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こころストック  作者: 鳴海つかさ
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第3話 カーテンの君

 イオナとの運命の出会いを経て、俺はアパートの自室に一人、考える。

 もちろんイオナの事。イオナの秘密の事。イオナは俺に、自身の全てを書けと言う。俺はもちろん望むところと、それを受けた。

 イオナの仕事はこころの預かりこころストック

 悩める羊たちの依頼を受けるか又は、プロポーザルすることもあるのだという。

 しかし仕事は一貫して組合(イオナはただ、組合と言った。あかぬけない分、ある意味不気味だ)から達しがあるらしい。そしてそれ(仕事)を断る権限はイオナ達にはない。

 イオナ達……つまり《こころストック》の仕事をする者は複数存在するという。

 彼らは総じて、《ストッカー》と呼ばれる。

 ただ、存在自体があやふやで、しかし全く分からないというわけでもなく、言うならば霧の中。闇の中という程ではないその理由は、接近遭遇しさえすれば互いにそうだと、感知できるところにある。

 但し、その場合でも接触する事は、禁則事項のかなり上位に位置しているらしい。他にも、《ストッカー》であることを他者に明かす行為、またはほのめかしたり、他者のこころを作為的に読むことも同様である。(尤も、イオナはその全てを、難なくのり越える破戒者なのだが……)

 また、興味深い禁則に『依頼人に再度(にど)会う事を禁じる』ことがある。

 イオナストッカーは、一度預かったこころが『晴れる』まで放っておくが、記憶は残置される。その記憶は『持ち主(依頼人)』に会うと、なぜか戻るのだという。刀は鞘に……、鮎は四万十に……。そんなところだろう……ちょっと違うか?

 ともあれ、それは《ストッカー》の存在を世に知らしめると同時に、依頼人への契約不履行という甚だ遺憾なる問題となり、そこから鑑みれば《こころストック》の組合なる存在がやけにストイックなものにも感じられ、少し変だがほっとしてしまうのも事実である。



 ここまで、メモ帳(ネタ帳に使っている百均のもの)に書きつけた判別ぎりぎりな自筆を、パソコンに清書した俺は一旦一息入れようと煙草に火を点けた。(スナック)を出る際にマダムが持たせてくれた煙草で、銘柄はとりどり、箱ではなくアルミ箔に数本包んである。

 湿け煙草もくではない。ピカピカの白い煙草である。おおかた客の落とし物だろうその煙は、俺にはやけに美味い。

 ――そういえば、落とした《こころ》がどうなるのか聞かなかった。

 依頼人に戻るのか、それとも誰かに移るのか、イオナはその時どうするのだろう。否、組合はそれを許すのだろうか。

 そしてこの組合の、なんとも言えないまつわりつくような恐怖は、なんというのだろう。

 ――監視されているような……不快感。

 イオナは《こころストック》の依頼を組合から受ける時、様々なやり方があるのだと教えてくれた。

電話にメール。郵便受けのDMやチラシ。変わったところでは、不意に停車した車窓の曇りに書かれていたり、雑踏で後ろから背中を叩かれたと思ったら紙が貼ってあったり……。

 どこかユーモラスなそんなやりとりが、やっぱり恐ろしいのは、依頼伝達が依頼人の氏名のみで行われるところにある。漢字でも、カタカナでも、ローマ字でも、何でもいい。イオナストッカーは、たったそれだけの情報で、依頼人の素性や居所、こころ模様を理解するのだという。

 それがつまり、こころを持たないイオナ達の『特性』であり、《ストッカー》たる『適性』なのだ。

 俺は今後、イオナと二人っきりで小説を書くつもりでいた。ケチなルポ記事を断り、バイトも辞め、なけなしの貯金を切り崩して、場合によっては国外にだって飛ぶつもりだった。

 だが、それは叶わない。

 イオナは《ストッカー》、つまり仕事を辞める気が毛頭ないのである。

 これだけ俺に(マダムにも)、秘密を打ち明けていながら、どういうつもりなのか……。

『命を狙われる』とイオナは言った。俺には、隣にイオナが居なければ、たった一秒でも命を狙われることに、耐えれる筈がない。


「プ、フッーーーーー…………」


 俺は大きく煙を吐いて、椅子の背もたれで大きく伸びた。


『ピンポーン』


 その時玄関のチャイムが鳴った。俺は嫌あな予感がしている。俺がアパートに戻ってから小一時間。その間にもう(!)組合の追手が見つけ出したというのか。

 ――「秘密」を知った、知り過ぎた、俺を消すため……に。

 息を潜めて、ドアのレンズを覗こうと顔を近づける。ドアの向こうに確かに気配を感じる。

(鍵穴からガスって手もある!? いや、レンズから千枚通しっ!? ヒエッ!!)

 俺は結局、敷きっぱなしの湿った布団にもぐり込んだ。

(怖いっ……怖いよっ……イオナ、どこにいる?)

 いよいよドアがガチャガチャと音を立て始めた。

(ヒーッ!! たしけてっ)


「ちょっとお、つかさ! 居るんでしょ!? いいから開けなさいよ!」


 ――えっと、この声は……マダ、ム!

