュースターの営業が、シングルが知れ渡ってからのアルバム発売の方が予約が取れると踏んだからだ。

「紅い月」に、ビュースターがスポットCMを打つ事も決まった。もちろんサントラと「解放の扉」両方だ。

「ウチは今、活気づいてますよ」美島は感慨深げに言う。

「そうでしょうねえ。なんだか他人事みたいです」

「アーティストはそうかもしれませんね。まあ、我々は直接アーティストに触れ合う仕事ですけど、CD売る為に地道な営業や販促やってる部署や、会社を維持する為の総務とか、みんなが働いて、ようやく作品が世に出ますからねえ」

「ホント、感謝ですよ」

 二人は朝3時まで呑み明かした。


 夕方、まどかがサイレントスタジオにやって来た。

「どうしたんですか飯塚さん? 顔色悪いですよ」

「いや、昨日美島さんと呑み過ぎまして」

 二日酔いの日のライブハウスやスタジオは地獄だ。飯塚の場合は自分一人なのでまだマシだが。

「コーヒーでも淹れましょうか?」

「いえいえ、お構いなく。自業自得ですし」

 飯塚は暖かいおしぼりで顔を拭きながら答える。

「飯島さん、私PHS持ったんですよ」

「へ?」

「沢登さんが、連絡つけやすいようにって」

「ああ、確かにマネージメント側からしたら必須アイテムですね」

「飯塚さんはまだポケベルですか?」

「ですね。基本、スタジオに籠ってますからね」

「じゃあ、私のピッチの番号教えるんで、飯塚さんのポケベルの番号も教えてください」

 飯塚は二日酔いの気怠さがいっぺんに吹っ飛んでしまったようだ。

(こんなに幸せで良いんだろうか?)


 もちろん、これからいろんな試練に遭遇する運命だが、飯塚は知る由もない。

 

 翌日の倉敷家。

「お姉ちゃん、ピッチ持ったの? いいなあ!」リオが早速興味津々で触り出す。

「名義はアメイジングだけどね。会社からの支給品」

「これあると、公衆電話に並ばなくて済むんだよね。いいなあ! 私も欲しいなあ」

「そのうち、みんな持つようになるんじゃない?」

「当分はポケベルだよう」可愛く口を尖らす。

「リオのポケベル、珍しいね。黒いモーラなんてどこに売ってるの?」

 モーラはマンボウ型のポケベルで、普通はブルーとピンクの2色だ。

「横浜のテレメッセージまで行って契約したの。なんか本当は6色とか7色あるみたいよ。見た事ないけど」

「そう言えばCMでは6色映ってたなような気がするな」

 鈴木杏樹出演でピチカートVが歌っているヴァージョンだ。

「でしょ? でもあれってブルーが映ってないから、7色あるって話しみたい」

「6色よりは7色の方がそれっぽいしね」

「でもやっぱ、ピッチいいなあ。一緒にいる時は貸してね」

 リオは極上の甘え顔を披露した。

 もちろん、確信犯だ。


「紅い月」の視聴率は、回を増すごとに上がっていった。

 塚田の脚本は日本では珍しいタイプの「笑わせる本格派ミステリ」だったし、大野の演出も斬新だった。

 そしてまどか演じる女探偵叶かなえは魅力的だった。

 基本コミカルなのに、ときおり見せるシリアスな顔は、それだけで視聴者を惹きつけるものがあった。

 最初はカルト的な人気だったが、若者の間に口コミで噂が広がって行った。

 特に学生は、次の日の話題になる事も多かったので、話に乗り遅れないようにという強迫観念も手伝ってか、かなりの視聴者を獲得したようだ。

 若者向け雑誌は、こぞって「紅い月」関連の記事を取り上げてくれるようになった。

 個人的なファンを自称するライターも多く、そこから興味を持った新規のファンも多かった。

 音楽マニアは、飯塚のBGMに興味を持ったようだ。

 しっかりと低音の効いた疾走感のあるテクノは、画期的かつ斬新なものだった。

 それに伴って、主題歌を手掛けるコッカトリスの知名度も上がって来た。

 ラジオでも「紅い月」の話題の時は当然ながらBGMに主題歌である「解放の扉」を流してくれる。


「解放の扉」発売日は、「紅い月」第4話のオンエアの翌日だった。

 ビュースターとしては、少し遅いタイミングで、ファンをジラす作戦を採った。

 発売週こそようやくオリコンの左頁、ベスト50になんとか載るくらいだったが、翌週も翌々週も数字が落ちなかった。

 寧ろ、バックオーダーは好調だった。

 アルバムの予約も予定数を大幅に超えてきた。


「一気に攻勢を掛けましょう!」

 宣伝会議で美島は吼えた。

「そろそろドラマも終盤を迎えます。景星社からシナリオ集の発売も決まりました。もちろん、ビデオソフトも発売されてレンタルビデオ屋さんにも並びます」

 いろいろなメディアミックスが可能になるという事だ。

「そこで、景星社と組んでコッカトリス『解放の扉』、飯塚さんのサントラ、塚田さんのシナリオ集の共通キャンペーンを張ります」

 景星社はビュースターの親会社なので、タイアップもし易い。

「具体的には?」多岐川が訊く。

「コッカトリスのシングルのジャケットの端っこに小さく『紅い月』のロゴを仕込んでましたから、それをこれから発売されるサントラとシナリオ集にも色違いのものを入れて、3種類を同封して送ってもらいます。で、応募者には抽選で特典を用意します」

「コッカトリスのアルバムは絡めないんですか?」沢口が質問する。

「まあ、アルバムはドラマとは関係ないし、あんまり色が付くのはコッカトリスには後々良くないような気がするんだよね」

 美島はそこら辺は慎重にやろうと思っていた。

 事務所の意向もある事なので、アーティストイメージに関わる事は、レコード会社が一方的に決めるのは良くないという思いがあった。

「どんな特典を考えてるんですか?」山崎が質問する。

「抽選でいくつかの賞を設けようと思ってて、例えば100人にドラマのNGシーンを集めたビデオとか、1000人にオリジナル脚本の小冊子とか」

「うわー! それ普通に僕も欲しいです」山崎がスタッフらしからぬ発言をする。

「後々、コレクターズアイテムになるようなのが効果的だと思うんだよね。もちろん、これから煮詰めて行くけど」

「美島君、それって読者プレゼントにも回せる?」雑誌担当の西野聡美が手を挙げる。

「そうですね。需要があるでしょうからね。

それで取り上げてくれるんだったら万々歳ですし。雑誌の選択は西野さんにお任せします」

「了解! いくつか話してみるわね。テレビ誌なんかは全部OKだと思うわよ」

「どっちみち、番組でのプレゼント分も用意しないといけないし、それ以外にも読者プレゼント用、ライターさん、編集者さん用に多めに作りますかね」

「そうして貰えると助かるわね」

「あと、やっぱり映画になるみたいです」美島の発言に宣伝部員たちがざわめく。

「それはまだ確定じゃないって事か?」多岐川が確認する。

「確定にはもうちょっと掛かるみたいですけど、十中八九間違いないでしょうね。最終回の時に発表する予定みたいです」美島はここで一度深呼吸した。

「これはまだ多岐川部長にも報告してませんが、昨日沢登さんの方から連絡がありまして、その映画の主題歌をまどかに歌わしたいと」

 再び宣伝部がざわめく。ただ、さっきの比ではない。

「来季のゴールデンのドラマの主題歌でデビューじゃなかったのか?」多岐川にも寝耳に水の話だ。

「それが、どちらも時期が一緒なんですよ。テレビのオンエアと映画公開が。もちろん、撮影時期はズレてますけどね」

「つまり…」

「はい、両A面扱いで2曲録らないといけないみたいですね」

 CDだとレコードと違ってA面もB面もないが、慣習的にそう表現される。

「そりゃまたタイトなスケジュールですねえ」

「まどかちゃん、大丈夫ですかね?」

 沢口も山崎も心配そうだ。

「ま、普通に発売してもどっちみち2曲録る事には変わりないし。どちらかと言えば、我々宣伝部の負担が大きくなるかもね。推し曲が2曲になるから」美島は報告を続ける。

「で、ゴールデンの方は有名作家に曲作って貰って、映画の方は飯塚さんでって話になりまして、余裕があれば飯塚さんとまどかの共同名義って事で」

 今度は全員沈黙してしまった。

 恐る恐るといった体で山崎が訊いて来る。

「…大丈夫なんですかね?」

「それはどんな意味でだ?」

「いえ、いろんな意味で」

「そんなの今の時点で分かる訳ないだろ?

