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「アレを置いてっちゃぁいけないよな」

 第七次攻略師団が大奈落グレートホールに突入してから四十七時間が経過した。

 ランプの灯りが揺らめく横坑ラダー内はグニャグニャに蛇行していて、岩肌は滑らかな上に紫色の粘液がへばり付いているからヌルヌル滑る。ソリを引く分には楽で良いが、スパイクブーツを履かなくてはならないから、歩きづらくて転んでしまいそうだ。

 地熱は深層に降りるごとに蒸し暑くなり水を飲むのが止まらず、ムッと立ち込める生臭い空気を吸うたびにムセそうになる。突入前に羽織っていたコートは途中で脱ぎ捨て、皆ラフな格好をしている。普段カッチリとした身なりのシノンでさえ、シャツのボタンを外して胸元を晒すほどだ

 道中では大量の魔獣と戦闘状態が続くが、師団はこれを蹴散らしながらも進軍して往く。前線の兵士たちはこんな過酷な環境で戦っているのか、と心底尊敬できた。

 そんな中、順調に進軍が突如として止まる。医療を行う第四部隊で護衛していたナナシとシノンは、ユリウスのいる司令部に呼び出された。


「何かあったんですか?」

「どうやら地図と違うようだ」

「大問題じゃないですかッ!」


 シノンは血相を変え叫んだ。ナナシ自身、同じ言葉が喉から出かかったが、傍らに動転している人がいると逆に冷静になるから不思議だ。

 ところがユリウスは腕を組みドッシリと身構え、むしろ余裕が垣間見えた。


「慌てるな、過去の攻略でも同じ事はあった。この程度でいちいち騒ぐな」


 横坑ラダー内に分岐点が増えている事は以前の攻略でもあった。だが大幅に変わっているというよりか、既存の横坑ラダーに新たな分岐点出来ているようだ。古い方を進めば問題無いのだが、万が一と言うことが有り得るため、確認作業が必要になる。

 今までは精鋭部隊を送り出していたが、その度に消耗して非常に効率は悪い。


「ということで、君にこの先の様子を見てきてほしい」

「危険じゃないんですか」

「うん? 言ったはずだ、矢面に立ってもらうと」

「シノン、俺たちは無理を言って同行している。これくらいはしないと」

「途中の魔獣は無視して構わん。君なら出来る筈だ」

「シノンは残って待っていてくれ」

「そうだな、むしろ足手まといになるだろう」


 悔しそうに奥歯を噛みしめるシノンから白刃悪鬼デモントゥールを受け取ったナナシは、最前線の部隊を飛び越え、おぞましい形をした魔獣の群れを紙切れのように斬り裂きながら横坑ラダーの中を駆けて行く。

 すると団員たちが歓喜の声を上げる。

 その間全身が燃えるようにガァァッと熱い。何もかも頭から吹き飛んでしまいそうに楽しかった。

 五分ほどもすると、特徴的な三叉路に当たる。

 渡された地図を見ると、確かに正しい道のようだ。あとはユリウスにこの事を伝えれば一段落する。


「戻る必要あるか?」


 地図を確認すると十分に深層であることが分かる。わざわざあんな弱っちい連中と一緒にいる必要あるのかと。

 戦闘で不安は無い。地図はある。ここからは一人でも良いじゃないか。大体、白刃悪鬼デモントゥールを一々手放すのがしゃくであった。

 指を弾いて「ああそうだった」とシノンがいるのを失念していた。


 ナナシは思わず、

「アレを置いてっちゃぁいけないよな」


 そう呟いて踵を返す。

 攻略師団に戻ったナナシが白刃悪鬼デモントゥール解除すると、纏わりついていた紅く染まった光の糸は霧散した。

 だがいつまでたっても高揚感は引かない。

 地図を押し付けるようにユリウスに渡すと、ナナシはそこらに転がっている水筒を掴む。


「大丈夫、進んで良いぞ」

「……そうか」


 ユリウスの何か言いたげな怪訝けげんな眼にイラつきを覚え、

「なんだぁ?」

「いや、休んでくれ」

「チッ!」


 嫌味な舌打ちを残して本部を後にした。

 第四部隊に戻り、幌付きのソリに乗るとシノンが待っていた。

 目を合わせると彼女は一瞬、パァッと明るい笑顔になったが直後に唇を噛んだ。ジッとナナシを見つめる視線はやはり怪訝なものだった。


「なんだよ?」

「……白刃悪鬼デモントゥールは私が管理する約束です。忘れたんですか」

「ほらよ」


 シノンに白刃悪鬼デモントゥールを手渡すとそれを隠すように抱きかかえた。


 隣に座ると、

「しっかし大奈落グレートホールってのも案外居心地良いもんだな」

「そうですか、良かったですね」


 素っ気無い返事。顔があちらに向けているから首筋に流れる汗が目立つ。シャツは肌にベッタリと張り付いて透けて、下着が透けて見える。


「お前よく見るとエロい身体してんな」

 幸の薄そうなのが実に良い。


「何を…… ん!」


 思わず、彼女にキスをした。

 グッとつぐんだ唇の間に舌をねじ込む。

 舌を絡め、歯を舐め、唇を甘噛み。


「プハッ」


 二人の間が唾液で繋がる。

 口元を拭ったシノンは潤んだ眼光でナナシを睨みつけた。


「やめて下さい」

「なんだよ? 俺ら相思相愛だろう?」


 手荒く押し倒して服の下に手を入れる。

 柔肌を鷲掴みにする度に嬌声が彼女の口から漏れ出るのが面白い。


「これ汗だけか? グチュグチュじゃねえか」

「あなたは…… いえなんでもありません」

「なんだよ言えよ」

「お楽しみ中すまんが?」

 白衣に赤十字の腕章をつけた女が顔を覗かせる。


「人手が足らん、手伝ってくれ」

「ああ? 俺は真造適合者オルグ・ホルダーだぞ?」


 シノンは身を起こしてジッとナナシを見つめ、

「あなたは誰なんですか?」

「ああッ?! ナナシに決まってんだろう!」

「違いますよ。私が一緒にいた人は、自分のことを“ナナシ”だなんて名乗りません。だからこそこんな辺鄙へんぴなところまで来たんじゃないですか」

「そうか、そうだな」


 その言葉でフッと我に帰れた。

 気がした。


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