「また金ヅルが来たら言ってくれ」
ミリアストという町は、とにかく坂が多い。移動には時間が掛かり、ナナシとシノンがお目当ての店は到着する頃には、陽は随分と低くなっていた。
町の中でも一番上。他の建物から少し離れた所に、ポツンとそれは建っていた。
「さあ、ここです」
商店らしき佇まいの建物。大きな看板がかかっているが、やはりナナシには文字が読めない。
それを察したシノンは、
「“シュタッカート工房”、です。この町の工房はここだけなので」
「工房?」
「霊装を造るお店をそう呼ぶんです」
そう言った彼女は、身体を反らし、リボンタイの留め金を見せつける。真っ赤な卵型で、炎を思わす紋様が刻まれてた。
魔術を行使するには二つの物が必要だ。
一つは霊力。もう一つは霊装。
霊力は魔術の原動力なら、霊装は設計図のようなものだ。造るには専門の知識と特殊な材料が不可欠。一流の職人なら、ちょっとした貴族が頭をさげるほどの権威がある。
シノンは木製の引き戸を開け中に入っていく。ナナシも続いて店内に入る。
一階は作業場のようで、大きな机に置かれた工具は整頓されていた。壁際には何に使うのか分からない機材がいくつも並ぶ。
シノンは二階に続く階段に向かって、大きな声を上げた。
「ごめん下さーいッ、シュタッカートさんはいらっしゃいますかぁ?!」
だか返事は返ってこない。
「留守かな?」
「シュタッカートさんが家から出るわけ無いじゃないですか?」
彼女はさも当然といった顔であった。
買い出しとか散歩とかはしないのだろうか、と思った。
「シュタッカートさーんッ! お客を連れてきましたよー!」
「それを早く言わんかッ!」
今度は返事があり、階段からドタドタと人が降りてくる。
ボロボロに汚れた作業服を着た小太りの老人。蓄えた黒ひげが印象的だ。
「おお? 嬢ちゃんじゃぁねぇか。今日もべっぴんさんだなあ」
「ありがとうございます」
シノンは自然に膝を曲げて挨拶した。本当に誰からも可愛がられているのだなぁ、と感心した。
老人は視線をズラし、ナナシの事を舐めるように観察する。不男にジロジロと見られるのは気持ちの良いものではない。思わず、一歩下がってしまう。
「見ない顔だな? 新人かッ!」
「はい、そして私の弟子です」
シノンは胸に手を当てそう言った。「えっへん」と空耳が聴こえた。
「そうかそうか、生憎ウチはライセンス品しかないぞ? ガッハッハ」
目の前に居るのに大声でそう言うので、耳がキンキンと痛い。
ナナシは思わず、
「うるせ」
「ガッハッハ、そんで霊力グラフは?」
シュタッカートの耳には届かなかったようで、眉一つ動かさない。
シノンには聞こえたようで、ジトッとした視線を送り、
「ナナシ、さっきの」
「ああ、うん」
先ほどの霊力グラフをナナシが差し出すと、シュタッカートはゲヘヘと笑い、
「ダメだなあんちゃん、持久力のねえ男はモテねえぞ?」
「なんの話だ」
「何ってナニだよ? ガッハッハッ!」
シュタッカートのつまらない冗談をシノンは無視して、
「これだと近接系が良いと思うのですが」
「ああ、そうだな、チョイと待ってくれ」
シュタッカートは部屋の隅にある箪笥の引き出しをガサガサと漁っている。
「近接?」
「見れば分かりますから」
「おッ! あった〜ッ」
シュタッカートは手に一本の刀と、更に三十センチくらいの黒い杖を持って来た。
「表でやろうや」
三人が店の外に出ると、シュタッカートは刀の方をナナシに押し付ける。
装飾は寂しいが、ズッシリとした重みを感じる。引き抜いてみると、ゆるい反りのある片刃の刀だった。
「霊力を流し込んでみてください。さっきと同じ要領です」
「ああ」
意識を集中させ、霊力を流し込む。
するとすんなり魔術は発動した。
刀身が青白く光り、キィィィと無機質な音を出している。
「ほほう」
ナナシは試しに地面の小石を薙いでみると、抵抗なくスパッと両断してしまった。
「おおッ、これはすごい」
「高虎ってんだ」
高虎は特定の金属を硬化し、振動させる魔術だ。
元々ある刃を強化する仕組みのため、少ない霊力で、通常の刃物と比べ物にならないくらいの斬れ味を持つ事が出来る。
大昔からある魔術の一つで、扱いやすいこともあり、転生者が使う刀剣には、大抵この魔術が仕込んである。
ナナシは何度か高虎を振るう。
スッと動きだして、パッと静止する。まるで手足のように刀身を操る事が出来た。程よい重さが心地良く、それが妙に嬉しくてナナシは止める気にならない。
「良いな、すごく良い」
「それに決めるかい?」
「まあまあ、もう片方も試しましょう?」
急かすシュタッカートをシノンが制す。
ナナシは高虎でも満足だったが、試すだけなら良いだろうと、シュタッカートに高虎を渡し、代わりに黒い杖を受け取る。
光沢があったので金属かと思ったが、その割には軽くて柔らかな質感で、握った時に手に馴染む。漆でも塗っているのだろう。
ナナシは誰もいない方を向いて、杖に霊力を流し込んだ。だが、何も変化は起こらない。
ナナシは思わず、
「壊れて…… ないよね?」
「単に下手なだけですよ」
「……お時間を貰っても?」
「お嬢ちゃん、お茶飲む?」
「頂きます」