まあ、でもどうにかなるよ、きっと」

 美島の根拠の無い楽天家ぶりが出て来たところで宣伝会議はお開きとなった。


「後藤さん、どうしましょうね?」

 宣伝会議を終え、美島は制作部の後藤を訪ね、そのまま会議室に籠った。

「まあ、アメイジングが決めちゃったもんはしょうがねえな」

 経験値の高い後藤は、これくらいでは動じない。

「ゴールデンの主題歌の方は、作家はアメイジングでアテがあるのかな?」

「どうやらそうみたいですよ。大御所の作家陣に頼むみたいで」

「じゃあ、原盤もアメイジングで作るのかな? それだとこっちは助かるが」

「その方が映画の主題歌に専念出来ますしね」

「ただ、まどかちゃんがたいへんだなあ。映画に連続ドラマにレコーディング2曲かあ。しかもそのうちの1曲は共同名義とは言え、曲作りに関わらなきゃいけないんだしなあ」

「そこら辺はさすがにアメイジングも考えてて、映画は結構な予算が出そうなんで、セットや特撮にお金掛ける分、まどかちゃんの出番はドラマよりは減るみたいですね。ゴールデンのドラマも、主役とはいえ群像劇ですから『紅い月』みたいに出ずっぱりじゃないですしね」

「それでもなあ…」後藤はため息をついた。

「まあ、若いし、夢を持ってるから出来る事だよなあ」


「大丈夫ですよ! まだ若いし、いくらでも無理は利きますから!」

 まどかは元気よく答えた。

 場所はアメイジングの会議室。

 出席者はまどか、沢登、後藤、美島、大野の5人だ。

「もちろん、こちらとしても無理をさせようとは思っていません。体調崩したら元も子もありませんから」沢登が断言する。

 大野は映画のスケジュールを説明する。

「そんなにタイトなスケジュールにはしないつもりです。例によって塚っちゃんのホンが遅れてますが、元々小劇場の作家なんで場面展開を制限しても面白いの書けますし、今回はクロマキー使った合成とかも多用するし、テレビシリーズの回顧シーンも多くなる予定ですしね」

「撮影期間はどれくらいになりそうですか?」

 沢登が確認する。

「飛び飛びで10日もあれば。撮影場所もなるべく都内のスタジオにする予定ですし。ただ、一ヵ所だけちょっと遠くでの撮影になります」

「そのくらいでしたら許容範囲です。ゴールデンのドラマ撮影が始まる前に終われますね」

「でもまだ映画も決まりじゃないんですよね?」美島が確認する。

「まあ、やる事は間違いないでしょう。後は公開時期とかの調整でしょうね」

 大野も、それを見越してスケジューリングしてるようだ。

「そうすると、その合間を縫ってレコーディングですね」後藤が沢登に向かって言う。

「そうなりますね。テレビの主題歌はこちらでやりますので、後藤さんには映画の方をお願いします」

「どちらが先になりますか?」

「作家の先生方のスケジュール次第なんですが、映画の方はまどかと飯塚さんが煮詰めないといけないんで、必然的にテレビの方が先になるでしょうね」

「そうですよねえ。でもそうすると、映画撮り終わってから結構な日にちが経ってからのレコーディングになりそうですね」美島はそこだけ引っかかっていた。

「大丈夫ですよ美島さん。どっちみち今回は撮り終った後の編集に時間掛かりそうですし」

 大野が鷹揚に笑う。

「俺も初めてのメジャーでの映画デビューになりそうだし、今まで予算の関係で出来なかった事を思いっきりやってみたいんで」

 大野には大野なりの目的と野心があるようだ。

「ただ、飯塚さんの劇伴が上がってから編集に掛かるんで、そっちは早めにお願いしますね」

「わかりました。まあ飯塚さん仕事早いんで大丈夫だと思いますよ」美島もそこは心配していない。

「塚っちゃんと違ってね」大野は苦笑した。

「美島さん、コッカトリスが主題歌やらないのは問題ないですか?」

沢登はそこら辺の「業界的な調整」も気になってるようだ。

「大丈夫です。事務所側も、寧ろあんまりそこで色をつけたくないみたいですし」

美島もその点は三浦に確認済みだ。

 実際には、チェッカーフラッグとしては充分名前は浸透したので、ここでまた権利関係でアメイジングが絡んでくるのを避けたいという思惑もあるようだ。

もちろんそんな事は沢登には言えないが。

「じゃあ、ここいらでまとめますか」沢登がホワイトボードに書き込む。

「まずはテレビドラマ用のシングル曲の発注ですね。これは私がやります。で、映画の撮影ですが、これは逆に大野さんが民映さんの方にスケジュールを伝えてください。やるならこの期間になるんで、来週くらいにはフィックスしてくださいと」

「了解です。ケツ叩いてきますね」

「まどかは撮影までは飯塚さんと曲作りね。その間、テレビでの露出は一時的に減るけど、CMがかなり流れてるだろうから心配ない」

「わかりました」まどかも素直に頷く。

「後藤さんは映画の主題歌の段取りをお願いします」

「そうですね。テレビのとテイスト変えた方が良いと思うので、そちらの曲が上がったらすぐに聴かせて貰えますか?」

「わかりました。そこら辺、確かに差別化した方が良いですね」沢登も異論はないようだ。

「美島さんは宣伝プランをお願いしますね」

「承知しました。いろいろとメディアミックスやれそうですね」

「タイトなスケジュールになっちゃって申し訳ありません」沢登が頭を下げる。

「いやあ、制約がある方が燃えるタイプなんで」

実際、美島の頭の中にはいくつかのプランが浮かんでいた。

「それは女性関係も?」大野がからかう。

「そりゃあ、そういうもんでしょ?」

「くれぐれも法律とかモラルって制約だけは守るようにな」後藤が真顔で言う。

「後藤さんは俺の事を誤解してません?」

「じゃあ、今日はこれくらいにしときましょうか。何か進展や変更点が出て来たらすぐに連絡します」沢登が〆た。


「てなわけで、飯塚さん。まずは劇伴をお願いします」

 美島は打ち合わせ帰りにサイレントスタジオに直行していた。

「わかりました。すぐに取り掛かりますね。でも脚本はまだ出来てないんですよね?」

「だいたいのあらすじは出来てるみたいですし、大野さんから『こんな感じで』ってのは預かって来てます」

美島は大野から預かった絵コンテを渡す。

「あー、こういうイメージボードっぽいのがあれば大丈夫です。何パターンか作って、後は大野さんに一度聴いて貰ってから微調整しますかね」

「そうですね。編集用のラフなんで、デモっぽい感じで良いと思いますよ」

「どうせ最終的には尺も合わせないといけないですからね」

 飯塚は飲み込みが早い上にフットワークが軽いので、打ち合わせが最小限で済む。

 美島にとってはやりやすい相手だ。

「主題歌については後日、後藤の方から話があると思います。今ちょっと、引き続きアメイジング側と打ち合わせしていますんで」

「なんか、いきなりバタバタと動き出しましたねえ」

「まあ、決まる時はこんなもんですよ」


「そんな訳なんで、ベースもう少しお借りしますね」

 飯塚は5th STREETに出向いて宗崎に説明する。

 そこら辺、律儀な性格なのだ。

「大丈夫ですよ、今は使ってないんで」

 宗崎としても、たまにはアンプに繋いで音を出して貰った方が助かる。

 飯塚だったら、楽器のケアも完璧だ。

 MUSICMANのハードケースは丈夫だし、飯塚の乗ってるVOLVOは頑丈な車なので、壊れる心配もない。

「今日はまたなんか凄いバンド出てますね」

 丁度飯塚が5thに現れた時、沖縄からのツアーバンドがリハ中だったのだ。

「飯塚さんも知ってる、ウチの常連の『猫神座』の紹介なんですけどね」

 猫神座は全員白塗りで、女性ヴォーカルが和服、楽器隊の男性陣が学ランを着ている和風ハードロックバンドだ。

 ヴォーカルが語りだけの曲とか、演劇っぽいスタンスを取り入れたシアトリカルなステージをやっているカルトバンドで、一部に熱狂的なファンがいる。

 そこのリーダーであるドラムの三毛が「沖縄にツアーに行った時に衝撃的なバンドに出会いまして」と紹介してくれたのが、今日出ている「羅刹」だ。

今回はその友達バンドの「デッドリー・テクノ」も一緒に出演する。

「あの猫神が『やっぱり沖縄は降りて来る神様が違う』とまで言ったバンドなんで、期待してデモテープとビデオ待ってたんですが、予想を遥かに上回る凄まじさで」

 宗崎はビデオを観た時の衝撃を思い出していた。

 送られてきた封筒には「羅刹 蜘蛛女」と名前が書かれていた。

羅刹は女性ヴォーカルと男性ギタリスト二人のユニットだった。

 ビデオはどこかのライブハウスでの映像みたいで、まずはステージ下手(客席から見て左側)に、着崩した和服に坊主頭で、全身を白塗りにしてお経を書いた耳なし芳一みたいな人が現れて、胡坐をかいたままギターをかき鳴らした。

 持ってる楽器が琵琶じゃないのが不思議なくらいの出で立ちだった。

 その後に出て来た女性ヴォーカルは、和服を着ているのだが乳を放り出した状態で、髪の毛はザンバラで顔が全く見えない。

 そして琵琶法師のようなギタリストの弾くギターに合わせて、ずっと奇声を上げ続けているだけだ。

(確かにこれは降りて来る神様が違うな)と宗崎も納得した。

 デッドリー・テクノは、まさにデステクノとでも呼ぶべきユニットで、全員坊主頭に白塗りは羅刹のギターと変わらないのだが、衣装は黒い法被だった。

 そして打ち込みの不穏な音に合わせてお遍路さんが持つような錫杖を振っていた。

 鈴の音がまた現実感を麻痺させるようで、不穏さに拍車をかけていた。

(これも一般的じゃないけどカッコ良いなあ)

