夏樹
先守冬音は門の前で待ち続ける。それが杞憂だと願いながら。
空には丸い月が輝いている。平和な一日の終わりと言った塩梅だ。
しかし、彼らはやって来た。
折りたたみ梯子を肩に担いで、二人でやって来た。
「……就眠時間だよ、お兄」
冬音は、冷たい声で言う。
優助は気まずげに、足を止めた。
「俺が行かなきゃならないんだ。行かなきゃ、人が死ぬかもしれない」
「お兄が命を賭けることじゃない。警察の人だっているし、そういう専門の人達に任せればいい!」
「見て見ぬふりはできない。説明は難しいが、俺達は力を得た。だから、守る責任も得たと思うべきなんだ」
「そんな勝手なこと!」
冬音は項垂れ、大きく溜息を吐く。呼吸は震えていた。
「お兄は私の気持ちなんて全然わかってくれない!」
「わかんないのは、こっちも一緒だ」
優助が、淡々とした口調で言う。
「血が繋がっていないって、なんで教えてくれなかった」
冬音は舌に杭を打たれたように喋れなくなる。
「俺を、哀れんでいたのか……?」
「違う!」
冬音は、思わず前を向く。静かな表情の優助と、目が合った。
「私達、話さなきゃいけないと思う。一杯、一杯、話さなきゃいけないんだと思う」
冬音は咄嗟に、そんなことを言っていた。
優助はしばし考え、頷く。
「そうだな……」
そして、歩き出した。
「今は退いてくれ。明日、必ず時間は取る」
「生きて帰ってくるんでしょうね?」
「当然だろっ」
そう言って、優助の背中を押したのは明日香だった。
「普通に行ってきますって出かけて、ただいまって帰るだけさ。私達は。ね」
「ああ、そうだな」
折りたたみ梯子が伸ばされ、壁に立てかけられる。
それを昇っていく最中、優助は一度だけ振り返った。
視線と、視線が絡まった。
しかしそれは一瞬のことで、すぐに優助は前を向いて再び昇り始めた。
+++
先守夏樹は先守家では異色の経歴の持ち主だ。
学生時代、最初の喧嘩でのした相手が地元でも有名な不良だった。それから、流れで喧嘩に明け暮れて勉強もせずに県下を大いに混乱させた。
ついた異名が先守の虎。
今でも昔を知る者からは虎、と揶揄混じりに呼ばれる。
その、先守の虎は、街灯の下で折りたたみ椅子に座って黄昏れていた。
このミスト事件、終わるのはいつになるのか。
夏樹にとっても予測できない。
なにせ、スキルユーザーの犯罪は数が少ない。
範囲攻撃に長けたスキルユーザー。
捕縛するのは一筋縄ではいかない。
一撃で失神させる必要があるだろう。
昨日も一昨日も夏樹は同じ場所で座っている。戦場にいる。
きっと、それはこれからもそうなのだと思う。
そんなことを考えていると、スマートフォンが鳴った。
「はい、こちら先守夏樹」
「今、いいかな」
電話越しの声に、背筋が思わず伸びた。
「燕、なんの用?」
桜井燕。暗躍する者。同僚だが油断ならない相手だ。
「荷物がうちに来てるの」
燕は、面白がるように言う。
「荷物?」
夏樹は、怪訝な表情で返す。
「そちらに引き取ってもらえればと思うのだけれど」
「……構わないよ。持ってきて」
電話が切れる。
「怖い、怖い」
夏樹は一人でぼやく。
何故通話の相手に自分が選ばれたのだろう。その疑問は、晴れない。
憂鬱な気持ちで、しばらく頬杖をついていた。
そのうち、それはやってきた。
人を軽々と乗せるほどの大きさの白銀の竜。
それが、地面に降り立って消えた。
燕の召喚獣、白翼だ。
そして、白翼が消えた後にその場に現れた三人の人物のうち二人に、夏樹は目を丸くした。
