決戦を前に1
何をしていたか、覚えていない時間が、一日に数度かある。
天道衆再興のためにコーポスミレの住民を洗脳する。等と言う突拍子もない案が頭に浮かぶこともある。
暁君枝という人格は、徐々に侵されつつあった。
抗う方法も見つからない。ただ、侵食されているという実感だけが重く心にのしかかる。
「おい、君枝」
遠夜に声をかけられて、君枝は我に返った。ワンボックスの車の中だ。
「なに注文するんだ? またチーズバーガーか?」
「ああ、うん。そうして」
「わかった。なにぼーっとしてんだかな」
ドライブスルーで買い物をして、車の中でそれを分ける。
そんな生活にも、慣れつつあった。
「残るは暴風使いだけだ。そいつを倒せば、お前より強いやつは県下にいなくなる」
「ええ。あと一人ね」
「その後、詠月がお前を危険視しないかは保証できないがな」
そうなのだ。詠月との関係も、現在は良好ではあるが将来的にはどうなるかはわからない。
そして、自らのうちに潜むもう一つの人格。
ここに至っても、わからないことだらけだ。
「最後の敵を倒したら、詠月に庇護を願うのも良いかもしれないと最近思うの」
「どういう心境の変化だ?」
「銃を持っている不特定多数の人間に追われて、熟睡できるほど神経が太くないだけ」
「なるほどな。けど、最後の一人を倒せばお前は無敵になる。怯える必要なんて、なくなるんだ」
「そうかしらね……」
「そうだよ」
その時、情報屋のスマートフォンが鳴った。それを、彼は通話モードにする。
「ああ、拳児さんか? どうした?」
情報屋が息を呑むのが感じられた。
「捕まってる? 暴風使いも一緒だと?」
車内に、緊張が走った。
「なるほど、わかった。おって連絡する」
情報屋が、スマートフォンの通話を切る。
そして、淡々と言った。
何か思案しているような、そんな表情だった。
「ということだ」
「ということだ、じゃないわよ。拳児さん、危ないの?」
「相手の目的はお前だ。お前が見つかるまでは丁重に保護されるだろう」
「正面衝突か……」
遠夜が、緊張した声で言う。
「いや、これは拳児の策だと思う」
「どういうことだ?」
「今のうちに、詠月でもなんでも使えるもんはなんでも使えってことだ。後はのこのこ馬鹿がやってくるのを待つだけさ」
「なるほど、俺達に役目はないってことか」
「違うと思う」
君枝は、静かな声で言っていた。
「これは、私達の戦い。私達の問題なの。詠月の人を使うのは、違うと思う。拳児さんだってきっとそう言うわ」
「いつから夢想家になった? 勝つのが最終目的だぞ。過程はどうでもいい」
「違う……。詠月の人達にも、大事な人はいる。翔子さんにはコーポスミレが、秋奈さんには春香さんが、そんな人達を危険に晒してまで、私は自分一人の平和に固執したくない」
「まあ、お前さんがそう言うならかまわんがね」
そう言って、情報屋は両手を上げた。スマートフォンがその手から落ちて、床に落ちる音がした。
そして、情報屋は車の運転を再開する。
「決断は次に電話がくるまでだ。その内容次第で、俺達だけで相手に当たる」
「わかった」
一同は近くのコンビニで車を降りた。ベンチに座って、商品を広げ始める。
なんの気なしに、左手をベンチにおいて翔子は食事をとっていた。
(また、意識が途絶えている……)
拳児が拐われたと聞いてから、今に至るまでの記憶がない。
まるで、このまま体を乗っ取られそうな予感が恐怖の感情を呼び起こす。
その時、左手に、温もりが触れた。
遠夜の手だった。
「遠夜……君……?」
「触れられたことは何度もあったが、いつか自分から触れようと思っていた」
遠夜はフライドポテトを食べながら淡々と言う。
「不快か?」
君枝は、首を横に振る。
不快ではなかった。むしろ、居心地がいい。
「お前は、いつだって前を向いてきた。何度転んでも、くじけなかった」
「遠夜君も一緒だよ」
「俺は、そんなお前が……」
遠夜は、そこで言葉を切った。そして、俯いて、絞り出すように言う。
「かっこいいと思ってる」
「私もだよ」
「負けてばかりの情けないモブだ」
「私のヒーローだよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
遠夜は、微笑む。少女のように、可憐に。
「なら、俺はお前を守ってみせる。どんな手段を使おうとも」
