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「凍也、本当にあなたなのですか!?」
驚きを隠せずにいるマリアは、正体を確かめるために声を投げかける。
今にでもその顔を目にしたい気持ちだが、あいにく今は一切の油断も許されない状況であるため、少女を聖眼で捉えることに率先した。
金色の眼は見開くほどに威力を増し、少女は必死にもがこうとするが成す術もない。
牙をむき出しにするよう歯ぎしりをたて、迫り来る粛清の時に心から怯えるよう冷や汗を流していた。
一方、マリアの動揺する第一声を耳にした凍也は思わず安堵し、しかし悔しげに大声で返答する。
「愛しのボーイフレンドを忘れたか! この薄情者め!」
その様子は本心でもなく、現状を理解していながらも尚ただマリアをからかっているだけだった。
「……そのクサい言い回しは、凍也以外に使いませんね。どうやら私の愚問でした」
「おいおい、ひでぇこと言ってくれるぜ我らのお姫様は。いつだって姫様を救い出すのはヒーローの役目だろ? さあ、迎えに来てやったぜ」
常人ならば反吐が出そうな古臭い言葉の言い回しだが、今のマリアには何故か心の中で安心してしまう。
短いようで長い月日を経ても、彼女の知る凍也は変わらずにこの地へ帰還してくれた。そんな彼がマリアにとっては、数少ない心の拠りどころとして精神にゆとりをもたらすのだ。
互いに浴びせる心無い言葉も、昔の馴染みであるからこそわかる二人の距離感で。
つかず離れず、そうして共に歩んできた代行者としての人生は、久しき再開を経ても通用するものだと互いに理解した。
なればこそ、再び共に背を預け、全力で神罰を下すことができる。
二人の聖職者が繰り広げる茶番劇のようなものに対し、成す術もなく固まる吸血鬼の少女に代わり古老の吸血鬼は憤怒する様子で体勢を立て直した。
「おのれ、小僧がぁ……ッ!!」
風貌こそしわがれた老人に変わりないもの、その体格と身体能力は人智を遥かに超えている。
既に人としての理を外れてしまった怪物だ、それも仕方がないとは言えるもの……脳天を貫かれても尚、立ち上がる姿には思わず誰もが息を飲んでもおかしくはないだろう。
「弾を命中させたのは見事だが、不意を突くとはずいぶん紳士さに欠けるのではないかね?」
「へへ、そいつぁ~どうも! あいにくだが紳士なんてもんは三日前に便所で流しちまったばっかでね。おかげで腹も人生もこの快調っぷりよ」
「ふん、ずいぶんな減らず口を言う……では、実力が口先だけではないことを証明してもらおうか!」
人間という存在ではないが故に、人間と同じ手段では死を与えることはできない。
これが不老不死の理……吸血鬼に宿された概念にして、人類が成す術もなく敗退する一つの原因である。
だが、この時――
「そうカリカリすんなよ爺さん、いっそアンタも人生やり直すといいさ。とっておきのバカンスに連れて行ってもかまわねえぜ?」
凍也はその全てを熟知していた上で、必然的に一つの結果へと到達する先手を既に打ち込んでいた。
「……まあ、あいにくあの世への片道切符だがよ」
今までのおどけていた様子が一変し、鋭い目つきを見せる凍也は手にしていたの愛銃を口元へ近づけると、銃口から漂う硝煙にそっと息を吹きかける。
地獄のような環境にありながら穢れなき光沢を放つ白銀の銃身は、中折れ式に該当する弾倉に残り五発の銃弾が装填済み。
一発の銃弾を放っても尚、弾倉に潜む狩人の如き弾丸は今か今かと獲物を仕留めかかるその時を待つ。
凍也が手にする愛銃にして〝吸血鬼狩り〟の名を頂く必殺武装――回転式拳銃『栄光』は、聖剣セントクロイツと同様に聖遺物である聖骸布によって洗礼された神聖を宿す武器であり、現代のローマでは類を見ない近代兵器の一つであった。
そして、何より最大の仕掛けは銃弾の中に隠されている。
「あの世へ行くのは貴様だ、小僧がぁッ!!」
凍也の煽りに対し機嫌を損ねた古老の吸血鬼は、脳内の血管が切れんばかりに頭へ血を登らせ、ただ怒りに身を任せて無数のナイフを投擲する。
左四本、右四本、しめて計八本のナイフが凍也の急所へ目がけて正確に飛来した。
ただ、その結果は誰もが予想できたものでもなく。
唯一、事の全てを悟っていた凍也のみが口元を吊り上げ、予想通りの結果に笑い声を上げた。
飛来するナイフを避けることはなく、むしろそれは飛来するナイフを掴んだままの両手をかわすように身を捩じる彼の姿がそこにあったのだ。
不思議なことに、肩関節から一直線に伸び切った状態の両腕は直線状に飛来し、それを何らためらうこともなく凍也は掴み取って見せる。
