誕生日
「ハッピバースデートゥユー、ハッピバースデートゥユー」
暗闇の中、ケーキに刺されたろうそくに火が灯っている。
合唱を聞いて、明日香は浮き立った気持ちでいた。
歌が終わり、明日香はろうそくの火を吹き消す。
クラッカーが鳴った。部屋の電気が点けられる。
「今日はお姉ちゃんの誕生日だからね。お姉ちゃんの好物で固めたよ」
確かに、テーブルの上にある料理は明日香の好みのものばかりだ。
「未来が自分も手伝うって聞かなくってね」
時子が苦笑する。
「さて、今日はご馳走だ。早く食べなきゃなくなるぞ」
叔父の悟が楽しげに言う。
甥の吾郎が慌てて食べ始めた。
「食べ物は逃げていかないわよ、吾郎」
呆れたように、叔母の紗子が言う。
「まあ、食べよう、お姉ちゃん。ずっと、ずっと、一緒だよ」
そう言って、未来は微笑んだ。
そこで、目が覚めた。
なんでこんな昔の夢を見たのだろう。
思い返してみると、今日は実家に挨拶に行く日だった。
正直、気は重い。
知り合いだった人間が皆、自分を知らぬ者として見るのだ。
憂鬱な気分になりそうだった。
それに、離れて暮らした五年の歳月がある。明日香は先守本家の人間になった。分家の人間だった明日香は死んだ。
それが、心の距離になりそうで、少しだけ泣きたいような気分にさせられる。
結局のところ、明日香は行きたくないのだ。
だが、我儘もいい加減潮時のようだった。
着替えを終えた優助がやってくる。
「行くぞ、明日香。お前も着替えしろ」
「うん、わかった」
明日香は立ち上がり、優助の前に移動し、そして彼を抱きしめた。
「明日香……?」
「ちょっとだけ甘えさせて。すぐに立ち直るから」
「ああ、わかった」
そう言って、優助は明日香の背を撫でる。
心地よかった。いつまでもこうしていたかった。けれども、そういうわけにはいかない。
明日香は着替えるために、優助から離れた。
そして、準備は整った。
月夜に車を運転してもらって先守分家に向かう。なにを考えてか真昼もついてきていた。暇なのだろう。
住宅街の中でも一際大きな建物。それが先守分家だった。
チャイムを鳴らすと門が開き、車が中に入っていく。
そして、駐車場に停車した。
玄関では、母の時子が待っていた。
「ようこそいらっしゃいました。本家の優助さんと、明日香さんですね」
他人行儀な物言いが、明日香の胸に小さな痛みを与えた。
「はい。お世話になっていながら挨拶が遅れて申し訳ない」
「仕方ないですよ。お互い多忙な身。うちも、主だった者は任務に出払っているのです。なので、出迎えができるのが私しかいなかったのです」
時子はそう言って苦笑すると、玄関の扉を開けた。
中に入っていく彼女に、四人はついていく。
「懐かしいか?」
優助が、小声で耳打ちしてきた。
「うん」
明日香は、万感の思いでそう言っていた。
階段の踊場に飾られた鎧。赤を基調にした絨毯。壁にかけられた絵の数々。なにも変わっていない。
ここで過ごした。ここで育った。いつまでもこの家にいるのだと思っていた。
そんな希望は、あっさりと踏みにじられて消えた。
優助達は、紅茶と菓子で饗された。
「明日香さんは、他人と言う気がしません」
時子がそう言ったので、明日香は心音が早くなった。
「私の名前が時子、なので、娘には明日香か未来と名付けようと昔から決めていたのです。娘にも明日香と名付けていたら、非常に紛らわしいことになっていたでしょうね」
「同じ名前ですものね」
明日香は苦笑して答える。
「ええ。だから、明日香さんは他人の気がしないのです。自分の家と思って過ごして欲しい」
「ありがとうございます」
思わず、涙が出そうになった。
自分の名付けにそんな意図があったとは、思ってもいなかった。
「時に優助さん。跡継ぎの儀式は終えたのですか?」
「召喚術は身につけました。しかし、祖父はまだ現役です」
「あの方も年配なのに頑張る。それだけの根気があってこその本家の当主なのでしょうね。それに、跡継ぎにも格というものがあります」
「格、ですか」
「あの方には分家の人間が束になっても敵わないでしょう。それだけの圧倒的な力がある。優助さんも、いずれそんな人間にならなければならない」
「肩の荷が重いですね」
「なにを言われます。貴方は先守と霊脈の子。きっと強い力を示しますわ」