 ツアーバンドはお客さんが入らないからライブハウスの売上的には厳しいものがある。

 それでも宗崎は、負担にならない程度にはツアーバンドは積極的に受け入れていた。


「面白いですねえ。今度猫神座とウチと一緒に対バンとかどうです?」飯塚はまだちりめんずも続けているのだ。

「飯塚さん、当分そんな暇ないんでしょ?」

「…そうでした」


 リハ終わりで、羅刹の二人が事務所に挨拶に現れた。

女性が「羅刹の宿禰と申します」と頭を下げた。

「え? 蜘蛛女さんじゃないの?」

「あ、蜘蛛女は僕です」

 ギタリストが手を挙げた。

 宗崎は絶句した。

(やはり、常識に囚われてちゃダメなんだな)


「映画、本決まりになりました」

 会社の近所のおにぎり専門店で買ってきたおにぎりを頬張ってる美島に大野から電話があった。

「スケジュールも民映の方に伝えておきました。問題ありません」

「いよいよ本格的に始動ですねえ」おにぎりをお茶で流し込んだ美島が感慨深い声を出す。

「でもまだドラマの方も最終回撮り終ってませんからね」

「個人的に最終回気になってますよ。塚田さんがびっくりするって言ってたし」

「ですねえ。面白い結末だと思いますよ」

「映画はドラマの続編になるんですか?」

「んー。これは言っちゃっていいのかなあ」大野は気を持たせる。

「えー。そう言われると気になって眠れなくなりますよ!」

美島の中の小学生が目を覚ましだす。

「ドラマはドラマで納得のいく結末ですね。映画はドラマの前日譚になってまして、実は映画会社の意向で、その気になればシリーズ化出来るような物語になる予定です」

「え! それはまた凄い話ですね」

「民映としてもヒットの予感めいたものを感じてるようで、ドル箱になるんだったら続けたいんでしょうね。」

「でもまあ、それもこれも、まずはドラマの最終回と、今度の映画次第なんですよね?」

「そうなんですけどね。多分、大丈夫ですよ。面白いものが出来上がると思いますよ」

「うわー! 早く観たいなあ」

「美島さん、単なるワンフー(ファン)になってません?」大野が茶化す。

「しかし、そうなると塚田さんも注目されますねえ」

「そうなんですよ。今でもオファーが殺到してまして。だもんで、今囲い込んでるところです。民映なんて、拘束料や専属契約料払ってもいいって言ってるくらいで」

「映画会社もコンテンツ揃える為にはなんでもやりますからねえ」

「テレビ局も、視聴率取る為なら親でも殺しかねないですからね。これから塚っちゃんの争奪戦になるでしょうね」

「そうなると、前に塚田さんのドラマで笑いの部分を削っちゃったディレクター、今頃青ざめてるかもしれませんね」

「ま、自業自得ですよね。弱い者いじめなんかするからですよ」

「因果応報って奴ですね」

「我々創作者は、我が子のような作品をダメにした人間への恨みは決して忘れませんからね。塚っちゃんがその人と組む事は二度と無いでしょうね」

「肝に銘じます!」

美島はカップ味噌汁を飲み干した。


映画のタイトルは「紅い月映画版 蒼い炎」に決まった。

(なんかタイトルからも続編の匂いがプンプンするなあ)と美島が思ったのは、事情を知ってるからかもしれない。

 大野の決めたタイトルだったが、まどかも気に入ったみたいで、主題歌のタイトルも「蒼い炎」にして、そのイメージで曲を作る事にしたようだ。

 無事脚本も出来上がり、それがまたまどかのイメージを膨らませた。

 ドラマの主題歌の方がアップテンポで明るい曲になったので、映画の方はミドルテンポのバラードっぽいものにするようだ。

 基本はまどかが作詞作曲をして、飯塚がアレンジとミックスを担当する。

 レコーディングは、飯塚の作るトラックはサイレントスタジオで、まどかの歌入れとピアノはビュースターのスタジオで録って、トラックダウンとマスタリングは外部のスタジオで行う事になった。

 そこら辺の段取りは、まだ先の話になるので、アバウトに決めただけだった。


 まだ曲が完成していない内に、撮影が始まった。

 まどかとしても、その方が曲のイメージが固まるので都合が良い。

 一週間ほどで都内での撮影を終え、後はクライマックスである郊外のロケ地での撮影を残すのみとなった。


「撮影はどちらでやられるんですか?」

 サイレントスタジオで、飯塚は休憩中にまどかに訊いた。

「新潟みたいですね。私行った事ないんで楽しみなんです」

「え? ウチの実家も新潟ですよ!」

「あら、そうなんですか? じゃあ飯塚さんもいらっしゃいます? その方がイメージが固まるかもしれませんし」

「いやいや、ご迷惑ですし」

飯塚は慌てる。

門外漢が行っても邪魔になるだけだ。

「大丈夫ですよ。飯塚さんもこの映画のスタッフなんですから」

 確かに、飯塚の名前も音楽担当としてクレジットされるからには関係者だ。

 単に今までは撮影現場と接点が無かっただけだ。

「それに私、ロケの次の日はお休みなんですよ。飯塚さん、新潟を案内して戴けませんか?」

 飯塚はそのまま固まってしまった。


「美島さん! どうしたらいいですか?」

 次の日、飯塚は美島に泣きついた。

 美島としても、頭の痛いところだ。

 飯塚とまどかの為には協力してあげたいところだが、沢登を欺く事になる。

 纐纈も怖い。

「飯塚さん、落ちついて! えーっと、まずは移動手段ですね。飯塚さんはVOLVOで行くんですよね?」

「そうですね。関越乗ります」

「まどかちゃんはロケバスですよね?」

「でしょうね。大野組の」

「つまり、問題は撮影終わった時にどういう口実でロケバスに乗らずに飯塚さんと新潟向かうかって事ですね」

「別に僕と一緒じゃなくても良いんですけどね」

「でもまどかちゃん一人で移動させる訳にも行かないですからね」

 飯塚は頭を抱えた。

「あー、もう何が何やら!」

「飯塚さん、落ち着いて!」二回目だ。

「ところで飯塚さん、まどかちゃんはどこに泊まる気なんでしょうね?」

「あ、僕の親戚が旅館やってるんで、そこは紹介出来ます。結構な高級旅館ですよ」

「…なんか、ホントに凄そうですね」

「そうですね。通常は一泊5万円くらいします。もちろん、料金は戴きませんけど」

「いいなあ、新潟の美味しい料理とお酒!」

「そうだ! 美島さんも一緒に如何ですか?」

 飯塚の顔が輝いた。

「へ?」

「宗崎さんも呼びましょう! みんなで行くんだったら僕も気が楽ですし」

 美島は考える。

 もちろん、二人の邪魔をする気はない。

 そんな無粋な事はしたくない。

 しかし、アメイジングに対してのカムフラージュにはなる。

 まどかと飯塚はVOLVOで、美島と宗崎は別の車で移動すれば邪魔にもならない。

 幸い、新潟ロケには沢登は来ない事は確認済みだ。

 ここは自分がお目付け役として帯同する事を条件に、まどかを新潟で遊ばせるのを許可してもらうしかない。

 美島は飯塚に提案した。

「大野さんを巻き込みましょう!」


 またもや三宿のZESTで美島は大野を待っていた。

「やあ、美島さん。今丁度塚っちゃんに細かい修正伝えてハッパかけてきたところですよ」

 大野は椅子に座るなり、近況報告をする。

「映画の脚本、第一稿読みましたよ。さすが塚田さんですね。物凄く面白かったです」

「あんな完成度の高いホン書かれちゃあ、こっちはたまったもんじゃないですよ。どうせシナリオ集も出るんだろうから、興行成績悪かったら全部こっちの所為になっちまう!」

「プレッシャー、たいへんでしょうね」

「まあ、その分やりがいもありますけどね」

 大野も、今回の「紅い月」が評判になった事で、いろんなオファーが舞い込んでるようだ。

 今度の「蒼い炎」はメジャー映画のデビュー作となるのだから、思い入れも半端じゃないようだ。

「実は今回、大野さんにお願いがありまして」

 美島は頃合いをみて本題に入る。

「なんですか、改まって」

「一緒に沢登さんを説得して欲しいんですよ」「どういう事ですか?」

 美島は説明を始めた。

 ただし、飯塚とまどかの仲には触れず、あくまでも「頑張ったまどかへのご褒美として、ロケ終わりに一日だけ新潟で遊ばせてあげたい」と話した。

「大野さんも一緒に行きませんか? 美味しい料理とお酒が待ってますよ。久保田は絶品でした!」

「それは魅力的な誘い文句ですね」

 大野は大らかに笑った。

「まどか、飯塚さんの事好きなんでしょ?」大野が唐突に言い放った。

「え?」美島は固まった。

「大野さん、気付いてたんですか?」

「そりゃ、私だって一応人間観察で飯食ってる自負はありますからね」大野は苦笑した。

「それに、飯塚さんがまどかに夢中なのは、別に人間観察得意じゃ無い人でも気付くレベルですしね」

 美島もそれには異論はない。

「じゃあ、大野さん…」

「喜んで協力しますよ」

大野はきっぱり言い切った。

「飯塚さんはいい人だし、まどかはこれからの日本の芸能界の宝で、変な虫がつくくらいなら飯塚さんに預けた方が安心ですし。ま、ちょっと頼りないんで、我々がフォローしないといけないでしょうけどね」

