第22話 壇上の君
その爽やかな第一声は、歓声の為に聞き取りようもない。
流石は若手筆頭株、泉洋一郎である。端正なルックス、スマートなシルエット、クリーンなイメージ。
政治理念は知らないが、俺もこの男に好感を抱いただろう。
――イオナが後ろに座って居なければ、だが。
イオナは結婚相手としてではなく、この懇談会の速記者として紹介されていた。
それがどんな意味を持つのかはわからなかったが、そもそも泉洋一郎を操縦するためのイオナであり、結婚である。
もう、この若手気鋭は、《こころストック》されているのだろうか。
たった今、ありふれた背中を晒しながら去ったブライアンに《こころストック》されかけた俺は、泉洋一郎の口からあふれ出る未来への希望やらが夢物語にしか聞こえない。この男は呑気というか、相当なオプチミスト(楽天主義者)なのか。
『我が国の美しい景観を守る』だの『人と人との繋がりを信じる』だのと、まるで小学校の学級会のような事を言う。
また、そんな事にいちいち、聴衆は熱狂していた。
「まあ、被災地やから言葉を選んどるんやろ? それより……はがねの《ストック》が解除できんのは想定外やった。つかさ、ここは出直すしか手はないで……」
アイオナの人格に染められたイオナに手を出しても、無意味だとジョイは言っている。
「ボクの《ストック》で、アイオナは消せるかも? でもイオナがどうなるか……」
はがねの言う通り、アイオナを《こころストック》した後、イオナにこころが戻る確約はない。最悪の場合、無くなってしまうだろう。
――俺の愛したイオナのこころたち、全てが。
イオナは、歩道橋で、俺の夢(愛)を試すと言った。
マダムの店で、全てを教えると言った。
俺を見抜き、なぜ書くのかと言った。
記憶に押しつぶされて、叫びたくなると言った。
全てを忘れてもう一度出会ったら、また愛が生まれるのかと、言った。
共に死ぬと――言った。
全てイオナのこころだった。
あのこころたちに、俺はまだ何の答えも出していない。
いつしか熱気の会場は、懇談会の体を為していた。
聴衆からの質問、その一つ一つに泉は丁寧に答えているのだろう。歓声と、時に笑いも出るからには、結構なユーモアも交えての和やかな会となっているようだ。その間イオナは一度もこちらを見なかった。
そして俺にとって何の意味も無いまま時間が過ぎ、懇談会は締めくくりを迎えようとしている。
「さて、最後の質問を受け付けますが、若い男性の意見をまだ聞いておりません。これは美熟女の皆さんに遠慮しての事と思われます……! 私自身、同年代男性とお話をしたいとも思っておりまして、いかがでしょう? 締めくくりは若い男性という事で……!」
そつない口上に会場の女性は大いに盛り上がり、その勢いにのって指名を受けたのは、紛れもなく俺。
一貫して爽やかだった泉洋一郎の顔が、俺にはどうしてかブライアンに置き換えられて見える。
(泉は《こころストック》……されているのか!? イオナではなくブライアンに――!?)
唖然とする俺に、泉洋一郎は問いを被せる。
「……では、趣向を変えて、こちらからお尋ねしますが……あなたの信じる事、ええ座右の銘などでも構いません。これから共に歩む仲間として、ぜひ……!」
俺には答える気など、さらさら無い。でも、どうしたというのか、俺は俺の声を聞く。
「命は一つ……、青春は一度……、夢は……無限。イオナ……? 覚えているか?」
こころが口から溢れたとしか、言い様がない。
会場は静けさに包まれている。
俺は椅子を離れ、よりイオナに近づく。イオナの髪が僅かに揺れたのは、速記のためではないだろう。
壇上のイオナは観客席の俺に向けて、ゆっくりと体ごと顔を向けようとしている。
あと少しで、俺とイオナは……。
それを妨害するかのように、二人の線上に立ちはだかったのは、泉洋一郎。
「なるほど、命も、青春の時も、確かに一度限り……。しかし、夢は永遠に継がれねばならない……。夢とはこの国の未来。私も、命と青春をかけて、夢の実現へと――」
(まるで違う。俺の言いたい事は……)
俺は駆け出し、泉を押しのけ、壇上のイオナを見上げて叫んだ。
「イオナっ! イオナっ! まだお前は、こころに押しつぶされて、叫びたくなる時を過ごしているのか!? 思い出してくれっ! お前はイオナだっ! 俺の――」
ジョイとはがねの制止を振り払い叫ぶ俺は、もうSPたちに取り囲まれている。
(あと少しで……!!)
イオナの反応を待つために沈黙した俺は、とりあえず落ち着いたと思われたのだろう。
場を収めようとする泉洋一郎の声が背中に響いた。
「いや、これはその熱い思いを、是非未来へと向けて頂きたい! では、最後にあなたのお名前を――」
(俺の名前……? 俺は…………)
俺の躊躇に、泉はあきらめたのか聴衆に終わりを告げる。
誰のためかわからない拍手と歓声が混じり合う中、俺もなにかをあきらめざるを得ないのか。
そう思った瞬間、雑音の中から聞き覚えのある声が浮かび上がる。その声も、こころから溢れたかのような響きだった。
「――――小説家……さん?」
――俺は時に縫い止められた。
そしていつまでもこのままですら、構わない。
懇談会はそのまま閉会し、イオナも壇上から姿を消していた。体育館が途端に冷え込んだのは、誰も居なくなったせいばかりではないだろう。
「……つかさ。今はしゃあない。帰るで」
(――どこに帰るというのか? 俺も……、イオナも……)
ロビーに出ると、曇り空が天井ガラスにのしかかり、重苦しい。イオナは微笑まなかったのだから、そうだろう。
そして、恨めしげに天井を見上げる俺に、あてつけるように台詞をあてたのは、確かにマダムの声――。
「ここのモニターで全て見たわ。ついにブライアンが現れたわね……。そしてイオナは、あんたを覚えている――」
車椅子のマダムは友里に押されて、このロビーで懇談会を見ていたのだ。
マダムは目で、俺の「やるべき事をやれ」と告げている。「約束を果たせ」とも。
(――俺のやるべき事は、一つしかないだろう)
それは約束……、イオナを書く事だ。
タイトルは『こころストック』。
もう、俺とイオナだけではない。関わった皆で創り上げる物語である。