「ハッハッハ! こいつは傑作だぜ爺さん、無理な動きはよくないんじゃあないか? 腕が両方……外れてやがるぜ」
そして、ひじ関節辺りから容赦なく握り潰した。
「な……なにを……ッ!?」
人間と同じ赤い血飛沫を上げ、主無き両腕は瞬く間に肉塊と変わり果てる。
その光景を目の前にし、古老の吸血鬼は両肩に走る激痛さえも忘れ、自身を襲う謎の恐怖に精神が蝕まれていた。
何が起きたのか十分に把握できていない。ただ簡潔にまとめるとすれば、一転窮地と言わんばかりに状況は悪化している。
既に抗う術は奪われ、そして――
「こ、こここ小僧、き、きさ、きさまなに、な、な……」
救済への秒読みは始まった。
「どうした爺さん、さっきまで勢いがあった呂律が回ってないじゃねーか! まあ、それも仕方ねえな。ようは〝お前は既に死んでいる〟んだからよ」
膝をつき、両肩から朽ちるように塵へと変わり果てていく古老の吸血鬼に対し、凍也は自身が行った救済の種明かしを始める。
これが凍也にとって救済終了までの尺稼ぎたるもの。外道の名すら相応しい、吸血鬼狩りの理不尽な証明である。
もはや虫の息にすら等しい古老の吸血鬼へ、凍也は語り始めた。
「俺の愛銃『栄光』は聖骸布で磨き上げた白銀で精製されている。これだけでもアンタらのような吸血鬼を浄化させるのは屁じゃねえが」
凍也は弾倉から一発の銃弾を取出し、それをかざす。
「俺も念入りなんでね、この銃弾にも細工がある。これは種明かしすると非難を浴びるんだがよ、この銃弾には……」
――死んだ聖人の遺骨を粉末状にし、銃弾の中へ収められている。
その言葉を耳にした時、古老の吸血鬼を襲う恐怖は最大限にまで達していた。
もはや返す言葉をだすほどの意識もなく、視界は薄れていく。体の一部一部が機能を失い、朽ち果てていくのが理解できる。
ただ、自身の敗北より何より理解し難いものが一つある。
「とんだ罰当たりだと思うだろ? だがよ、俺はそれ以上の罰当たりを命懸けで救済してんだ……お天道様だってこれくらい目つぶってくれんだろうよ」
目の前の男は、果たして本当に聖職者なのであろうかと。
「……かっかっか、愉快愉快」
古老の吸血鬼はか細い声でその言葉をぼやき続け、やがて完全な塵と化した姿は一陣の風と共に炎の渦へ飲み込まれていく。
救済によって浄化されても尚、憎しみや怒りなど負の感情はその場に漂い続けていた。
いわば残留思念、自身の目的も成し遂げられずに死んでいく後悔が形となってしまっているのだろう。
ひしひしと伝わる不の霊気に対し、凍也は何ら気にすることもなくローブの内ポケットから小箱を取り出す。
上部の蓋を開閉すると中には数本の煙草と安物のライターが入っている。
日本の繁華街にて仕入れたものであるため、あいにくこだわりの銘柄ではないが、ローマでは他の聖職者の目につき吸えるものではない。
過去に一度痛い目を見ただけの経験はあり、こうして隠れるように煙草を楽しむのが至福の時であった。
ローマ市内では大概目につけられているため購入はできず、楽しめるのは残りの数本と言ったところか。
限られた幸福に胸を痛めながらも、凍也は煙草をふかし、古老の吸血鬼がいた場所へ歩み寄ると煙を吹きかける。
「愉快、だろう……? 俺はそうやって人を笑わせるのが大好きな道化師さ……」
彼の瞳は何を語るでもなく、ただ茫然と吸血鬼の亡き跡を見つめていた。
吹きかけた紫煙が負の残留思念と複雑に入り混じるのがよくわかり、その場へ背を向けた凍也は煙草を持つ手で胸元の前に十字を切る。
「来世はマシな人生を送るんだな――Amen」
紫煙はやがて空に消えていき、残留思念もまた消失の跡を辿っていった。
あいにく、凍也に同情というものはない。
人の命を弄ぶような輩に対し、情けをかけるなど論外に等しいと信じて生きてきた。
それが正義、命を守るためには命を奪うしかないのだと、長きに賭けて行われてきた人類と吸血鬼の抗争は彼にそう学ばせたのだ。
故に、慈悲はあれども情け容赦はしない。
自信が今持つ手段を用いて一体残らず狩り尽くす。
それが例え、あらゆる人に忌み嫌われるような外道たる手段であろうとも。
愛した人達を守るためならば、それが正義だと信じている。
「さて、マリアの方は大丈夫か?」
マリアに喫煙のことはばれていないようで、胸をなでおろした凍也は先に見える彼女の背を目指して歩み始める。
ばれれば大目玉を喰らうのは確実だ、煙草を吸う彼以上に彼の身を心配し、注意を促すよう他の聖職者たちへ公言したのは他でもない彼女なのだから。