「優助……明日香……」
歯ぎしりする。
「これはどういう余興だい。桜井の」
燕は、皮肉っぽく微笑んだ。
「二人共、スキルユーザーとして覚醒している。戦力になるからと志願してきたけれど、先守の人間を桜井の人間が使うわけにはいかない」
そして、燕は腕を組んで一歩を踏んだ。
「だから、つれてきた」
「つれてこられてもね……」
夏樹は、頭を抱える。
「スキルユーザーとして覚醒した。本当なの?」
夏樹は、優助と明日香に視線を向けた。
自信に満ちた表情をしている。
「俺はスキルユーザーだ」
優助がそう言うと、その両腕に白い光が浮かび上がった。
確かに、常人の放つ光ではない。
「効果は?」
夏樹は淡々と訊く。
「特殊能力の無効化、および肉体の回復」
「回復?」
夏樹は、眉間にしわを寄せる。
「それって、殴ったら相手も回復するってことじゃ?」
優助は黙り込む。
「まあ、優しい貴方らしいスキルだわね」
夏樹は、溜息を吐いた。
「明日香は?」
「炎」
そう言うと、明日香の身を包むように火柱が立った。
それは、一瞬で消えた。
「潜在能力だけなら焔に引けを取らないわよ」
燕が面白がるように言う。
「どう?」
(なにか企んだな……)
そう、夏樹は思う。
自分の所に連れて来るまでの流れがスムーズ過ぎる。
しかし、いつミストが現れるかわからない。
迅速な判断が必要だろう。
姉の春香の顔が、脳裏を過ぎった。
「帰りな」
夏樹は、淡々と言っていた。背筋を丸めて椅子に体重を預ける。
「そんな、夏樹さん。俺達は戦力だ」
「生半可な気持ちで入ってきたやつが怪我をする。最悪、死ぬんだぞ」
「俺達は生半可な気持ちなんかじゃない。守りたいんだ、皆を!」
「それは本当に命と引き換えにするほどのことなのか?」
「なら、なんで夏樹さんはここに座っている!」
夏樹は、思わず黙り込む。
「夏樹さんだって、守りたいから、自分の力が役に立つと思っているから、ここに座っているんだろう? 俺達とどう違う」
「私はきちんとした組織の一員だ。あんたらみたいにバックホーンもなしに暴れまわる不良とはそこが違っている」
夏樹は眉間にしわを寄せる。耳が、少し痛かった。
「なら、夏樹さん。俺達と勝負してくれ。そして、俺達が勝ったら置いてくれ!」
夏樹は、しばし考え込んだ。
そして、溜息を吐いて立ち上がった。
「どう粘ろうと結果は一緒。あんた達は私を倒そうとやって来た親類にボコられて帰るのがオチ。なら、今のうちに退いておきなさい」
「でも!」
「でもじゃないよ。優助」
夏樹はしばらく考え込んでいた。耳に痛いような静寂が場に広がる。
「明日、話そうか。プールに行く準備をしとけって、子供衆に伝えといて」
「プール?」
優助は、目を丸くした。
その時のことだった。
「こちら西高光組。ミスト発見。こちらから西の方向に移動中」
夏樹は、召喚獣を呼び寄せる。ファンシーグッズのような可愛らしい人形型の召喚獣だ。そして、その召喚獣が和風の竜を召喚した。その上に、夏樹は飛び乗る。
竜は飛んで行く。夜空の中を。
そして、違和感に気がついて、夏樹は振り返った。
尻尾の辺りに、優助と明日香がしがみついている。
「まったく……」
溜息を吐いて、夏樹は優助と明日香に手を差し出す。
二人はそれを握って、胴体の太い部分まで進んで自らの足で立った。
「足手まといにならないでね」
「わかってる」
優助は、力強く頷いた。
昔、こんな頃があった。自分の力を無条件に信じられた頃があった。
遠い昔の話だ。
