智子
智子は日記をつけている。
日記の最後はいつもこう締めくくられる。
明日も平和でありますように。
ミスト事件で混乱が巻き起こったこの市だが、最近はその音沙汰もぱったりとやんでいる。
このまま徐々に平和が戻ることを智子としては祈らんばかりだ。
智子の朝は早い。四時半には起きて、風呂を焚き始める。
風呂が沸くと、外で格闘技をしている二人組に声をかけに行く。
その後、母の手伝いをして朝食の支度をする。
母はおっちょこちょいなのでミスを指摘するのも智子の仕事だ。
その仕事の最中にダイニングに行くと、ジャージ姿の明日香が不満げにテーブルに頬杖をついていた。
「どうしたんですかあ、明日香さん。お風呂は?」
「一緒は嫌だって」
拗ねたように言う。
「これは本格的に冬音に優助を取られたかなあ」
反応に困るぼやきだ。
「元々男女一緒に入ってたのがおかしいんですよお」
「そうなんだけどね」
そう言って、明日香は足を前後に振る。
「まあ、潮時ってことね」
そう語る明日香は、少し切なげだった。
「明日香ー、上がったぞー」
私服に着替えた優助がダイニングにやってくる。
「おせえよ」
先程までのアンニュイな雰囲気は何処へやら。苦笑して言って、明日香はその場を去った。
「なんか話してたの?」
優助当人は呑気なものである。智子はハラハラしてしまう。
「いえ、世間話程度ですよ」
「そう、手伝えることはある?」
「それじゃあ、皮剥き手伝ってもらえますか」
何でも屋をやっているだけあって、優助は器用なのだ。
「あいよ」
そう言うと、優助は腕まくりをしてキッチンに入っていった。
朝食が出来上がった頃に冬音が起きてくる。
出迎えると、冬音に服を引かれた。
耳元で彼女は囁く。
「化粧、効果絶大だった。あんなんでオチるならさっさとやっとくべきだったわ」
「それは良かったねえ、冬音ちゃん」
デートは大成功だったということか。
「ってことで、今日から化粧を習いたいんだけど」
「いいよ。私もお母さんの化粧品を借りてるだけだけどね」
「買い揃えないとね。選ぶのも付き合ってね」
今日の冬音は朝から絶好調だ。
苦笑交じりに、その対応をする。
そして、明日香が風呂から上がってきて、子供四人が揃ったところでテーブルに朝食が並ぶ。
フランスパンにスープ、ソーセージと野菜の炒め物と、簡単な食事だ。
優助と明日香は賑やかに喋りながら朝食をとる。
それに比べて、冬音は静かなものだ。
明日香が嫌いだから会話に混じりたくないのだろうと思う。智子も、それに合わせて黙りがちになる。
明日香の食事は早い。
彼女はさっさと学校の準備に去ってしまう。
すると、優助が珍しく冬音に声をかけた。
「学校の勉強、ついてけてるか?」
「余裕よ」
胸を張って、冬音は言う。
「けど、ブランクがあるからな」
「病院で勉強はしてたわ。だから受験にも合格できた。違う?」
「そうさな。無用の心配だったか」
「そうよ」
優助も食事を終えて、食器をキッチンに持っていって学校の準備に向かった。
「用もないのに優助が話しかけてくれた!」
冬音は上機嫌だ。
表面上の態度に似合わず単純なのだ。
智子は、自分にだけ見せるその姿を愛しいと思う。
(今日も世界は平和だなあ……)
しみじみと実感する。
この四人で、いつまでも一緒にいられたらなと思う。
多少の気苦労はあるが、良い人ばかりだ。
+++
放課後になった。冬音を呼びに行く。
「冬音ちゃん、最近勝手に一人で帰ることが多いけど、駄目だよお」
冬音は不思議そうな表情になる。
「置いてったのは悪かったと思ってるわよ」
「そう思うなら、しない」
「うん、ごめんね」
戸惑うような表情の冬音だった。
「優助はまた、多分何でも屋ね」
呆れたように言って、鞄を持って冬音は立ち上がる。
「かもねえ」
智子は苦笑して応じるしかない。
「まあ、楽しんでるならいいか」
