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こころストック  作者: 鳴海つかさ
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第2話 告白の君

 俺がイオナに聞きたい話は、食事中にそぐわない事この上ない。

 イオナの口は、今もぐもぐと動いている。

 命を養うためのその運動と、歩道橋から飛ぼうとしたうすら寒い衝動と、俺の心を読んで見せた、経験(おぼえ)のない感動。

 イオナはその辺りにいる娘(に限らずだが)とは、一線どころか二線も三線も跳び越えた存在だと思う。俺はイオナが好きだ。好きにならずにいられない。同時に、イオナを書きたい。俺の文章でイオナの全てを現わすことができたら、俺は天にも昇る事ができるだろうか。


 地を這う小説家(ノベリスト)は、天と地の間(歩道橋)で、天使にまみえたのだ。


 しかし天使(イオナ)が歩道橋から飛ぼうとしたことは、まぎれもない事実。しかも、それは俺の()()なのだという。


「ご馳走様――。美味しかった――」


 唇をそっと拭きながら、イオナはその表情の一切を変えることなく、俺の方へと向き直った。


「――で、早速だけれども、あなたには私の全てを教えるわ。その上で、あなたは私に示さなければならない。本当に、『夢に命を賭ける事ができる』ものかを……。いいかしら、小説家(ノベリスト)さん?」


「ああ、解った。俺は鳴海つかさ。君は……?」


「ただの《イオナ》よ。ノベリスト《つかさ》さん……?」


 俺の名に興味がなかったのか、『ノベリスト』という呼び名が気に入ったのか、それは解らない。マダムは笑っているのか怒っているのか解らない表情で、俺たち二人をカウンター越しに見ている。今から語られるだろうイオナの履歴は、きっと俺の想像を超えているだろう。


 ――でも理解する自信はある。


 まさに『事実は小説よりも奇』なる空気を漂わせる店内には、こつこつ微かな音を立てるぼんぼん時計が一つある。


 ――しかし俺は時刻を見ない。


 これから俺は、時のはざまへと自らを誘うのだ。

 ……そして、書いてみせる。



 マントのようなコートはえんじ色。ふわりとした黒いスカートは膝丈で、ブーツも黒。眩しいくらいの白い下着が目に焼き付いているせいか、イオナの服装は重厚な色調が更に際立つ。


「私は人のこころの預かり屋……。《こころストック》それが私の仕事――。もちろん《こころ》を返すことはないのだけれども……」


 突然吐き出された言葉は暗く、ランプのか弱い灯りでは到底追いつかない。


「私がさっきまで抱えていたのが、どんな人の心だったかはご想像にお任せするわ……」


 俺は想像よりも、質問が先に浮かんだ。


「こころ、ストック? 抱えるって? こころを?」


「ええ。この辺りに」といいながら、イオナは俺の両手をつかみ取り、自身の二つの膨らみにあてがった。僥倖というほかない。


「取り扱いは厳重な注意を要するわ……」


 ――そ、その通りである。


「先刻、あなたとぶつかったみたいに、ちょっとした衝撃でもこころは溢れてしまう。しょせんは他人のこころだものね……」


 そう言うと、今度は俺の両手を下から「ポンッ」と跳ね飛ばした。

「プルンッ」とした弾力を感じてみたからには、まだ俺にも多少余裕があるようだ。

 俺は名残惜しさをこめて、疑問――預かった他人のこころをどうするのか――を口にしてみる。


「ココ(店)に持って帰るわ。まあ、たいてい一晩も安静にしてれば消えてしまうのだけれども、場合にもよるわね……」


 俺はあらためて想像する。

 ――さっきまでイオナが抱えていたのは『ジサツシガンシャ』の心だったのではないか。

 仮にそうだとして、イオナはついさっきまでそんな物騒なこころを抱いたまま、眠っていた事になる。

(俺の理解力、しっかりしろっ!)


「ところであなた、面白いこころね。ああ、面白いっていうのは可笑しいというんではなくって、面白いってこと」


 結局どっちなのか、失礼な娘だ。だが失望はしない。おかげで、一拍置くことができたくらいだ。マダムは相変わらずの表情でこちらを見守っている。俺を応援している風にも見え、『次はあんたの(ターン)よ!』と言っているようにも見える。だから俺は、遠慮せずに口を開いた。


「(預かったこころは)不安定だって言ったよな……? じゃあ落としてそのままって事も?」


「さすが小説家(ノベリスト)さんね? そうね、今まで落としたことがないって言えば、嘘になるわね……」


「ど、どんな《こころ》を――!?」


「……悪事を働いた人のこころなんか、重そうに見えて案外軽いわ。落としやすい……っていうと、そうね。例えば姦淫なんか軽すぎて――。こんな事、あなたの題材になるものかしら? ノベリストさん?」


(見抜かれてるっ!? あと……「純愛が好き」なんて言えるかっ!)


「そう、純愛が好きなの……」


(やっぱり――!? イオナはこころが読めるのだ)


「私と純愛でもしてみる? それとも姦淫を試してみる? 小説家(ノベリスト)さん?」


(俺のターンはどこへ行ったのか?)




 ここで初めて、カウンターの向こう側から笑い声が聞こえてきた。

 たった五〇センチほどのテーブルだというのに、マダムの声はやたら遠くからこだましているように思える。それを合図とするように、イオナは更に言葉を続けた。


「《こころストック》は一人じゃないわ。まあ組合のようなものが存在していて、私たちの秘密は厳重に、厳格に守られている。私は駆け出しだから、そう大きな仕事は廻ってこないのだけれど、いずれは一国の機密に関わるような《こころ》を扱う日がくるでしょうね……さて、ここで問題です。――小説家(ノベリスト)さん?」


 ――ああ、解ってる。

 とはいえ、声は出ない。

 俺の小説家(ノベリスト)としての想像力がもし本物であるなら、イオナの告白はすなわち、後戻りのできない冥府魔道(言い過ぎか?)へと、俺を誘うものなのである。

 俺は『ごくり』と、唾を呑み込んだ。


「命は一つ、青春は一度、夢は無限、あぁ、いい言葉だわ……。さあ、書きなさい。私の全てをあなたの言葉で。あなたはその衝動を、抑えることはできない。だって小説家(ノベリスト)なんでしょう? 私の事を書けば、あなたは一気に有名小説家の仲間入り……かもしれない。それはあなたの夢。……そのかわり、」


 もう、カウンターの向こうから、何の気配も感じとれない。俺自身、今どこにいるのだろうか。ここにあるのは、ただイオナ一人。


「あなたは命を狙われる……。あなたの書くことは、それほどのものなのだから。そして、それは私にも言える事。消されるだけならまだいいわ。あらゆる拷問の責め苦に苛まれながら、私は私の持ちえない感情を知る事になる……。屈辱と絶望とあなたへの……」


(「あなたへの……」何だ?)


 俺は、混乱のせいか、今のイオナに性的な興奮を覚えている。

 俺は逃亡者として、小説を書くことになるのだろうか。それとも地下に潜る? どちらにせよ、イオナが一緒だ。


 ――あの時思った。

 俺とイオナは、水底のナイフとそれを照らす月。俺はナイフのつもりだった。だが、今は違う。


「イオナ、その問題の答えは一つしか無い。俺はお前を(ネタ)にする――」


「……そう。……ありがとう」


 今はただ、静かにイオナを照らす、月でありたい。




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