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影、転じて妖魔

 その存在に気がついたのは、暁君枝が物心付く前だったと思う。

 画用紙にクレヨンで黒一色のその姿を描いて、母親を酷く不安にさせた覚えがある。

 そしてそれは、いつしか君枝の日常の一部になった。

 登校する時も、受験の時も、家を出て一人暮らしを始めた時も、それはついてきた。

 一言で表すならば、影。

 しかし、日光を受けて地面に横たわる影と違い、それは体を持って這いずり回る。


「今日から同じクラスね、よろしく」


 大学の同期の生徒が微笑んで右手を差し出す。それに、影が重なった。

 君枝は表情が強張るのを感じながら、左手を差し出した。


「私、握手は左手でする主義なの」


 同期の生徒は不思議そうな顔をしたが、左手での握手に付き合ってくれた。

 大学生活の始まりだ。

 入学式をバイトで休んだ君枝にはまだ友達がいない。なので、声をかけてくれる彼女は貴重な存在だった。

 地元では友達がいなかった。大学では友達を作りたいと思う。


「貴女、名前は?」


「友美。友ちゃんって呼ばれてた」


「じゃあ私も君ちゃんで良いわ」


「君ちゃんは趣味とかある?」


「それが、あんまりないのよね。バイトで忙しかったし。友ちゃんの趣味に誘ってくれると幸いなんだけれど」


「じゃあ今度皆でカラオケ行こうよ。大学の近くに良い場所知ってるんだ」


「いいね」


 影は、友美と重なったり離れたりを繰り返している。

 自分だけに見える影。それを、けして誰にも話すまいと君枝は思う。

 一通り、互いの身の上話を終えると、世間話になった。


「そう言えば、知ってる? この町って、情報屋がいるんだって」


「情報屋?」


 ドラマでしか聞いたことが無い言葉に、君枝は戸惑う。


「うん、なんでも教えてくれるんだって」


「胡散臭いなあ」


「それがね、失せ物から怪奇現象までぴたりと教えてくれるんだって」


「へえー。困った時は頼ってみようかな」


 怪奇現象まで、というのが気になった。

 この、自分にしか見えない影。その正体がわかるのならば、君枝は大抵のことはするだろう。

 その日は、友美に情報屋の話を聞いて、講義の後に別れた。


 情報屋は昼の一時、市のアーケードに現れるという。

 バス時間を確認しに大学のバス停に行くと、丁度バスが出るところだった。アーケード行きだ。

 少し迷いながらも、君枝はそのバスに乗り込む。

 帰りにはどうせここを出るバスに乗らなければならない。そんな思いが、背を押した。


 散りかけの桜通りをバスは走っていく。十分ほどしないうちに、駅前についた。

 そして、近くのアーケードへと移動する。

 ここはバーガーショップやゲームセンター、カラオケボックスなど若者向けの店も多い場所だ。

 さて、件の情報屋とは何処にいるのだろう。

 もう少し友美から情報を聞き出しておくべきだったかもしれない。


 悩みが解消されると思っているわけではない。自分だけに見える影。そんな存在の説明をつけられる奴などいるわけがないと君枝は思っている。

 しかし、一筋の光が見えたなら、そこに向かって歩いてしまうのが人間というものだ。

 しばらく歩いていたら、パチンコ屋と和菓子屋の間の路地裏にパイプ椅子が置かれているのを見つけた。