 俺はドアに突撃した。この声がマダムでなく、声色を使った組合の工作員だって構わない。今の心細さでは、声の主が誰であれ、抱きしめずにはいられないのだ。


「マ、マダムッ! 今っ、あけっあけっ開けまふっ!」


 バンッと開いて、ガバッと抱擁。俺にはそれ以外にやる事がないではないか。

 しかし、抱きしめたのはマダムのふくよかな胴体ではなく、ほっそりとした冷たい体だった。


「――えっ!? イ・オ・ナ?」


 隣にマダムも立っている。何というか、幸せだ。


「早速きたわ。小説家(ノベリスト)さん? 来いと言ったのはあなたよ?」


 確かに、近いうちに案内すると、俺は別れ際に言った。それは小一時間前。まあ、近いうち……というか近すぎるが、俺はとにかく感謝しかない。変な涙が、俺のほほを伝った。



 俺のアパートは玄関を開けるとすぐ台所があり、あとは六畳きり。便所はあるが風呂は壊れている。だから台所で体を拭くために(しかも水で、だ)、洗面器を二つ、床に置いている。片方は顔用で、もう片方はからだ用。俺はこう見えて几帳面なのだ。

 その洗面器を、マダムは早速踏みつけてしまい、まるで罠にはまった動物のように声をあげてから俺をにらむ。


「ちょおっとー、つかさ? どうしてこんなもんが台所にあるのよ!?」


 どうしてもこうしてもない。


「大丈夫、それ、からだ用だから……」と俺。


「なによ? からだ用って!?」とマダム。


 イオナはまだ玄関で靴も脱いでいなかったが、対峙する二人を分け隔てるように、ここでようやく靴を脱いだ。


「初めてだわ。こんなところ。ああ、マダム? その洗面器は小説家(ノベリスト)さんのお風呂なの……。許してあげるほかないわ。あと、トイレは洋式だったようね。それだけは譲れない……」


 イオナは話しながら六畳へと進み、布団の上にスッと座った。美しい正座だった。

 マダムは手慣れた感じにやかんを火にかけ、インスタントコーヒーを手に取るとカップを探しながら言った。


「イオナはマグ、アタシは湯呑み、つかさはこの歯磨き用コップで良いわね?」


 成程。それが序列だし秩序。しかも正しい。ちなみに、上京してやがて十年。人様の為になんて一度も茶を淹れた事のない俺の部屋は、マダムの手際で瞬く間に片付いていく。なんにでもコツというものがあるのだろう。さしずめマダムは片付けの天才だった。

 やる事のない俺はやがてコーヒーができるまで、正座するイオナの横顔をただ見つめた。ルノワールの、余りにも有名な少女画が思い浮かんだ。

(いったい何しに来たのだろう?)

 良くない知らせではないと思う。かといって良い知らせがあるとも思えない。

 ここはコーヒーを待って、それをきっかけに話を始める方がいいだろうと俺は片づけを手伝い、慣れない事をした為に洗面器に足を取られた。

 からだ用の方だった。

 笑いもせずにそれを見るイオナと目が合ったところで湯が沸き、インスタントのコーヒーはあっという間に出来上がった。


「ねえ、つかさ。あんた本当に小説家だったの?」


 マダムはパソコンの画面をのぞき込みながらそうのたまうと、もう俺の話し始める余地などない。


「ふーん、イオナの秘密ねえ。結構面白い事書いてるじゃない? アタシはてっきり、あんたがマスでもかいてるんじゃないかって、期待してたんだけどサ!」


(――なにが「だけどサ!」だ。)


 と、強がってみるだけ空しい。なぜならそれは今夜の楽しみにとっておいたのだ。イオナはそれ程の娘なのだ。そして、それ程のイオナが今、俺の布団に座っている。

 表情は冷たく、背筋は美しく伸び、まるで初夜を迎える新妻のような佇まいである。


(ああ、マダムさえいなければ……)


 そう迂闊にも思ってしまった俺は、イオナにこころを読まれたのではないかと瞬間、凍りついた。


「ああ、心配いらないわ。小説家(ノベリスト)さん? こころを読むにはそれなりの条件が要る。あなたが今、私に抱いている劣情なんて、これっぽっちも伝わってはいないわ」


 ――なにが「これっぽっちも」だ。


 と、強がってみるだけ、やっぱり空しい。ある意味薄情ともとれるイオナへの劣情が愛情なのだと強情に思い込む俺に、マダムが告げる。


「この娘が言わないだろうから教えてあげる。ここに行きたいって言ったのはイオナよ。あんたがイオナをどう思おうと勝手だけど、マスをかいて満足する程度なら今ここでおやんなさい。あんたが書こうとしているのは自己満足? それともイオナの事を……」


 パソコン画面にある、イオナのもろもろを読み終えたマダムが、その巨体を俺の方に向けると、一歩も踏み出していないのに詰め寄られたような威圧を感じる。

 俺は夢(小説)に命を賭けるべく、その最高の題材(ネタ)としてイオナを書くことを選んだ。

 彼女を書くという事は、《こころストック》の秘密を暴くことであり、俺は当然組合から命を狙われる。それはイオナとて同じ事。俺とイオナはもう運命共同体ともいえる。

 そして、俺がイオナを愛するが故の執筆は、愛情と真逆に収斂(しゆうれん)されてしまうのだ。

 行きつく先に何があるのか、少なくとも希望には程遠い。


 ――ならば何故、俺は書くのか?


