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こころストック  作者: 鳴海つかさ
14/22

第14話 未着の君 2

おはようございます。毎朝五時の予約投稿中です。


「さーて、どこまで話したかい?」


 梅ババがとぼけた風にのたまったのは恐らく、俺たちの日下家に対する敵意を読み取ったからだろう。

 年はとっても、こうした勘は衰えを知らないのだろうか。それとも梅ババの年の功か。

 おかげで座の空気は整ったように見え、再び梅ババが語り始めようとした矢先――。


「くさかけんせい。ゆーり(友里)のお父さんだったんだよ?」


 友里の言は、過去形だった。

 次期総理と目される泉洋一郎を監視すべく、妻として送り込まれるはずだった友里は、それを拒んだ故の幾度もの《こころストック》により、『幼児退行』を発症している。

 結局、妻の役は、最も適任とされるイオナが成り代った――俺は認めていないが――為に、用無しとなった友里は日下剣政の実娘でありながら捨てられ、彷徨っているところをたまたま俺に出会ったのだ。


 友里は俺を『お兄ちゃん』と呼ぶ。

 この、父に捨てられた境遇の友里が、俺には他人ごととは思えず、なんとか病気が治まるまでは傍に居てあげたいとも思っていた。梅ババは、しかしこの激白にもまるで動じずにいる。

 やはりあれか。『お大尽』と称される旧家『日下家』は、この地では殿様扱いである。八十を過ぎるであろう日下剣政に、こんな若い娘が居ても、少しも不思議ではないのだろう。俺は少し、梅ババに対して苛つきを覚え始めている。

 日下剣政は少なくとも好人物などではない。

 イオナをさらい俺を撃った、はがねやブライアンと密接に繋がるこの国の闇ともいえる存在なのだ。

 爺さんも五所川原も、もちろんマダムも押し黙っている。座の空気は再び凍りつき始めていた。


「でもね、ゆーりは『くさかけんせい』、よく知らない。ゆーりはブライアンとずっと一緒に住んでたから!」


「ブライアンっ――――!?」


 一体、どこまで混乱させられるのか……。

 日下友里は確かにブライアンのラブホテルに一室をあてがわれていた。本当にあそこに住んでいたと言うのか。

 しかし、それより驚いたのは梅ババの反応である。確かに『ブライアン』の名に、梅ババは(初めて)動揺の色を見せた。

 ともあれ、今はその言葉を待つしかない。


「ぶらいあん……まさかあの、ぶらいあんじゃあるまいが……。それに友里……『ゆーり』と言うたな? ぶらいあん、ゆーり、他にもおった。じょいす、あいあん、それに……あいおな。懐かしかバイ……」


 梅ババの言葉は、俺たちに語ると言うより独り言のような響きを持っていた。目尻のしわには、大地の割れ目に水が染み込むようにして涙が見えるが、気づいたのは俺だけかもしれない。


「どこかで聞いた名前よねえ? じょいす、に……あいあん? あいおな?」


 マダムが、より自然な発音でそれらの名を口にすると、俺は自分の思い当たった事に言い知れぬ恐怖を覚えた。

 少し遅れて、爺さんも五所川原も感付いたようで、互いに顔を見合わせている。マダムもみるみる血の気が引いた。


《じょいす》はジョイ、《アイアン》は、はがね。そして――。


「イオナっ! 《あいおな》はイオナだっ! でもどうして婆ちゃんが知ってる!? いったいどうして!?」


 梅ババは答えずに「よっこらっしょ」と立ち上がった。そして仏壇の前に座り直すと(リン)を鳴らし、もごもごと何やら唱えてから再び炬燵に戻ってきた。


「全部話そうバイ。今、仏にも断りば入れたっけ、もう許してもくれようが……」


 沈んだ座を気にしたのか、友里が慌てて食べかけのみかんをほおばり、何度も頷いた。



「ベーにじゅうく(B-29)が落ちてきた翌朝、とは言ってもまだ暗い中、男たちは山に向かった。ババも剣政様に頼み込んでなあ、男の格好をして内緒でついて行った。連れて行ってもらうのには……まあ……あったんじゃが、それは話さんでおこか?」