 周囲を行き交う人々の中、君枝は足を止めてそれを観察する。

 ここだろうか。しかし、肝心の情報屋はいない。

 三十分ほど、その場で待った。

 パチンコ屋から出てくる人、スーツ姿の昼食を取りに来たサラリーマン、大学生らしき若者、色々な人が君枝の背後を通り過ぎていく。


「あー、もう二度とパチンコなんてやらねえ」


 嘆くように言って、パチンコ屋から出てきた細身の男がいる。

 ああはなるまい、と君枝は思う。

 しかし男は、あろうことか君枝の前の椅子に座って、足を組んだのだ。


「遅れました。情報が欲しい人かな?」


「……パチンコに負ける人が情報を売ってるんですか?」


「そう胡散臭い目で見なさんな。運は悪いけれどデータは揃ってるんだぜ」


「へえー……」


 君枝は、あてが外れた気持ちでいた。パチンコで負ける男がどうして君枝の重大な問題を解決できるというのだろう。


「……出直してきます」


 そう言って、君枝はその場を後にする。


「君、憑いてるね」


 男の声が、背中にかかった。

 君枝は、足を止めた。


「ついてる? 特に運が良いということはありませんが」


「違う違う。憑いてる。悪霊憑きだとかそういうのあるでしょ? そういう、憑いてる」


 君枝は、目を大きく開いた。


(カマをかけられただけ……? それとも見えているの? この黒い影が)


「一体化してないなあ。拒み続けてきたんだね、きっと。けど」


 男は薄っすらと微笑んだ。


「君にとって、この町はパラダイスだ」


 その言葉の意味がわからず、君枝は戸惑う。

 男は、滑稽そうに笑った。


「そうだよな、いきなり飲み込める話でもない。けど、俺の話を聞けば君は幸福に暮らせることだろう」


「聞かせて、貰えますか?」


「情報料」


 そう言って、男は左手を差し出した。


「何円です?」


「五万円」


 君枝は、息を呑んだ。学生である君枝にとっては大金だ。


「いいんだよ、俺は別に。君が得体の知れない存在に追い回されててもさ」


 この男は知っている。君枝が抱いている謎の答えを、知っている。


「……出直してきます」


 そう言って、君枝はその場を後にした。

 帰ると、君枝はテレビをつけて寝転がった。

 また、同じニュース。最近何度も起きている、この近隣のヤクザの事務所の襲撃事件。

 襲われた事務所の人間は全員死んでいるらしい。

 抗争かと、噂されていた。

 その時、影がテレビに重なって画面が見えなくなった。

 君枝は、やむなく音だけを聞く。


「君にとって、この町はパラダイスだ……か」


 右手を天に掲げ、指を開く。そして、ただそれを見つめた。

 五万円なら、ある。親が一人暮らしを始めた際に、余分に金を持たせてくれたのだ。

 それをこんなことに利用するのは少々気が咎めた。

 しかし、アルバイトをやっているので収入はこの先見込める。

 情報屋はいつまでいるかわからない。


「賭けてみるか……」


 そう呟き、引き出しから十万円が入った袋を取り出す。その中から、五万円抜いた。

 その日は、そのままなんの進展もなく終わった。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 翌日、大学へ行くと、友美と顔を合わせた。


