パパになりました
「パパー」
幼い息子が駆け寄ってくる。
それを、優助は抱き上げた。冬音は傍でそれを微笑んで見守っている。
絵に描いたような平和な時間だ。
「パパー」
「なんだ?」
優助はふと気がつく。この子の名前はなんだっただろう。息子の名前だというのに思い出せない。妙な話だった。
「僕を殺さないで」
その一言で、優助は硬直した。
世界が崩れていく。足場がなくなる。優助は深い闇の中に落ちていった。
そして、ベッドの上で目が覚めた。
「パパー、パパー、僕を殺さないでー」
なにが楽しいのか明日香が耳元で囁いている。
「どつくぞお前……」
優助は思わず苦い顔になる。
「パパー、おはよー」
「お前のパパになった覚えはない」
「これからパパになるんだもんね」
完全に面白がっている。優助は、頭を抱えた。
片付けておかないといけないことが色々とある。
それが、子供ができるようなことをした優助の責任だった。
久々に、母と会話をすることにした。
と言っても、冬音との交際を知って一方的に優助を流刑にした相手だ。建設的な会話ができるかはわからない。
数コールの後、母は電話に出た。
「母さん、久しぶり」
「ゆ、優助。久しぶりね。元気にしてる? 分家には挨拶に行ったかしら」
母の声は、どこか上ずってた。
息子と娘の現状にどう対処したものか考えあぐねている母の姿がそこにはあった。
「冬音と会ったよ」
「うん」
沈黙が漂った。
そのうち、焦ったように母が口を開いた。
「私は貴方も冬音も同等に愛しているわよ」
「うん」
ぎこちない会話だった。
「それじゃあ、これから話すことも受け入れてくれるかな」
「……内容によるわね」
怯えるように母は言う。
どうしたものだろうと思う。完全に身構えられている。
優助の一言が氷が割れるように母を砕く致命的な一撃にならなければ良いが。
「子供ができた」
「相手は誰? 明日香? 貴方、なに考えてるの? まだ学生でしょう?」
母が早口でまくしたてる。
「冬音」
重い沈黙が漂った。
腕時計の針の進む音がやけに大きく聞こえる。
「母さん……? 母さん?」
「お母さん、ちょっとカウンセリングの先生と相談しようと思う。詳しい話はお父さんにして」
感情の篭もらない声で母はそう言った。
そのまま、電話は切れた。
「……頼りにならないなあ」
思わず、呟いた優助だった。
父に話すのは憂鬱だが、話すしかないだろう。
元来、優助は父が苦手だった。接触が少なかったということがある。血が繋がってないとわかってから、その苦手意識に加えて負い目までできた。
そんな相手に、娘を孕ませてしまいましたとこれから告白するわけだ。
頭が痛くなってきた優助だった。
+++
「存外ショック受けてんのよね」
明日香は、体育館の壇上に座って、頬杖をついていた。
「月夜も似たり寄ったりだな」
真昼は背後に手を置いて体重を預けている。
「好きだったのか?」
「好きじゃないよ。優助はずっと冬音を見ていたもの。私は勝負する機会すら与えられなかった」
「与えられなかったんじゃなくてしなかっただけだろ」
真昼は淡々と切って捨てる。
(なにがわかる)
そう思う自分もいるが、相手の言い分に納得してしまう自分もいる。
「お父さんかあ。凄いなあ。二人が三人になる。賑やかだ」
「けどどうなんだろうな。嫁さんは仕事に就いたばっかなんだろう?」
「でも少子化は日本全体の問題だしね」
優助を完全に取られた。という思いがあった。
元から自分のものではなかったのだ。
けれども、五年もブランクのある相手に先を行かれた。
明日香としては、面白くない。
「子供、欲しいの?」
「将来的には欲しいかなあ」
「結婚願望は?」
「ない」
「楓さんルートに乗らなきゃいいけどな」
「生まれつき淡白なんだ」
「じゃあ俺と結婚する?」
「いいよ」
沈黙が漂った。