お茶を啜る二人に見守られながら、ナナシは黒い杖と格闘し続けた。夕陽が陰り、空が紅く染まる頃、ようやく霊力を流し込む事が出来た。
彼の左手には黒い杖。そして右手には青白い短刀。
短刀は何も無いところから現れたのだ。簡素な造りの直刀である。まるで鉄板から切り取ったように扁平で、厚みが無いのが見て取れた。綿でもように軽いがその分、心もとない。
“軽薄”な刀だなぁと思った。
「変幻刀ってんだ」
変幻刀は霊力を消費して刀を造り出す魔術だ。その為、同じ量の霊力(エーテル」を消費しても、高虎よりも脆く、斬れ味も劣る。
だが、普段は手ぶらで済むという利便性もあって、開発してから日が浅いが広く流通している。
懐中時計を取り出したシノンは、
「二時間半、まあまあですね」
「夜までかかるかと思ったぜ」
「相性が良かったんでしょうか?」
足元に転がる石を試しに薙ぐ。斬れ味は鈍く、弾き飛ばしてしまった。空中で二つに割れて地面に落ちる。
ナナシはそのまま何度か振ってみるが、どうにもしっくりこなかった。
「どうだろう? これは」
「刀身と柄の長さは伸び縮みするようになってっから、試しに念じてみな」
「霊力を流し込むのも手を抜いてはいけませんよ」
短刀を空に向けたナナシは、言われた通りに伸びるように念じてみると、徐々に伸びる。伸ばし続けて二メートルを越えた辺りで、バリンッ! と音を立て砕けて消えた。
すると変幻刀を持っていた手に、電流が走ったような痛みを覚えた。
魔術は、不具合が起こると強制停止する。その時は反動が起こる。
「まだまだ新しい魔術だからなあ。伸ばすほどに斬れ味と耐久度が落ちる、気つけろよ」
「流し込む霊力量と刀身の長さ、斬れ味と耐久力。これらを状況に応じて最適化出来れば、ナナシの霊力能力でもなんとかなると思いますよ」
「なるほど……」
再び変幻刀を発動するとその場で何度も振るう。違和感は拭えないが、刀身は良く走ってくれる、充分に役立つだろう。
シノンは感心したのか、パチパチと拍手し、
「凄いです」
「ん、全然重さを感じない、よく出来てる」
「そうじゃなくて。ナナシの体捌きが滑らかだから、普通最初からそんなに動けないですよ」
「そうか?」
「転生前は剣豪か何かでしょうか?」
「かもな」
シュタッカートは急かすように、
「それでどうするんだい? 高虎と変幻刀」
「俺は高虎の方が……」
「変幻刀でお願いします」
「うえぇッ?」
シノンの想定外の答えに、ナナシの口からマヌケな声が漏れた。
扱ってみた感じ、高虎の方が身体に馴染んだ。それは見ていた方からでも分かったはずだ。ナナシは彼女の考えが汲み取れず、手を強張らせる。
察したシノンは、彼に近づきながら、
「だって、最初から上手く扱えるということは、伸び代が無いということでしょう? 面倒でも勝手が悪くても、先を見据えれば変幻刀の方が面白いじゃ無いですか?」
「いやでも……」
言わんとしていることは理解出来たが、やはり第一印象を大事にしたかった。ナナシは一歩下がり渋る。
三歩進んだ彼女は、
「ね? 良いでしょう?」
ナナシの眼前には、“満面笑みの小悪魔”。
距離を取りたくて足を動かすが、いつの間にか彼女はナナシの手を握っていた。
もうどうしようも無い。狙ってやっているのが明らかになのに、彼女の可憐さがそんな事を帳消しにしている。この状態になったら彼女に抵抗するのは不可能だろうと、彼は諦めた。
「……分かった」
「やったッ! ありがとうございます」
彼女は勝ち誇ったように小さく手を握る。小悪魔らしさは抜けていた。
シュタッカートは、両手を合わせてモゴモゴと動かし、
「それで? お代は?」
「私が。あと、遊盾も下さい」
シノンは懐から財布出して何枚かお札をシュタッカートに渡した。
シュタッカートがニンマリとした顔に変わり、店内に戻っていた。
ナナシは後ろめたくて彼女の顔色を伺う。
「良いのか?」
「はい、私だって転生したばかりの頃、色んな人に良くしてもらいましたから」
「そうか、大切にするよ…… 遊盾とは?」
「防御魔術の一つですよ。変幻刀の三倍扱いづらいですから、試すのは今度にしましょう」
「さいですか」
シュタッカートは釣り銭をシノンに渡してから、黒い杖とブローチをナナシに押し付けると、試供品を奪った。
「また金ヅルが来たら言ってくれ」
シュタッカートは店の内に入り、バタンッと扉を閉めた。
ナナシは思わず、
「変人め」
「ナナシも相当に変です」
ジトッとした眼をするシノン。
「呆れ顔でも可愛いとか…… こういうのを悪女とか言うのか」
シノンは得意げに胸を張って、
「やだなあ、言葉を選んで下さい。私はただ、いろんな方に可愛がってもらいたいだけです」
「良いのかよ、そんな事言って」
「女の子は多かれ少なかれみんな思ってますよ? ナナシだって、嫌われるより好かれたいでしょ?」
一転して大人びた表情に変わったシノンは、彼の肩に手を置き、踵を浮かして息がかかるほど顔を近づける。
「みんなにはヒミツですよ?」
そう囁く彼女から甘い香りがした。
身体を離したシノンは、片目を瞑り、柔らかそうな唇に指を当てる。
この娘には一生勝てないのだろう、とナナシは悟った。