 美島は大野の男らしさに感動してた。

「てっきり大野さんはまどかちゃんに惚れてるんだと思ってました」

「前も言ったじゃないですか。私は自分の作品に出演中の女優は口説きません。それに、相手がいる女性もダメです。こう見えて、私はモラリストなんですよ」

「見た目とのギャップが凄いですね。そりゃあモテますよ!」

「なんか、微妙にけなしてません?」

 二人は大いに笑い、その日は朝方まで呑み明かした。


 アメイジングの許可はあっさり取れた。

 飯塚の親戚の旅館が纐纈御用達のところだったのが大きかったようだ。

 沢登としても、どこかでまどかに息抜きをさせる必要があると考えていたようだ。

「すみませんね、美島さん、大野さん。本来なら私が付いていないといけないのに」と感謝までされた。

 美島としては多少心苦しかったが、それでも飯塚とまどかの幸せの方が大事だった。


 飯塚からは、感謝のしるしとして大野と美島に「久保田 万寿」が手渡された。

「まだ『碧寿』『紅寿』ってのもありますから、新潟では呑み比べしましょう!」というありがたい言葉付きで。


 結局、大野のランドクルーザーに美島と宗崎が同乗して新潟まで行く事になった。

 地方ロケでは、ロケバスとは別の車両があった方がなにかと便利なので、大野は自前の車で行く事にしたのだ。


 ロケ出発当日の早朝、ロケバスも大野のランドクルーザーも新宿西口の安田生命ビルの前に集合した。

 宗崎と大野は初対面だ。

「達ちゃん、こちらが大野監督ね」

「初めまして、宗崎と申します。関係ないのに同乗させていただいてすみません」

常識人の宗崎は、挨拶もソツが無い。

「大野です。美島さんからお噂はお聞きしています。ベーシストなんですよね?」

 二人は握手を交わした。

「昔の話ですよ」

「実はちょっとお願いがあるんですよ」

「なんでしょう?」

 宗崎はまさか初対面でお願い事をされるとは思わなかったのでびっくりした。

「実は、今回のロケでまどかがベースを弾くシーンがあるんですが、宗崎さん、ポージングを決めてやってくれませんか?」

「え? そんな場面があるんですか?」

「今回、テレビ版の前日譚なんですが、まどか扮する叶かなえが女子高生の頃にバンドをやってたって設定なんですよ。何の楽器が良いか考えたんですけど、やっぱベースが一番カッコ良いなって思いまして」

 ギターと比べると、ベースの方がネックが長い分、シルエット的にも絵になるという事だ。

「ロケ現場にピアノ持ち込むのもたいへんですし、それにギターなんかと比べると、こう言うと語弊がありますが、楽器弾けなくても誤魔化しやすいですしね」

 確かにギターだと指先のアップを撮られると誤魔化しが効かない。

「わかりました。ベースは何を使うんですか?」

「一応、フェルナンデスのプレベ、ショートスケールのを用意してます」

 プレベとはプレシジョン・ベースという種類の事で、ショートスケールは通常のものよりネックが短い。

「女子高生っぽい楽器ですね」

「色も赤いのにしました」

「あ、じゃあせっかくポージング教えるんだったら、僕のもあった方が便利ですね」

「そうですね。現地近くの楽器屋さんで調達しますか? 安いのになりますけど」

「いえ、実は飯塚さんにスティングレイ預けてあるんですよ。それ持って来て貰うように連絡しましょうか?」

「それ、ナイスタイミングですね!」

「佳太、後でケータイ貸してね」

 美島は上の空で、周りを見渡してソワソワしてる。

「大野さん、なんかエロいお姉ちゃんがいっぱいいません?」美島が他のロケバスっぽい車両を待ってる女性たちを見て囁く。

「あー、ここはいかがわしい撮影隊の集合場所としても有名ですからね。彼女たちは多分逆方向の静岡方面でしょうけど。そっちにハウススタジオがいっぱいありますから」

「なんか見た事あるような娘もいますね」

「そうですね、つい『いつもお世話になっております』って言いそうになりますね」

 そんな会話をしている内にまどかが到着した。

「みなさん、おはようございます。なんか楽しそうな話をしてますね」

「よーし、全員揃ったみたいだから出発するかあ!」

 大野が不自然なくらい大声を出して指示をする。

「まどかちゃん、おはよう! 今の話、聴こえてた?」美島が確認する。

「いえ、何を話してたかまでは分からなかったです。でも雰囲気が凄く楽しそうでしたね」

「そっかー!  飯塚さんは現地集合するんだよね?」

「ええ、今日の夕方くらいに着くみたいですね。明後日楽しみです!」

 撮影は、今日と明日の夜中までの予定だ。

 撮影場所が廃校になった校舎なので、キャストもスタッフも、そこに布団を持ち込んでの雑魚寝になる。

 ただ、主演女優のまどかの分だけは、少し離れた場所にあるホテルを取っていた。

「私は皆さんと雑魚寝でも全然良いんですけどね」

「そんな事したら、俺が纐纈さんにどやされるよ!」

 大野の言葉に美島も大きく頷いた。

 

 ロケバスとランドクルーザーは練馬ICから関越自動車道に乗り、北陸自動車道を目指していた。

「ザッと、4時間くらいですかね。もちろん、途中で休憩入れますけど」

「大きい車って楽ですねえ」

助手席に座った美島が言う。

「居住性は良いんですけど、燃費はあんまり良くないですね。その代わり、悪路には強いですよ」

 美島も宗崎も(大野さんらしい車だな)と思った。


「今晩から天気が崩れるみたいですね」

 ドライブインでの休憩中、助監督が大野に相談をしていた。

 天気次第では、撮影の段取りを入れ替える可能性も出てくる。

「こればっかりは仕方ねえな。今日はなるべく外のシーンを終わらすか」

 美術や大道具、照明部隊は前日から現地入りしている。

 着いたらすぐに撮影出来るように、ロケバスの中でまどかもメイクして衣装に着替えている。

 今回はキャストはまどかだけだ。

 回想シーンがメインなので、衣装も高校の制服であるブレザーのみだ。

 ただし、汚れる可能性が高いので、同じものを3着用意している。


(撮影が明日までに終わらねえと、まどかが楽しみにしてる「新潟の休日」が無くなっちまうからな)

 大野は武骨な男だが、同時に優しい男でもあった。

「俺の作品の主演女優は俺が守る!」という気概も持っていた。

 飯塚の才能も認めていたし、性格の良さも気に入っていた。

 もちろん、まどかの事も好きだが、それよりも自分の作品を最優先させるのが大野のポリシーだ。

 そして、まどかは飯塚と上手く行った方が魅力が出ると思っていた。

(これからまどかと長いつきあいになるんだったら、恋をした女の変化も見られるしな)

 大野は、「紅い月」がシリーズ化するのであれば、まどかの女性としての成長を記録したいと考えていた。

 映画は、主演女優に魅力があれば、それだけで成立する作品も多い。

 照明は少しでも女優が魅力的に見えるライティングをセットし、カメラは一番魅力的な姿を見逃さないようにし、もちろんメイクや衣装も、女優を輝かせる為だけに全力を注ぐ。

 そういった、スタッフに愛された女優の作品は、後世に残る。

 一番身近に接しているスタッフすら魅了出来ない女優が、多くの人を惹きつけられる訳がないのだ。

 大野は、まどかにはその魅力があると確信していた。

「女」ではなく「女優」として惚れ込んでいるのだ。

(輝くような笑顔を手に入れるには、幸せな体験をしないとな)

