第18話 未着の君 6
熊本編、いよいよ終盤です。
この夜陰に雪山に登るなどとは、どうかしている。いかに九州とはいえ気温は零度以下である。
だがこれがマダムの命と引き換えと思えば、やれないことはない。断れば、どんな結果となるかも分かっている。
ブライアン・ジュニアが友里にして見せた、暗示型の《こころストック》で操られるか、それともはがねの心神喪失型の餌食となり、あげくこの地に置き捨てられるか。
どのみち突破口を見つけるには、おとなしく山に登った方が可能性はある。
武器も何も無いが、隙を見つけて反撃する機会もあるかも知れない。
登山メンバーは俺と五所川原に爺さん。それにはがねとブライアン・ジュニアである。
爺さんは高齢もあって止めたのだが、本人がどうしても行くと言ってきかない。
やがてジュニアの指示で、俺は玄関先に出る。そこにはいつの間に置かれたのか、大きな段ボールがいくつか積み上げられていた。
「登山ウェアに靴、装備一式。サイズも数も合うはずです。速やかに着替えてくださいよ」
(数はともかくサイズまで? ジュニアはそこまで見越していた? 最初からこれ――B-29隠蔽工作――が目的? ならば……俺たちはどのみち消される?)
これからの登山は、多分片道だ。爺さんはそれを感付いて、同行を決めたのでは無いだろうか。
だがなにより厄介なのは、それに気付こうが気付くまいが、奴らにはすべて筒抜けだという事。これでは、まず反撃などままならないではないか。
そんな意気消沈する俺の背中を、ツンツンしたのは友里だった。
「お兄ちゃん、コレ、お守り……」
そう言って友里が差し出したのはリコーダー。ランドセルに差し、バスの中で吹いていたあのリコーダーである。
(小学生女児にはリコーダーは欠かせない。だから、お守りなのか?)
無言でリコーダーを受け取る俺に、着替えを終えたはがねがツッコもうと目を光らせる。
「――なわけないじゃん! つ・か・さ? それより早く愛してよ! ね・え?」
――これがあった。
雪山より難儀なこれが。俺ははがねを刺激せぬよう、しかし言うべきことは言う姿勢を見せつけるために、あえて答えた。
「無理言うな。お前、俺を殺そうとしたくせに……よく言う――」
「……殺せば、独占。にゃは? 良いこと聞いた!」
もちろん本気では無いだろう。でなければ、こんな笑顔は出ない。普通は……。
呆れかえる俺の背に、ジュニアはバックパックを背負わせると前に回り、留め具をきつく締め付けた。
「鳴海つかさ。このバックパックを外さないよう気をつけて下さい。外せば、爆発しますよ……」
(これで残骸を爆破するのか? 外すって、なんだ? バックパックを下ろすってことか……?)
俺はこころ越しにジュニアに問うた。もうこの悪魔どもとは、なるべく口はききたくない。そのこころも見抜いた上で、ジュニアはおかしな笑みを浮かべる。
(何がおかしい?)
「あなた方がB-29の尾翼地点にまで到達したら、爆破スイッチを私のコントローラーに切り替えましょう。それまでは、その留め具が起爆装置です。はがねが同行するのは、あなた方の不誠実が無いよう監視するため。なに、昨今は本当に嘘つきが蔓延っておりますのでね……。あと、私は登りませんのでそのおつもりで」
「――――!?」
俺だけでは無い。爺さんも五所川原も怒り心頭。だがどうすることもできない。
俺はもう爆弾そのもの。地団駄を踏むなどという表現では追いつかないくらいに、狂気の谷底に落とされてしまったのだ。
友里はなにか分らずきょとんとしている。奥の部屋に伏すマダムに知られなかった事だけが、救いである。
「じゃあ、参りましょうか。それと……あなた方に一つ。私は悪魔でも嘘つきでもありません。私ほどの善良な市民はないと自負しております。ああ、無論父を除いての話ですがね?」
(――くそっ! 悪魔がどの口で言う!?)