 ――無論だ。


 梅ババは、どうも未だに日下剣政に恋心があるようで、話がなかなか進まない。俺は、悪いが話を()いた。梅ババは渋々話を再開する。


「暗がりでも雪のおかげで足下はよう見えた。すっと(すると)……の、山の上から一人、降りてくる者があった。あめりかさんも、ババたちと同じ考えタイ。明るくなって、助けをあたりに来たと。ばってん、ババたちは隠れた。やっぱりあめりかさんは恐ろしゅうての。皆、雪の中に伏せて、様子ば見たっタイ」


 梅ババはここで茶をとると、これからの話にもったいをつけるようにゆっくりと喫した。

 その何秒かの間に、俺はババの言った名を反芻してみる。


(ブライアン、ユーリ、ジョイス、アイアン、アイオナ。多分これはB-29の搭乗員の名だろう。全部こころストックに、何らかの関係のある名前だ。偶然にしては出来過ぎたこの符号は一体何を意味する……?)


 だが、俺の小説家としての勘は、まるで冴えない。事実は小説よりも奇とは、よく言ったものである。

 梅ババは茶を静かに置いた。


「驚くな? 下りてきたのは、きれいかおなごだったとバイ。髪は見たことも無い色でな、眼は黒かったタイ。おなごのきれいか事には、まるで雪女のごつある。長か髪が風になびいてあやしげでな……男たちはそん時、みーんな惚れよったとタイ。そるが『あいおな』ちゅう名前じゃった。父親が日本人ちゅう事でな、兵隊ではないちゅう事じゃった」


(――従軍記者?)


『あいおな』は日本語もよく話し、この田舎の九州弁も理解できたらしいから、父親は九州の人かも知れなかった。ともかく、梅ババの話は続く。


「かくれた皆で取り囲むと、あいおなは逃げるでもなくうずくまって、身ば投げ出す勢いで助けを求めたとバイ。日下の大旦那さまはえらか人じゃった。あいおなには一切手出しせんように皆に念ば押して、何人か引き連れて怪我人ば助けに向かったとタイ」


 救助へ赴いた一団が生存者四名をソリに乗せて戻ってきたのは、正午すぎの事だったという。

 生存者たちは防寒装備が十分だった事と、雪と樹林がクッション代わりとなった事が幸いして助かったらしい。

 それでも、アイオナの決死の行動が無ければ、全員が凍え死んでいただろう。

 ともかく、当時敵国の五名は、この村に匿われる事となった。


 村の殆どの者が反対したのは、戦時下なら当然である、しかし『日下家』の力は絶大で、それを口に出す者は一人も無かったという。

 人々は老若男女を問わず固く口を閉ざし、B-29の残骸は隠蔽され、村はより閉鎖性を増していったとの事である。

 それでも「楽しかったー」のだと、梅ババは言った。


「ババはのう、あいおなに、ようむぞがって(可愛がって)もろうた。ほんにきれいで優しか人でなあ、おなご(女)でもため息のでるごつあった。剣政様はぶらいあんを兄のように慕ってのう、ぶらいあんが動けるようになると、人目のつかん夜に外に連れ出しては、村の娘ばおどかしたりしよった。ばってん、悪さはせんだったバイ。ほんに面白かった……早う戦争の終わって、無事あめりかに帰って欲しいと、ババは願うたよ」


「帰れたのか……? 婆ちゃん?」


 この問いかけに梅ババが黙しているからには、帰れなかったのだろう。その沈黙は、たった今と反対の言葉で破られた。


「戦争が、すまんなら(終わらなければ)良かった……」

「…………?」


「戦争が終わって。日本が負けて。この村に残ったのはあめりかさんが()るちゅう、都合の悪かこつ(事)タイ。あの時はあめりかさんば『助けた』なんて誰が信じるか? 逆に敵に内通しちょったと思われるのが関の山タイ。スパイて言うたか? 終戦のラジオば聞いた夜に、村の男たちの何人かが日下様の屋敷に押し入ったと聞いたのが次の朝タイ。折角命ば拾おたのに、アメリカさんには可哀想な事ばしたとよ……。ナンマイダ……」


 ――証拠隠滅(さつがい)