 大野は、その為に自分のやれる最大限の事をやろうと思っていた。


「やー! こんな長い時間車に乗って移動したのって初めてだなあ!」

 美島がランドクルーザーから降りて伸びをしながら宗崎に話しかける。

「新潟も初上陸だよ。最も、ここだと『ここは本当は長野県』って言われてもわかんないだろうけど」

 確かに、ロケ現場は山の奥の廃校なので、日本全国に同じような場所はありそうだ。

 大野組は早速撮影の準備を始めている。

 日が暮れない内に撮らなくてはいけないシーンがあるからだ。

「俺ら、何にもやる事ないから暇だねえ」

 美島が緊張感の欠落した事を言う。

「そうだね。ベースのシーンも明日みたいだし」

「手伝おうにも、勝手がわかんないしねえ」

「まあ、何か買い出しとかの遊撃隊としてスタンバってるかねえ」

 二人とも、忙しい毎日から解放されて弛緩しきっていた。

 対照的に、その間にも大野組のスタッフはフル回転で撮影準備にかかっていた。

「そこにお店広げちゃって!」

 撮影機材をそこで設営するという意味だ。

 校舎の1階に様々な機材を置き、セッティングを始める。

 優秀なスタッフは、機材や荷物の整理整頓もしっかりしている。

 これが中途半端だと、効率の良い撮影が出来ないのだ。

既に鈍色の雲が広がっていて、いつ土砂降りになってもおかしくない空模様だった。

 みんな、日が暮れるまでは雨が降らない事を祈っている。

(夜にどれだけ降っても構わないから、とにかく18時まではもってくれ!)と。

 その祈りが通じたのか、その日予定していた野外シーンを夕方までに撮り終えると同時に、辺り一帯豪雨になった。

「結果オーライだけど、野外のシーンも空模様で不穏なイメージを出せたな」

 大野が助監督に話しかける。

「ですねえ。後は校舎内のシーンですから、雨降ってても録音にさえ気を使えばどうにかなりますね」

「明日晴れれば良いんだけどな。土砂降りだったら少し設定変えるかな。雨に打たれた方がかえって迫力出るかもしれねえしな」

「雨対策の準備もしてますから、そこら辺は大丈夫です」

 自主映画時代からの大野組は結束が固いので、意思疎通は完璧だ。


 野外ロケの終わり頃に飯塚も到着した。

「お疲れ様です。仕事押しちゃって、遅くなってすみません。宗崎さん、スティングレイ持ってきましたよ」

「あー、ありがとうございます。じゃあ、丁度今は照明のセッティング待ちみたいなんで、まどかちゃんにレクチャーしますかね」

 宗崎はスティングレイをハードケースから取り出し、まどかの元へ向かう。

 まどかは大野と打ち合わせをしていた。

「大野さん、ベース届きました。いつでも大丈夫ですんで、声かけてください」

「お! やっぱりスティングレイはカッコ良いなあ」

 大野もバンド経験者なので、基本的に楽器は大好きなのだ。

「よし、、決めた!」大野は手を打つ。

「宗崎さん、そのベースをまどかに貸して貰えませんか?」

「え? 女子高生がスティングレイですか?」

宗崎のスティングレイは30万円近くする高価なベースだ。

「確かに女子高生が弾くんだったら、フェルナンデスの方がリアルなんですけどね。でもやっぱスティングレイ、カッコ良いじゃないですか」

 大野はきっぱり言いきった。

「今回は、リアリティよりもカッコ良さを採ります!」

 監督がそう言うんであれば、誰も反対は出来ない。

 そもそも今回は演奏シーンというよりはイメージシーンなので、見た目のカッコ良さが最優先される。

「私も、一目見た時から、こっちの方がカッコ良いなって思っちゃったんですよね」

 まどかも気に入ってるようだ。

「スティングレイはフェンダー社の創業者であるレオ・フェンダーが立ち上げたMusicmanのフラッグシップモデルですからねえ。カッコ良いし、良い音しますよ」

 宗崎は、レオ・フェンダーのファンなのだ。

「レオ・フェンダーって、自分がフェンダー社辞めた後に、フェンダーが他のギタークラフトメーカーを『ウチのギターのヘッドの形状を模倣してる』って訴えた裁判で、訴えられた側の証人になって『お前らが今造ってるものよりも、こっちの方がワシのを継承してる良いギターだ』って証言したそうですからね。カッコ良い親父ですよね」大野もそこら辺は詳しいようだ。

「しかもそれ、日本のメーカーなんですよね」

「まーた、俺の知らない話になってる!」

 小学生モードの美島が入って来たところで話はお開きになった。


「宗崎さん、今晩はベースお借りしても良いですか? ホテルでちょっと練習したいんで」

 まどかが宗崎に訊く。

 撮影は0時過ぎに終わった。

業界風に言うと「テッペン回った頃」という時間だ。

「良いよ、飯塚さんの車に積んでるよ」

「まどか、ついでに飯塚さんにホテルまで送って貰えば?」

 大野が気を利かせる。

「あ、そうですね。飯塚さん、近いからそのまま実家に帰るって言ってましたし。ホテルは丁度通り道みたいですし」

「うん、そうしなよ。俺らはここで合宿気分を味わうから」美島も薦める。

「凄い土砂降りになってきたから気をつけるようにな!」


「じゃあ飯塚さん、お願いしますね」

 美島はガチガチになった飯塚に話しかける。

「美島さん、僕の車に女性が乗るの、初めてなんですよ」

「記念すべき第一号ですね」

「そんな軽い話じゃないんですよ!」

 飯塚は泣きそうだ。

「そんな堅苦しく考えないで! この土砂降りの中をホテルまで帰るんだったら、タクシーとか知らない人の車に乗るよりも、飯塚さんの方がまどかちゃんも安心ですよ」

 その言葉で飯塚も覚悟を決めたようだ。

 ワゴンのラゲッジ・スペースに宗崎のスティングレイとまどかの荷物を積みだす。

「すみません飯塚さん。お手間かけてしまって」

 まどかも準備が出来たようだ。

「美島さん、私うっかりしてピッチの充電してなくて、今見たら残りわずかになってるんですよ。ホテルに帰ったらすぐに充電しますから、もし美島さんのケータイに沢登さんから電話があったらそう伝えておいてくださいね」

「了解! 気をつけてね。また明日!」


「いやー、ホントなんか修学旅行気分だねえ、達ちゃん」

「そんな風に思ってるのは佳太だけだよ。他のみんなは徹夜上等みたいよ」

 撮影が終わっても、大野組は片付けと明日の撮影の準備で慌ただしく動き回っている。

「美島さんと宗崎さんは寝ててくださいよ。俺らは徹夜慣れてますから」

 大野も二人に気を使う。

「うるさいし、まぶしいでしょうから、上の階使っても大丈夫ですよ。明日も日の出からやりますから」

「皆さん、タフですねえ」宗崎が感心する。

「インディーズ映画の頃は予算との戦い、今はスケジュールとの戦いですからね」

 大野は魅力的な顔で笑う。

「それでも、作品を作れる喜びは、何物にも代えがたいですからね。特に今回は、良い作品になる予感しかしませんし。きっと大勢の方が喜んでくれますよ」

 宗崎は、大野が羨ましかった。

 イベントやライブは、形に残らない。

 お客さんに感動を与えるという点では同じエンターテインメントの仕事だが、作品は永遠に残る。

(まあ、消えてしまう刹那のものも、その美しさはあるんだけどな)

 宗崎はそう考えて自分を納得させた。


 夜中の3時過ぎにいきなり静寂が破られた。

 美島も宗崎も寝付いたところだった。

「起きてください、美島さん、宗崎さん!」

 大野が珍しく切羽詰まっている。

 それだけで、何かただならぬ事が起こったのが分かった。

「どうしたんですか、大野さん?」

 美島がなんとか眠い目をこすりながらも意識をはっきりさせようと努力する。

「豪雨で山沿いが土砂崩れになってて、道が通れなくなってるみたいです」

 美島はその言葉で完全に目が覚めた。

「え? じゃあまどかちゃんたちは?」

 大野がため息をつきながら、なんとか言葉を絞り出す。

「今ホテルに電話したら、到着してないみたいなんです」

「なんですって!」

「とりあえず、お二人とも下に降りて来てください。対策を練りましょう!」


 1階には机が並べられ、パソコンと地図が置かれていた。

 助監督が説明する。

「お疲れ様です。かいつまんで状況を説明しますと、ここら辺一帯に大雨警報が発令しまして、幹線道路で土砂崩れが何ヶ所か発生しています」

 助監督は地図を広げだす。

「飯塚さんの車がどこまでいけたのかは不明です。まどかさんはPHSを持っているので、電波が発信されていればパソコンで位置情報が確認出来るんですが、どうも電源が切れているみたいです」

「充電するの忘れてたみたいです…」

 美島が沈痛な顔で答える。

「万事休すか…」大野も顔を覆う。

「アメイジングに連絡入れますか?」大野が美島に確認を取る。

 美島は迷っている。

 トラブルであれば、何はともあれ事務所に連絡すべきだ。

 ただ、夜中の3時と言う非常識な時間の上、アメイジングに連絡したところで解決策は全くない。余計に気を使わせるだけだ。

 大野の責任問題にも関わってくる。

「もう少し待ってみましょう」

 宗崎が力強く言う。

「達ちゃん、待つと何か事態が好転するの?」

「二人が無事だったら、必ずPHSの電源は入る!」

「達ちゃん、何か気付いたんだね!」

「飯塚さんなら、必ず同じ事に気付くはずだよ」

「わかった! 信じるよ!」

「大丈夫! いろんな偶然が重なってる。こんな時は必ず上手く行く!」

 宗崎は高らかに宣言した。


「PHSの電波が確認出来ました!」

 30分後に、助監督が叫んだ。

「どこだ?」大野がパソコンに突進してくる。

「ここから2kmくらいのところですね。道路から少しズレています」

「よし、そのパソコン持って行けるな?」

「はい、ピッチを差してますから大丈夫です」

「宗崎さん、美島さん、一緒に行きましょう!」

「わかりました!」

 途中、土砂崩れの場所もあったが、ランドクルーザーは確かに悪路に強かった。

 多少の場所なら乗り越えられた。

 幸いにも、二人がいる場所まではそんなにひどい土砂崩れは無かったようで、幹線道路で近くまで来れた。

「あれだ!」大野が飯塚のVOLVOを見つけた。

 森の中で赤い車体は目立つ。

 だが、車は前半分が土砂で覆われていた。

 大雨の中、3人はVOLVOに駆け寄る。

「飯塚さん! まどかちゃん! 大丈夫?」

 美島が車の外から必死に呼びかける。

 すると、後部座席のドアが開いた。

「美島さん、宗崎さん、大野さん、信じてましたよ」

 飯塚だ。憔悴しきっていた。

「とりあえず、二人とも無事です。まどかさんをお願いしますね」

 それだけ言って、飯塚は気を失った。


「まどかちゃん、本当に大丈夫なの?」

 美島が心配して声を掛ける。

「平気ですよ。肉体的にも何もないですし、少し寝てないくらいで気分はハイです!」

 翌日、撮影を中止しようとする大野に、まどかは「撮ってください」と直訴した。

「私が少しくらい憔悴してた方がそれっぽくありませんか?」

 大野は悩んだが、最後はまどかの願いを聞き入れた。

 まどかから何か分からない気迫を感じて、凄いものが撮れそうな予感がしたからだ。

(アメイジングには昨日の件はダマテンで行くかな)

