蔵と副産物
蔵と副産物
翌日早朝、エンデンさんの所に行き、菜種油増産の許可が出たことを伝える。だが、農地の問題もあり、どうするか検討しなければならない。エンデンさんの農地は街外れにあるので、その外であればどんどん広げることは可能だ。だが、魔獣に荒らされる事や、作業時に魔獣に襲われることを考えるとそう簡単に広げることが出来ない。今の所は畑の周りに赤胡椒(唐辛子)を植え、その匂いで近寄らせない様になっている。グラスボアやウルフにこの刺激臭はキツイらしく、そこそこの効果が出ていると報告があった。それに、襲われないということではないので、街に近い所にある農地以外は冒険者に護衛を頼むこともある。大量に生産しても量がそれほど取れない菜種油なので、何処まで費用が出せるかが難しいところである。連作障害も考え、休耕地や貝の粉を利用した肥料も考えなければならない。農業の素人でしか無い俺が考えつくのはこの程度でしかないが、やらないよりはマシだろう。
そのような話をしているのは、費用の概算を算出し、シルヴィアさんに提出しなければならないので、二人で頭を悩ませる。だが、結局大幅に増産しなければならないので、畑を現状の2倍に増やす方向で行くことになった。農地を作るための人員や、冒険者を雇わなければならないので、また費用が嵩む。だが、それをしなければ増産は不可能。悩ましいことだ。
その次には赤胡椒について相談する。現状の量で、チリソース(タバスコ)や、ラー油の生産で、使い切れない量があるため、他の街へと販売できている状態なので、これに関する費用はさほど多くない。菜種油よりははるかに簡単に終わらせる。ただ、乾燥した唐辛子を細かく切り刻む事を話してみると、勘弁してくれと来たので、やはり機械を作らなければならないのだろう。
菜種油と赤胡椒についてはおおまかな概算がまとまったので、次の取引先へと向かう。その取引先とは、以前大豆を輸入したが、上手く扱えずに困っていたカシャン商会だ。俺の商会やフェスティナ商会以外ではまだ大口の取引先はいないため、元々そこまで多く輸入していなかった。3年と限定的だが、輸入量を増やしてもらうように交渉し、何とか当面の大豆不足は回避できそうだ。ただ、その3年のうちに何とか街内生産を成功させなければ、再度お願いすることになるだろう。安定供給のためにはまだまだ骨を折らなければならないことが多くあり、頭が痛くなる。
早めに昼食を終え、今日の午後パーティーメンバーが蔵を見に来ると言っていたので、その準備にとりかかる。おおまかに準備を終えたところ、5人が事務所兼研究室に顔をだす。
「フミトさん、こんにちは。蔵を見せて頂きに来ました」
「いらっしゃい。いきなりだけど、蔵に入る前に体を洗ってきて欲しいんだ。蔵で働いている細菌という人間の目には見えない小さなものがいて、その細菌が汚れに弱いんだよ。ここに綺麗にした作業服があるから、これに着替えてもらっていいかい?」
細菌が汚れに弱いと言うのは方便であり、実際は他の細菌、いわゆる雑菌が蔵にあまり入り込まないようにするというのが目的である。ただ、そこまで説明していたらノンナの頭から煙が出かねないので、簡単に説明したまでだ。
何のことかわからず、全員が白の作業着を受け取り、街の中心に戻ろうとする。
「あ、ごめん、すぐ近くに従業員専用の風呂場があるから、そこで良いよ。案内するから着いてきて」
この街では一般家庭に風呂場は無く、集合浴場があるので、そこで体を洗うことがほとんどだ。アピのように温泉が湧き出ていることは稀な上、水をお湯に変えるほどの燃料を得ることが簡単ではないのだから、集約するのはしかたがないのだろう。
専用の風呂場を作ったのは、細菌を取り扱うので仕方がなくである。元々男が入る目的なので、見た目も雑であり、簡素ではあるが広く作ったので、5~6人いっぺんに入っても問題ない洗い場は確保できている。湯船には4人くらいしか入れないと思うが、交代で洗えば全員浸かることも出来るだろう。
「そうそう、入った時体洗うのに、備え付けの石鹸使ってみてくれる?それと、髪を洗った後、蓋のある桶から少量液を取り出して髪に擦り込んだ後洗い流してもらえるかな?その2つを使った感想を後で教えてもらいたいから、一応全員使ってみてね?」
