第21話 目前の君 2
もう完結はしていますので、予約投稿しています。
よろしくお願いします。
列の中程に位置する我が一団の先頭は、野次馬根性丸出しの編集長。次にジョイ、その次が俺で後ろにはがね。俺はちょうど《ストッカー》にサンドイッチされたような状況にあるが、それはさておき。
元々五百人程度の入場を見込んでいたこの懇談会は、あまりの出足の良さに、倍の一千人を入場させる事となったらしい。係員たちは、どこからかき集めたのか、パイプ椅子を次々に会場に運び入れている。
雑踏、喧騒、人いきれ。熱気、熱狂……ハイテンション。
人々はまるで集団催眠にかかったように、これから壇上に姿を現す泉洋一郎の信者と化しているようだ。参加者は妙齢以上の女性が目立ち、かつてあったお隣の国のスター『ユン様』フィーバーを思い出させる。
女性たちは壇上に向けて、しきりに携帯のシャッターを切っていた。
――まだ主役は現れていないというのに。
でも、それは俺も同じ。壇上には椅子が二脚、用意されていた。
俺もイオナが座るだろうその空席を、見つめ続けることに執着している。
そうするうちに、俺はにわかに疑心が浮かび始めてもいた。
(本当に、イオナは来る? ジュニアの妨害があって当然だろう。そのときどうすれば……)
イオナが体育館内にいる事は、編集長が見たのだから間違いない。きっと今は控え室にいるのだろう。
俺はある考えが湧き起こり、それを押しとどめておく事ができそうにない。この考えはとうに、ジョイもはがねも読み取っているだろう。それでいて反応がないのは、こちらから仕掛ける事の危険性を、二人ともに分かりすぎるほど、分かっているからだろう。
――先手を取れば、おそらくジュニアの思うつぼ。
イオナを取り返すためには、言うなら細心にして大胆な後手こそが最善手である。
――だから、こうして並んでいるのだ。
ところで俺の考えとは、控え室への殴り込み。そしてイオナの奪取……ただ一点。
それはあまりに単純な考えだが、稚拙ゆえに誘惑も強い。俺は変な汗がにじんできた。ジョイとはがねは、無理した無関心を決め込んだままである。編集長は知らないおばさんと談笑している。
異変が起きたのは、そのときである。
「少し失礼するよ? 鳴海、つかさ」
「――――?」
俺の死角から発せられたしわがれ声は、まるで聞き覚えがない。だが、俺もジョイも、はがねも、振り返りざまに見た声の主に息が止まった。
――ブライアン・ジュニア!
確かに奴が、立っている。しかし表情はどこまでも穏やかで、これまで見知った挑発的かつ高慢なジュニアとは、似て非なる。謎のジュニアはゆっくりと続けた。
「私は君が、こうまでしてイオナに会いたがる事が分かっていた。なぜなら私もそうなのだからね……。ああ、お初にお目にかかる。私がブライアンだ――」
(なにを言っている……!?)
目の前に立っている、謙虚さすら感じさせる老人の容貌は間違いなくジュニア。しかし、老人は確かに、ブライアンを名乗ったのだ。
俺の混乱は、それを晴らそうと全ての注意を老人に向ける事を選んだが、にわかに起きたどよめきがそれを中断させる。
壇上に、泉洋一郎がひょっこりと顔を出した為とわかったのは、編集長の奇声の為だった。
「でたよ出たよー! よっ泉! 待ってましたっ!」
おばさん達の嬌声に一層拍車がかかる。それが悲鳴ともつかぬ声へと切り替わった事で、俺は待ちに待った瞬間がようやく実現した事に、こころごと震えた。
俺は叫びたい。叫ぼうとしている。今すぐ「イオナっー!」と叫んだなら、きっと俺の元へかけてくるはずだ。
もうブライアンなど、どうでも良い。が、そんな俺の機先を制したのは、老人ブライアンの否定の表情。そして――。
「あれはイオナではない。アイオナだ。私のアイオナ。愛する……アイオナ……」
後から来た言葉は念押しに過ぎなかった。
(あ・れ・は・イ・オ・ナ・で・は・な・い?)
「――な、なにを!? さんざ利用しておいて!? 人身御供に出しておいて!? なにが……愛だっ! ふざけんなっ!!」
仮に老人の戯言通りに、あそこに立つイオナがアイオナだったとして、言うに事欠いて愛とは馬鹿げている。かつて、自分の野望のためにアイオナを捨てた男がよく言う。老人ブライアンは、少し困ったような顔になったが、淡々と次の言葉を繰り出した。
「鳴海、つかさ。私はね……夢に、命をかけている。私は夢の為なら、なにをかけても惜しくはない。愛だって、例外ではないよ? アイオナは私の夢を叶える為の、大切な人間だ」
――理解できない。
このブライアンの言う事も。いま壇上にある、別人のように冷たいイオナの瞳も。
列はいつの間に進みきり、俺とイオナを隔てるものは、ただの僅かな距離だけとなっている。確かに俺を捉えていたイオナの目は、まるで路傍の石を見るかのような冷たいものだった。
呆然の俺に、ジョイが告げる。
「つかさ、アレは確かに……イオナやない。見た目は同じやけど、まるで他人や。いや……他人やない。アレは……ウチらの……」
「――だね。あれは《ストッカー(ボクたち)》の最初の一人。多分、アイオナ。イオナがボクを見ても何の反応も無いのが、おかしいと思って……」
(どうして、なぜこんな事に? じゃあイオナはどこに居る!?)
俺の問いに答えたのは、老人ブライアン。その答えが知らしめるだろう絶望を、俺はなぜだか予見することができた。
――これは憑依。
おそらく、老人ブライアンの《こころストック》能力。
ブライアンは息子のジュニアに憑依し、イオナはアイオナに憑依されているのではないか。
今は亡きアイオナが、なぜイオナにそうする事ができたかというと……。
(七十余年前、日下剣政に仲間を殺害させた時、ブライアンはアイオナのこころを《ストック》し、持ち去った? ブライアンはアイオナのこころを、時を越えて他者に、否、アイオナの娘たちにのり移らせている? 愛のために?)
俺の妄想は、悪魔のそれだ。
「正解だよ。鳴海、つかさ。私は君を買っている。どうかね、私と来ないか? 夢のために……」
(夢――!? 俺の夢は、イオナを書くこと……。イオナはアイオナ、アイオナは……イオナ?)
俺は意識が遠のく事をなぜか心地よく感じながら、眠りにも似た忘失を受け入れはじめている。
(これが……、こころストック?)
「どうかね? 鳴海、つかさ。私には、君を自由にする事など、いとも容易い事なのだよ? まあ、今日は折角だからあの泉の演説でも聴いて帰りなさい。後日、返事は聞かせてもらうよ。では、ごきげんよう……」
俺は去って行くブライアンの背を、ただ見つめる事しかできなかった。
ジョイもはがねも、俺同様にぼんやりと立ち尽くしている。
編集長は、「何かあった?」という顔を作ったが、すぐに熱狂の表情に切り替わった。
泉洋一郎が、いよいよ演説台へと登壇した為である。
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