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マリアの救済も終幕に差し掛かっていた。
完全に静止した吸血鬼の少女に対し、セントクロイツを振るうだけで神罰による浄化が開始される。
それだけのことなのに、曖昧な抵抗感がうまれたマリアの腕に力は入らず、心の赴くままにその場で質問を始めることにする。
「……人であった頃、または今のあなたの名前は何と言うのですか?」
その行動が、吸血鬼の少女には理解不能だった。
この期に及んで、目の前の聖職者は何をしているのか。雌雄は決した、後はその正義の刃を振るうだけでいい。
それだけで、この地獄で繰り広げた戦いが終わるというのに。
「……みーあ。ミーア=カストゥル」
「ミーア、とてもいい名前ですね」
何故、目の前の聖職者が向ける眼差しは優しく、温かみを帯びているのか。
多くの命を奪った存在を目の前にしても尚、彼女は慈悲を忘れずにいる。
そんなマリアの姿が、ミーアには恐ろしくてたまらなかった。
この世に聖母が存在すると言うのならば、まさしくそれは彼女のことに違いない。
心の内に抱いた怒り、怨みさえも寛大に包み込み、今はただ愛と慈悲を持ってして敵に救済をもたらす。
その姿に、気づけばミーアは自然と涙を流していた。
目の前の聖職者こそ真の導き手であると。自身が今までに歩んできた人生を正し、神への懺悔を許す、神の代行者なのだと。
「あなたとは、できることなら人として出会いたかった。その無邪気な心も、元気の良さも、きっと他の人々に愛されたことでしょう」
違う、とミーアは首を振る。
自身は望まれなかった存在、人として生まれて来るべきではなかった存在、だからこうして吸血鬼となった。
全ては、母親への復讐を果たすために。
「……私は、生まれて来るべきじゃなかったってママに言われたから」
人であった頃の記憶が蘇る。
決して思い出したくは無かった、忌々しき記憶が。
――ミーアはよく泣いていた。
父親は知らない。
いわゆる母子家庭の一人娘として育ったが、何より母親からの扱いが非道だった。
〝あんたなんて、生まれてこなければよかったのに!〟
物が散らかった室内にグラスが叩きつけられる。
中には小物を投げつけられた日もあった。何が原因なのかは分からない、それでもミーアは自身が我が儘な子として育ってしまったからなのだろうと深く反省していた。
泣いて謝った。今までの我が儘は悪かったから、普通の母親に戻って欲しい。願いはただそれだけだったのに。
願いは届かず、ミーアはその幼さにして、身も心もボロボロに朽ちていた。
自身は望まれなかった存在なのだ。生きていることで、最愛の母にさえ迷惑をかけてしまうような駄目な子供。いくら努力しても振り向いてもらうことはできない。
なら、答えはどこにあるのか。
どうすれば再び愛してもらえるようになるのか。
疑問を抱く中、異臭を放つリビングの隅でミーアは一つ不思議に思う。
望まないならば、何故私を生んだのだろうか……と。
些細な疑問をきっかけに、彼女の胸の内にはある感情が芽生え始めた。
母親からの虐待と罵声はそれからも続く。
そのたびに部屋の隅で怯え、泣きながら誤り、心の闇に潜む感情が着々と膨らみ始める。
そして、人生の転機は訪れた。
〝お嬢さん、君の復讐……俺が手を貸してあげよう〟
心に芽生えるこの感情は、復讐したいという欲望なのだと。
その答えを教えてくれた男の正体は、人々に忌み嫌われる吸血鬼だった。
吸血の契約を交えて、ミーアは吸血鬼へと生まれ変わる。
心に芽生えるのは復讐心さえも覆い尽くすほどの吸血衝動、とにかく血が吸いたい。もはやだれでもいい。
いいや、ならばいっそ――
自分の母親から吸血しよう、と。
そうしてミーアは、契約をした『真祖の吸血鬼』の男が従える吸血鬼たちの一人、古老の吸血鬼と共に街を襲撃することを決意したのだった……