 その答えは、今の段階では……愛だろう。矛盾するが。

 傍に居たい。離れたくない。たとえ行く末が絶望でも、俺はイオナを書く。書くことが俺の愛なのだ。

 仁王立ちのマダムの後ろに、正座するイオナの顔が見える。真っすぐに、まばたきもせずに、イオナは口を開いた。


「マスって……何? 良かったらここで見せてはいただけないものかしら? 小説家(ノベリスト)さん?」


 ――ああ、こんなイオナだから、俺はこの愛情を止められない。



 イオナの発言の後、三人同時にコーヒーを何事もなかったようにすすり終え、困った沈黙ばかりが残った。普段一人でいるよりも、陰鬱さを感じないでもない。

 だが無理した話題を持ち出しても、今は白けるばかりだろう。今夜は『マス』どころではなくなってしまったというわけだ。


『ピンポーン』


 部屋に、今夜二度目のチャイムが響き、俺は『ビクッ』っと体が震えた。

 マダムは怪訝顔、イオナは相変わらず無表情である。


「ねえ、誰よ。こんな夜更けに非常識じゃない? それともあんた彼女でもいたの?」


(非常識はおまえらも一緒。あと彼女はいない。少し気になる娘はいたのだが……ってヤバ! 読まれるっ!)


「あ、いやっ、今のはメール……パソコンのっ! 玄関と同じ音にしてるんだ……」


「まぎらわしいわね……なんのメールよ!?」


 マダムの言葉に、イオナがすっと正座から立ち上がり、パソコンデスクの椅子に座った。その動作はあまりに当たり前すぎて、マウスをとる白い指と、メールを立ち上げるための『カチッ』という音が、少し不吉な事のように俺には思えた。白いイオナの顔に、画面の青白い光が映える。俺も、マダムも、イオナの両脇に立った。


「送り主は……ブライアン? 外人? あて先は鳴海つかさ様方、i-o-7……? アイオーナナ? メッセージは日下友里……なんだ、こ……れっ!?」


 俺は理解した。これは、依頼だ。

《こころストック》の依頼。組合から、《ストッカー》への、一方通行の依頼。断る事のできない……依頼。

 ――それが何故、俺のパソコンに!?

 そんな事、もう解っている。


さ・が・し・あ・て・ら・れ・た、のだ。


 あの恐ろしい組合に、目を付けられたのだ。俺は未だ無表情のイオナに注意しながら、マダムに質問する。


「ブライアンって、誰? アイオーナナって、何? そこにある人のこころを預かるのか? いっ、いつ?」


「ああ、ブライアンは、まあこの娘の上司。『i-o-7(アイオーナナ)』ってのは、この娘のコード。イオナって読めるでしょ。イオナはアタシがつけた名前よ。名付け親ってわけ。あと、その日下友里さんが次の依頼主ね。仕事時期はイオナ次第だわ……」


 ――納得した。

 そんな俺を怪訝そうに見つめるマダムは、更に続ける。


「聞かないの? どうして組合が、此処を知ってるのか? つかさがそんなに鋭いとは思えないけど?」


 ――そうだった! どうして……?


 その答えの為に、イオナが口を開く。


「私が伝えたの。引っ越すって。いけなかった?」


 ――衝撃、そして笑劇。

 部屋にマダムの「クククッ」という、もう我慢できないと言った風の笑いが充満すると、俺もなぜか笑いが込み上げてきた。


(そーか、そーか、引っ越したか。俺の六畳に。小説を書き、マスをかくだけのこの部屋に。良かった良かった……) って……。


 ――んなわけねーだろ!

 こんなセキュリティもくそもないボロアパートに、命を狙われる二人が同居だと? それになんだよ! 「ブライアン?」とか、こえーよ。『i-o-7(アイオーナナ)』だからイオナだと? ガチ秘密組織って感じじゃねーか! 暗号かよ! それに、それに……簡単に居所を暴露すんじゃねえっ! 一応、俺の許可とるとか、あるだろう?


 ――なんて、言えない。

 口から出るのは、もう、あとは野となれ山となれ的な笑いのみ。


「それじゃ今夜はお風呂にでも入って寝ることにするわ。私のお風呂は、あの顔用の洗面器ね……?」


 イオナは椅子から離れると、台所と六畳を仕切るカーテンを、俺の記憶する限り数年ぶりに閉めてから服を脱ぎ始めたようだ。『パサッ』と服を脱ぐ音が聞こえる。


「まあ、お風呂が終わるまでは居てあげる。アタシはきちんと湯船につかりたいから、帰ってからにするから」


 マダムはやがて帰るという事だろう。

 俺はマダムの大きな体では、あの洗面器が何個いるだろうなどと思いながら、カーテン越しの裸のイオナをじっと見つめていた。


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