幼き日にさようなら
我ながらできた子供だったと思う。
テストの点数はいつも満点近く。運動をさせれば男にも引けを取らない。
昼休みの時間にはドッジボールの助っ人に駆り出されたものだ。
「お姉ちゃん男の友達ばっかりで男の子みたい」
未来は呆れたようにそう言ったものだったが。
母はいつも抱きしめて褒めてくれた。
その温もりが愛しくて、明日香はなお奮起した。
母の記憶は色々とある。
例えば、子供の時は本を読んでもらったものだ。
友だちと遊ぶことが増えて、外で遊ぶようになってからはそんなことも減ったが、その記憶は明日香の中で輝きを放っている。
「明日香はどんな大人になりたい?」
母は、よくそんなことを聞いた。
「お母さんみたいな大人になりたい」
そう返すのが、明日香の常だった。
すると、母は、くすぐったげに笑ったのだった。
先守分家には本家と同じく使用人がいる。だから、家事に関して手伝った記憶はない。
ただ、家族の誕生日になると母は腕をふるった。
テキパキと料理を作っていく母を見て、こうありたいと思ったものだった。
明日香と母は仲が良かった。
理想的な親子だったと言っても良いかもしれない。
召喚術のトレーニングを受けるようになったのは、小学校も中学年に上がってからだ。
これに関しては母は厳しく、何度も明日香は練習場の床に叩きつけられた。
明日香の召喚獣フェンリルは、特殊な能力はなにも持っていなかった。
それに内心母が落胆していることを、明日香は敏感に感じ取っていた。
もっと強くならなければならない。
もっと母の期待に答えなければならない。
修業の日々は続く。
その頃、明日香の世界の中心には母がいた。
母があってこそ世界は存在し、母がいなくなれば世界は消えるようなものだった。
それに終わりがやってくるのは、唐突だった。
「お母さん、この人達、誰?」
家に男達がやってきていた。母は椅子に座り、悄然としていた。
「先守明日香。君には先守本家に行ってもらう。そこで、処遇を待つように」
母と別れる? そんなこと、明日香には想像もつかなかった。
「嫌だよ、お母さん。私、お母さんと一緒にいる」
明日香は泣いて母にねだった。
母の虚ろな瞳が、明日香を捉えた。
「貴女、誰……?」
その一言が、明日香を破壊した。
結局、明日香はそれがきっかけで第三形態に目覚めた。
皮肉なことに、母との別離が覚醒のきっかけとなったのだ。
移送されている間も、頼れるのはフェンリルだけだった。
その絆が、新たな力を明日香に与えた。
自分なら一人でも生きていける。そう、明日香は思った。思わなければやっていられなかった。
けど、未練は残っていたのだろう。だから、明日香は足繁く分家に通った。
長い夢を見て、目が覚めた。
明日香は体が拘束されていることに気がついて、戸惑った。
見知らぬ台に体が固定されている。
それを見下ろしている時子の呼吸は震えいている。
首のチェーンがない。召喚術が使えない。脱出は困難だ。
「なんの冗談ですか、時子さん」
明日香は、敵意を込めて時子を睨む。そして、祈る。優助が助けに来てくれるようにと。
とんだ冗談だ。そんなに都合よく優助はやってこない。現実は非常なのは明日香もよく知っている。
「演技はやめにしましょう、明日香」
時子は、淡々とした口調で言った。
呼び方が、普段と違う。再会して以来、時子はどんな時でも、明日香をさん付けで呼んでいたのだ。
「元々、分家の人間なのでしょう?」
「……記憶が戻ったの? お母さん」
明日香は、恐る恐る訊ねる。
時子は、重々しく頷いた。
明日香の胸中にあるのは、複雑な感情だった。喜ぶ子供の気持ちと、話がややこしくなったと戸惑う大人の気持ち。
「お母さん、ならこんなことはやめて。本家に恨みがあるのはわかるけれど、私は本家と分家の橋渡しになれると思う」
「橋渡し?」
嘲笑うように、母は言った。
「そんな時期は、もうとうに過ぎたわ。奴らは私達をパーツのようにしか扱わない。未来もきっとそうなる。だから、私達は、本家を……乗っ取るしかないのよ」
「乗っ取る?」
「霊脈から生まれた子は二人。一人がいなくなれば、もう一人が跡継ぎに選ばれる」
「また、霊脈から子供を作るだけよ。本家と分家は逆転しない」
「それはどうかしら。やってみなければわからないわ」
母の目には、狂気が浮かんでいた。
恋人が哲三の盾になって死んだという話を思い出す。
そう、きっと、その時から母は、どこか壊れていたのだ。
「無駄よ。私と優助は相棒だ。私は優助を傷つけない」
「それは、どうかしら……」
そう言って、時子が取り出した指輪を見て、明日香は怖気を感じた。
あれは、怨念の篭った呪具の類だ。
「これは分家の怨念が篭った指輪。これを使えば貴女の人格にも多少の影響は出る。少なくとも、本家と融和しようなんて考えは出てこなくなる」
「私を洗脳するっていうの? お母さん」
明日香は、絞り出すようにそう言っていた。
「やめてよ、お母さん! 優しいお母さんに戻ってよ! 私達、家族でしょう? それをそんな、駒みたいに……」
