その男、無能力者なれど
夜になるのを待って、情報屋の車で過ごす。
「遠夜君は家族の心配とかないの?」
「心配なんてしないさ」
遠夜は、どうでも良さげに言う。
「昼は仕事、夜は遊び歩いている。あの人に子供への関心なんてないんだ」
割り切っているような台詞。しかし、その奥には不満が滲み出ているように思えた。
(顔立ちは女の子みたいなのにな……)
君枝は、そんなことを思う。
後ろで縛った長い髪。線の細い白い顔。つぶらな瞳。まだ体が男性体型になっていないこともあって、男とも女ともつかない雰囲気がある。
(お母さんも美形なんだろうなー)
そんなことを考えていたら、情報屋が車の窓をノックした。
「見つかったぞ」
「本当?」
「ほら」
そう言って、情報屋は白い粉が入った袋を左右に振る。
「使うの?」
君枝は、思わずうんざりとした表情で問う。
「冗談。ただでさえ抗争で警備が厳しくなってるんだ。こんなもの、こうさ」
そう言って、情報屋は袋を千切って中身を外に撒いた。
そして、君枝と遠夜は動き出す。
情報屋に聞いた場所。そこを目指して。
辿り着いたのは、駅から少し歩いた先の街路樹の傍だった。
売人が一人、座り込んでいる。
「ねえ、相談があるんだけど」
君枝は、緊張で心音が高くなっていくのを感じながら声をかける。
「なんだい、お嬢ちゃん。買うのかい?」
「貴方達のボスの元に、案内してほしいの」
「それは無理な話だ。俺達末端がボスの居場所を知るわけなんてないよ」
そう言って、売人は訝しげな表情になる。
「お前、何者だ……?」
その次の瞬間、遠夜の剣が売人の太ももに突き立てられていた。
「こういうもんだ」
「遠夜君!」
君枝は慌てた。平和的解決を望んでいたのに、これでは抗争に巻き込まれるだけだ。
「アニキィ! 助けてくれぇ! 刺された!」
そう言って、売人は這いずりながら逃げていく。
それを、遠夜が追いかけていく。
そして、辿り着く前に大きな足が売人を踏みつけにした。
「おいおい、大声を出すなと言うてたじゃろうが」
「けどよぉ、アニキィ……」
「最近はマル暴も厳しい。しかし、釣り糸も垂らしてみるもんだな。スキルユーザーがまんまと釣り上げられるたあ」
大柄な男だった。顔には子供のような笑顔。髪の毛が寝癖のようにはねている。
「罠……ってわけ?」
「そっちは不意打ちできたんだ。お互い様だろう?」
そう言って、男は左の掌に右の握り拳をぶつける。
「俺は知っているぜ。ボスの場所を」
「あんたを倒せば居場所は知れるんだな」
「ああ、俺は嘘をつかないぜ」
遠夜が、大柄な男に切りかかった。
その刃が服に触れるか否かという瞬間、男は回避した。
「これぐらいかな」
男は呟いて、遠夜の腹部に拳を叩き込む。
遠夜は地面を転がり、血の混じった液を吐いた。
「透夜君!」
遠夜の腹部に、脚が振り下ろされる。
鈍い呻き声が、響いた。
「お前らスキルユーザーはどんな裏技を使うかわからんからなあ。徹底的にやらんとなあ」
男は蹴り続ける。鈍い呻き声がそのたびに上がる。
「くっそ……!」
遠夜が剣を振るう。男は後方に飛んで、それを回避した。
ズボンの裾が、わずかに切れた。
「ん。避けそこねたか。武器は結構長いみたいだな」
遠夜は震えながら立ち上がる。その手には、影の剣がある。
「戦闘行動をやめてください」
君枝は震える声で言って、右手の照準を男に合わせる。
「そっちは狙撃型ってところか。厄介だな」
男は愉快そうに言う。
「だが、面白い!」
男が接近してきた。君枝は影の矢を放つ。それを、男は回避した。
(避けた? 何故? 見えている?)
思考の間にも、男は近づいてくる。二発目を装填する。その時には、既に男の姿は目の前にあった。
男の拳が、腹部に叩きつけられる。
君枝は思わず、その場に座り込んだ。
「あんたの力は右手を使うみたいだなあ」
そう言って、男は君枝の右手を踏み躙る。
痛みに、呻き声が上がる。
その時のことだった。
男の背後から、遠夜が襲いかかった。
それも、男は回避する。
「ありがとう、遠夜君」
自由になった君枝はふらつきながら、ゆっくりと立ち上がる。
そして、三者は膠着状態に陥った。
「貴方、見えているの……?」
「見えているさ」
男は、淡々と言う。
「あんたらの握る拳。狙いを定める動作。発射の際の僅かな緊張。全て見えている」
「実物を見ずに私達を翻弄していると……?」
「お前らは忘れてるみたいだけどなあ……ヤクザのお兄さんは、怖いんだぜ」
膠着状態を破ったのは、遠夜だった。
抜群の身体能力で跳躍して、剣を振りかぶる。
その腹部に、男の蹴りが突き刺さった。
今だ、と思った。
君枝は矢を発射する。狙うは、男の脚部。
しかし男は前に一回転することでそれを回避した。
「厄介なのは遠距離の嬢ちゃんの方だな。そっちから片付けていくか」
男は笑う。
歯をむき出しにして。目を大きく見開いて。興奮に息を荒くして。
その姿に、君枝は畏怖した。畏怖したからこそ、行動が遅れた。
男が接近してくる。
次の矢の装填を開始する。数秒足りない。
狂気じみた男の顔が、目の前にあった。
そして、次の瞬間男は避けた。
(何故?)