「え、いいの?」
真昼が戸惑うように言う。
「え、本気だったの?」
明日香が困惑しつつ返す。
「半分本気、半分冗談」
そう言って、真昼は笑う。
(ああ、似た者同士なんだ……)
そう、明日香は感じる。
彼もストレートに勝負できるたちではない。
不器用なのだ。
「本命にもそんな曖昧な態度取ってたら、他の男に先を越されちゃうぞ」
「肝に銘じとくよ」
そう、軽い調子で真昼は言う。
きっと彼は痛い目を見るのだろうな、と明日香は思う。
しかし、それに親近感を覚えているのも確かだった。
+++
優助は、しばしの躊躇いの後に電話をかけた。
数コールの後に、父は電話に出た。
「もしもし、父さん?」
「どうした、優助。最近はよく電話をかけてくるな」
苦手意識が鎌首をもたげる。
相手も似たような感情を抱いているのだろうな、と優助は思う。
自分の息子であって、息子でない存在。対処に困る存在だ。
しかし、今はそんなことを言ってはいられない。
「話したいことがあるんだ」
「どうした、あらたまって」
「子供ができた」
沈黙が漂った。
「お前はまだ勤め始めたばかりだろう。収入はともかく、この先詠月のスタッフとしてやっていけるかもわかっていない。考えなしとは思わないのかな」
優助は安堵する。母と違って精神的に弱ることはなさそうだ。
父は、安定している。
「そんなつもりはなかったんだ。けど、できたからには責任を取りたいんだ」
「お前はまだ学生だぞ。先のことは考えているのか?」
「詠月のスタッフとして家族の食い扶持は稼ごうと思う。それに、祖父ちゃんの会社もあるだろう?」
「普段は言いつけを無視する癖に困った時だけ家族をあてにするのは僕は好かんな」
見透かされている。
耳が痛かった。
「で、相手は誰だ」
意を決して、告げる。
「……先守冬音」
耳に痛いような静寂が周囲に漂った。
「堕ろすことは考えていないのか?」
「そういうことはしたくない。意図せぬ出来事とは言え、俺と冬音の愛の結晶なんだ」
「そうか……」
また、しばしの沈黙。
「僕はお祖父ちゃんになるわけか。若干早かったな」
父が予想外に呑気な台詞を言ったので、優助は肩の力が抜ける思いだった。
結局、育児は先守本家がサポートするという形で話は固まった。
+++
冬音の部屋に母が訪ねてきたのは深夜の一時頃だった。
酩酊していた。
ベッドに座った冬音の隣りに座るが、酒臭い。
「……子供、いるの?」
母は、単刀直入に言った。
「うん」
冬音は、小さく頷いた。
「そっか」
母は後部に手をやり、体重を預け、深々と溜息を吐いた。
「病院では検査した?」
「病院での検査は、まだ……」
「生理は遅れることもあるからね。きちんと調べてもらう方がいいと思う。仕事も、体を大事にしなければならないから考えないといけないわね。激しい運動は控えるべきだわ」
冬音は、項垂れる。
自分の考えなしな行動で、多方面に迷惑をかけている。
それが心苦しかった。
「けど、産みたいの。私と、私が愛した人の大事な結晶だから。そして、お母さんにもその子を愛してほしいの」
母は、しばらく天を仰いで、考え込んでいた。
「貴女を授かった時……」
母は、ぽつり、ぽつりと喋り始める。
「とても幸せだった。世界の中心に私がいるとすら思った。それぐらい幸せだった」
「うん」
「若かった。育児の苦労も乗り越えられると思っていた。教育を間違うとは思っていなかったけれど」
冬音は、返事ができない。
「まあ……それも子供を放置し続けた私への罰なんでしょうね」
そう言って、母は立ち上がった。
「お祖母ちゃんになるのか、私も」
「母さん」
冬音は、緊張した表情で母を見た。
「初孫よ。おめでたいじゃない」
そう言って、母は苦笑して冬音を抱きしめた。
冬音は、心の何処かに抱えていた不安が溶けていくのを感じた。それは、涙となって目から溢れ出た。