おや、と智子は思う。
「あんなに反対してたのに?」
「心が通じ合ってるなら、離れててもいいかなって」
「ふーん。ラブラブなんだ」
「そんなんじゃないわよ」
そう言いながらも、冬音は満更でもなさそうだ。
なにか少し、大人になった気がする。
人とは些細な拍子で変わるものだなあと智子は感心する。
昇降口で下足を履き替えていると、優助達がやって来た。
「何でも屋は?」
冬音は、意地悪く訊く。
「それがな。多忙中につき受付停止中の貼り紙を取り忘れていた。だから、今日はフリーだ」
「一生貼っとけばいいのに」
「それも検討中だ」
おや、と智子は思う。
優助は優助で、何処か変わったように思う。
冬音は下足を下駄箱に入れて、そのまま真っ直ぐ前を見て優助を見ていない。
しかし、その頬は緩んでいた。
「せっかく暇なんだし、四人でどっか行かないか?」
「いいけど」
「ゲーセン! ゲーセン!」
明日香が子供のように小躍りしながら言う。
「私、ゲームの類触ったことないわよ」
冬音が冷たい口調で言う。
「なんでも勉強だって冬音。優助が教えてくれるよ」
「ふーん」
冬音は、値踏みするように優助を見る。
「まあ、行ってみるか。ユーフォーキャッチャーとかライトユーザー向けのもあるしな」
「まあ、構わないわよ」
優助が言ったらこれだ。
本当に単純だなあと智子は思う。
かくして、四人でゲームセンターに行くことになったのだ。
「冬音、格ゲーやろうよ」
明日香が楽しげに提案する。
「私、ゲーム触ったことないんだけど」
「大丈夫大丈夫。優助がついてるって」
冬音は、無言で縋るように優助を見る。
「まあ、やってみたらどうだ」
優助は穏やかに微笑んで言う。
「うーん、それじゃあワンコインだけ」
「明日香。ワンラウンド目は技の練習に使わせてくれ」
「いいよー。ガードしてもダメージは受けるからこっちの負けになるだろうけど、いいハンデだ」
冬音は、緊張した面持ちで席に座り、筐体にワンコインを投入した。
「優助、どのキャラがいいの?」
「そうだな。攻めてくキャラは初心者には向かないし、このキャラなんてどうだ。受けタイプだ」
「じゃあ、それにする」
明日香もキャラを選び、戦闘画面に移る。
優助が技の説明をするのだが、中々技が発動しない。
優助はやや焦ったようで、冬音の手を上から掴んで技の発動を実演してみせた。
(優助さん、冬音ちゃん顔真っ赤になってますよ)
智子はほくそ笑みながら心の中で呟く。
そして、二ラウンド目。
「レクチャーは終わりだよ。ここからが実戦だ」
明日香が楽しげに言う。
冬音の表情が強張った。
ガードに徹していた明日香のキャラが、前進した。
冬音は飛び技を繰り出す。
それを回避して、明日香のキャラの飛び蹴りがヒットした。
その後はもう一方的。
下段攻撃から上空へと蹴り上げられて、冬音のキャラは浮き、そのままヒットポイントが削り切れるまで落ちてくることはなかった。
「ハメ技じゃないの?」
冬音が憤慨したように立ち上がる。
「私は勝利条件を満たしただけ」
明日香は飄々としている。
「見てなさいよ、最終ラウンドはこうはいかないから!」
冬音のスティックを動かす音が大きく響く。
冬音は今度は飛び技だけに頼らず、前進した。
明日香は小パンチでその出鼻を挫く。
そして、下段攻撃から蹴り上げて、上空でコンボを決める。
今度は画面端でなかったこともあってか、冬音のキャラはダメージを受けながらも後方に飛んだ。
「あんたには負けたくない」
冬音は意地になっている。
「……私もよ」
どこか切なげな口調で明日香も言う。
しかし、実戦経験の差がありすぎる。さらに、冬音は運動音痴だ。結局、明日香の完勝でその勝負は幕を下ろしたのだった。
「ふー、勝った勝った。まだやる?」
明日香は満足げに言う。
「……金の無駄だわ」
冬音は呆れたように言って、席を立った。
