火と風の輪舞1
草薙小豆は鏡を見つめていた。
この前、桜木拳児に殴られた顎の辺りが青痣になっている。
しかし、服を脱ぐと、小さな胸を覆うブラジャーの下、腹部の辺りの痣の方が酷い。
これは、拳児につけられた傷ではない。
今日も、金を稼がなければならない。その日暮らしの小豆には、金が必要だ。
服を着替えて、玄関に立ち、部屋を見る。かつては父だった焦げた人体が転がっていた。
「行ってきます、お父さん」
無感情にそう言って、小豆は玄関の鍵をしめる。
スキップでも踏みたい気分だった。
自分は自由だ。もう何者にも束縛されない。殴られることもないし、犯されることもない。
世界はなんて綺麗な青空なんだろう。
(まるで、私を祝福してくれているみたい)
手に炎を浮かべる。
この力を得てから、小豆の人生は変わった。
弱者から強者へ。奪われる者から奪う者へと変わった。
その開放感が、小豆の歩調を軽くするのだ。
父の残したスクーターに乗る。ナンバープレートをダンボールで隠し、ヘルメットをかぶると準備完了だ。
発車して、まずは遠くまで出る。
そして、歩行者の鞄に狙いを定める。
すれ違いざまに炎を使って、鞄の紐を切って、本体を奪い取る。後は逃げるだけ。
今日はそれだけで三万の稼ぎを得た。
これで、数日は過ごせる。
小豆は満足感に心を満たして、ナンバープレートにつけたダンボールを剥がして捨てると、帰路についた。
金を抜いた財布をコンビニのゴミ箱に捨て、パンと牛乳を買って、ヘルメットを片手に自宅のアパートへと帰る。
「お父さん、数日は出かけなくて良くなった」
返事はない。小豆は喋り続ける。
「そろそろ対策を取られる頃だと思うけど、まあ別の手段を考えるよ。あのスクーターもそろそろ盗まれたことにして捨てないとね」
小豆はそう言って、パンに口をつけた。
玄関の扉がノックされた。
「はいはい、誰ですかー」
言って、小豆は玄関に出る。
スーツ姿の男女が三人。
「最近この県内で起きている引ったくり事件について聞き込みをしています」
「はあ……」
小豆は、心音が高鳴るのを感じた。
犯人は、紛れもなく自分だ。しかし、何処からその情報を得たのだろうか。
桜木拳児の顔が脳裏に浮かぶ。
顔を出して表に出たのは失策だったか。
「貴女、酷い痣ね。誰かに殴られた?」
中央に立つ女性が、日本人形のような顔を皮肉っぽく歪めた。
「いえ、ぶつけたんですよ。私、ドジで。たまにやっちゃうんです。アハハ……」
「そう。家に上がらせてもらえるかしら」
家の中はやばい。黒焦げの遺体があるのだから。そうと判断するだけの理性が、まだ小豆の中には残っている。
「貴女達はなんの人です? 警察?」
「まあ、こういうものです」
そう言って、彼女は警察手帳を取り出し、中の写真を見せる。
桜井燕、と書いてある。
その名を見た途端に、背筋が寒くなった。
(偽物だ……)
直感的に、そうと悟る。何故、そうだと思ったのかはわからない。小豆の中にいるもう一人の自分が、そうと判断したのかもしれない。
ならば、この舞台で踊るのも終幕だ。
小豆は咄嗟に家の中を駆け、窓から飛び降りた。
二階からの落下。コンクリートの地面が足に痛い。
しかし、構わず駆け始める。そしてスクーターに乗り、エンジンを全開にして移動を始めた。
(奴らは詠月の精鋭だ。小細工をしないとすぐに追いついてくるぞ)
(小細工って?)
内なる自分と会話を交わす。
次の瞬間、大地からの力を小豆は吸い上げていた。
炎が巻き起こり、後方を走る車の運転手が焼け焦げる。
車は塀に激突し、半回転してその場の進路を防ぐ防波堤となった。
(なるほど、勉強になるう)
炎の嵐が巻き起こり、周囲に火災を起こした。
家が焼け、人の悲鳴が上がり、黒煙が上がり、視界を遮る。
通り過ぎる消防車。
その運転手を狙おうと、小豆は思った。思って、躊躇った。
結果、そのタイヤを、炎で溶かす。
タイヤがパンクした消防車は、塀に激突した。
「これだけやれば大丈夫っしょ」
背後を振り返ると黒煙が舞い上がっている。
大火災。
それが自分の力で巻き起こったことなのだと思うと空恐ろしくなる。
もう、家には帰れない。
「さようなら、お父さん」
そう呟くと、小豆は前を見た。
引ったくりでは限界が来ていたところだ。
そろそろ、本格的に収入源が欲しい。
体を売るか? それは、もう嫌だ。
なら、奪い取るしかない。
「私達は自由だ!」
小豆は、叫んで疾走する。
澄んだ空が、青かった。
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「目標、追跡中。しかし、このままでは被害が拡散するばかりだと判断します」
屋根の上で、桜井燕はその報告を聞いていた。
背後に視線を向けると、燃え盛る家が倒壊しているのが見えた。
「追うのは危険ね。最初から殺すつもりでいかないと、被害が拡散するだけだとわかった。自制心が壊れている。一番厄介なパターンだわ」
「追跡を断念しますか?」
「次の宿まで追えるなら追って。けど、気取られそうなら退いて。人的被害が出るほうが痛いわ」
「了解」
第三形態になれさえすれば、と燕は思う。
第一形態の特殊能力と第二形態の身体能力を併せ持つ第三形態。それにさえなれば、燕はスクーターも追いかけられただろうし、炎も弾けただろう。しかし、それになるには燕の場合はある縛りがある。
自らの生命が危機に瀕しないと、その力を十全に発揮できないのだ。
「弱体化するって悲しいことね。前線に出る役目を他の人に割り振ろうかしら」
燕はそう呟くと、屋根から飛び降りた。白い竜が、その下でクッションになって燕を受け止めた。
そして、燕は地面に降り立つ。
周囲には、人が増えつつあった。野次馬だろう。
「追跡できそう?」
「人混み、車、色々なものとすれ違う可能性を考慮すると、今の速度を維持することは賢明とは言い難いでしょう」
「そう。貴方は十分に頑張ったわ」
そう呟いて、燕は通信機を持つ手を下ろした。
暁君枝、暴風使い。二人に加え、新たなスキルユーザーが脅威としてこの地に現れたのだった。
「……まったく」
燕は、呟く。
ままならないな、と思ったのだ。
その日、そのスキルユーザーに通称がつけられた。
その名は、焔。
破壊をなんとも思わない凶悪なスキルユーザーだ。