 何も報告しないという事だ。

 美島も異存はないだろう。


「達ちゃん、昨日つーか今朝の件を説明してよ」

 大野組が撮影に入ったので、美島も宗崎も暇になった。

「そうだね、飯塚さんもそろそろ目を覚ます頃かもしれないから、上に行こうか」

 飯塚は、あのあとみんなに運ばれて、今は2階で寝ている。

 2階に上がった二人は、寝ている飯塚を覗きこむ。

「まだ寝てるねえ」美島が確認する。

「寝かしといてあげようよ。多分、精も根も尽き果てたんだよ」

 二人でフロアの逆側に移動する。

「偶然が重なったってどういう意味なの?」

「どこから説明しようかな?」

 宗崎は考える。

「まず、5thで言ってた、俺がライブでスティングレイを使わなくなった理由から」

「え? それ何か今回と関係あるの?」

美島が驚いて訊き返す。

「多分、今回の一番のキモだよ」

「全くわかんないよ!」美島の中の小学生が目を覚ます。

「あの時、ベースには大きく分けてパッシヴとアクティヴがあるって言ったよね?」

「そうだっけ?」

「なんで覚えてないんだよ!」

「興味ないから」美島はシレっと言う。

「…まあいいや。じゃあ繰り返しになるけど、スティングレイはアクティヴで、これはプリアンプが内蔵されてるベースでね」

「あー、なんか聴いた覚えが」

「で、プリアンプ内蔵って事は、電池がいるんだよね」

「そうなんだ?」

「で、その電池、9Vを使う」

「9V? 単一とか単三じゃなくて?」

「うん。 多分見た事あると思うよ。四角い電池」

「あー、なんか売ってるのは知ってる。でも誰が使うんだろうって不思議だったんだよね」

「…バンドマンはみんな使ってるし、ライブハウスでも売ってるよ。エフェクターに使う電池もみんな9Vなんだから」

 宗崎は(なんで覚えてねえんだよ!)という言葉を噛み殺して説明する。

「そうなんだ? 他で使う人っているのかな?」

「まあ、俺も他はラジコンくらいでしか見た事無いけどね」

「あ、じゃあ達ちゃんがスティングレイをライブでメインに使わなかったってのもそれが原因?」

「そう。一度、本番前に電池が切れてる事に気づいてね。丁度そこのライブハウスでも売って無くて、対バンの人に借りた事があったんだよ。それ以来、サブで使うようにしてた」

「電池多めに持ち運べば済む事じゃない?」

「うん、だからその後はそうするようにしてる。いつもケースに工具袋と一緒に予備の9Vを入れてる」

 宗崎はそこで一息ついた。


「今回も、スティングレイのハードケースに、9V電池と絶縁テープ、ニッパー、、シールドを入れてた」


 美島はキョトンとしている。

「で?」

「それを使えば、PHSを充電出来る」

「え? そうなの? どうやって?」

「まずはシールドをニッパーで切って、銅線を剥き出しにする」

 シールドとは、ギターとアンプを繋ぐ配線コードの事だ。

「で、それを2本作って、9V電池のプラスマイナスとPHSのバッテリーに絶縁テープでくっつける」

「あー、それで充電出来るのかあ」

「飯塚さんが車の12Vから100Vに変換出来るインバーター付けてればそんな手間も掛からなかったんだけどね」

「ま、そりゃあ分からないよね」

「つけようとは思ってたんですけどね」

「え? あれ? 飯塚さん、目が覚めましたか」

 いつの間にか飯塚が近くまで来ていた。

「宗崎さん、ホント助かりました! もしあのベースがパッシヴだったら死んでたかもしれません」

「いろんな偶然に助けられましたよね」

「ですねえ。アクティヴのベースで9V電池があった事もそうですし、今回の撮影にスティングレイが選ばれた事も、宗崎さんが来てくれてた事も奇跡ですね」

「飯塚さんの車が真っ赤なVOLVOだった事もそうですよ。森の中で目立ってたからすぐ見つかったし、あの土砂の中で潰れていなかったのは、さすが世界一頑丈な車と言われるだけありますね」

「ですねえ。別名『走るレンガ』って言われてますしね。さすがスウェーデン鋼は丈夫ですね。VOLVOってあのパッションレッド以外、他は全部地味な色なんですよね」

 飯塚は宣言した。

「僕はもう一生、真っ赤なVOLVO以外乗りませんよ」

「微妙にハブられてるような気がするなあ…」

 美島がスネだした。

「そんな! 美島さんにも感謝してますよ。何よりも美島さんがいなければ、僕はここにいませんから」

 美島はその一言で機嫌が治った。


 撮影はクライマックスを迎えていた。

 結局、大野は土砂降りの中、まどかを外で撮る事を選択した。

 まどかもそれに応え、鬼気迫る怪演を見せた。

 モニターを見てる大野は、この作品が間違いなく傑作になると確信していた。

(このホンで、このまどかの演技でつまんない作品になったら、俺は腹切らなきゃならんな)とまで思っていた。

 全てのスタッフがまどかをケアし、その魅力をフィルムに収めようと必死になっていた。

 まどかもそれを感じ取っていた。

 演技に没頭しながらも「自分がなにをやっても、周りの人たちがどうにかしてくれる」という安心感が全身を包みこんでいた。

 まどかは生まれて初めて音楽以外の事で陶酔を味わっていた。


「カット!」

 大野の声が響き渡った。

「まどか、お疲れ様。オールアップだ」

 まどかの身体が女性にスタッフによって毛布で包まれ、大野から大きな花束が渡された。

「よく頑張ったな。後はまかせろ! 絶対面白い作品に仕上げるからな」

 まどかは泣きじゃくっていた。

 最後は自分が何をしていたのかもよく覚えていないが、自分の中に叶かなえが降りて来た事は分かっていた。

 心地良い陶酔だった。


スタッフは、朝からドラム缶の中にカセットボンベで沸かしたお湯を少しずつ注ぎ込み、ドラム缶風呂を作っていた。

まどかは生き返るような暖かさに包まれながら、またもや泣いた。

幸せだと思った。

いろんな人が自分の為に動いてくれる。

その人たちの頑張りに応えなくてはいけない。

その為なら、なんでもしようと思った。


「まどかちゃん、お疲れ様! よく頑張ったね!」

お風呂からあがったまどかを美島がねぎらう。

「ありがとうございます、美島さん。私、今なら良い曲が書けそうな気がします」

「無理しなくて良いよ」

「いえ、書きたいんです。今ならまだ私の中に叶かなえがいます」

 美島は目の前で手を組むまどかの姿を、神々しく感じた。


「大野さん、本当に帰っちゃうんですか?」

「新潟の海の幸、山の幸、それに日本酒は魅力的なんですが、それよりも更に魅力的なフィルムを抱えてるんでね。早く編集しちゃいたいんですよ」

 20時には機材の片付けも終わり、後は撤収するだけの状態になっていた。

 幸い雨も止み、別ルートを使えば土砂崩れの道を通らなくて済む事も分かった。

 美島、宗崎、飯塚、まどかは大野のランドクルーザーで飯塚の親戚の旅館まで送って貰う事になった。

「大野さん、本当にお世話になりました」

 まどかが後部座席から運転席の大野に話しかける。

「映画が完成したら、キャンペーン頑張ります!」

「でも公開時期はゴールデンのドラマも始まってるからスケジュール的にキツいだろ?」

「沢登さんになんとか調整して貰うようお願いしてみます。この映画、少しでも多くの人に観て戴きたいんです!」

「主演女優にそこまで言われちゃあなあ」

 大野は愉快そうに笑った。


 飯塚の親戚の旅館は、美島たちの想像を遥かに超えるくらい立派なものだった。

 和風二階建てで、敷地面積は野球場より広そうだ。

「天然温泉もありますから、ゆっくり暖まってくださいね。大野さんもひとっ風呂浴びてから帰りませんか?」飯塚が提案する。

 大野も昨日から風呂に入っていないし、飯塚たちの捜索で濡れ鼠になっていた。

 お風呂が恋しかったのは事実だ。

「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「大野さんも僕たちの命の恩人ですからね」

 男女の機微に敏感な美島は、飯塚の言葉のニュアンスに気付いていた。

(僕たち、か)

