第17話 未着の君 5
マダム・みえこは、マツコさんがモデルです。
厳しく優しい、素晴らしい方です。
(マダムが、CIAのエージェントだと? 馬鹿げている。マダムはささやかにスナックを経営する、ただのマダムだ。そして俺の大事な……家族だ)
どんなに頭の中でそんな言葉を繰り返しても、マダムの表情は変わらない。
「ショックでしたか? 鳴海つかさ。それだけではありません。ジョイもまた、組合の裏切り者にして、みえこの部下。きみは、みえこが最高の《ストッカー》イオナを手に入れる為だけの、いわば駒の一つ。その愛も、カテゴリーで言えば備品のようなものです。こころの無いイオナに愛で揺さぶりをかけるには、別にきみでなくとも良かった――」
(お願いだっ、マダム。早く、早く否定してくれっ!? このままじゃ俺は……)
だが俺に見えるのは、ブライアンの目に映る無表情なマダムの姿。
「全く、このマダム・みえこときたら、厄介な相手でした。実際ジョイは奪われましたしね……。イオナも危なかった。フフッあの姉妹はアイオナの悪いところばかり引き継いでいる」
(ア、アイオナの……悪いところ?)
「そっ! 《ストッカー》には、愛なんて面倒なもの要らないよ! ジョイもイオナも、できの悪いお姉ちゃん。中途半端に愛をかじって、お腹を壊したお馬鹿さん。にゃは?」
(ちゅ、中途半端……だと? 俺とイオナの、愛が、中途半端……?)
はがねが俺の方に進み出でる。たったの二、三歩で、もう息のかかる目の前である。それが何の為なのか考える余裕もない。
ただ、はがねが「バイバイ」と言ったような気がする。
(――去るのは、はがねか? ジュニア? それとも……俺? マダム? みんな?)
しかし、なかなか膠着は破れない。
七十年前の悪魔誕生の秘密が呼び込んだ殺意は、俺たちを簡単には葬らないらしい。
その空気を揺さぶったのは、今この輪に居ない者――隠れていた友里――だった。
「お父さん……? そんなに怖い顔しないで? ゆーり、いい子にしてたよ……。だからゆーりを捨てないで? ゆーりお家に帰りたいよ……迎えに来て、くれたんでしょう?」
――育ての親。
今、冷血の仮面を被った悪魔の息子は、日下友里の養育者という仮面もある。
友里は、一歩、また一歩とジュニアに近づく。自分を《こころストック》したはがねを目にもしているだろうが、どうやらこころは戻りそうもない。
度重なる《こころストック》が、今の友里を定着させたのか。それともこころを守る為の、自己防衛本能なのだろうか。友里は唇を震わせながら必死に笑顔をつくろい、歩み続ける。
「ゆーりっ!? 目を見ちゃだめっ! あれはもうお父さんじゃないの!」
マダムが叫ぶ。「目を見るな」の言葉は、俺にひらめきをもたらした。
俺は自分の小説家としてのそれを、信じるしかない。
(友里が更に《ストック》される? 父親に? ならばそれは……)
友里の足が止まったのは、ちょうど五所川原の隣に達した時だった。ピストルは構えられてはいるものの、隙は十分にある。
「五所川原! ピストルを離すなっ!!」
俺の叫びと、友里がピストルを奪うのは同時だった。
(殺られる――?)
俺のひらめきは、やっぱり当たった。こんなときばかり、よく当たる。銃口は叫びながら友里に飛びかかる俺に、真っ先に向けられている。
(二度目かよっ!? 今度はジョイは遠い空――やばいっ!?)
その後、銃声が響いたと思う。
俺はその風景の中で、立ち尽くしている。
目の前にはピストルを落とし、呆然の友里。その後ろには、はがねとブライアン・ジュニアがいる。
そして俺の足下に、マダムが血を流し、倒れていた。
マダムは俺をかばって、傀儡となった友里の銃弾を受けたのだ。
俺はゆっくりひざまずき、マダムの頬に手を当ててみる。
かすかに息が、ある。でも頬はひどく冷たかった。
「マ……ダム? 俺、助けて……なんて言わなかったのに、どうして? 俺じゃなくても良かったんだろ……どうして? どうして倒れているんだ……? どうして……?」
マダムの頬を暖めようと、俺は必死に撫でながら言った。だが一向に、ぬくもりは伝わらない。
「どうしてどうしてって……うるさい……わね。――あんたが好きだからに……決まってる……じゃない、つかさ」
マダムはそれだけ言うと、目を閉じ黙った。
静寂の向こうでは、ブライアンが爺さんに何やら告げている。
(B-29残骸の……爆破工作? その手伝い? 悪魔の出自を葬り去るために?)