 確かに『匿う』というのは、戦時下だからこそ成立する事だ。

 勝敗がついた――日本が負け、アメリカが勝った――なら、もう『匿う』必要はまるで無い。

 村人たちはその喉元に、自ら刃を突きつけたのだという考えに及んだのだろう。

 国土は占領され、進駐軍に何をされても文句の言えぬ立場になるのだと、信じ込んでもいたはずだ。村人たちの精神恐慌を、今更誰が責められるだろうか。彼らも又、戦争の被害者なのである。


「全員……やったのか?」


 俺は勝手に言葉が出た。

 俺が言わなかったらマダムが、爺さんが、五所川原が、そう問うただろう。

 梅ババは、緊迫した空気に震える友里を抱き寄せながら、ゆっくり頷くだけだった。が――――。


「ばーさん。それは違うじゃろ? ほんに墓まで持って行くつもりか? お互い歳も歳じゃ。言いにくかろうが、ここらでもう楽にならんか? もうあの事件を知るのは、ばーさん一人。誰も責めはせん。供養と思って真実を話してはくれんかの?」


 爺さんが訥々(とつとつ)と話した事には、この村が五人のアメリカ人を匿っていた事と、彼らが終戦とともに、にわかに姿を消した事まではたどり着いていたらしい。

 その原因として、どうやら日下家が捜査線上に浮かんではいたものの、日下剣政フィクサーの圧力が警察上層部に達し、真相が闇のまま爺さんは《こころストック》され現在に至っているのだ。

 ともあれ、梅ババの目は「もう全てを話す」事を物語っている。


「まず、剣政様じゃが……」


 話は日下剣政の事から始まった。


「剣政様はな、ヨカ男だったバイ。強く、優しく、利口で……じゃからぶらいあんに惹かれたんじゃろう。ぶらいあんも輪をかけてヨカ男でな……、目で人を操るような不思議なところもあったタイ。剣政様はすっかり心酔してな、それであの事件が起きたとババは思うとる。剣政様はぶらいあんに操られておったのじゃ。でなければ、あのように恐ろしいことを……」


 震える梅ババを、今度は友里が抱きしめている。


「あの終戦の夜、これはババしか知らぬ事じゃが、ぶらいあんは剣政様を呼び出して、ある命令をした。ババは剣政様から直接に聞いたとバイ。『これからあの三人を撃つ』て言うてな。ぶらいあんにもろうたピストルば、嬉しそうに見せてくれたタイ。その前に根性ばつけるて言うてな、ババは押し倒されたタイ。恐ろしくて抵抗できんじゃった」


 なるほど、梅ババが未だに日下剣政を想う気持ちが、ここでわかったがそれはさておき……。


「――ぶらいあんはなあ、敵地でただ一人の生き残りちゅう事で名乗りばあげて、英雄になろうと目論んだとタイ。その為には仲間が邪魔で、剣政様に頼んだと。ほんに剣政様はとりつかれておった。銃声は村中に響いてのう。ばってん、皆が集まった頃には剣政様とぶらいあんは逐電しとった。残されたのは三人の亡骸と、事情のわからぬまま呆けたようになったあいおなだけじゃった。事は大旦那様のはからいで、絶対の秘密となったバイ。もちろん皆の衆はいろいろ不服もあった。じゃが、な……あいおなが生き残ったことが、丸く収めた。あいおなはな……口止めのための道具として……もう、先はババには言えん……」


 なんという……話だろう。

 アイオナはその後、一人の女の子を出産し、世を去ったという。

 梅ババによるとアイオナは、ブライアンに秘めた心があったらしい。呆けたようになった後も、その名だけは忘れず口にしていたという事だった。

 つまり、アイオナは仲間を殺され、愛する人に置き去りにされ、その上口止めの為の人形となった。

 ブライアンはそこまでを読んでいたのだろうか。

 もしもそうであるとするなら、悪魔である。

 俺は見たことも無い、このアイオナなる女性に、イオナを重ね合わせて聞いていた。

 彼女の抱いたであろう、屈辱と絶望。そして愛する者に置き捨てられた為の、愛情と憎しみがない交ぜになったかのような――虚脱。

 俺はイオナとの誓いの中で、同じ言葉を交わしていた事を思い出した。


熊本弁、おわかりになられましたでしょうか?


読んで頂き、ありがとうございました。


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