第15話 未着の君 3
この熊本編は、私が熊本の者だからです。
熊本も冬は寒いです。
『――あなたには私の全てを教えるわ。その上で、あなたは私に示さなければならない。本当に、『夢に命を賭ける事ができる』ものかを……。いいかしら、小説家さん?』
俺の頭の中でイオナの言葉が渦巻く。
――夢に命を賭ける事ができるか。
夢とは愛。
夢とはイオナ。
イオナの全てを、俺の言葉で書く事こそが、俺の夢(愛)。
だが、それをすることが招く厄災――がある。
『――あなたは命を狙われる……。あなたの書くことは、それほどのものなのだから。そして、それは私にも言える事。消されるだけならまだいいわ。あらゆる拷問の責め苦に苛まれながら、私は私の持ちえない感情を知る事になる……。屈辱と絶望とあなたへの……』
イオナはその先を言わなかった。なんと言おうとしたのかも、わからなかった。
でも今なら、わかる。
「虚脱だ。……それが……それが――」
ストッカーを生み出した元のような気がしてならない。
俺は可哀想な『アイオナ』に思いをはせる。
戦時下、敵国へと不時着して匿われはしたものの、寄る辺なき異国で帰れる確約もなく、それだけに仲間たちの絆は一層深まっただろう。のみならず、ブライアンに恋心を抱いていたアイオナである。一体どれほど彼をこころの拠り所としていたかは、想像に難くない。
――それが、裏切られ、置き去られた。
仲間は目の前で銃殺され、自身はこの凶行を、深く村人のこころに沈めておく為の供物となり果てたのだ。
――愛する人の策略で。
それまでの絆が強ければ強いほど、逆にアイオナはこころを絆されただろう。屈辱に、絶望に、そして虚脱に……。
――アイオナは自らこころを捨てただろう。
それが、どう作用したのかなどとは、どうでもいい。
今は、哀しみのうちに世を去ったアイオナの為に、ただ祈りたい。
炬燵を囲む皆が同じ祈りでいるのを感じたのか、友里も深く頭を垂れたようなのが、俺にはわかった。
「ごつん」と卓で頭を打つ音が聞こえたからである。
窓の外は吹雪いている。
窓ガラスに雪がはり付いて白く凍り、その為に外の暗さにまるで気づかなかった。
時刻はやがて十七時。普段でも陽の落ちる時間だが、深い雪雲のせいかとっくに外は夜である。
ちょうどその時、ジョイからメールが着信した。文面は明日の泉洋一郎の被災地慰問が強行されるという内容で、仮に雪による飛行機の欠航があった場合、新幹線でこちらに向かうという。
「流石は『劇場型政治家』の申し子ね。アクシデントが絵になるなんて百も承知のようだわ?」
マダムの言葉に、俺も賛成である。と言うか、そうでなくては困る。
俺は明日イオナに会えぬなら、もう『何か』が手遅れになってしまうような、そんな気がしている。売れない小説家の勘だが、こんなときばかりよく当たる。
「ピン・ポーン、ピン・ポーン」
(なんだよ……それ……)
あまりのタイミングの良いベルに俺はため息をついたが、慌てて立ち上がり玄関へ急いだ梅ババの事が妙に気になった。
(こんなことが、前もあった……俺のアパートで……)
あの時も絶妙のタイミングで二度ベルが鳴り、そして悪夢があった。
はがねとブライアンが俺のアパートを訪れ、俺は撃たれ、イオナが連れ去られたあの夜の事である。
(まさか……!?)
俺はマダムと目で合図する。爺さんと五所川原も職業柄か、ただならぬ空気を感じ取り腰を浮かせた。
部屋には、梅ババが「ガタガタ」と鍵を開けようとする音が大袈裟に響いている。雪で凍ったのか、鍵が固まっているようだ。
――今ならまだ間に合う。
俺はとにかく玄関へと走った。しかし「開けるなっ!!」の声もむなしく、玄関は開かれた。
「はいはい、誰かいのう? この雪に…………ひぃっ!」
――男と女。知っている、二人。
「にゃは! ボク、来ちゃった。ブライアンもね。理由は、言わなくてもわかるよね? 鳴海つ・か・さ?」
はがねだ。俺を撃ち、イオナのこころを奪った。そして、薄笑いのブライアン。二人は肩の雪を払いながら『ズイッ』と玄関に脚を入れる。
「そう固くならないでよ? 固くなるのはもうすぐ、死んでからだよ? 気が早いなあ、つ・か・さ、は」
はがねの手には既にピストルが握られている。あの時のピストルを前に、俺は動けない。
肉体的な痛みの記憶が、俺のこころをまで浸食しているらしい。イオナのためなら命なんて要らないはずの俺が、この態である。
イオナを取り返せぬままに、多分死ぬ俺。そう、多分死ぬ俺。
(だったらムダナテイコウでもしようか……?)