 美島は飯塚を後で尋問しようと決めた。


「しかし、立派な温泉ですねえ」

 男4人で大浴場に浸かりながら、大野がため息を漏らす。

「さすが纐纈さん御用達なだけあるなあ」

 美島もキョロキョロと辺りを見回している。

「飯塚さん、いくら親戚とはいえ、僕らまでタダで泊めて貰って良いんですか?」

 宗崎が恐る恐る尋ねる。

「大丈夫ですよ、温泉湧いてるところも含め、全部ウチの土地ですし」

 3人とも絶句した。

「飯塚さん、『親は田舎の土地持ち』って軽く言ってたけど、そんなスケールじゃないんじゃ?」

美島は前に飯塚が言っていた事を思い出しながら尋ねた。

「まあ、不動産がメインですけど、他にもホテルとかガソリンスタンドとかレストランとか手広くやってますね」

「コンツェルンじゃん!」

 美島は思わず湯船から立ち上がった。

 飯塚はバツが悪そうに続ける。

「実はサイレントスタジオの入ってるビル全体も僕が生前贈与で貰ったものでして」

 美島も宗崎も大野も、開いた口が塞がらなかった。


 大野は旅館から豪華な弁当と、飯塚から久保田の碧寿と紅寿の五合瓶を手土産に渡された。

「一人で飲み食いするのもアレなんで、塚っちゃんでも誘いますかね」

「よろしくお伝えくださいね」

 大野を見送った後、3人は部屋でご馳走にありついた。

 へぎそば、鯛茶漬け、南蛮えび、あんこう鍋、わっぱ飯、白魚、笹団子と、地元の料理が並ぶ。

 日本酒も久保田だけでなく、八海山や越乃寒梅もある。

「こりゃあ、極楽だなあ」

 しかも浴衣姿のまどかがお酌をしてくれるのだ。

「こんな贅沢したら、バチが当たるよね」宗崎もご機嫌だ。

「きっと神様が、俺らの頑張りを見てくれてるんだよ」

「佳太、無神論者の癖に」

「お二人、ホント仲良いですよねえ」飯塚がほろ酔い顔で言う。

「まあ、佳太とは腐れ縁ですね。学生時代からですし」

「そう言えば、妹にバンド時代の話をしてくれるって約束したんですよね?」

 まどかは一人だけ素面だ。

「リオちゃんには大人の社交辞令が通用しなかったか…」美島は肩を落とす。

「いや、あの娘は分かってて言ってると思うな」宗崎は八海山を呑み干す。

「すみませんね、わがままな妹で」

「まあ、まだ許される年だし、許されるルックスだから」美島が身も蓋もない事を言う。

 楽しい宴は夜中まで続いた。


 まどかが部屋に戻った途端、宗崎と美島は飯塚を囲んだ。

「さ、そろそろあの夜何があったのか話して貰いましょうか?」

「お二人、こんな時も息ピッタリですねえ」

「誤魔化さないで! 俺らには訊く権利があると思うんだ」

 飯塚は観念した。

「もちろん、お二人がいなければ、今頃こうして楽しい時は過ごせていないはずですからね」

 飯塚は最後の抵抗を試みる。

「でも、相手のある事ですし…」

「飯塚さん! まどかちゃんは弊社の所属アーティストでもあるんですよ! 飯塚さんだって専属契約こそ結んでませんが、ウチのアーティストじゃないですか! 俺は心配なんですよ!」

 本当は単なる好奇心で訊きたいだけなのだが、美島は酔いに任せて口から出まかせを喋った。

「そうですよね…」

 飯塚も酔ってるからか、美島の訳の分からない理屈と勢いに押されて納得したようだ。

「まあ、車が土砂に半分埋まった状態でしたし、正直二人とも死を覚悟したんですよ」

 それはそうだろう。

「で、そうなると死ぬ前に気持ちを伝えたいじゃないですか? せっかく目の前に好きな人がいて二人きりなんだし」

 宗崎も美島も身を乗り出して聴いている。

「でも、僕が言い出す前に、まどかさんの方から…」

「飯塚さん、ちょっと待って! 気持ちを落ち着かせるから!」

 美島は話がクライマックスに突入する予兆を感じていた。

 深呼吸をする。

「どうぞ!」

「前に僕がCDのマイナストラック仕込んでたの覚えてます?」

「もちろん! 未だに気になってるもん」

「僕、マイナストラックにオリジナル曲入れたんですよ」

「ベタなラブソングを?」

 美島は女性にはベタで行くべきだというポリシーを持っている。

 なんだかんだ言って、女性はベタが好きなのだ。

「ラブソングではあるんですけど、歌詞の無いインストゥルメンタルの曲なんですよ」

「それじゃあ伝わらないじゃん!」

「それが、まどかさんには伝わったようで」

「え? 歌詞無いのに?」

「はい。奇跡って本当にあるんだなって思いました」

 

 同じ時刻、まどかは部屋に戻ってその時の事を思い出していた。

(なんであの時、あんな勇気が出たんだろう?)

(やっぱり、死を覚悟したからかな?)

 

 大雨の中、いきなり道路脇の土砂が崩れ、車を山の中まで押し流した。

 車の前半分が完全に土砂に埋まり、運転席と助手席のドアが開かなくなった。

「まどかさん! 怪我はないですか?」

「大丈夫です。飯塚さんは?」

「僕も大丈夫です。とりあえず、後ろに移動しましょう」

 二人は狭い車内に苦労して、なんとか後部座席に落ち着いた。

「まどかさん、PHSで連絡出来ます?」

「それが、やっぱり電池無いみたいです…」

 まどかは落ち込む。

「なんでこんな大事な時に、私ったら…」

「大丈夫ですよ! 美島さんたちを信じましょう」

 夜中で雨が降っている。

 エンジンもイカれたようで、暖房も掛からない。

 幸い、飯塚は楽器運搬の時の振動を考えて、車に毛布を常備していた。

「まどかさん、あんまり綺麗じゃないですけど、これ羽織っててください」

「ありがとうございます。飯塚さんも一緒に暖まりましょうよ」

 飯塚が固まる。

「いやいやいやいや! そんな!」

「照れてる場合じゃないですよ」

 まどかは自分から飯塚にくっついて一緒に毛布に包まる。

「それに、こうしてると飯塚さんの体温で暖かいです」

 飯塚は必要以上に発熱し出した。

 汗をかくほどに。

「飯塚さん、暖かいのに震えてますよ?」

「気にしないでください!」

「それに、心臓がバクバク言ってますよ?」

 まどかが飯塚の胸に耳をつける。

「そうされると、ますますバクバクしますよ!」

まどかは微笑んで、横顔を胸に押しつけたまま喋り出した。

「誕生日のシンセとCD、ありがとうございました」

 くっついてるので、囁くような声だ。

 ビュースターのスタジオで美島たちがセクシーさに驚いたウィスパー・ヴォイスだ。

「私、男の人からあんな心のこもったものを戴いたの、生まれて初めてだったんですよ」

「まどかさんなら、いろんな人から高価なものを戴いてるもんだと思ってました」

 飯塚も、話が出来るくらいには落ち着いてきた。

「一方的に送ろうとする人はいましたけどね。ウチは父が厳しいんで、学生時代はそういうのは悉く撥ねつけられてました」

 飯塚はタイミング的にもバッチリだった訳だ。

「それに私、貴金属とか時計とか興味無いんで。一番興味のあったシンセを戴いて、本当に嬉しかったんですよ」

 飯塚は幸せを噛みしめていた。

 自分の選択が正しかった事が確認されたのだ。

 しかも「女性へのプレゼント」というハードルの高いもので。

「CDも嬉しかったです」

 飯塚は緊張してきた。

 果たしてまどかは仕掛けに気付いたのだろうか?

「19番目の隠しトラックはすぐに気付きました」

 と言う事は?

「もちろん、大好きな曲で、大好きなアレンジで、凄く嬉しかったです。美島さんと宗崎さんにもそう話しました」

 飯塚もそれは聞いている。

「で、実は偶然再生ボタン押した後に間違って巻き戻しボタン押しちゃった事があって」

 来た! 

飯塚の心臓は鼓動を速めた。

「入ってた曲を聴いてると、自然に涙が出て来ました。あんな、優しさに溢れた美しい世界は初めてでした」

 飯塚は、この瞬間に死んだ方が幸せなのではないかと思いだしていた。

「あの曲を聴いた時に、私は飯塚さんに愛されていると確信したんですが、間違っていますでしょうか?」

 まどかが飯塚の目を覗きこむ。

「私の思い過ごしですか?」

 吸い込まれるような美しい瞳だ。

 長い睫毛に縁どられた意思の強いまなざしが、ストレートに飯塚に問いかける。

 飯塚は覚悟を決めた。

「もちろん、僕はまどかさんの事が大好きです」

 そこからは止まらなかった。

 防波堤が決壊したように、言葉が次々と出て来た。

「最初はもちろん、ルックスに惹かれました。今まで僕の周りにはいなかった綺麗な人ですし。その後、ピアノと歌を聴いて、才能に惚れました。これはかなり大きいです。そして、その可愛らしくてまっすぐな性格と、ちょっとドジなギャップにも萌えました」