「そうありたいものです」
その時、玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー」
未来の声だ。明日香は心音が高鳴るのを感じた。
未来は皆の前に顔を出す。
成長していた。
五年の間に、幼子から少女へと。
母に似て、美人だった。
「あら、お客さん」
「未来、本家の人が来るって言ってたでしょ」
「そっかー。ねえ、悟さんいつ頃帰るかわかる?」
「悟さん?」
優助が、顔に疑問符を浮かべる。
「分家から一人、本家に出向しているのですよ。なにやら、子育てで人員が不足しているとかで。本家のフォローをするのも分家の役割ですから」
「それは申し訳ない。ご迷惑をおかけしています」
優助は、頭を下げるしかない。なにせ、元凶が自分だ。
「良いのですよ。そのための分家ですから。未来、うがい手洗い」
「はいはーい」
明日香は、思わず未来の後を追いそうになった。
けど、できなかった。今の明日香は、未来にとっては赤の他人なのだ。
明日香は、手を強く握りしめる。
「ねえねえ、本家の人って若い人ばっかりじゃない?」
未来が、部屋に顔を覗かせた。
「一応学生二人と社会人二人」
「一緒に遊ばない? 親交を深めるためにもさ」
そう言って、未来は無邪気に微笑んだ。
明日香は、思わず微笑んだ。
+++
こうして、隠れんぼが始まった。
「最近の遊びってゲームとかじゃないの?」
真昼が不満げに言う。
「向こうの提案なんだから付き合いましょう」
と冷静なのは月夜。
二人は、木陰に隠れている。
「未来さんみーっつけた!」
明日香の声が聞こえる。
「ちぇっ鬼かあ」
「いいよ、鬼、私のままで」
明日香は楽しげに言う。
「鬼、好きなの?」
「勝手がわかってる分やりやすいね」
「そっか。じゃ、お言葉に甘えて」
そう言って、未来は駆けて行く。
明日香が百を数え始めた。
そして、数え終わると、数分後、また明日香の声がした。
「未来さん、みーつけた!」
「なんでわかるの? 死角を選んでるのに!」
「また私鬼でいいよー」
「むー」
未来が駆けて行く。明日香が百を数え始める。
「楽しんでるみたいね」
月夜が微笑んで言う。
「なによりだろ」
真昼はその場に座り込んで、木を背にして寝息を立て始めた。
月夜も眠気が襲ってきて、それに習う。
心地よい昼の風が二人を抱いていた。
+++
「悔しーい。何度やっても見つかるんだもの」
未来はそう言って苦笑している。
それはそうだ。隠れられそうな場所は大体二人で開拓したのだから。
「でも、不思議ね。私、おぼろげな記憶があるの。誰かと隠れんぼをして遊ぶ記憶。その記憶の中の登場人物に、貴女はよく似ている」
未来は、真剣な表情で明日香を見た。
「貴女は、誰……?」
明日香は、息を呑んだ。記憶が強固であるがゆえに、洗脳が解けかかっている。
しかし、明日香にできることはなにもない。
未来の頭をなでて、答えた。
「先守明日香。本家の人間で、優助の護衛よ」
「……そっか」
その時、時子がやってきた。ダイニングに準備がしてあるという。
なんの準備かは聞かされなかった。
行ってみると、ホールケーキが机の上に置いてあった。
「今日は、明日香さんの誕生日だと聞きました。ささやかながらお祝いをしようと……」
切り分けられたケーキを、一口食べる。
明日香は堪えきれなくなって、目から一筋涙をこぼした。
この人達とは、一緒にいられなかった。けれども、自分にはかけがえのない相棒ができた。
「時子さん、私、元気にやってるよ」
唐突にそう言われて、時子は怪訝そうな表情になった。
「なんでもないの。忘れて」
そう言って、明日香は苦笑した。
お祝いが終わると、帰りの段になった。
お土産を手渡されて、優助達は帰る。
「いつでも来てくださいね。ここを第二の実家と思ってくれて結構ですから」
そう言って、時子は微笑んだ。
明日香は、一瞬躊躇った。躊躇ったけど、言っていた。
「また、来ます」
ドアが閉まり、車が発進する。
明日香はいつまでも、手を振る時子を眺めていた。
「ありがとう、お母さん」
明日香はそう、小さく呟いた。
胸が、強く締め付けられた。
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