テスト生産した香り付きの石鹸と、アルカリ性になった髪質を戻すための、弱酸性にしたリンスである。一般的に生産しているワインビネガーを利用して作ってみた。リンゴ酢が一番匂いが少ないらしいのだが、リンゴがまだ見つかっていないので、とりあえずという所だ。酢の香りが強くないレモンで作ると価格が跳ね上がりすぎるので、一般向けと言うより貴族向けにしか作れないのが難点なので悩ましい所だ。香りに関しては石鹸と同じで2連の蒸留器を作り、花びらや樹木からエッセンシャルオイルを抽出し、混ぜ込んであるので、そこも評価して欲しい所だ。女性の好きな香りであるはずなのだが、商品にすると良くないと言われる可能性があるので、難しい所だ。
「フミトおまたせ!あの石鹸良い香りだね!どうやって作ったの?売り始めるのはいつ?」
5人が同じ石鹸を使って来ているので、華やかな香りがたっぷりと届く。うちの従業員も同じ石鹸を使っているのだが嗅いだ感想は全く違う。今の香りを嗅いだ後は、妙に心が落ち着かない。これは女性だから対男性で良い効果が出ていると考えても良いのだろう。シルヴィアさんにこの新種を提出する時後押しできる武器になるだろうと頭にメモしておく。
「そう矢継ぎ早に言われてもな。製法は内緒。花や木の香りを取り出して石鹸に入れたとだけ教えておくよ。販売はシルヴィアさんに見てもらってからかな?それで、この香りはどんな評価だい?」
「すっごい良い香りね!木も混ざってるんだ。わからなかったけど、甘い香りと爽やかな感じがあってすごく落ち着く」
「私も同じような意見ですね。甘い香りで落ち着いて、爽やかな香りですっきりとした感じです」
「フミトさん、ぜひ量産してください。これは売れます。そしてうちの商会に是非」
「私もこの香り好きです。アピで初めて使った石鹸も良かったですけど、こっちは最高ですね」
「シザーリオどんな顔するかな」
二人ほど趣旨と違う意見が混ざっているが、好評という所だろう。蜂蜜とかも混ぜてみたかったが、予算が嵩み過ぎるので断念したのだ。エッセンシャルオイル作るのにも花畑で花びらや樹木、そして、薪も大量に使うので、潤沢に流通させるにはまだ多くの所を見直し、考えなおさなければならないだろう。まずは貴族相手に販売するのが最善策になるかもしれないが、何時までこの香りが持ってくれるのかも実験しなければならない。経年劣化は時間が過ぎなければ評価できないので取り敢えず後回しにしておく。
「もう一つはどうだったかい?」
リンスの方の感想を聞いてみる。男性もリンスは使うだろうが、髪を長くしがちな女性により多く使われるはずなので、そちらの意見を重視したい。
「石鹸の良い香りが少し無くなっちゃいましたけど、髪の毛がサラサラです!」
リーアが初めに感想を出す。髪が肩口までのリーアなので、匂いが薄くなったのかもしれない。
「私は香りは特に気にならなかったです。サラサラになったのは気持ちいいですね」
髪が長いナイアにとっては洗い流した事による香りの減少はさほど感じなかったようだ。まだ乾燥しきっていないでしっとりとした髪を触りながら感想を伝える。
「私も香りは特に気になりませんでした。サラサラ感はとても気持ちが良いです。これも私の商会に融通お願いします」
おとなしい性格かと思っていたんだが、商品に関してはしっかりしてるようだ。
「フミト!早く商品化しなさいよ!」
「これシザーリオに使っちゃ駄目?たてがみサラサラにしたい」
どうでもいいことを言い出すのが約1名。髪が短い女性なので参考にしたかったのだが、全く参考にならない。取り敢えず肯定的な意見が多いので、香りに関してもう少し修正が必要みたいだが、一般販売には辿り着けそうだ。
「さて、今日は蔵を案内するということだけど、蔵には細菌と呼ばれる人間の目には見えない小さなモノが働いているんだ。細菌はとても多くの種類がいて、種類によっては蔵に居る細菌が負けちゃうくらい強い細菌が居たりするんだ。その細菌を持ち込まないために体を洗ってもらったんだ。石鹸を試してもらいたかったというのもあるけど、一番の理由はこれだからね」
全員の顔を見ながら伝える。特に酒をまずくする火落ち菌というのが現代日本でも居る。火落ち菌に汚染された酒蔵は二度と使えないと言われたりするくらいなので、清潔にしなくてはならない。ただ、この世界に火落ち菌が居るかどうかなんてわからないのだが、万が一を考えてのことだ。
「間違っても、シザーリオに飲ませようと思って連れてくることなんてしないでくれよ?最悪、この酒が全部ダメになるだけじゃなく、この蔵も全部作り直しになるかもしれないからな?」
一人ビクッと体を震わせるが、反応したということは、やるつもりだったのかもしれない。釘を差してよかったよ。
「さて、案内するよ」