「勘違いしているようね」
時子は、冷めた目で言った。
「その為に、貴女を作ったのよ」
その言葉と、その視線は、あまりにも冷たく、明日香の心にヒビを入れるのは十分なものだった。
「嘘だ! お母さんは本を読んでくれた! 運動会も見に来てくれた!」
「貴女を懐かせるための手段よ」
「お母さんは私のことを好きだったはずよ!」
「自分の目的を達成してくれる代理人だからね」
話せば話すほど、明日香の心にヒビが入っていく。
涙すら出てこない。ただ、唖然とするばかりだ。
「ごめんね、明日香。私は母である前に、女だったみたいなの……だから、貴女にこの指輪をはめることも躊躇わない」
「ひっ」
明日香は思わず悲鳴を上げた。
あれをつけられたら、明日香は明日香でなくなる。他のなにかになってしまう。
だから足掻いた。必死に暴れた。しかし、拘束されている体は動くこともままならない。
優助は助けに来てくれない。
縋れるものは、自分だけだ。
手を取られ、握っていた拳を無理やり開かれる。
その時、明日香の胸に去来したのは、怒りだった。
自分の都合で子供を産み、自分の都合によって洗脳する身勝手な親への怒りだった。
怒りで、明日香の頭は真っ白になった。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな……」
指輪が、明日香の指の先に触れる。
「ふざけるなあああああああ!」
チェーンに通された明日香の"キー"である指輪が飛んで来た。
それは、明日香の胸元に落下してくる。
その瞬間、明日香は拘束具を引きちぎっていた。
「"キー"の転送? まさか」
戸惑うように後退る時子を尻目に、明日香はチェーンを首に通す。
第三形態のフェンリルは万全だ。
爪も、牙も、耳も、思い通りに動かせる。
時子の手元に、本が現れた。
それを、フェンリルの爪が裂いた。
「馬鹿な? その威力、第三……いや、第四形態?」
時子は微笑んだ。
「そうか。目覚めた。先守の正当なる跡継ぎ」
その先は言えなかった。明日香が、時子の頭を貫いていたからだ。
呆然と立ち尽くして、明日香は思った。
どうして、こうなった。
どうして、自分は母を殺している。
どうして、自分は生まれた。
なにをして、生きればいい。
優助の顔が、脳裏に浮かんだ。
先守の風習がこの悲劇の引き金だというならば、自分が殺すべき対象は決まっている気がした。
明日香はゆっくりと歩き出す。そして、外に出ると駆け始めた。
幼き日は、遠い過去に過ぎ去った。
今の明日香を支配しているのは、狂気だった。
+++
「第二形態の速度で走っている馬鹿がいる? 撃てるかは怪しいわよ」
ウィッチビジョンに乗って、楓はトランシーバーにそう答えた。
「期待はしてないけどやれるだけやれってのが上の方針なんだよ」
葵が、どこかのんびりした口調で言う。鈍足の巌鉄ではそもそも追いつけない。気楽なものである。
ウィッチビジョンを飛行させ、楓は移動する。
そして、目の前の光景に困惑した。
男が空を飛んでいる。
まるで、ガラス張りの板を踏んでいるかのように。
「坂巻楓。君は非常に厄介だ。しかし、殺すには惜しい。一先ず、眠ってもらおう……君が目覚める頃には、全てが終わった後だ」
楓は首からぶら下げいているトランシーバーを握って、ボタンを押す。
「こちら坂巻楓。ナルシスト気味の馬鹿と遭遇したわ」
「遭遇? 上空で?」
葵の戸惑うような声がする。それと同時に、楓は銃弾を放っていた。
男は空を移動し、それを回避する。
「百戦錬磨の楓さんに勝てると思うなよ!」
ガトリングガンに武装を切り替え、楓は発砲を始める。
「君は確かに強い。しかし、僕はそれよりも強い。単純な理屈だ」
その時、衝撃に襲われて、楓は後方へと吹っ飛んだ。体が痺れている。これは、電気?
空中で、抱きとめられる感触とともに、楓の意識は闇の中へと落ちていった。
「詠月風に言うならば、雷帝とでも言ったところかね。僕の能力は」
それが、楓が最後に聞いた言葉だった。
+++
「さて、ギャンブルのスタートだ。チップは賭け終わった。オールオアナッシングだ」
男はビルの屋根の上に降りて、楓を下ろした。
そこには、ネームレス、スカーレット、死神が勢揃いしている。
「第四形態の術者はアカシックレコードにアクセスできる最上級の術者。防ぐこともできない破壊の刃にいかに対応するか」
ネームレスが、不安げに言う。
「そこで終わるなら、そこまでの贄だったということさ。僕らは贄を求めた。もうすぐ、それは完成しようとしている……」
男は微笑んだ。
そして、高らかに笑い声があげる。
長い計画だった。
完成するにしても、失敗するにしても、男はその満足感だけで次に進めるだろう。
ここが、世界の分岐点だ。
今週中に第四章を終わる目処が立ちました
普段のペースに立ち戻り土曜更新しようと思います。
第四形態-明日香-
優助対明日香
私の好きなあいつ
スキルユーザーは優しい夢を見る




