闇の胎動
「スキルユーザーのお嬢さん。提案があります」
女性に声をかけられて、君枝は震えた。
あの、強大な拳児。それを無傷で彼女は倒した。
その強さは、圧倒的なものなのだろう。
「私に同行してくれませんか? 悪いようにはしません。スキルの専門家として丁重に扱いますよ」
この女が、黒幕。
君枝はそうと察した。
「私は、いかない。大事な日常があるから」
壊れて、初めて知った。今までの日常が、いかにかけがえのないものだったかを。いかに危うい橋の上で成り立っていたかを。
「私は、私から大事な物を奪った貴女を許さない。拳児さんからも、大事な物を奪った貴女を許さない」
「そうですか、残念です。なら、無理やり連れて行くとしましょう」
桜の花びらが、風に弄ばれるようにして君枝の足元を走って行った。
しかし、異様だった。
その数は、一枚、二枚どころの話ではない。数十枚だ。
そして、前を見ると、そこには桜の木数本から花が一気に舞い落ちたような花びらの群れがあった。
それが、宙に浮いて、女性の周囲を旋回している。
「桜舞、と私は呼んでいます。防御と移動の補助を兼ね備えてくれる存在ですね」
女性は穏やかに微笑む。
「さて、勝てるかな」
「君枝!」
遠夜の声がする。異変を察して追いついてきたらしい。
桜の花びらの群れが君枝に襲いかかった。
前後左右上下からの全方位攻撃。
回避の術はない。
(桜の花びらなんか、当たったところで……!)
そうと思った時、遠夜が君枝を突き飛ばした。
次の瞬間、遠夜は花びらに襲われて腕や足がひしゃげて地面に倒れ落ちた。
君枝は、息を呑む。尋常な威力ではない。
「おや、もう一人スキルユーザーがいましたか。いいですね。足を運んだかいがあったというものです」
「貴女の目的は何?」
桜の花びらの群れが女性の周囲を旋回している。
「今日のところは、スキルユーザーの確保ですね。だから言うんです、悪くはしないって。その男の子の怪我も、仲間に頼んで治してもらいます」
「私は、私の自由を奪わせはしない!」
手に黒い影の翼を生やし、矢を放つ。
桜の花びらが勢い良く旋回した。
矢は三つに寸断されて消滅していった。
そして再び、桜の花びらの群れが襲い掛かってくる。
君枝は翼を巨大化させて、空を飛んだ。
桜の花びらの群れはどこまでも追ってくる。
空中で姿勢を変えて、頭上から女性を狙う。
「読めてたよ」
女性の静かな声が、響いた。
桜の花びらが一枚、目前に飛んできていて、そのまま君枝の額を打った。
衝撃に視界が揺らいで、君枝は落下していく。
それを、桜の花びらで作られたベッドが受け止めた。
「さ、一緒に行きましょうか」
(これで、終わり……?)
あんまりな結末だ。迂闊に情報屋に情報を漏らし、迂闊に強敵を招き寄せ、迂闊に捕まる。
こんな結末は嫌だ。
こんな結末で、終わりたくない。
もっと、力が欲しい。
(そう、足りない。もっと、もっともっと、力がいる。自由を掴むための力が……!)
その時、君枝は心臓が一際大きく鳴るのを感じた。
何かが、流れ込んでくる。
それは、大地の下にある何か。
失われた者達のエネルギー。
それが、自分の中に入り込んでくる。
漆黒の竜巻が君枝を覆った。それは、桜の花びらで形作られたベッドを完全に霧散させた。
そして、君枝は立っていた。
巨大な影を纏い、女性と対峙していた。
頭がぼんやりとする。ただ、凶暴な衝動だけが心の底で叫び声を上げている。全てを、壊せ、と。
「第二形態……?」
女性が戸惑うように言って、桜の花びらを自分の前に集中させて盾を作った。
それに向かって、君枝は右手を差し出した。
巨大な一対の影の翼が手から生える。
そして、翼から羽の矢が放たれた。尋常な数ではない。目の前に車があればそれも木っ端微塵にしていただろう破壊の連打。
桜の花びらは、少しずつ欠けていく。
その時、空中に向かって桜の花びらが数個配置された。
それを蹴り上がって、女性は空へと移動して行く。
君枝は右腕をあげるだけだ。
羽の矢は止まらない。その掃射は、休むことなく相手を追い立てる。
女性が桜の花びらを足場にして空中を移動し、君枝も腕を移動させる。
「霊脈と直結した? 無尽蔵過ぎる!」
女性が戸惑うように口を開く。
「いや、それが誰にでもできるわけがない……」
女性は、微笑んだ。
「ますます、欲しくなった!」
背後に衝撃を受けて、君枝は脳震盪を起こした。
背後から、桜の花びらに襲われたのだと遅れて察した。
そのまま、君枝は意識を失った。
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「そうならそうと最初から言えばいいんじゃ」
拳児の声がする。
君枝が目を覚ますと、手錠をかけられていた。
隣を見ると、遠夜が寝入っている。折れた手足は、元に戻っていた。同じく、手錠をかけられている。
拳児が渋い表情で座り込んでいるのが見えた。
「詠月の構成員だと知ってれば、俺も手は出しとらん」
「気分転換に運動するのも一つ良いだろうなと思っちゃったんですよね。ちょっとすっきりしませんでした?」
「……久々に強い相手と戦えた。その点は面白かったがな。お宅の構成員は皆そんなに強いのか?」
「身体能力を鍛えている人間は少数です。大抵は、召喚術頼りですよ」
「どうなってるんです……? 私は一体……?」
君枝は、体を起こした。
女性は、安堵したように微笑む。
「誤解があったようなので、あらためて自己紹介しましょう。私は召喚術結社詠月の構成員、鳥居翔子。貴女達を襲った連中とも、事務所を襲っているスキルユーザーとも無関係です」
「詠月……」
情報屋から聞いた覚えがある。
「どうも、話を聞いたところ、貴女達は狙われている様子。私は、それを保護できると思うのですが、どうでしょう?」
「どうでしょうって言っても……これ」
そう言って、手錠をはめられた腕を掲げる。
「逃がす気ないですよね?」
「ええ、もちろん」
そう言って翔子は微笑む。
「しかし、貴女はいつもそうなの?」
翔子は、戸惑うように言う。
「霊脈からの力を無尽蔵に吸い上げていたように見えた。私も経験がなければ危ないところだったよ」
「そんな、私……わかりません」
確かに、黒い感情に心を染められて、莫大な力を使っていた気がする。しかし、自分が何をしていたか今一つ思い出せない。
「いいでしょう。追々話を聞いていくとして。今は、落ち着ける場所に行きましょう」
そう言って、女性は立ち上がる。
「待ってくれ、翔子さん」
拳児が言う。
「俺達と詠月の情報は共有できんかのう。俺達も力になれると思うんじゃが」
「貴方達の情報は受けます。警護も手伝っています。けど、私達から貴方に情報を流すことはありません」
拳児は、苦い顔になる。
「戦力外、ちうことか……」
「まあ、有り体に言えばそうです」
拳児は悔しげに、地面を拳で殴る。
「仇は取ります。必ず。こんなことをした犯人を許しておけるほど、私はクールじゃない」
慰めるようにそう言うと、翔子は微笑んだ。
「それじゃあ、行きましょうか、詠月へ。そろそろ、迎えの車がつく頃です」
君枝はぼんやりと考えていた。
情報屋がいない。
(逃げやがった……)
金だけ持ってとんずら。なんとも彼らしいオチだった。
次回『選択』