第16話 未着の君 4
謎解き編、佳境です。GHQとか出していいんでしょうか?
火薬の匂いと、余韻をひく銃声。
思わず目を閉じた俺だったが、痛みの無いのが不思議だった。もしや、その言通りに梅ババが撃たれたのか。
しかし、梅ババもどうやら無事である。
――外した?
はがねを見るとまだピストルを構えたまま、何とも言えぬ表情をしている。恍惚とでもいうのか……。全ての答えは、はがねが語った。
「あんっ……撃ち合いも……イイ。ボクもう、イキそ……」
白い吐息も荒く、もだえるはがね。片方の手は下腹部へと伸び、細い指先はスカートの上で妖しげな虫のようにうごめいている。思わずソレから目を逸らすために、俺ははがねの銃口の向いた先へと振り返った。
「つかささん……、ここはあっしに任せておくんなせえ。蛇の道はヘビ、と申します……」
「五所川原――その手?」
銃声の主は、はがねではなく五所川原だった。ギプスに覆われた右手の先に穴が開き、そこから一筋の硝煙がたゆたうからには、その中にピストルを握りこんでいるのだろう。
五所川原は素早く柱に右手を打ち付けてギプスを砕き、ピストルを露わにすると、最小限の怒気を含んで言った。
「はがねさんとやら、実はあんた、人を殺した事が無いのでしょう。なぶるのが、あんたの愉しみ。いい娘が、悪趣味ですぜ? それとブライアンさん――」
五所川原はその言葉ではがねの動きを封じると、ブライアンへと銃口をずらした。
「この拳銃、見覚えがあるでしょう? そう、あんたが日下剣政に撃たせた、あの拳銃です。あっしの親分は日下剣政と義兄弟の契りを結んだとき、これを受け取ったのだと聞いておりやす。ですがこりゃ、いわくの品。その所為で、親分は長く塀の中に務めました。あんたらのことは一切、口に出さずにね。それが死ぬ間際になって、どうしてあんたらにこれを返そうと思ったのか、わかりますかい? あっしのこころ、読めるんでやしょう?」
ブライアンは、それでも顔色を変えない。言葉を口にしそうにもない。代わりに五所川原がしびれを切らし、言った。
「人生、でさ。それも又、人生。ケチな保身で義兄弟と過ごした年月に、泥を塗りたくなかったんでさあ。不器用な親分でした……。さあ、あんたらの番ですぜ? これに、どう落とし前をつけなさるおつもりで?」
そして五所川原が一歩、前に踏み出した。
――その時。
「五所川原。きみもまた、素晴らしい。はがねを制した駆け引きしかり。それに人情噺は嫌いではありません。きみにはどこか、高座を用意しようか? それがよほど似合う……。それにしても、よく生きていた。もしかして関西言葉の医者に会わなかったかね?」
関西言葉の医者……間違いなくジョイの事だ。
イオナの姉で謎の《ストッカー》。イオナに助けられて組合から逃れたと聞いているが、その件に関して深くは知らない。ただ、俺の命の恩人でもあり、マダムの旧友でもある。
緊迫した今だが、ジョイの名が出て、ここにいる皆を思うと「もしかして、なんとかなるのではないか?」と希望を感じずにいられない。
そう、俺は死ねない。イオナに会うまでは……。
だが、その希望全てを白紙に戻すべく、ブライアンがここに来たのだとも、俺は思わずにはいられなかった。
ともかく場は膠着している。
立ち尽くす俺の周りは敵も味方も、まるで天球儀の星座のように黙って、ただ在る。
未だ動かぬブライアン。密かに悶える、はがね。腰の抜けた梅ババ。ピストルを構える五所川原。その隣に爺さんと、マダムがいる。友里だけが、恐ろしいのか炬燵の部屋から出てこないが、賢明である。
こころを失っている友里が、今、育ての親に会えば、そのこころは崩壊してしまうかもしれない。
やがて五所川原の引き金にかけた指が、ブライアンに向けて震え始めるのを俺は見た。
――止めるべきなのか。
答えは出ようもないが、爺さんがふと動いた。
「待つんじゃ、五所。あやつを撃っても仕様がないぞ。お前も薄々感付いておるのではないか? あやつはブライアンではなかろう?」
爺さんの言葉は、俺に混乱しかもたらさない。
しかしその顔には、熟考よりも信ずべき直感が在るのだと書いてある。
マダムが思わず「どういう事?」と言うが早いか、爺さんは首を縦にしてブライアンに、否、偽ブライアンに正対した。
「おぬし、大方ブライアンの息子ではないか……? どう見ても九十過ぎの老人には見えんぞい? それにな、ワシは一度だけ本人と会ったこともある。やつは片方の目が義眼じゃったが、おぬしはどうかの?」
俺はこころの中で手を打った。
(そうだ! こんな単純な事、どうして気づけなかった? 終戦当時大人だったブライアンなら、今は九十過ぎ。こんな若かろう筈がない)
今、ここにいるブライアンはどう見ても六、七十代である。だが、だからどうだというのだろう。
ブライアンが偽物だからとて、この危機を打開する決定打とはならないだろう。
まだ、足りない。決定的なピースが。
「確かに私はブライアン・ジュニアですが、それがなにか? そもそも父が、たかがあなた方等を追うはずがないではありませんか? ハハッ、これはおかしい。まいりました――」
口先だけで笑うブライアンをよそに、「では、笑えぬようにしてやろう」と言わんばかりの気迫を、爺さんは残していた。
「GHQ《連合国総司令部》、G2《GHQ参謀第2部》の秘密諜報機関・KS機関……」
(なんだ!? GHQ? G2? KS機関? KS……こころストック?)
ともあれ、なにやら強力なピースが、にわかに出てきた。爺さんは淡々と語り続ける。
「昭和二十七年――。GHQによる占領体制が解かれた後も、KS機関はこの国を裏側から操り続けてきた。その責任者こそブライアンじゃ。あやつは戦時中、この村に不時着して日下家に匿われ、終戦を迎えた。敵地で捕虜でもなく、終戦を迎えたことがブライアンにとっては僥倖じゃった。仲間三人の殺害を日下剣政に依頼し、おかげで得たたった一人の勇敢なる生存者という触れ込みで、GHQ司令官の信頼を得たブライアンは占領政策にも口出しのできる立場を得た。無論、催眠術のような『なにか』を使ってもいたじゃろうな。GHQの解散後は、なかば私物化したKS機関を用いて、この日本の闇に君臨したのじゃ。ブライアンの手足となった剣政は『フィクサー』などとおだて上げられ、その実、ただの人形じゃった。この平成の世までな……。――あげく消された。今更のう……。それに剣政の良き相談役、五所の親分をやったのもブライアンじゃ。過去の己を知るこの二人が、よほど恐ろしかったと見える。さて、その非道の全貌じゃが、まだまだあるのう?」
(日下剣政が……死んでいる? 全ての元凶はブライアン?)
さらに場をかき混ぜるかのように、ブライアンジュニアが言葉を出した。
「マスコミにリークしますか? それとも、そのマダムに売り渡しますか? CIAの工作員《マダム・みえこ》にね――」
――俺は金槌で頭を殴られたことはない。
だが、きっとこんな感じなのだろうと、いま思った。
殴ったのは、ジュニアの言葉を否定しない、マダムの固い表情である。
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