優助が、冬音が機嫌を損ねたのではないかとひやりとした様子だったが、それは智子も一緒だった。
冬音はそのまま歩いて、クイズゲームの筐体の前に立った。
「それ難しいよー。色々なジャンルから問題が出るからね。箱入りお嬢様の冬音にできるかな」
明日香が煽る。
冬音は無言で、百円を投入した。
第一問が画面に浮かび上がる。
冬音は数秒もしないうちに画面の選択肢を叩いた。
正解の丸が画面に表示される。
明日香が、目を丸くした。
第二問も、冬音は危なげなく答えていく。
そのまま、全問正解を成し遂げた。
筐体からカードが吐き出され、それを冬音は受け取る。
「箱入りお嬢様がなんですって?」
冬音は強かに微笑んで言う。
唖然としていた明日香の頬が、緩んだ。
「やるじゃん。じゃあ、次はレーシングゲームだ」
「運動神経に差がありすぎます。ユーフォーキャッチャーにしましょう」
「あれコイン吸われるんだよなあ」
言いながら、二人は並んで歩いて行く。
取り残された智子と優助は、唖然とした表情で顔を見合わしていた。
「いいライバル、なのか?」
「互いに避けてただけで、気が合わないわけではなかったのかも?」
智子も、不思議がるしかない。
「あー、落ちろ、落ちろ!」
「よし、次は私よ」
「あー、落ちるな、落ちるな!」
二人はユーフォーキャッチャーに熱中している。
結局、二人の目当ての景品は優助が落とした。
帰り道、その人形を籠に入れて、冬音は上機嫌に自転車をこぐ。
「こういう日があってもいいかもね」
明日香が淡々と言う。
「なあにー?」
冬音が大声で返す。
車道の傍の細い道だ。車が直ぐ側を通っているので会話は中々通じない。
「こういう日がー、あってもいいかもねーって」
「それには同意するわー。毎日だとお金が勿体無いけどねー」
「何でも屋はその点いいわよー。お金が増えても減らないからねー」
「それには同意しかねるわー。小間使いみたいじゃない」
「プライド高いなー」
「貴女がプライドないのよ」
「なにー?」
「なんでもないー」
二人は大声で喋りながら自転車で駆けて行く。
その後を、優助と智子は走っていた。
「まあ、確かにこういう日があってもいい。こういう日を大事にしなくちゃならない」
優助が、しみじみとした口調で言った。
なんでも、変わっていくのだな、と智子は思った。
そして、今日の夜も智子は祈るだろう。
明日も、平和でありますようにと。
+++
優助は一人、夜の庭に出ていた。
腕に光を宿し、それを盾状に展開させる。
戦力にはなる。そのはずだ。
しかし、夏樹はそれを阻んだ。
ならば、その率いる組織もそれを阻むだろう。
優助の出る幕はない。
それでも、と優助は考えてしまう。
自分達の活躍でミストを退治できたなら、それが一番なのではないかと。
誰も傷つかない、最善の解決策なのではないかと。
実際、夏樹は苦戦していた。
次に遭遇した時、無事に帰れるかわからない。
冬音との平和な日常を愛しいと思っている反面、夜の街への興味も捨てきれない。
とても中途半端な立ち位置で優助は立ち止まっている。
その時、門が開いた。
優助は戸惑って、来訪者を出迎える。
母の春香が、叔母の秋奈に肩を抱かれて歩いてきていた。顔が真っ赤だ。
「おや、久しぶりだね、優助」
「うん、久しぶり……母さん。ミストは?」
「最近音沙汰がないから今日はオフ。ちょっと飲んできた」
「そっか。結構いい加減なんだね」
「適度なオフは必要よー。代わりの人もいるしね。気を張り詰めてばっかりだったら母さん潰れちゃうわ」
聞きたいことがあった。
自分の出自は一体いかなるものなのか。
それを、母は知っているはずだ。
「母さん、話がある」
「私もよ」
春香は、穏やかな表情を消して、真顔になった。
「出自については、多少聞いたそうね」
「ああ……俺が母さんの子じゃないっていうのは、もう知った」
