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こころストック  作者: 鳴海つかさ
15/22

第15話 未着の君 3

この熊本編は、私が熊本の者だからです。

熊本も冬は寒いです。


『――あなたには私の全てを教えるわ。その上で、あなたは私に示さなければならない。本当に、『夢に命を賭ける事ができる』ものかを……。いいかしら、小説家(ノベリスト)さん?』


 俺の頭の中でイオナの言葉が渦巻く。


 ――夢に命を賭ける事ができるか。

 夢とは愛。

 夢とはイオナ。

 イオナの全てを、俺の言葉で書く事こそが、俺の夢(愛)。

 だが、それをすることが招く厄災――がある。



『――あなたは命を狙われる……。あなたの書くことは、それほどのものなのだから。そして、それは私にも言える事。消されるだけならまだいいわ。あらゆる拷問の責め苦に苛まれながら、私は私の持ちえない感情を知る事になる……。屈辱と絶望とあなたへの……』


 イオナはその先を言わなかった。なんと言おうとしたのかも、わからなかった。

 でも今なら、わかる。


「虚脱だ。……それが……それが――」


 ストッカーを生み出した元のような気がしてならない。

 俺は可哀想な『アイオナ』に思いをはせる。

 戦時下、敵国へと不時着して匿われはしたものの、寄る辺なき異国で帰れる確約もなく、それだけに仲間たちの絆は一層深まっただろう。のみならず、ブライアンに恋心を抱いていたアイオナである。一体どれほど彼をこころの拠り所としていたかは、想像に難くない。


 ――それが、裏切られ、置き去られた。


 仲間は目の前で銃殺され、自身はこの凶行を、深く村人のこころに沈めておく為の供物となり果てたのだ。


 ――愛する(ブライアン)の策略で。


 それまでの絆が強ければ強いほど、逆にアイオナはこころを(ほだ)されただろう。屈辱に、絶望に、そして虚脱に……。


 ――アイオナは自らこころを捨てただろう。


 それが、どう作用したのかなどとは、どうでもいい。

 今は、哀しみのうちに世を去ったアイオナの為に、ただ祈りたい。

 炬燵を囲む皆が同じ祈りでいるのを感じたのか、友里も深く頭を垂れたようなのが、俺にはわかった。

「ごつん」と卓で頭を打つ音が聞こえたからである。


 窓の外は吹雪いている。

 窓ガラスに雪がはり付いて白く凍り、その為に外の暗さにまるで気づかなかった。

 時刻はやがて十七時。普段でも陽の落ちる時間だが、深い雪雲のせいかとっくに外は夜である。

 ちょうどその時、ジョイからメールが着信した。文面は明日の泉洋一郎の被災地慰問が強行されるという内容で、仮に雪による飛行機の欠航があった場合、新幹線でこちらに向かうという。


「流石は『劇場型政治家』の申し子ね。アクシデントが絵になるなんて百も承知のようだわ?」


 マダムの言葉に、俺も賛成である。と言うか、そうでなくては困る。

 俺は明日イオナに会えぬなら、もう『何か』が手遅れになってしまうような、そんな気がしている。売れない小説家の勘だが、こんなときばかりよく当たる。


「ピン・ポーン、ピン・ポーン」


(なんだよ……それ……)


 あまりのタイミングの良いベルに俺はため息をついたが、慌てて立ち上がり玄関へ急いだ梅ババの事が妙に気になった。


(こんなことが、前もあった……俺のアパートで……)


 あの時も絶妙のタイミングで二度ベルが鳴り、そして悪夢があった。

 はがねとブライアンが俺のアパートを訪れ、俺は撃たれ、イオナが連れ去られたあの夜の事である。


(まさか……!?)


 俺はマダムと目で合図する。爺さんと五所川原も職業柄か、ただならぬ空気を感じ取り腰を浮かせた。

 部屋には、梅ババが「ガタガタ」と鍵を開けようとする音が大袈裟に響いている。雪で凍ったのか、鍵が固まっているようだ。


 ――今ならまだ間に合う。


 俺はとにかく玄関へと走った。しかし「開けるなっ!!」の声もむなしく、玄関は開かれた。


「はいはい、誰かいのう? この雪に…………ひぃっ!」


 ――男と女。知っている、二人。


「にゃは! ボク、来ちゃった。ブライアンもね。理由は、言わなくてもわかるよね? 鳴海つ・か・さ?」


 はがねだ。俺を撃ち、イオナのこころを奪った。そして、薄笑いのブライアン。二人は肩の雪を払いながら『ズイッ』と玄関に脚を入れる。


「そう固くならないでよ? 固くなるのはもうすぐ、死んでからだよ? 気が早いなあ、つ・か・さ、は」


 はがねの手には既にピストルが握られている。あの時のピストルを前に、俺は動けない。

 肉体的な痛みの記憶が、俺のこころをまで浸食しているらしい。イオナのためなら命なんて要らないはずの俺が、この(ざま)である。


 イオナを取り返せぬままに、多分死ぬ俺。そう、多分死ぬ俺。


(だったらムダナテイコウでもしようか……?)