「そういや連絡先交換してなかったよね。交換しようよ」


「うん、しようしよう」


 連絡先を交換して、互いに別々の講義を受けに別れる。そのはずだった。

 しかし、君枝は情報屋が気になって、またアーケードまでやって来ていた。

 路地裏を眺めるが、そこにはパイプ椅子があるだけだ。君枝は落胆したような気持ちになった。


「開店時間を教えてなかったっけ」


 地面に影が差し、背後から声がした。

 のっぽな情報屋が、こちらを見下ろしていた。


「一時、でしょう?」


「それでも来たんだ。せっかちなことだね」


 呆れたように言って、情報屋はパイプ椅子に足を組んで座った。


「で、どうしたんだい? 影憑きのお嬢ちゃん」


「お金は用意した。情報を聞きたい」


「ほう」


 君枝は男に五万円を渡して、頭を下げた。


「お願いします」


「なあに、頭を下げることはない。俺は金を貰えば仕事はきっちりとやる人間だからね」


 君枝は、心音が高鳴ってくるのを感じた。君枝の長年の謎が、今日、ついに明かされるのだ。


「ガイアエネルギーという言葉は知っているかな」


「知りませんが、名前からおおよその察しはつきます」


「そう。ガイアエネルギーは地表から噴出している魔力の元だ。それを使い、人は古来、秘術を使ってきた」


「ちょっと待って」


 君枝は話を止める。


「魔力ですって?」


 ついていけない、と思う。


「君の見ている影は魔術などの説明なしには証明できないと思うけどね」


「それもそう……だけど……」


「人間社会の根には妖怪や怪奇現象というものが深く絡みついている。彼らは存在しないんじゃない。見える人と見えない人がいるだけだ。で、最近のことだ」


 情報屋は、君枝の困惑を気にせず言葉を続ける。


「ガイアエネルギーは人の思いの篭った道具に宿るのが常だった。それを直接、人間の身で受け止める存在が現れつつある。彼らはこう呼ばれている。選ばれた子供と」


「私もその、選ばれた子供というわけ?」


「成りかけだね」


 情報屋は、淡々と言う。


「君は影を受け入れていない。影は魔力の塊だ。それをその身に受け入れれば、君は魔術を使いこなす魔女になるだろう」


「受け入れる……? この、不気味な、影を?」


「抵抗感があるのはわかるよ。大抵の人がそうだった」


「選ばれた子供は、他にもいると……?」


「そういうこと」


 情報屋は無邪気に笑った。まるで幼い子供のように。


「じゃあ、証拠を見せてよ」


「証拠、ねえ」


 そう言った瞬間、情報屋はその場から消えていた。

 背後に着地音がして、君枝は振り返る。

 そこには、情報屋が不敵に微笑んで立っていた。


「これで、どうかな。常人の身体能力じゃないだろう?」


 君枝は黙り込む。

 確かに、運動神経に秀でた人間というのは存在する。しかし、人の視覚に動いたことすら気づかせずに移動する速度は尋常なものではない。


「君も早く影を受け入れることだ」


 そう言って、情報屋は君枝の横を歩いて行き、椅子に座った。


「じゃないと、襲われてせっかくの力を奪われることになる」


「奪われるってなに? 敵対勢力が存在するってこと?」


 情報屋は悪戯っぽく微笑んで、手を差し出した。


「これ以上は、追加料金だ」


 君枝は、黙り込んだ。今持っている所持金は、昼食代や移動費などに使う微々たるものだ。


「いくらですか?」


「五十万円」


 君枝は、息を呑んだ。学生が手軽に扱える金額ではない。


「クレカでも作っておいで。なあに、お兄さんは悪いようにはしないから」


「……まるで悪魔ね、貴方は。最初に情報を小出しにして、搾り取る」


「安い買い物だと思うけれどね。なにせ、命の売り買いだ」


 そう言って、男は薄っすらと笑った。

 帰り道、ぼんやりとした思考を纏めながら帰る。ガイアエネルギー。魔力。魔術。選ばれた子供。

 まるでライトノベルだ。


 襲われる、と彼は言った。

 冗談のような話だが、彼の身体能力を見た今は信じるしかないだろう。

 帰ったら、君枝は服棚と本棚でベランダの窓を塞いだ。

 そして、一人でベッドに寝転がって呆然とした。


 わけのわからないことに巻き込まれつつあるという実感はあった。

 命の売り買いだ、と彼は言った。

 ならば、いつか君枝は死ぬのだろうか。わけのわからない、何が何を目的に行っているかもわからぬ抗争に巻き込まれて。


 そんなのは嫌だ、と思う。


 幼い頃から傍にいた影に視線を向ける。影は、手をこちらに差し出していた。それに生理的な嫌悪を覚えて、君枝は背を向けるようにして丸まった。


(受け入れろ……? こんな得体の知れない物体を? 無理な話だわ)