そしてマダムが俺の手を握る。その強さが、俺の不安に拍車をかける。手は何かを告げようとしていた。
(ごめん……なさい……?)
「ぅああぁぁっーーっ!! だめだっ!? マダムッ!? あ、謝るのは、お、俺だっ!? マダムは俺に頼るのが下手って言ったよな!? じゃあ、素直に言うから死なないでくれっ!! まだ、まだ俺を助けてっ!? 俺を叱って……目を開けて俺を見て…………マダム!?」
しかし、答えはなかった。マダムの心臓は、拍をとる事を止めている。頬はぬくもりを取り戻すことが無いまま……。
「にゃは……死んじゃった。ブライアン? これ、まずくない?」
「確かにCIAを敵とするとは、本末転倒――。鳴海つかさ? どうするね?」
(――――は? こいつら、何言って……)
もう真っ白な俺には、悪魔どもの言葉が理解できない。気付くと、爺さんがマダムに馬乗りになり心臓マッサージを始めている。
「つかさっ! バスセンターにAEDがあったぞい? 救命率は一分ごとに十%低下じゃ。三分以内に帰ってこいっ! 早う行けっ!!」
――助かるかも知れない?
俺はもう死に物狂いで玄関に突進した。が、ブライアンが俺に立ちはだかる。
「鳴海つかさ? 三分は無理でしょう。恐らく十分以上かかります。つまり救命は百パーセント絶望です。ある方法を除いてはね……」
同時にブライアンは、マダムの被弾箇所が致命ではないことと、今現在はショックによる仮死にあること、AEDなら恐らく今の心室細動状態を復活さす事ができることを付け加えた。そして、もう一つの確実な方法があることも……。
俺は迷い無く、悪魔に頭を下げた。
「教えてくれ、その方法。条件は何でも呑むから……」
五所川原と、梅ババも同じ思いのようだ。五所川原のピストルはもう、ブライアンの手にある。
「条件は先程の事で……。後はこの、はがねに頼みなさい。はがねの《こころストック》は電気ショックの応用。電圧はAEDとほぼ同等です……」
ブライアンの言葉が終わるのを待たずに、俺ははがねに向き直った。
「頼むっはがね! 何でもするっ! 早くマダムをっ!」
はがねは特にもったいぶる様子もなく、マダムに近づくと指でピストルの形を作った。指先には確かに電極のようなものが見えるが、そんなことどうでもいい。
とにかくその前に、はがねが口元を緩めて言う事には……。
「バキューン……の前に、じゃあ条件。つかさ、ボクに愛をくれる? イオナにしたように。あのイオナが愛すほどのつかさの愛を、ボクにちょうだい? ボクを愛して? こころもからだも、全部。このあと、す・ぐ・に……にゃは?」
言い終えると共にはがねの《こころストック》は火花を発し、マダムの体が衝撃に震える。マダムは唇を僅かに開き、何かつかむかのように指を閉じた。
――つかんだのは、命。
マダムは生まれたての赤子のように眩しげに眉間にしわを寄せると、ゆっくり目を開けた。
爺さんの応急処置も適切だったのだろう。マダムはすぐに、かぼそい声を出すこともできた。
「……つかさ? あんたがイオナを幸せにするのを見届けるまで、アタシは死なないわよ……なんて、ありきたり……ね」
「マ、マダムぅ…………」
――ありきたりが幸せなのだ。
今は目の前の奇跡にのみ感謝しても、イオナは許してくれるだろう。
そして、感謝の後にミッションが残った。
――悪魔のミッション。
一つはB-29の残骸を爆破隠蔽すること。
もう一つは、はがねを愛すること。
前者はともかく、後者は無理だ。だが、そんなこころだって、もうはがねは察しているだろう。無理だとわかっていることを何故、条件に出したのか。
俺たちはマダムを休ませ、看病に梅ババと友里を残し、ブライアン達とともに夜の山へと向かう事となった。
B-29の残骸のある、俺が子供の頃よく登った、あの山である。
吹雪はややおさまり、月明かりは十分に足下を照らしてくれていた。
読んで頂き、ありがとうございました。