それを彼らに伝えたいのだが、伝え方がわからない。
不器用な自分に、夏樹はやきもきする。
そして、夏樹は思考をかなぐり捨てるように眼下の光景に注目した。
いる。
ミストが、屋根の上を駆けている。
ポケットから姉に貰った扇子を取り出し、指揮者のようにミストに突きつける。
竜が、ミストに向かって突進した。
体当たりを受けたミストは空中で体勢を立て直し、地面へと落ちる。
夏樹は、屋根の上に降り立ってそれを冷たい目で見下ろす。
「先守の管轄で悪さをしたのが運の尽きだ……溶けちまいな」
竜が、炎を吐く。
それを、ミストは氷の盾で防ぐ。
しかし、それは目くらまし。本命は、竜による体当たり。
一撃で、意識を刈り取る突進。
竜が勢い良く動き出した。その頭部が、霧の中へと吸い込まれた。
そう思った瞬間、ミストは宙を飛び、竜の首を蹴って跳躍した。
屋根の上へと接近してくる。
夏樹は、慌てて巨大な亀を召喚する。
その前に、優助が立ち塞がっていた。
優助の両腕が光り輝く。その光はいつしか前方に展開し、盾として機能していた。
「輝け! 俺の盾!」
光に触れた霧が消えて行く。
全てのものを傷つけ飲み込む氷が溶けていく。
ミストは壁を蹴って、後方へと飛んだ。
「残念、そこは私の縄張りだ」
炎の檻が、ミストを包み込んでいた。
そのまま、ミストの動きに合わせて炎も移動する。
そして、檻は地面へと着陸した。
「捕まえたよ、夏樹さん」
明日香が、誇らしげに言う。
「なるほど、スキルユーザー、か……」
夏樹は思わず脱力する。助けられて、情けない思いだった。
その時、霧が爆発的に増えて檻を飲み込んだ。
氷と炎が触れ合って、蒸発する音が響き渡る。
そして、それが消えた時、ミストは姿を消していた。
「逃したか。しぶとい」
夏樹は溜息を吐いて、竜の背に乗る。
そして、周囲を見回した。
ミストの姿は見えない。
結局、今日もミストをロストしてしまったらしかった。
+++
翌日、夏樹の運転で、市営プールに五人は来ていた。
夏樹、優助、冬音、明日香、智子の五人だ。
着替えてプールに集合する。
優助と明日香は既に水泳競争をしているようだった。
「へへ、俺の勝ちー」
「身体能力じゃ勝てっこないさ」
折り返して二人は戻ってくる。それを待って、夏樹は口を開いた。
「端っこのレーンを借りよう。優助。あんたは冬音にバタ足を教えてやって」
「え、ああ、うん……」
優助はそう言って、冬音の手を取った。
そして、水中に浮かび、冬音に足を動かすように促す。
「なあ、平和は嫌かい、優助」
夏樹は、淡々と問う。口下手な自分でも、できるだけ丁寧に教えられるように。
「常にそうであればと思っているよ」
「なら危険の中に自らの生があると考えるのはやめるんだ」
「守りたいものがあるから危険の中に踏み出すんだ」
「お兄は!」
冬音は声を上げたが、水を飲み込んでしまって、声が声にならなかった。
「春香姉にとって、あんたらはかけがえがない日常の象徴なんだ。私にとっても、秋奈姉にとっても一緒」
優助は黙り込む。
誰にだって、守りたいものがある。
それが、夏樹にとっては家と家族なのだ。
「だから、たまには素直になりな」
優助は、黙り込んだ。
どう伝えれば良いだろうかと思う。どれだけ大事に思っているか。どれだけかけがえがないと思っているか。
しかし、伝わらない。口下手だから、伝えられない。
「冬音のこと、見ててやんなよ。頼むよ」
そう言って、夏樹は泳ぎ始めた。
久々に浴びる昼の日差しは心地よかった。