春香が、胸に棘が刺さったような表情になる。
「いいえ、貴方は私の子よ。私がお腹を痛めて産んだ子」
「え……?」
優助は戸惑った。それでは、前提が違ってくる。
「全ては先守の伝統が産んだすれ違い。優助、貴方はスキルユーザーとして力を駆使しているけれど、その実力はそんなものじゃない。もっと、大きな力を使えるはずなのよ」
生暖かい風が吹いた。体を撫で、髪を撫で回し、上空へと飛んで行った。
「何故なら、貴方はスキルの申し子なのだから」
そう、春香は静かな声で言った。
+++
「スキルユーザーは簡潔に言えば霊脈から力を直接得て超常の現象を起こす能力者です。物質に宿った力を得て能力を駆使する召喚術師とはその点が違っています。範囲のスキルユーザー、身体能力の召喚術師という大きな特徴があります」
小豆が穏やかな口調で言いながらホワイトボードに文字を書き込んでいく。
零はパイプ椅子に座って、黙ってそれを見ていた。
「スキルユーザーのスキルは単純なことが多いです。武器の物質化能力などもありますが、炎、風、土、氷などシンプルです。最近界隈を荒らしているミストも氷のスキルユーザーですね」
「超常現象が過ぎるな」
零は皮肉っぽく言う。
「けど、事実だ」
遠夜が口を挟む。
「まあ、信じるしかないんだろうな」
零はそう言って肩を竦める。
「黒い影はスキルユーザーとして目覚めるきっかけです。右手で掴めば吸収、左手で掴めば放出が出来ます。なので、お嬢さんは右手で黒い影に触れればスキルユーザーとして覚醒するでしょう」
「……それは避けたいな」
零は苦い口調で言った。
「あれの母は、召喚術師として戦って、死んだ。娘にまで同じ道を歩ませたくはない」
「なら、黒い影をひたすら無視することが良策でしょう。影は無害です。予兆のようなものですからね」
「なるほどな」
「また、スキルユーザーとして覚醒した後、右手で掴まれて能力を吸収してもらうという手もあります。私も一時期その方法でスキルユーザーではなくなっていました」
「ふむ……」
零は、考え込むような表情になる。
「緊急時に備えて力は必要だ。影は、放置しておくことになるかもしれんな」
「そうですね。それはスキルユーザーと親御さんが考えることです」
小豆は、淡々と言う。
「ただ、スキルユーザーとなった場合は対策室に登録してもらう必要があります。スキルユーザー登録証を発行するので詠月公認のスキルユーザーとなってもらいます」
「事務的なのな」
零が呆れたように言う。
「貴方も結構な期間所属していた組織ですよ」
小豆が、苦笑交じりに言う。
「今となっては信じられん」
「木崎零。桜井燕に見出されてコンビを組む。木崎真司事件や人形遣い事件など様々な事件に関わり、解決に導いている。しかし、天道衆の首魁にとどめを刺した手段は未だに未知に包まれている。使うのは鎧と大剣の召喚獣髑髏丸」
友美が、パソコンをいじりながら言う。
「どうやら俺は知らないうちに英雄だったようだ」
零が呆れたように言う。
「条件次第ではこの場にいる三人全員に勝てますよ、貴方は」
「条件次第では、か」
「髑髏丸の装甲では私の炎に耐えられません」
小豆は淡々と言う。
「……昔、相棒がいた気がする。微かな記憶だ。今は、失ってしまった。そうか、髑髏丸というのか」
「それで、説明を聞いて納得していただけたでしょうか?」
「影を消すのは無理なのは納得した。ただ、解決法を見出して欲しいもんだ」
「難しいですね。スキルユーザーはまだ未知の領域の存在です。未解明な部分が多いのです」
「……娘を説得するしかないってわけか。まいったな」
そう言って、零は腕を組む。
「あんたら対策室ってわりに役に立たないな。ミストとかいう奴が彷徨いてるのに暇してんのも使えないからじゃないか」
沈黙が部屋に漂った。
ぐうの音も出ないとはこのことだった。
次回『明日香』