蔵に入り、メインである酒の樽を見せる。味に関しては昨日飲んだとのことなので、今日飲ませることはしなくて良いようだ。ノンナが一人だけ飲めることを期待していたようだが、そうそうタダ酒飲ませるわけにもいかない。その次に味噌樽、麹部屋、そして別の蔵にあるチリソースも見せに行く。チリソースに関してはノンナが嫌な顔をしながらついてきたので、昨日はたっぷりとかけてしまったのではないかと思う。人の話を聞かないノンナらしいといえばらしいが。
一通り案内を終え、作業室まで戻る。
「それで、今日お願いしたい作業なんだけど、セイシュ……ではなく、昨日飲んだスープの元、ミソを作ってもらいたいと思ってね。本来は冬仕込むものなんだけど、エレイメイの魔法で温度を変えることで早く作れるかもしれないという実験だけをしたくてね。これが上手く行けば通年で出荷できるようになると思うんだ。その実験を助けてもらおうと思ってね」
「あれはミソという名前なのですか?不思議な響きですが、どういった意味なのでしょうか?」
ナイアから当然という質問が来る。
「俺が特殊な文字を使ってるのはこの前見たと思うけど、古代語で旨味のあるものという意味らしい。それをそのまま使わせてもらったんだ」
「そうなんですか。本当に不思議な響きですね」
実は完全につくり話である。いろんな説があるが、「未だ醤にあらず」という言葉から、未醤、味噌と呼び変わっていったと言うのが有力だそうだ。醤という存在をすっぽかして作ったものに対して、醤になってないモノと言う名前は説明できないので、適当にでっち上げたのだ。他にいい名前が思い浮かべばよかったんだけど、使っていく間に絶対名前でボロが出るから諦めた。
「昨日、乾燥した大豆を12時間ほど水に浸しておいた物を、今日の午前中に蒸しておいたから、それをすりつぶしてもらいたい。その後、こちらで準備した塩と麦麹の混ざったものを一定量ずつ混ぜあわせてもらいたいんだ。今回は大豆約50kgほど作ろうと思う。大体この樽いっぱいになるくらいになるよ。結構力もいるし、時間もかかるから、大変だけど、すりつぶすのも、混ぜるのも手を抜くと全部失敗することがあるから、頑張って欲しい。特に飽きないでくれよ?ノンナ」
ビクッと反応した後に、文句の言いたげな顔でこちらを見てくる。まあ、やり始めれば楽しんでくれるのではないかと思うので、そこまで心配してなかったりもする。ただ、量が多いのがすこし心配ではあるが、5人いれば一人10kgくらいだ。俺はテスト生産時に200kgやったから、それに比べれば大した事無いだろう。
「まず、このボウルに豆用のカップすりきり一杯いれ、棒でよくすりつぶす。その後、麦麹と塩を合わせた物を麹用のカップすりきり一杯いれ、良く練る。しっかりと練った後は拳大くらいの大きさに丸めておいてほしい。注意点は潰す時はしっかりと潰すこと。粒があまり残らないように。練る時はこの麹がまんべんなく行き渡るように。丸める時はできるだけ中の空気が抜ける様に丸めてほしい」
米用に作った蒸し器で蒸した後、常温くらいに自然に冷まし山になった大豆と、麹のたっぷりはいった樽から取り出し、一通りの流れを教える。1kgずつやっていくのだが、全員でこれを50回。頑張って欲しい。
俺は監督兼最後の樽に仕込む係としているので、基本この作業はしない。最後の樽詰めは意外と重労働だったりする。樽に詰める作業は、みんなの作ってくれた味噌玉を樽の端に投げつけた後ならしていく。バシバシ投げつけるので、潰して練るという地味な作業をしている周りには楽しそうに思えたりするのだが、大豆50kg分味噌玉を投げつけるのだ。投手でも嫌になるだろう。1個250gと考えて200球。小さい缶ジュースを200回投げつけるのだ。翌日の自分の体を想像したくなくなる。実際は麹と塩、大豆の蒸した時に追加された水分があるので、それ以上に重くなるのだが。ちなみに大豆50kgは乾燥大豆の時の重さである。
アルコール殺菌した樽に味噌玉を一つひとつ投げ入れ、空気が残らないようにならしていると、初めのうちはみんなも潰して混ぜることが楽しかったのか、こちらにあまり注目してこなかったが、大豆が残り半分位になった頃、案の定ノンナがウズウズしだした。だが、ここで彼女に任せるとここから腐敗しそうで怖いので無視しておく。
人数が多いためか、1刻程度で作業がおわり、一息つく。
「フミトさん、こんな大変なことやっていたのですね。すごいことだと思います」
ナイアから賛辞が来る。量が少なければここまで大変ではないのだが、商用目的なので、ある程度以上はテストでも作らなければ結果を出せない。その為、今回は現状持っている商用樽での最低単位で作成したのだ。
「前回はこの樽をあと3個作ったんだよ。それでも2~3の食堂に卸せば1ヶ月持たないんじゃないかな?」