手に篭もる力が、強められた。
「ううん。遠夜君は無茶しちゃ駄目。今回は、戦わないでほしい」
「あの暴風使いの風を破る可能性があるのは俺だけだ。今回の戦い、俺がキーになる」
沈黙が漂った。
「守るよ、俺が」
遠夜は、はっきりと言った。
その肩を抱き寄せて、彼の髪に頬ずりしながら、君枝は返した。
「わかった。アテにしてるよ」
「ああ。十分に頼ってくれ」
珍しく、微笑み顔の遠夜と、しばらくじっとそうしていた。
遠夜への感情は、弟を見るそれに近い。けれども、今この瞬間、透夜をもっと近くに感じた君枝がいた。
情報屋は、車の傍に立って、スマートフォンで通話をしている。
そして、通話を切って、二人の元へやって来た。
「相手さん方も焦っているらしい。決戦の場を指定してきた」
「決戦の場……?」
「西にある廃ビルだ。場所は、俺が知っている」
「わかった」
手に重なっていた、温もりはもうない。
「最終決戦だ。全部、終わらせよう」
炎が巻き起こった。それは、君枝の体を囲んで、高々と空まで火柱を作った。
そして、それは一瞬で消える。
スキルの使用に問題はない。意識が多少途絶えても、戦っていける。
車に乗って、発進する。
車内から、流れ行く窓の外の景色を見ていた。
長かったようで短かったこの旅も、もうすぐ終わる。
「終わったら、お母さんに叱られるだろうな」
君枝は、苦笑する。
「俺はつまらない日常に逆戻りだ」
助手席の遠夜は、肩を竦めて言う。
「コーポスミレに拾ってもらえばいいんじゃないかな。私達、一応詠月のテストパスしてるんだし」
「怖い経験も何度もしたが、楽しい旅だった。けど、旅はいつか終わる」
遠夜の言葉が、君枝の中に染み入っていく。
「何度でも旅に出ればいい。次はきっと、楽しい旅を」
そう言って、小指だけを伸ばした手を遠夜に差し出す。
遠夜は少し躊躇ったようだが、その小指に自らの小指を絡めた。
「約束だよ、遠夜君」
「ああ……その日を思えば、苦痛な時間も苦じゃなくなるかもしれないな」
二人はそうやって、少しだけ微笑んだ。
そして、沈黙が車を支配した。
決戦を前にした緊張感が、皆を寡黙にさせていた。
(終わった後の話は、した。後はそこに、辿り着くだけだ)
そう考えて、君枝は決意を新たにする。
車がその場所に辿り着いたとわかったのは、チンピラの集団が懐に手をやって集まっていたからだ。
車が停まる。そして、チンピラの集団と君枝達は対峙する。
「拳児さんを確認させて。そうしたら、戦いでもなんでもやってあげる」
君枝が言う。
そのうち、チンピラの一人が、拳児を連れてきた。
白いスーツのズボンが真っ赤に染まっているが、ひとまずは生きているようだ。
「すまん、君枝。不意を突かれた」
「いいのよ、拳児さん。無事なら、それで」
拳児が背を押される。それを、君枝は抱きとめようとする。
次の瞬間、チンピラ達が懐から銃を取り出した。
一斉射撃。
君枝は黒い翼を作り出して、それを防ぐ。
情報屋が飛び出して、敵の一人の顔面を両足で吹き飛ばした。
「君枝! ここは俺がやる! 拳児さんを車の影に隠して、お前は行け!」
「でも……」
「手間取っているうちに警察と詠月が来るぞ! 後は、混乱だ!」
「わかった!」
君枝は拳児を車の影に隠す。
「すまんなあ、君枝」
拳児が、弱々しく言った。
「大丈夫ですよ。私に任せてください」
そう言って、君枝は翼を盾にしながら、遠夜と共に廃ビルの中へと入っていった。
中は薄暗く、湿気が強かった。
人気がない。一階に人はいないのだろうか。
「二手に別れよう」
遠夜が言って、君枝は動揺した。
「駄目だよ、それは。遠夜君一人じゃ、けして敵わない。わかってるでしょ?」
「見つけたら、逃げて連絡をする。身体能力は俺の方が上だ。知ってるだろう?」
「……絶対に無茶しないでよ?」
「また、旅に出るんだろう? 覚えている」
そう言って、遠夜は右手の階段を上がっていった。
君枝は、左手の階段を上がっていく。
帰ろう。各々の日常へ。友美に友達になってもらって、単位取得に四苦八苦して。
遠夜は親とすれ違って寂しいかもしれないけれど、きっとそのうちコーポスミレに居着くだろう。
そして情報屋は、また放浪の旅に出るのだろう。
それで良い、と思った。
旅は終着点。ついに、終わりが目の前にやって来ていた。