考えると、答えは明白だった。
突進してきた遠夜が、男に避けられたことで君枝を押し倒してそのまま倒れ込んだのだ。
倒れた二人は、恐れの感情を覚えながら男を見上げる。
「俺の名前は、桜木拳児。界隈じゃちっとは名の知れた男よ」
(勝てない……)
そんな思いが、心を満たす。しかし、残った数パーセント。逆転を信じる心が、何処かにあった。それが、緊張で忘れていた答えを導き出してくれた。
「貴方には、正攻法じゃ勝てないんでしょうね」
「ああ、そうだろうな」
「なら、私は邪道で行く」
君枝は、右手を差し出す。射撃が来ると思ったのだろう。拳児はその射線上から逃げる。その隙に、翼を巨大化させて、はためかせた。
君枝は、空を飛んでいた。
空中から、狙いを定める。
拳児が懐に手をいれるのと、君枝が射撃を終えるのは、同時だった。
拳児の右肩を、矢が貫いていた。
拳児の右腕が地面に向いて垂れる。その指先から、血が滴り落ちた。
「利き腕を破壊されて終わりね、拳児さん。まだ、抗うかしら?」
拳児はしばらく考え込んでいたが、そのうち笑った。
「降参じゃ、好きにせえ」
そう言って、彼は地面に座り込んだ。
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拳児の止血を行う。
その間に、色々な会話をした。
「なんじゃあ。それじゃあ、お前さん方は俺らを狙いに来たわけじゃねえのか」
「狙われたのはこっちよ。それをやめてほしくて、黒幕を探している。貴方達は抗争中って言うじゃない。私達は喉から手が出るほど欲しい存在のはずだわ」
「誤解じゃな。暴対法が厳しいこのご時世、抗争なんてようせんよ」
「けど、貴方達の事務所は襲われたって……」
「それがようわからんところよ。犯人も未だに知れん。オヤジが死んで弱体化したところを狙われたかとも思ったが、他の組とも良好な関係を築いとる」
拳児が、溜息を吐いた。
「スキルユーザーなんじゃよ、犯人は」
「スキルユーザーって何?」
「お前さん方みたいに、特殊な能力、スキルを使う連中のことじゃ。最近はそのスキルユーザーによる犯罪が水面下で問題になっとる」
「貴方達のボスが、貴方に相談なしに私達を狙うようなことは?」
「跡目を争っている二人。俺達のボスも、相手側のボスも、今は雲隠れしとるよ」
「え、ボスを知っているって話は?」
「あれは、嘘じゃ」
悪びれもせずに、拳児は言った。
「ま、可能性はあるだろうけれど、随分と薄いじゃろうな。抗争が駄目なら第三者に暗殺させればええ。確かにその通りじゃが、敵味方おかまいなしじゃあな」
「雲隠れしている……?」
「そう。行方知らず。あんたらは無駄足を踏んだっちゅーことやな」
「スタート地点に逆戻り、か」
「気をつけたほうがいいぞ」
男は、静かな声で言う。
「この町にはスキルユーザーが隠れ住んでいる。俺達の事務所を襲ったような、化物のようなスキルユーザーがな」
「そんなに、強いの……?」
「遺体を見ていないんじゃったな。酷いもんやったぞ。ミキサーにかけられたみたいやった」
君枝は息を呑んだ。その惨状が、遠夜が斬り殺した男をフラッシュバックさせたのだ。
「この町には、何かが潜んどる……。何かがな」
そう、拳児は呟くように言った。
ちょっと前までは、平穏な町だと思っていた。
けど、今は君枝がいる。遠夜がいる。拳児がいる。事務所襲撃事件の真犯人がいる。スキルユーザーを狙う者がいる。
まるで息を潜めるようにして、それは徐々に、徐々に、君枝の世界を侵食していたのだ。
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「進展はなしか」
情報屋は、落胆した調子もなく呟く。
「あったと言えばあった。事務所を襲ったスキルユーザーを見つけた時には、協力してくれると約束してもらった。情報屋なんだからなんとかしなさいよ」
「それじゃあ……」
「金を要求したら、撃つわ」
「怖い怖い」
そう言って、情報屋は肩を竦める。
「それじゃあ、ちょっと目立ってみるっていうのはどうだろう」
情報屋の提案に、君枝は戸惑った。
「目立つ?」
「鳩の群れに豆を投げたみたいな惨状になると思うぜ」
そう言って、情報屋は滑稽そうに笑った。
次回『混戦』