 そう心の中で呟き、君枝の意識は闇の中へと落ちていった。

 ガラスの割れる音で、目が冷めた。


「なんだ、これ。本棚か?」


「さっさと倒しちまおうぜ」


 話し合う男達の声がする。

 慌てて、本棚を全体重をかけて押し返す。

 けれども、駄目だ。運動部でもなかった君枝には、押し返す力がない。

 そのうち、本棚が押し倒され、侵入経路が出来上がった。


「選ばれた子供よ、俺達はお前を迎えに来た」


「心配することはない。我々は正義に与する者だ」


 深夜に侵入されてそんな言い分を信じられるわけがない。

 君枝は玄関から外へと逃げ出した。


 足音がどこまでもついてくるが、ここは君枝のホームだ。隠れ場所はいくらでも知っている。

 そのうち、公園に積まれている資材の影に隠れた。外灯が輝き、君枝の影と、得体の知れない影を浮かび上がらせている。


 情報屋の男が、隣の家の塀の上に舞い降りた。


「やあやあ、相手も行動が中々早かったみたいだね」


 その一言で、君枝は察した。この男が、なにをしたかを。


「私の情報……売ったわね?」


「三百万円。ボロい商売さ」


 男はうっすらと笑う。


「しかし俺としてもこのまま君が捕まるのは後味が悪い。どうだろう。影の魔術を使いこなしてみては」


「……こいつと、一体化しろと言うの?」


「そう、それだけで君は魔女になれる。選ばれし者、特別な者」


 君枝は考え込んだ。

 どう思考を張り巡らせても、今の状況から抜け出るヒントは思いつかない。

 影が、こちらに手を差し伸べている。


「おっと、来客のようだ」


 そう言うと、情報屋は高々と跳躍してこの場を去って行った。


「女にしては逃げ足の早い」


「やっぱりこの辺りで隠れているセンもあるんじゃないですかね」


 足音が近づいてくる。

 このままでは、ジリ貧だ。

 足音が一番近くまで来たのを察して、君枝は飛び出した。

 資材を蹴って跳躍し、相手の顔に膝を打ち付ける。

 一人は倒れ、その隙間を通り抜ける。

 その時、乾いた音がした。


 右太ももから熱い物が溢れ出してくる。それが血だと自覚した時、君枝は痛みで腿を抑えて転がりまわっていた。

 サイレンサー付きの銃だ。


「手間かけさせやがって」


「流石兄貴だ。百発百中ですね」


「止血しておけ。死なれたら困る」


 君枝は思った。死にたくないと。拐われたくないと。日常にいたいと。

 日常にいたいと思った時に、求めたものは非日常の力だった。

 影が、手を差し伸べている。

 君枝は一瞬躊躇ったが、血に濡れた手でその手を握った。

 影と、君枝が一体化する。

 風が吹いた。そして、黒い竜巻が君枝を取り込んだ。


「やばい」


「土壇場で目覚めやがったか。ユーザーに」


 竜巻が止む。その時、君枝の傷は癒えていた。影が、失った肉体の代わりをしてくれているのだと感覚でわかった。

 そして、君枝の右腕の先には、黒い一対の小さな翼が生えていた。

 頭の中で何をすれば良いのかわかる。

 翼の中央で敵に狙いを入れて、引き金を引くイメージを思い浮かべる。

 黒い矢が放たれ、照準を定めようとしていた男の銃を破壊した。


 もう一人の男が、焦ったように銃を乱射する。

 黒い翼が巨大化し、盾のようになり君枝を守った。


「驚いた。こいつは、Aクラスのユーザーだ」


 そして再び、君枝は右手を構えて敵に狙いをつけようとする。

 その時、敵は既にいなくなっていた。


「なに? この力……」


 地元でのことを思い出す。


「あの人、見えないものが見えるんだって」


「それって病気じゃん」


「あんまり近寄りたくないよね」


 彼女達の聞こえよがしのせせら笑いが思い出される。


「私は……人間じゃない?」


 呟いた言葉は、闇の中に消えていった。

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