 まどかは大きな瞳を潤ませながら、飯塚の言葉を聴いている。

「ただ、お仕事でのつきあいから始まってますし、人間関係もあります。まどかさんは力のある事務所にも所属していて、日本中にファンがいて、大きなお金が動いています」

 飯塚はここで一拍置いた。

「なにより、僕なんかがふさわしいとはどうしても思えませんでした」

 まどかは飯塚に抱きついた。

 飯塚は瀕死状態だ。

「私は飯塚さんの才能も、人柄も超一級品だと思ってますよ。それ以外に何か必要ですか?」

 飯塚もまどかを抱きしめた。

 幸せだった。

 同時に、自分はここで死んだ方が幸せだろうが、まどかは何としても助けなければならないと思った。

 それが出来るのは自分だけだという自覚もあった。

 そこから飯塚がスティングレイに気付いたのはすぐだった。


「なるほどねえ」

 美島が表情の無くなった顔で言う。

「そんなやりとりしてたから、電源入るのに時間が掛かった、と」

「いや、ホント申し訳なかったです! ご心配をお掛けしました」

「まあ、お二人が幸せになったんなら、それで良いですけどね」宗崎も顔が半分ひきつっている。

「飯塚さん、今日は眠れるなんて思わないでくださいよ! どうせ昼まで寝てたんだし!」

 美島が久保田万寿の一升瓶を抱えて宣言した。


 とは言え、美島も宗崎も昨日はほとんど寝てない上に日本酒を浴びるように呑んだので、あえなく撃沈した。

 二人とも幸せそうな寝顔だった。


「おはようございます! 宗崎さん、美島さん。昨日はご機嫌でしたね」

 遅い朝、飯塚が寝ている二人を起こした。

「車準備してきましたよ!」

 結局、飯塚のVOLVOは廃車になった。

 そんなすぐに車が手配出来るのか? と美島は疑問に思ったが、飯塚家の財力を考えたら容易い事なんだろうなと思い直した。

 玄関に行くと、ピカピカの車があった。

「また真っ赤なVOLVOのステーションワゴンですね」美島が品定めする。

「でも今度のは前のレンガみたいな四角い感じじゃなくて、随分スマートになりましたねえ」

 宗崎は「V40」と書かれた車体をまじまじと見る。

「さすがに一日で納車は出来ないんで、試乗車を借りてきました。今度出る新型らしいです」

 そこへ、まどかが現れた。

「皆さん、おはようございます。よく眠れましたか?」

 美島と宗崎は微妙な顔で出迎える。

(達ちゃん、どんな顔をすれば良いのかわかんないよ!)

(俺もだよ)

 二人はアイコンタクトで会話する。

「飯塚さんに聴いたんですよね?」

 まどかが先制パンチを打って来た。

「まどかさん、すみません。勝手に喋っちゃって」

「いいんですよ、飯塚さん。どっちにしてもお二人は味方になってくれると思いますし」

「改めて、飯塚さん、まどかちゃん、おめでとう!」

「おめでとう」

 二人は拍手する。

「なんか照れくさいですね」

 飯塚とまどかは顔を見合わせて幸せそうに笑う。

「さ、とりあえず皆さん乗ってください。ウチにご案内します」


「美島さん、ご相談があるんですが」

 後部座席のまどかが、助手席の美島に話しかける。

「なに? 今後の事?」

 アメイジング対策が美島の頭をよぎる。

「今後の事は今後の事なんですが、映画の主題歌の方です」

「あ、そっちね」

「主題歌で歌詞なしって可能ですか?」

「え?」

「今度の曲、ハミングというかスキャットというか、具体的な歌詞なしで、声を楽器のようにして歌いたいんです」

 美島は絶句した。

「うーん。まあ、さだまさしさんの『北の国から』とか、前例がない訳じゃないけど…」

「『北の国から』もシングルのB面だったよね」

 宗崎が補足説明をする。

「まどかちゃん、具体的なイメージはあるの?」

「昨日、飯塚さんからマイナストラックの話は聴いたんですよね? 実はその曲が凄く良くて、今度の主題歌はそのアンサー・ソングっぽくしたいなって思ってるんです」

「まどかさん! それは僕も初耳です!」

「そうですよね。今初めて言いましたから」

 まどかはクスクス笑っている。

「ですから、アレンジはあの曲っぽいのが良いかなって思ってます。使ってる楽器も一緒にして」

「飯塚さん、その曲では何の楽器を使ってるんですか?」美島も気になるところだ。

「コントラバスとメタル・パーカッション、それにシンセのストリングスと生ピアノですね」

「わかりました。その曲はお二人の思い出の曲だし、二人だけの秘密にしてても大丈夫ですよ」

「え? 聴かなくて良いんですか?」

 飯塚もまどかもびっくりしている。

「なんか、部外者が聴くのも無粋かなって思って。」美島は微笑みながら続ける。

「そんな曲がある事や、アンサー・ソングだって事は、我々だけの秘密にしておきましょう」

「しかし、そんな私的な曲を発売しちゃって良いんですかね? しかも映画の主題歌で」

「何言ってるんですか飯塚さん! 古今東西、個人的な思い入れで使った曲が大ヒットした例はいくらでもありますよ!」

「そりゃそうですね」

「まどかちゃんが聴いて感動したんだったら、そりゃあみんな感動するに決まってます。それをまどかちゃんのフィルター通して送り返すんですから、良いものになるのは当たり前ですよ」

「美島さん、ありがとうございます!」

 飯塚もまどかも深々と頭を下げた。

「飯塚さん! 前見て!」


「着きました。駐車場から玄関までちょっと遠いですけど」

「ちょっと…」

 美島が絶望的に呟いたのも無理はない。

飯塚家は、昨日泊まった旅館よりも広かった。

控えめに言っても旧家の和風大邸宅だ。

「丁度ウチの両親もいるんで、後で挨拶に来るそうです」


「なんか、現実離れした家だよなあ」宗崎が庭を眺めながらつぶやく。

「横溝正史の小説に出てきそうだよね」

「やっぱり飯塚さんのお父さんとお母さん、和服かなあ?」

「寧ろそうあって欲しいよね」

「キセルとか咥えてね」


 美島と宗崎の予想に反して、飯塚の両親はセーターとスラックス、カーディガンとスカートという普通の恰好だった。

 が。

「いやー! 本物の倉敷まどかだ!」

 お父さんは、部屋に入るなりまどかに握手を求めた。

「なんですかお父さん! 皆さんびっくりしてますよ。ちゃんとご挨拶なさい!」

「あー、これは失礼! いつも公博がお世話になっております。父の耕一と申します」

「菅子です」

 美島、宗崎、まどかも挨拶をする。

「まどかさん、すみません。ウチの父、凄いミーハーなんですよ」

「何を言う公博! 私なんかより、益博の方が超の付くほどのアイドルオタクだろうに」

「益博ってのはウチの兄でして。今は仕事中で抜けられないみたいなんで、後で死ぬほど悔しがると思います」

「美島さん、レコード会社で働いてるんでしたね? 後でこっそり芸能界の裏話でも教えてくださいね」

「お父さん! いー加減にしなさい!」

「母は、昔ここら辺一帯でブイブイ言わせてたみたいでして」

「公博! 人聞きの悪い事言うんじゃないわよ! ごめんなさいね、皆さん」

 言われてみれば、なかなか迫力のあるお母さんだ。

 こんな強烈な両親から、どうやって飯塚のようなおとなしい子どもが生まれ育ったのか、みんな疑問を持った。

「僕は二人を反面教師にして育ったんです」

 見透かしたように、飯塚が美島に囁いた。


 飯塚とまどかはそのまま車で新潟を探索する予定なので、美島と宗崎は駅まで送って貰って帰る事にした。

 二人とも仕事が溜まってるのだ。

 特に美島は、さっきの主題歌の件をいろんなところに根回しして説得しなければならない大仕事が待っている。

「じゃあ、飯塚さん、まどかちゃん、二人の幸せの為にも良いもの作りましょうね!」

「美島さん、宗崎さん、今回はホントなんとお礼を言ったら良いのやら…」

「作品で返してください! じゃあまた東京で!」


「全然骨休めにならない休日だったねえ」

 宗崎が新幹線から車窓を眺め、しみじみ言う。

「結局、新潟らしいものを味わったのは旅館の料理とお酒だけだったしね」

「佳太、飯塚さんとまどかちゃんの件、事務所には内緒にしておくつもり?」

「うん、当分はそうするつもり」

「やっぱりバレたらヤバい?」

「そうだねえ。纐纈さんは激怒するかもねえ。世間にバレたらまたCM絡みとかのややこしい問題が出て来るし」

「でも別に不倫とかじゃないんだし、若い二人のカップルだったら、別に良いんじゃないのかなって思うんだけどね」

「俺も個人的にそう思ってるから応援してるんだけどね。でもまだまだ古い芸能界の人たちは、若いタレントに恋人が出来たらマイナスイメージになって売れなくなるって信じてるからね」

 安室奈美恵や宇多田ヒカルが、若くして結婚しても、若者からの支持が落ちずにアーティスト活動を続けられる事を証明するのは数年先の事だった。


「達ちゃんはずっとライブハウスで働くつもり?」

「まあ、当分はそうだろうね。どうして?」

「ウチも急にバタバタしちゃって、人手が足りなくてさあ」

「ビュースターで働かないかって事?」

「うん、そうしたら俺も安心だし」

「佳太、不安なの?」

「時々ね」

「佳太が本当に耐えきれないくらい不安になったら、いつでも行くよ。でもまだ大丈夫でしょ?」

「うん、そうだね。ごめんね達ちゃん、また甘えた事言っちゃって」

「佳太、バタバタしてたから疲れてるんだよ。少し眠りなよ」

「そうだね」



翌日から美島はフル回転だった。

主題歌を歌詞なしでやる事を、後藤、多岐川、大野、沢登、纐纈、民映に了承させた。

「逆に話題になりますよ」と。

 そして、実際上がって来たまどかと飯塚の曲は想像よりも遥かに良かった。

 まどかは最初はウィスパー・ヴォイスで囁くように歌い、サビでは絶叫しつつも伸びのある声で、高音部をブレる事無く歌いきっていた。

 まさしく、声が楽器になっていた。

 曲も幻想的で美しかった。

 硬質なメタル・パーカッションと抒情的なコントラバスが、不思議なほど融合していた。


 美島は、奇跡のような曲だと思った。

 そして、自分がその奇跡に関われる事を幸せだと思った。

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