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「……いや、単に憶えていないんだろう」

 転生協会の調査結果を待つ間、ナナシとシノンは斡旋してもらった仕事をこなしたり、魔術の修行に明け暮れる。すると、あっという間に一週間が経ってしまう。

 この日は手頃な仕事が無かったので、大通りに面した喫茶店で二人は優雅にランチを摂り、食後の紅茶を楽しんでいた。


 ナナシは窓の外を眺めながら、

「今って、季節で言うと、どんな感じ?」

「そうですね。冬本番はまだ先、ですね」

「えぇ……」


 気温は日ごとに下がっていき、今日は朝から雪が降り出していた。

 ナナシの身体は寒さに弱いようで、外に出ると凍え死んでしまいそうだ。

 寒空を恨めしく思う反面、きっと転生前は雪国育ちではないのだろうと想像出来た。これはこれで自分探しの旅が一歩前進している。

 とはいえ、これ以上寒くなるのは御免であった。


 ナナシは天に向かって合掌して目を瞑り、

「暖冬になりますように」

「それはそれで困る人が居ますから、程々にしておいて下さい」


 シノンはクスクスと笑う。

 彼女の笑顔を見ると不思議と心が和む。身は寒空に凍えているのに。心はどこかポカポカとさせてくれる。


「そういえば…… この季節のシェンゲンといえば、確かドラゴンが現れる季節ですね」

「デカイ爬虫類の?」

「はい、ドラゴンの中には季節によって住処を変えるものがいるんです」


 渡り鳥ならぬ渡り竜、というわけである。

 店員に話を聞いてみると、確かにシェリスドラゴンという、中型のドラゴンが近くの湖に飛来しているらしい。

 危険はないのかと尋ねると「静かに眺める分には平気」と店員は言った。観光ツアーもあるそうだ。


 シノンはワクワクとした、楽しそうな表情で、

「せっかくですから見に行きましょう?」


 少しでも日銭を稼いでおきたかったのだが、シノンのこの表情を崩す気になれなかった。

 思い返してみると、この世界の事をろくに知らない。少しくらい見聞を広めてみても、バチは当たらないだろう。


「いいよ、行こう」

「やったッ! ありがとうございます」

 シノンは嬉しそうに微笑んでそう言った。




 あくる日。ナナシとシノンは、四頭立ての箱馬車に揺られて小さな湖を目指す。

 狭い客室には十人ほどの客が押し詰められていて、チラつく雪に反して不快な熱気で満ちてる。

 馬車が揺れる度に、ナナシのすぐ隣に座るシノンと密着してしまう。

 ちらりと彼女を盗み見ると、頬が紅く染まっていた。座り心地が悪いのか、モゾモゾと動くたびに、彼女の脚がナナシを擦る。汗ばんでいるのか、彼女が胸元をパタパタと扇ぐと、甘い香りがナナシの鼻をくすぐる。

 最近はあまり意識していなかったが、シノンは美少女だなぁと、再認識した。


「んだよッ! 安っぽい座席だなッ! 俺様は真造適合者オルグ・ホルダーだぞッ?!」

「イヤ〜ん、ライズベン様カッコイイ」

「ヘッ! 本当の事言うなよ」


 ナナシにとって想定外の事といえば、ライズベンと乗り合わせた事だ。片手には酒瓶があり、ベロンベロンに酔っ払っていた。その上、真造霊装オルグ・エリクシルである刀を鞘に納まった状態で振り回している。誰も彼らの隣に座りたがらず、無駄なスペースが出来ていた。

 ライズベンという男についての情報は、ただ街を歩いているだけで彼の噂話は耳に入ってきた。

 三ヶ月ほど前からシェンゲンに滞在しているらしい。実家は資産家のようで、酒好きの女好き。おまけに真造霊装オルグ・エリクシルを持っている。一つ一つは大した事のない欠点だが、積み重なると厄介極まりない。誰もが嫌っているのに、誰もが逆らう事が出来ない。そんな人間だ。

 ナナシも関わりたく無いので、知らないふりしてやり過ごす。


 するとシノンは、ナナシの耳元で、

「私たちに気づいていないんでしょうか?」

「……いや、単に憶えていないんだろう」


 吐息交じりの甘ったるい耳打ちに、ナナシの思わず体温が上がる。平静を装うのが大変であった。

 馬車に揺られ三十分ほどの森の中に、木製の小さなやぐらがあった。そこに登ると、二百メートルほど先には湖。備え付けの単眼鏡を覗くと、深緑色のドラゴンが何頭も翼を休めている。やぐらを意識しているドラゴンもいるようで、真っ赤な瞳と目が合った。近くに生えている木と同じくらいの高さ、体長は二十メートルほどだろう。これで中型と言うのだから、大型ドラゴンはどれだけの巨体なのか見当もつかない。