そう思い至ると、不思議と時間が止まって感じた。
ピストルを手のはがねも、不気味なブライアンも、腰を抜かした梅ババも止まって見える。
ただ、ブライアンの唇のみがかすかに音を出した。
「死ぬ前に一つ、君に推理して欲しいのだが? 鳴海つかさ」
俺にだけ聞こえるその音は、『ストッカー』が生まれた理由についての推測を、話せと言う。
(これはチャンスか? 話をのばしてなんとか、機会を……)
だが無意味だろう。なぜならはがねは《ストッカー》である。俺のこころは読まれているのだから。
「にゃは! その通りだよ。でも流石のボクも、まだ考えてない事までは解りようがない。だ・か・ら・早くぅー。ボク我慢できないっ!」
その声が終わると同時に、奥の炬燵部屋の襖から、マダムと爺さん、五所川原が顔を出す。
「ちょっと、はがね! やめなさいっ! アタシ怒るわよっ!」
「やめない。マダムたちも、後で《こころストック》しちゃうから、待っててねー!? にゃは! ほら、早く、つ・か・さ?」
そんな時ではないのに、俺の頭はやけに澄み渡り、推理が驚くほど浮かび上がる。
まるで複雑な多面体を展開していくように、俺はしゃべり始めた。
「《ストッカー》とはこころを預かる者じゃ……ない。預かると言うより、喪失させる……そう、これは催眠術に近い何かだ。こころを読むのも心理学を応用した……何か」
俺の推理にブライアンは「ほうっ!?」と言うような表情を作った。まあ正解とまでは行かずとも、そう離れてもなさそうである。俺は続ける。
「その技術は恐らく軍隊の特別なカリキュラムだった。それを習得していたのがあんたじゃないのか? ブライアン。梅ババはあんたが目で人を操ったと言っていた。あんたを心酔する日下剣政や、こころを寄せたアイオナを操るのは容易かっただろう。そして……あんたは意外な発見をする。悪魔の、恵みだ」
もうブライアンは無表情になっている。だが《ストッカー》で無い俺にも解る。
――ブライアンは求めている。俺の解を。
答え次第では、俺は撃たれるのかもしれない。でも今は、それがイオナに近づく――もっとイオナを知る――糸口のようにも感じられた。
ともあれ今は、しゃべり続けるしかない。
「催眠術や超心理学は相手によっては通じない場合もある。それは術者側の術策や手管で補うべくものと、あんたたちは考えていた。だが違った。あんたはあの後、アイオナに再び会ったんじゃないか? そして……自分でこころを捨てたアイオナに、こう思った。『こころのない者こそ、術者にふさわしいのではないか……』と」
考えながら、次々に浮かび上がる推理はまるで創作のようで、しかし命のかかった創作などしたことがない。次が最後の推理。俺はイオナを思いながら、絞り出した。
「そう、あんたはアイオナの体と、こころまで利用した。ばかりか、その子供まで《ストッカー》に仕立て上げ……その血に連なる者がイオナ。違うか?」
「……………………」
響かぬ銃声。長い沈黙。
ただブライアンの目だけが、俺を見ている。やがてその目は閉じ、代わりに口元が緩んだ。両手が胸の前に挙げられ、ゆっくり合わされた。そして冷たい空気が振動される。
(――拍手?)
「正解だ。鳴海つかさ。小説家より稼げる口を紹介しよう……。ん? イオナなら止めておきなさい。もうアレのこころは戻らないし、なによりアイオナの血がそれを許さない。イオナには私が直々にアイオナの記憶を《インストール》しておいたからね。愛などとは、儚く、愚かだ。それより一国を操る快感を、共に味わってはみないかね?」
ブライアンの言葉が俺のこころに刺さり、はがねの銃口が俺の心臓に向いた。
(どちらにせよ、これまでだ。ごめん、イオナ。ごめんな……確かに俺を忘れているんだよな? なら、安心して逝ける……)
俺は諦めたのかもしれない。否、諦めたのではなく、拒んだのだ。
このままブライアンに尻尾を振って、生きることはできるだろう。嘘も方便――。でも、イオナを助けるためにたったの一度も嘘はつきたくない。
せめてこいつらが、愛に意地を張って死んだ馬鹿がいると、イオナに伝えてくれればそれでいい。
(読んでるんだろ? はがね? 死に行く俺の願いだ。託すぞ……)
「にゃは!? バカだ。ここにバカが、いる……?」
(馬鹿で結構。早く撃てよ?)
強気に見据える俺に圧倒されたのか、はがねが躊躇している。ブライアンは人ごとのように黙って見ている。その間に突然、割り込む影があった。影は叫んでいた。
「こりゃあーーーーっ! このバカものっ! つかさもお前もバカタイっ! ばってん、わかった! どーしても殺したか言うなら、順番ば守れち。どーせババも殺すとじゃろ? なら、年の順タイ! ババを撃てっ、撃てっ、撃たんか、ほんなこてっ!」
(梅ババ……なんか、ありがとう……)
仲間というのは、こんなに嬉しいものなのか。俺のこころは少し救われた。
そして銃声が響き渡った。
読んで頂き、ありがとうございました。