「これだけ苦労したのにそれだけなんですか……。そうなるとかなり高価なものになるのでしょうか?」
「ホントはそうしたいけど、あまり高くし過ぎると一般的に流通しなくなるし、何処までこの味が受け入れてもらえるかわからないから、そんなに高くすることは出来ないと思う。まあ、値段設定はこれから提出する書類でシルヴィアさんが決めることなんだけどね」
「難しいところですね」
「そうだね、せめて潰すところだけでも楽になれば良いんだけどね」
「何か考えてたりしますか?」
「あるにはあるんだけど、それを作るのにいくら掛かるのかわからないから現状手作業かな……」
「それを作るのにも借金なんですよね?」
「そう……。これ以上借金は増やしたく無いんだよね。利子が殆ど無いと言ってもそれに甘えていたら駄目だし、だけど大量生産しなければならないから必須と言えば必須だし、頭痛いよ」
借金の額と、追加金の事を考えると非情に頭が痛くなる。商会を大きくしなければ今の二人を安定的に雇うことが出来ない。ただ、現状だと二人だと足りない。少人数で行くには機械がほしいし、その機械を作るにはお金が必要。グルグル考えることが回り始め、問題を解決する策を考えると次の問題が浮かび上がる。何から手を付けたら良いものなのか……誰か教えてくれ。
「さて、作業を手伝ってくれたお礼にちょっとしたお菓子を作ろうと思う」
「お菓子!」
即食いついたのはノンナだった。最後にはちょっと飽きてたみたいだからこの振る舞いはとてもうれしいことなのだろう。
貯蔵庫から薄く円形になった白く乾燥した物を持ち出してくる。
「なにそれ?あんまり美味しくなさそうなんだけど?」
あからさまにがっかりした顔をするノンナ。まあ仕方がない。まだ調理途中なのだから。
「これからもう少し手をかけて、最後に仕上げをした後ようやく食べれるやつなんだ。これを食べても良いけど、そんなに美味しくないと思うよ?」
そう説明するとがっかりした顔から少しだけ訝しんだ顔になったが、食べてからその顔ができるか試してもらおう。
火をおこし、網を準備する。網といっても薄く細い金属の板を交互に重ねた物なので、完全な網では無いのだが、今の技術ではしかたがないのかもしれない。なので意外と重かったりするのだが、しっかり火は通るので気にしない。炭で温まって来た網に白く乾燥したものをのせ、焼き始める。箸でクルクル表や裏を反しながら焼き、きつね色になってきた所で水で溶かし、少し煮詰めたミソを両面に塗り、再度焼き付ける。ミソの焼ける香ばしい香りが漂うと、ノンナから何かを飲み込む音が聞こえる。
焼き上げた数枚を皿に置き、待てをかける。まだ熱いため、すぐ食べると火傷するからなのだが、もう待てないと言う表情で焼き上げたものと俺の顔を交互に見る。完全に犬に見えてきて、何時まで待てるのかとやってみたくなったが、流石に酷だろう。熱いから気をつけて食べることを言い、食べることを許可した。
「なにこれ!バリバリして美味しい!」
人数分は最初に焼き上げていたので、食べれないメンバーは居なかったが、次は2枚以上即確保しかねない勢いでノンナから感想が出る。
「フミトさん、これも私の商会にお願いします」
「フミトこれ美味しい!もっと作って!」
「バリバリしてて美味しいです!」
「これは面白い食感ですね、味も美味しいです!何が材料なのですか?」
レンティはこの頃ブレなくなったな。味はかなり良い評価みたいだ。疲れた後だとなんでも美味しいというわけでもなさそうなので、少し安心する。まあ、本来3人だけで楽しんでいた食べ物だったのだが、今年のお酒の仕込み量を考えると3人だけで食べつくすことが出来ないので、振る舞うことを考えたのだ。少量なら販売も可能かもしれない。
「これは、セイシュを作る時に出た米の粉から作ったセンベイというお菓子だよ」
「セイシュと同じ材料なのですか!」
押しつぶしながら焼いていないので、凸凹に膨らんだセンベイを驚いた目をしながら頬張る。バリバリといい音がする。醤油が作れてないのが勿体無いところだが、ミソでも美味しいセンベイは作れるので、生前の記憶とは少し違うが美味しいものを作れた自信作でもある。
結局、ノンナは8枚、他のメンバーも各3枚食べ、夕食時にノンナがご飯がそんなに食べられないと不思議な顔をしてたのだが、当たり前すぎて突っ込むことをやめた。
平日1日1時間くらいしか書く時間が作れない現状。中々に厳しいです。書き始めて行き詰まるとすぐ寝なければならない時間。電車は満員で頑張ってもスマホでメモ書き程度。言い訳だらけですが、頑張ります。