「シェリスドラゴンは、夏季はここよりも北の……」

 ガイドのお姉さんの解説を聞き流しながら、一行はドラゴンを観察する。


 長い黒髪を風になびかせながら、シノンは楽しそうにドラゴンを指を差し、

「おっきいですね」

「何食べたらあんなになるんだろうな」

「きっと、牛乳ですよ。牛乳」

 牛一頭を丸呑みしそうな巨体なのだから、流石にそれは無いだろう。そもそもどこから牛乳を調達するのか。


「……そういう事もあるかもな」

 ナナシはツッコミを入れようか迷ったが、それも野暮だと思い口に出さなかった。

 それからは、ドラゴン同士の迫力ある喧嘩に息を飲んだり、櫓を降りて森林浴をしたりしてしながら、二時間ほど時を過ごした。

 ガイドが終了の時刻を告げると、みな満足した顔でやぐらを後にしようとする。一人を除いて。


「んだよッ! これだけかよッ? ツマンネーなッ! もっとオモシレーもん観せろよッ

!!」

「ライズベン様、横暴すぎ。でもそんな所もカッコイイ〜」


 ライズベンは子供の癇癪かんしゃくのように暴れ出す。やぐらの柱を足で蹴り、女がそれを囃し立てる。彼の顔は先ほどよりも紅くなっていた。

 ガイドがたしなめめる為に彼らに近づく。


「お客様、当ツアーではこれ以上……」

「ああ、ツマンネもんはツマンネんだよッ、バカにしやかってッ」

「しかし……」

「アアッ! 話になんねー」


 彼は、左手でガイドの胸倉を掴み、右手を上着の中に入れる。抜き出した手には拳銃のようなものがあった。どうやら霊装エリクシルのようで、それを青ざめるガイドの額に押し付けた。


 ナナシは思わず、

「おいッ、やめろってッ!」


 そう言いながら、霊装エリクシルを掴んで取り上げようとする。

 だがライズベンはそれを振り払うと、眉間に青筋を立てる。


「どいつもこいつもッ!」


 彼は銃口をナナシに向ける。

 ナナシは咄嗟に魔術を発動させた。

 目の前に透明で赤い円盤が現れる。遊盾シールドだ。

 銃口からは一条の光線が撃ち出され、遊盾シールドにぶつかる。すると、弾き飛ばすように光線を防いだ。シェンゲンに着いてから、毎日修行しておいた甲斐があったというものだ。


 早々に頭を下げていたシノンが、

集束煌レンブラント!?、こんな所で撃つなんて」

「テメエら、大人しくしておけば楽に殺してやったのにッ!」


 何発もの集束煌レンブラントがナナシを襲う。狙いは雑で、幾つかは遊盾シールドにすら当たらず彼方へ飛んで行った。

 シノンは右手を前に突き出す、その手の周りには燐火ファイアルが浮かんでいた。


「やめてくださいッ! いい加減にしない」

「るっせえ、バカにしやがってッ、バカにしやがってッ!!」


 ライズベンは狂ったように集束煌レンブラントを乱射する。もはやナナシ一人を相手にしている様子も無かった。シノンも反撃できないようで、遊盾シールドを発動して身を守るので精一杯のようだ。

 他の客も、地面に伏せて身を守っているが、このまま放って置くとケガ人が出るでは済みそうもない。

 なんとかしようと、ナナシは意を決した。

 邪魔な遊盾シールドを解くと、ナナシは低い態勢のままライズベンに飛びつく。その時、光線が右肩を撃ち抜いた。ジュクジュクとした焼ける様な痛みが脳天に響く。

 痛みに怯まずグッと踏ん張り、彼の身体を捕まえ押し倒す。


「取り押さえてッ!」

 そう誰かが声を張り上げると、その場にいた男たちが雪崩れ込む。

 彼らにライズベンを任せると、ナナシは人山から這い出た。


「まったく、なんだってこんな事に」

「いいから傷を診せて下さいッ」


 肩に開いた穴からはダラダラと血が漏れ出ていた。

 シノンは懐からハンカチを取り出し、傷に押し当てる。焼ける様な痛みは更に増す。


「誰か、治療のできる人はッ」

 顔を青くしたシノンがそう叫んだが、その場の全員が首を横に振った。


「そんな……」

「大丈夫だよシノン。シェンゲンに戻ってからでも」

「いいえお客様、そんな悠長な時間は無いかもしれませんよ」


 ガイドがそう言って指差した先には、翼を広げこちらを見据えるシェリスドラゴンの群れ。明らかに気が立っている。一頭のドラゴンが咆哮をあげると、他のドラゴンが飛翔しやぐらに近づいてくる。


「ギャアアアアッ!!」

 最初に悲鳴を上げたのは、よりにもよってライズベンであった。

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