ヨウヘイの恋
梅雨明けと共に、7月に入った。
高校3年生、受験の夏がいよいよ加速する。
月末の期末考査の成績もさることながら、当面の目標は、全国模試でのA判定だ。
僕を含むクラスの数人は、模試前の7月から夏休みの間だけ、駅前の学習塾に通うことを決めていた。
「おい、マモルんちの隣、すっげー美人が独り暮らししてるんだって?」
クラスメイトのヨウヘイが、塾の帰り道、声を掛けてきた。
「何だよ、いきなり?」
「オレんち美容院だろ? 母ちゃんが、この前新しいお客さんが来たって話になって」
ああ、まただ。これだから、田舎は嫌なんだよな。
新しいもの、珍しいものの話題は、千里を駆けるんだ。
「あー、早川さん? 確かに……美人かな」
「いやー、羨ましー! いや……目の毒、かな。でも、お前んちに見に行っていいか?」
「何だ、それ」
僕は苦笑いしながら、
「うちに来たって、お隣なんだから、会えないかもしれないだろ」
やんわり拒否してみる。
しかしヨウヘイは、引かなかった。
「明日、土曜日だろ? 塾の後、お前んち行っていいか? てゆうか、行くわ」
はっきり断ることもできたが、僕は押し切られてしまった。
薄暮の中、明らかに軽くなった足取りのヨウヘイの背中を、密かに呆れながら見送った。
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ヨウヘイの強い想いは、幸運にも叶えられた。
翌日、我が家のリビングでオバ友会が開かれていたのだ。
当然、夏美さんも参加している。
「――一緒に勉強するから」
そう言い置いて、お菓子と飲み物を取りにキッチンに入った。
ヨウヘイはリビングの入口で、お邪魔します、と礼儀正しく振る舞っていた。
ソファから会釈した夏美さんは、ライトデニムのシャツブラウスに白いスキニーパンツという爽やかなスタイルだった。
「――マモル、まじヤバイって!」
僕の部屋に入るなり、ヨウヘイがもの凄い勢いで迫ってきた。
後退りしたが、あっという間に壁に追い込まれた。
「な、何だよ?!」
「母ちゃんの話以上だっ! オレ、大学受かったら告るわ!」
力が抜ける。半年以上も先の宣言をされても、返答に困る。
「――マモル、オレ達、友達だよな?」
「何だよ、薮から棒に」
元野球部のヨウヘイは、僕より5cmくらい背が高い。ちょっと見上げる態勢で、圧倒される。
「お前、彼女にホレてないよな?! 正直に言ってくれっ!」
正直なところ、夏美さんは素敵な人だと思う。
綺麗で、可愛らしい一面もある。
でも――恋という感情ではないんじゃないだろうか。
「……まさか、お前……?」
すぐに答えない僕を見つめて、ヨウヘイの頬が強張った。
「いや、ホレてないよ。……イトコの姉ちゃんみたいな感じかな」
後半は、ヨウヘイを安心させるための嘘だ。イトコのヒカリ姉ちゃんと夏美さんは、全く違う。
「……良かった。距離は、お前に勝てねぇからな」
何だ、それ。
距離以外は、僕に勝てるってか? 失礼なヤツだ。
俄に苛っとしたが、口には出さないでおいた。
「ヨウヘイが告ろうが告るまいが、僕には関係ないって。まぁ……頑張ってよ」
「サンキュな、マモル!」
僕の皮肉は耳に入らないのか、ヨウヘイはホッとした表情で、壁から離れた。
「あー、オレ、絶対大学受かってやる!」
何度も繰り返して、ヨウヘイは帰って行った。
不純なモチベーションであっても、受験合格という本来の目的を果たすのであれば、良いのかもしれない。
ただ、夏美さんから見たら10歳以上も年下の『青い』高校生なんかを、相手にするんだろうか。
ヨウヘイの恋の成就は、酷く困難なハードルに思えた。
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学習塾が主催した全国模試を受けた帰り、僕とヨウヘイは地元の神社に寄った。
模試の結果を祈りに――という訳でなく、何とすればヨウヘイが『恋守』を買いたいというので、付き合ったのだ。
「僕らが持つなら、『合格守』じゃないのか?」
「それは実力で勝ち取るから、神様の助けはいらない」
参拝を済ませて、社務所で買った御守りを財布に入れながら、ヨウヘイはきっぱり言い切った。
おいおい。彼女の気持ちを掴む方が、実力勝負じゃないのか?
どこかズレている友人の感覚に、苦笑いした。
「――あら、マモル君?」
背後から、声がかかる。振り向くと、夏美さんが立っていた。
「あ、夏美さん」
「こ、こんにちは!」
僕らは同時に答えた。不意討ちを食らったヨウヘイの声は、思い切り上ずった。
白いシャツブラウスに紺のスキニーパンツの夏美さんは、藤で編んだカゴ型のバッグと白い日傘を持っていた。
「こんにちは。ええと、君はこの前会った子ね?」
「はい! 加賀美陽平です!」
流石、元球児。ヨウヘイは、爽やかに白い歯を見せた。
「……加賀美? もしかして、美容院の息子さん?」
「はい! 前にうちに来ていただいたと聞いてます!」
「そうだったの。陽平君はお母さんに似て、ハキハキしてるのね」
「ありがとうございます!」
ヨウヘイの張り切り振りは、夏美さんに会えたからだ。
隣に立つ友人の目の輝きを見て、少しばかり羨ましさを覚えた。
「二人とも、ここには……合格祈願?」
「ええ、まぁ」
「はい!」
一瞬、ヨウヘイを見遣った。頬がやや赤いのは、日焼けした肌が隠してくれているが、至近距離の僕の目は騙せない。
「夏美さんは、何かお参りですか?」
ちょっとした友情から、話題をそらしてやろうとしたつもりだったのだが、
「おい、立ち入ったこと聞くなよ」
「……ってぇ」
大人振ったヨウヘイに、肘鉄を食らわされる羽目になった。
夏美さんは、そんな僕らのやり取りを眺め、クスクス笑った。
「私は――ちょっと気分転換。ここは、町が見渡せるから、お買い物のついでに寄ってみたの」
朱色の鳥居の向こうに広がる景色を指差した。
確かにこの神社は、町を見下ろすように、高台に鎮座している。
神社の裏手は、高台の住宅街に続いていて、枝道が分かりにくいものの、そこからやって来れば苦労はない。しかし、正面の鳥居をくぐって参拝しようとすれば、50段を越える石段が待ち構えているのだ。
「えー、石段ツラくなかったですか?」
そういえば、この石段は野球部の練習メニューだったっけ。
「大丈夫。裏から来たの」
夏美さんはふんわり表情を崩し、
「そろそろ夕方の特売の時間だから、行くわね」
と、手にした日傘をパンッと開いた。
「あ、はい」
「……あ、あのっ!」
数歩、鳥居に向かっていた夏美さんは、ヨウヘイを振り返る。
「あの……オレも、夏美さん、って呼んでいいですか?!」
まるで告白でもするみたいに、ヨウヘイは真っ赤に――今度は恐らく夏美さんにもバレたであろう――頬を染め、はっきりと気持ちを全身に乗せて、尋ねた。
「いいよー。じゃあね、陽平君、マモル君」
ヨウヘイの精一杯の勇気をサラリと笑顔で受け流して、夏美さんはヒラヒラ手を振り、去って行った。
仮に彼の好意に勘づいていたとしても、殊更気づかない振りをしたのは、彼女が僕らより大人だからなのだろうか。
赤い鳥居の下を潜り、白い日傘がゆっくりと町の景色の中に沈んで行った。