表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/31

「こういうのは安直なくらいが丁度良いんです」

 シノンに腕を引かれ建物の二階に上がり、一番奥の部屋に“少年”は通された。

 床には真っ赤な絨毯、奥には執務机があり、側には蛇の紋様の書かれた旗が掲げられている。天井の電燈(でんとう)は赤みのある光を発していた。

 部屋の真ん中のソファセットに“少年”は座り、その向こう側にシノンが座っていた。

 更にもう一人、中年男が座る。

 中年男に名前はクラース。老婆が言う所の説明役のようだ。人との良さそうな垂れ目の、線の細い印象の男であった。

 テーブルにはティーカップが三つ置かれて、甘い香りを漂わせていた。

 シノンは手帳と万年筆を持って、“少年”に問いかける。


「それじゃあもう一度…… あなたの名前を教えて下さい?」

「……分かりません」

「歳は? 生年月日とか」

「……それも」


 “少年”は首を振った。

 シノンは手に持った万年筆を掲げる。


「これは何でしょう?」

「万年筆」

「ではこれで、文字を書いてください。何でもいいですから」


 彼女は開いた手帳と万年筆を差し出す。

 受け取った“少年”は、しばらく考えて“あいうえお”と書いた。

 手帳と万年筆を返すと、シノンとクラースはそれを覗きこむ。


「僕は見たことない文字だなあ」

「あら? ひらがな、私と同郷ですね」

 シノンはパンと手を合わせ嬉しそうに微笑む。

 子供っぽいその仕草が、大人びた外見とのギャップで一段と愛らしく見える。


 “少年”は思わず、

「くっそ、可愛いな……」

「もう、マジメに」

「ああ、なんか舌が良く回るみたいで」

「変わった人ですね」


 身を乗り出したシノンは、怪訝(けげん)な顔をして“少年”を覗き込む。眉がクシャッと曲がっているのに、ちゃんと愛嬌がある表情だ。

 そんな視線を向けられると、さすがに照れる“少年”は、こほんと咳払いをした。


「それで、ここはどこで、どういう状況なんです?」


 シノンとクラースは一度顔を見合わせると、この世界の事を話し始める。二人は説明し慣れているのだろう。必要な情報がよどみ無くスラスラと口から出てきた。

 この世界の名前は“ライトルラント”。今いる場所はユーグラナ帝国の西方にある片田舎。

 千年ほど前に突如といて、大陸の真ん中に巨大な穴が開く。それは“大奈落グレートホール”と呼ばれるようになった。

 大奈落(グレートホール)からは、瘴気が湧き、その影響で各地に魔獣が現れるようになる。

 時を同じく、別の世界から死人が迷い込んでくるようになった。彼らとその子孫の事を“転生者”と呼ぶ。転生者を保護する為に設立されたのが転生協会。クラースはその職員だ。死者が現れる場所は限られていて、それを転生点と言う。その一つがあの老婆がいた洞窟である。

 説明を終えると、シノンとクラースは冷めた紅茶で喉を潤した。


 “少年”は頭を抱え、

「ほほう…… なるほど、わからん」


 二人の言葉の半分くらいしか理解できなかった。

 何とか、頭の中で整理して口を開く。


「つまり、俺もその転生者って事?」

「そういう事になるね」

 クラースが(うなず)いた。


「あの、記憶は元に戻るんですか?」

「それは…… 戻らない。転生してきた者はみな記憶障害があってね」

「覚えている事と言えば、自分や身の回りの人の簡単なプロフィールとか、よく使う知識や技術とか。あなたの場合は記憶がすっぽり抜け落ちているみたい。まあ知識方面は無事みたいですから、まだマシな方でしょうか」

「……何だよそれ」

「でも、君のことを知っている人もこの世界に転生しているかもしれないよ? そういうの結構多いんだ」


 クラースは取り繕うようにそう言った。

 一度に沢山の情報が舞い込んで来た“少年”の頭は、竜巻が発生したようにゴチャゴチャとして、まともに考えがまとまらない。

 ガックシと、肩が落ちた。


 見かねたシノンはクラースに向かって、

「いろんな事があって頭が回らないでしょう。細かい事は明日、改めてという事で良いじゃありませんか」

「そうだね。もう時間も遅いし。でも、名前は早く決めないと」

「それでは…… アイウ、でどうでしょう?」


 シノンは手帳を見せつける。

 ネーミングセンスの無い娘だなあ、と呆れた。

 クラースも同じ想いのようで、腕を組んで悩み込む。


「うーん、名前にしては変な響きだと思うよ」


 やんわりと否定されたが、()りないシノンは頬に手を当て考え込む。手帳に書かれた文字と睨めっこし、ブツブツと(つぶや)いていたが、閃かないのか手帳を閉じてしまう。

 すると、パッと表情が明るくなった。


「ナナシ、でどうでしょう」


 “少年”は思わず、

「安直なのはやめて頂きたい」

「こういうのは安直なくらいが丁度良いんです」

「ナナシ、ナナシ、ナナシ」

 “少年”は何度か口にしてみるが、しっくりこない。自分の名前だと思えなかった。


 そんな事を知らないシノンは無邪気に、

「では決定で、これからよろしくお願いしますね? ナナシ」

「それで、いいや」


 優しく微笑むシノンに申し訳無くて、コクリと(うなず)く。“少年”はナナシと名乗る事となった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