もう、なんでもいい。俺はこころの中で、考えつく限りの悪態を並べながら、腹をくくった。
「晴れてりゃここから一時間の場所だ。往復二時間。だが倍はかかるだろう。俺たちが帰るまで、マダムに手出しするなよ?」
ブライアンは「ええ、そりゃあもう」といった顔をして見せた。商店街のうさんくさいオヤジのような顔つきのそれが、信用できるはずもないが仕様がない。
(絶対に帰る。帰って早くマダムをちゃんとした病院に……。そして、明日はイオナに会うんだ……)
俺たちは静かに梅ババの家を後にした。
道中、そう遅くも無い時間だが明かりがまばらなのは、大雪で住民のほとんどがふもとの町に避難している為である。そんな寂しい集落を抜けると、例の山――日下家私有――の登り口。中腹部がツツジ園として一般に開放されており、そのために一応の遊歩道が整備されている。
B-29の尾翼が発見されたのは、そのツツジ園のど真ん中。そもそもB-29の墜落現場は、七十余年前に村人達により隠蔽されている。
日下の大旦那がブライアン達の救助を決めたときに、村の男を総動員して作業にあたった事は既に梅ババに聞いていた。
機体は終戦後、秘密裏に分解され、貴重な鉄資源として闇で高値に売れたらしい。ただ尾翼だけが見つからなかった。
それが今年起きた震災により、ツツジ園の盛り土が地滑りして日の目を見たのだった。俺たちは誰も話さないまま黙々と雪道を行き、予想より早く現地に到着した。
錆び付いた尾翼を間近にしても、なんの感慨も湧いては来ない。
ただ、戦争中この飛行機に乗っていたブライアンが、占領下のみならず今日まで暗躍しているのだと思うと、なんとも言えぬおぞましさは感じる。
そして他の搭乗員の名前――アイオナ、ジョイス、アイアン、ユーリ――を受け継いだイオナやジョイ、はがね、友里が、やはりブライアンに深く関わって居ることも、なんだかB-29が未だに爆弾を積んで飛んでいるような、薄ら寒さも感じた。
もちろん、寒さは現実であり、爆弾は俺なのだが……。
はがねは通信機に特殊な信号を送受信し、それを順次言葉に代える。
「つかさ、もうバックパック下ろしていいって。それを尾翼にセットしたら山の途中にあった小屋に避難すること。それがブライアンの指示。簡単だね?」
バックパックは五所川原が外してくれた。それを爺さんが用心深く尾翼にセットする。
はがねはと言えば、もう任務は終わったとばかりに俺の腕に巻き付き、小屋への雪道を急かす。
「じゃあ小屋でさっそく……だね? にゃは!」
(なにが早速だ。それにしても、こいつ(はがね)は愛をなんだと思ってるんだ!?)
「だ・か・ら、教えてよ! つかさの愛を。イオナにしたように――」
――できるわけ無い。
こころ薄き《ストッカー》は、そんなことも分らないのだろうか。俺は少しはがねが可哀想に思えてもきた。
小屋に入ってはがねが通信を送ると、帰ってきたのは『ごきげんよう』というとぼけたブライアン・ジュニアの一声。
――そして爆発音。
小屋が揺れた。それが爆発の為か、爆風によるものかはわからなかった。それより俺たちは当たり前に小屋を出るため、行動を起こす。約束が済んだのだから、こんなところに長居は無用である。
まず五所川原が外に出た、そして爺さん。次に俺が出ようとした。雪は止み、月は明るく、風は無かった。
(ああ、明日は晴れる。明日は、会える)
――そのとき。
俺は突如の轟音を聞き、直後、倒壊する小屋の下に押しつぶされた。
どのくらい時間がたったのだろう。
目が覚めても、周りは闇一色。俺に許された空間がどれ程あるのか。自分の体があるのかすら、わからない。まるで自分の意識だけが存在しているかの用でもある。
(俺は雪崩に巻き込まれた? あの爆弾の影響で? 五所は? 爺さんは? はがねは……?)
「つかさ。目が覚めたようだね? 二人っきりの空間へようこそ! にゃは」
「なにが『にゃは』だ? おい、はがね、今どうなってる? 上も下もわからないし、ここはどこだ?」
俺は両手足がなにかに挟まれて身動きがとれない。それ以前に上になにかが乗っかっている。否、下か。とにかく何かに密着していることは間違いない。『何か』は俺の顔を探り当て、懐かしそうに撫でた。
「何時間かたってるよ。あいにく時計が無くてわかんない。通信機も壊れたみたいだし。幸いこうなってたから、凍死はなさそうだね? つかさ、暖かいよ……もっと、抱きしめて?」
情けないことに、俺の今の体勢は、はがねに愛を教えるくらいしかできそうにない。
読んで頂き、ありがとうございました。