「母さん、ごめんね。ごめんね……」
「いいの。私は優助も、冬音も、その子も愛している。それでいいんだと思うわ」
「ありがとう、母さん」
こうして、冬音の出産は決まったのだった。
+++
屋上から海を眺めて、優助は黄昏れていた。
吹奏楽部の演奏、運動部の駆け声。
自分が守っている者達の声がする。
それが心地よかった。
「黄昏れてんねえ」
月夜の声が、背後からした。
「月夜さんが言ったことを感じてるんですよ。自分の守っているものの音色を」
「これからは、家族も守らなくちゃいけなくなる」
「父親になるなんて、実感わきませんけどね。実家に帰れるわけでもないし。子供の顔もそんなに見れないかもしれない」
「私には見えるなあ……」
月夜は、優助の隣に並んだ。
「子供と冬音ちゃんの写真を待受けにしてデレッデレの表情で惚気を聞かせてくる優助君の姿」
「ウザそうですね」
「非常にウザいと思うわ。百年の恋も冷めるわね。けど、いいじゃない。幸せなことよ」
「そうですね……」
沈黙が漂う。
不快な沈黙ではなく、居心地の良い沈黙だった。
「これで、死ねなくなったわね」
「そうですね。冬音を残して死ぬわけにはいかない……」
「ネームレスさえ処理できれば、貴方も普通の生活をできると思うんだけれどね」
「どうなんでしょう。彼女は本当に敵だったのか、俺はまだ悩んでいるんです」
「敵よ」
月夜は言い切った。
「貴方を洗脳しようとしたし、捕らえようともした。洗脳の力を持つ召喚術師」
「けど、彼女は救いを求めているようにも見えた」
「直感?」
「遊園地で喜ぶ女の子ですよ。そこいらの普通の少女となんら変わりはない」
「その子のために流刑にされたのに懲りてないわねえー」
月夜は、呆れたように言う。
「まあ、貴方らしい優しさね」
そう言って、月夜は苦笑した。
「責任を負うほど人は強くなれると私は思うの」
「責任を負うほど?」
「逆説的に言えば、強くならなければ責任は負えない」
「なるほど」
「強くなりなさい、優助。まずはスキルの意地時間を長くすることからね」
「そうします」
優助は苦笑した。
来年の秋頃には、子供ができる。
名前はなにがいいかな?
気が早い冬音は、そんな質問をメールでしてきていた。
幸せだな、と優助は思う。
+++
「あんた、仕事してんの?」
スカーレットの声に、セレナは眉間にしわを寄せた。
名前の通り赤い髪を持つ彼女、その性格がセレナは苦手だった。
「駒は大体揃った」
「じゃあ、残るは侵攻ね」
スカーレットは、一転して上機嫌になる。
「ねえ、私達は正しいことをしているのかな」
セレナは、思わず内心を吐露していた。
自分達のやり方が正しいとはとても思えない。無関係な人間を大量に巻き込んでいる。
特に、優助。自分達の計画の中枢的存在ではあるが、彼を巻き込むのは気が咎めた。
「これは正しいことよ、ネームレス」
スカーレットは、微笑んで言う。
「世界は私達を憎んだ。だから、私達は世界に抗う。これは因果応報よ」
「……あんたの気楽さ加減はいつも勉強になるわ」
そう、確かに世界はセレナ達を憎んだ。
それにただ流されるのはセレナの流儀ではない。
「賢さは似たり寄ったりだと思うけどね。ネガティブな人間の方が賢く見えるけれど、ポジティブな人間の方がアドバンテージを持ってるものよ」
「名言?」
「人生で得た教訓かな」
そう言って、スカーレットは声を上げて笑った。
気楽なものだ、とセレナは思う。
(……もう一度)
セレナは恋い焦がれるように思う。
(もう一度、あの光に触れたい……)
神社の敷地内を完全に覆ったあの巨大な白い光。
あの中に自分の解はあるのだとセレナは思う。
決戦の時は近い。
セレナは、覚悟を決めていた。
歌を口ずさむ。
中島みゆきの時代という曲だった。
次回→来週更新予定