 そう思い至ると、不思議と時間が止まって感じた。

 ピストルを手のはがねも、不気味なブライアンも、腰を抜かした梅ババも止まって見える。

 ただ、ブライアンの唇のみがかすかに音を出した。


「死ぬ前に一つ、君に推理して欲しいのだが? 鳴海つかさ」


 俺にだけ聞こえるその音は、『ストッカー』が生まれた理由についての推測を、話せと言う。


(これはチャンスか? 話をのばしてなんとか、機会(チヤンス)を……)


 だが無意味だろう。なぜならはがねは《ストッカー》である。俺のこころは読まれているのだから。


「にゃは! その通りだよ。でも流石のボクも、まだ考えてない事までは解りようがない。だ・か・ら・早くぅー。ボク我慢できないっ!」


 その声が終わると同時に、奥の炬燵部屋の襖から、マダムと爺さん、五所川原が顔を出す。


「ちょっと、はがね! やめなさいっ! アタシ怒るわよっ!」


「やめない。マダムたちも、後で《こころストック》しちゃうから、待っててねー!? にゃは! ほら、早く、つ・か・さ?」


 そんな時ではないのに、俺の頭はやけに澄み渡り、推理が驚くほど浮かび上がる。

 まるで複雑な多面体を展開していくように、俺はしゃべり始めた。



「《ストッカー》とはこころを預かる者じゃ……ない。預かると言うより、喪失させる……そう、これは催眠術に近い何かだ。こころを読むのも心理学を応用した……何か」


 俺の推理にブライアンは「ほうっ!?」と言うような表情を作った。まあ正解とまでは行かずとも、そう離れてもなさそうである。俺は続ける。


「その技術は恐らく軍隊の特別なカリキュラムだった。それを習得していたのがあんたじゃないのか? ブライアン。梅ババはあんたが目で人を操ったと言っていた。あんたを心酔する日下剣政や、こころを寄せたアイオナを操るのは容易かっただろう。そして……あんたは意外な発見をする。悪魔の、恵みだ」


 もうブライアンは無表情になっている。だが《ストッカー》で無い俺にも解る。

 ――ブライアンは求めている。俺の解を。

 答え次第では、俺は撃たれるのかもしれない。でも今は、それがイオナに近づく――もっとイオナを知る――糸口のようにも感じられた。


 ともあれ今は、しゃべり続けるしかない。


「催眠術や超心理学は相手によっては通じない場合もある。それは術者側の術策や手管で補うべくものと、あんたたちは考えていた。だが違った。あんたはあの後、アイオナに再び会ったんじゃないか? そして……自分でこころを捨てたアイオナに、こう思った。『こころのない者こそ、術者ストッカーにふさわしいのではないか……』と」


 考えながら、次々に浮かび上がる推理はまるで創作のようで、しかし命のかかった創作などしたことがない。次が最後の推理。俺はイオナを思いながら、絞り出した。


「そう、あんたはアイオナの体と、こころまで利用した。ばかりか、その子供まで《ストッカー》に仕立て上げ……その血に連なる者がイオナ。違うか?」


「……………………」


 響かぬ銃声。長い沈黙。


 ただブライアンの目だけが、俺を見ている。やがてその目は閉じ、代わりに口元が緩んだ。両手が胸の前に挙げられ、ゆっくり合わされた。そして冷たい空気が振動される。


(――拍手?)


「正解だ。鳴海つかさ。小説家より稼げる口を紹介しよう……。ん? イオナなら止めておきなさい。もうアレのこころは戻らないし、なによりアイオナの血がそれを許さない。イオナには私が直々にアイオナの記憶を《インストール》しておいたからね。愛などとは、儚く、愚かだ。それより一国を操る快感を、共に味わってはみないかね?」


 ブライアンの言葉が俺のこころに刺さり、はがねの銃口が俺の心臓に向いた。


(どちらにせよ、これまでだ。ごめん、イオナ。ごめんな……確かに俺を忘れているんだよな? なら、安心して逝ける……)


 俺は諦めたのかもしれない。否、諦めたのではなく、拒んだのだ。

 このままブライアンに尻尾を振って、生きることはできるだろう。嘘も方便――。でも、イオナを助けるためにたったの一度も嘘はつきたくない。

 せめてこいつらが、愛に意地を張って死んだ馬鹿がいると、イオナに伝えてくれればそれでいい。


(読んでるんだろ? はがね? 死に行く俺の願いだ。託すぞ……)


「にゃは!? バカだ。ここにバカが、いる……?」


(馬鹿で結構。早く撃てよ?)


 強気に見据える俺に圧倒されたのか、はがねが躊躇している。ブライアンは人ごとのように黙って見ている。その()に突然、割り込む影があった。影は叫んでいた。


「こりゃあーーーーっ! このバカものっ! つかさもおはがねもバカタイっ! ばってん、わかった! どーしても殺したか言うなら、順番ば守れち。どーせババも殺すとじゃろ? なら、年の順タイ! ババを撃てっ、撃てっ、撃たんか、ほんなこてっ!」


(梅ババ……なんか、ありがとう……)


 仲間というのは、こんなに嬉しいものなのか。俺のこころは少し救われた。

 そして銃声が響き渡った。

読んで頂き、ありがとうございました。


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