つのる恋心
翌日、塾に来たヨウヘイは普段通りだったので、僕も昨夜のことは口にしなかった。
もちろん、昔、うちの隣人だった清瀬老夫婦のことは、話すつもりはない。
僕達が生まれる前の不確かな噂を教えたところで、友人のためになるとは思えなかった。
第一、竹田の爺さんの追求に、他ならぬ夏美さん自身が否定していたじゃないか――。
それでも、割り切れないモヤモヤした気分が残ったが、その霧を晴らす術もないので諦めた。
祭りの夜の出来事はひとまず忘れて、受験生の本分――勉強に打ち込むことにした。
毎朝と夕、夏美さん家の前を通る。
6月に種を蒔いたコスモスは草丈が伸び、はや1m近くに達しようとしている。
丸い蕾が大きく膨れ、早いものは間もなく開花しそうだ。
勉強の合間にネットで検索したら、コスモスという花は、種蒔きからおよそ3ヶ月で開花するらしい。
華奢な見た目に反し、茎が倒れても花開くという強かな特徴があるのだそうだ。
9月になると、夏美さんが望んだ『昔みたい』な庭になるに違いない。
その時、彼女はどんな眼差しで、その庭を眺めるのだろうか。
-*-*-*-
「――オレ、お見舞いに行こうと思うんだ」
ちょっと思い詰めた表情で、ヨウヘイが打ち明けてきた。
夏休みも終わりが見えてきた、8月最後の土曜日のこと。
弁当を食べ終わった、昼休みだ。
「そうだな……心配だよな」
母さんの話だと、夏祭り以来、夏美さんは家に籠りがちだという。
オバ友会にも誘ってみたが、夏の暑気当たりとか体調不良とかで休んでいるらしい。
一度、母さんがスイカを持って様子を見に行ったら、青白い肌で酷く痩せていた、と心配していた。
「でも……迷惑じゃないかな」
「――」
正直、分からなかった。
体調の悪い時は、変に人恋しくなることがある。
シンとした部屋の中で、世界に自分と時計しか存在していないような、鬱窟とした孤独に押し潰されそうになったりする。
一方で、訪ねて来られても対応するのがシンドイ、煩わしいということもある。
同居人がいれば、代わりに来客を捌いてくれもするだろうが……独り暮らしだとそうもいかない。
夏美さんの現状がどちらなのか、見当が付かなかった。
「なぁ、マモル?」
「うん?」
「お見舞いって、何か持って行くよな? オレ、あんまり経験なくてさ」
ヨウヘイは、照れ臭そうに短髪の頭を掻いた。
昨年秋に野球部を引退したのに、いわゆる五分刈りの坊主頭を続けているのは、彼なりの合格祈願の願掛けだ。
「僕だって、そう何度も経験してないよ」
「定番は……花かな?」
「うーん、入院してる訳じゃないからなぁ」
こういう時、多分女子ならアイディアもあるだろう。
なんというか……女という生き物は、いざ非日常の事態が発生すると、思いもかけない能力を発揮するのだ。
その点、男の無骨さときたら。
男は、経験を積まないと、咄嗟の対応が身に備わらないらしい。
「……オレさ、彼女から見たらガキだよな」
ふと、ヨウヘイは僕の目を覗き込む。
真意が汲み取れず、ドキンとする。
「どうしたんだよ、急に」
「こういう時、スマートな気遣いってのが分かんねぇ自分が嫌んなるんだよ。もっと――大人だったら、あの祭りの夜も助けられたかもしれないのに」
ヨウヘイの瞳は真剣だった。本当に、夏美さんのことが好きなんだと、改めて思い知った。
「……背伸びしたって、僕らは高校生だから、仕方がないよ。あの夜、お前がどんなに気を利かせたって、かえってややこしいことになってたさ。10代の今だからこそ出来る『好きになり方』ってのがあるんじゃないのか?」
まだ真剣に誰かに恋していない、僕が言える精一杯のアドバイスだった。
ヨウヘイは、突然、机越しにガバと抱きついてきた。
「――な、何だよ?! 止めろって!」
「マモル、お前、やっぱりいい奴だなっ!!」
元・高校球児は、感動の表現が大袈裟だ。
僕らの友情は深まったようだが、休憩室内の注目――白い目を、一身に浴びてしまった。
ヨウヘイは、明日、花を持って夏美さん家を訪ねるから、僕にも同行して欲しいと懇願してきた。
夏美さんの様子が気になっていたので、渋々を装って、僕は承知した。
-*-*-*-
浅い眠りの中で、またあの夢を見た。
――いや、夢なのかさえ不確かだ。
愛しい我が子が消えていく……それを自らの手で行わなければならない地獄。
幸せな結婚になるはずだった。
あの人は、暴力を止められない人だった。
あの夜――私が夜勤でさえなければ。
分かっていたはずなのに――サクラを守ってやれなかった。
後悔は、身に刻まれた印のように、いくら時間が経っても消えることなく、私を苛む。
思い出したくないのに、また夢の形を取って甦る。
いっそ狂ってしまえば楽だったろうに、そういう時に限って冷静になるのだ。
多分――私の心も、あの時、サクラと一緒に死んだのだろう。
夫の身に起こる『変化』を知りながら、私はその方法を選んだ。
どこかで、失った子どもたちの代理復讐をしている気がしていた。
復讐を果たしても、子どもたちは戻らない。身に刻んだ負の刻印がひとつ、増えただけだった。
私の大切な人たちは、いつも私を置いて消えてしまう――そういう星の元に定められたのかもしれない。
だから、私はもう誰も愛さない。
悪夢を繰り返す残酷な日々の中で、生を引きずり続けるのは、大好きだった祖父母と見たコスモスの庭をサクラとソラに見せあげたいからだ。
それが……それさえ叶えば――私も行く。
大切な人たちの待つ場所ではないにせよ、この地獄よりはマシな所へ――。




