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――炎上する街を背景に、人々の断末魔が聞こえる。
それは、救えなかった命がそこにあるということ。
「マリア様ッ! ここはもう危険ですッ! どうか……どうか、撤退のご命令をッ!!」
涙を流し、悔いるように敗北を認める者がいる。
かつて盟友だった者の肉塊を抱きしめ、茫然と佇む者がいる。
自暴自棄になり、先陣を切って命を投げ打つ者がいる。
それは、目の前に広がる現実があまりにも過酷であったということ。
何故、報復しないのか。否、できないのか。
答えは、明白だったのかもしれない。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「マ、マリ、ア様……お逃げk■■■■■■■■ッ!?」
「い、いやだ、いやだ死にたくなああああ■ああ■■グ、グガ■ガガ■■■■■ッ!!」
――目の前の脅威へ抗うには、あまりにも人類は無力だった。
逢魔が時、それは必然のように。
暗黒に潜む闇の住人たちは活動を開始した。
人類への凌辱……とどのつまり、吸血と殺戮である。
血肉を追い求め、生ける屍の行進は止むことなく神聖騎士団のもとへと距離を縮めていく。
そして、その光景を恍惚と眺めるよう、この地獄絵図を描き上げた諸悪の根源――老獪なる吸血鬼は女の頭部を掴み首筋から吸血していた。
古老としての風格を見せるよう燕尾服に身を包む彼は、燃え盛る教会の上に飛び移り、苦痛の表情を浮かべる女を観察しては口元を歪ませ愉悦に浸る。
そして、僅かな叫びの末に女はたちまち腐敗が始まり、瞬く間に生ける屍へと変貌を遂げた。
にわかには信じ難いが、正史では語られぬ〝吸血鬼〟という生態系の摂理に間違いはない。
実戦へと赴く聖職者たちが観測し得た限りでは、人間上がりの混血である吸血鬼が同じ吸血鬼を生み出すことは不可能で、全て出来損ないの喰人鬼へと変貌する。
しかし、そのような存在でさえ、並の人間達には脅威でしかない。
喰人鬼は生者の血肉を貪ることで同類の喰人鬼を生み出すという驚愕的な繁殖力を持つ。
ただそれだけで、街一つを血の海へ沈めることはいとも容易い侵蝕なのだ。
現に、こうして襲撃を受けた一つの街は崩壊を遂げた……
「……生存する聖職者たちに告げます」
血肉の焦げた悪臭が鼻先を通り過ぎていく噴水広場。
噴水は枯れ、幾重にも重なる死体で水面は血に塗れている。まさに地獄のような光景の中、憔悴しきった少女――マリア=シュトレントは仲間たちに言葉を投げかけた。
「これより、街からの撤退及び神聖教会への帰還を命じます。無事な者は傷を負った者たちを援護、誘導を行い全員速やかにこの場から退避してください。私は……私は」
仲間たちを憂う深緑の瞳はとうに希望の光を失い、可憐な容姿を伺わせる顔立ちと金色の長髪は土埃にまみれている。
身を穢すような血飛沫の跡はあいにく敵の返り血ではなく、彼女を命がけで庇っていった仲間たちの最期を意味するものであった。
しかし、それ以上に屈辱を受けたのは他でもない、多くの人物から聖母に匹敵すると謳われた、純情な乙女心である。
周囲の人間たちが死にゆく度、過去の記憶は心の古傷を抉りこむように蘇っていく。
「……私は、皆さんが無事に撤退するまでの時間を稼ぎます。心配には及びません、亡き盟友たちの報いは……この私が、必ず成就してみせます」
それはまだ、初々しい少女の頃だった。
街外れの小さな農村で生を授かった一人娘の彼女は、貧民の家庭ではあったものの、何より家族の愛に恵まれ幸せな日々を過ごしてきた。
弱き者を決して見捨てず、自身が今までに受けてきた慈悲や恩恵は赤の他人にさえも分け与えることが当然と信じてやまない、無垢なる心の持ち主で。
それはまるで――聖母の生まれ変わりのようだと。
誰にも愛され、誰もを愛する。
幸福に満ち溢れたマリアの人生は何隔てなく時が過ぎ去っていき……やがて、十二年の歳月を経た彼女は無慈悲な現実を目の当たりにした。
――生まれ故郷の壊滅と、母親の死。
彼女が人生で初めて目にした骸は、腐臭と呻き声が入り混じった村の中を這いずりまわる母親の姿だった……
「マリア様、しかし――――ッ!!」
否定を唱える部下の声でマリアは悲惨な回想から引き戻される。
声を大にして訴えかける彼は負っていた傷の影響で血反吐を吐き出すも、ただ一人残ると言い出すマリアに対して気が気でない。
しかし、そんな彼女が部下たちに向けた眼差しは、何とも温かみを帯びた微笑みの中で熱意を抱いていた。
「大丈夫です。どうか私を信じて下さい。信じる者は――救われます」
この生き地獄と化した現状の中でさえ、彼女は心の底で慈悲を忘れない。
常人ならばとうに精神へ異常をきたし、心を壊死させてもおかしくはないほどの現実を目の前にしながら……それでも、彼女の心に宿る曇りなき正義は絶望を恐れず、全てを救済するという揺るぎない意志を失わずにいる。
全ては五年前、母親の死に直面したあの時から。
「……吸血鬼よ、我が名はマリア=シュトレント。神に代わり神罰を下す者だ」
この世界を救済し、全ての者の死が無駄ではなかったということをその手で証明するために。
「問おう――」
――彼女は、神に代わり神罰を下す代行者になることを誓った。
「あなたが犯した罪は、この私が正義を持って裁く。異論はないな?」
鋭利な視線が、教会の上へ居座る古老の吸血鬼へと突き刺さる。
そして、マリアが鞘から解放した聖剣――セントクロイツはその場に希望となる一筋の光をもたらした。
「ほう、十字架か……そいつを見るとどうも気分が悪くてな」
猛火が逆巻く中で、輝きを放つ聖剣に対し古老の吸血鬼は嘆息する。
その聖剣は洗礼された白銀で精製されており、造形は吸血鬼が忌み嫌う十字架を模っていた。
神聖騎士の称号を与えられた者のみが所有することを許可され、振るう刃はこの世の異常や怪奇に対して神罰を下し救済へと導く。
「異論はないぞ、小娘よ。しかし、疑問が一つある」
マリアの発言に対し、古老の吸血鬼は恐れ一つ見せずに平常な様子で咳払いをする。
「あいにくだが、罪人の疑問に答える猶予などない、参るぞ! これより生存者は撤退の開始! ……皆さん、どうかご無事で」
言いかけた言葉は途切れ、刹那――マリアは背後に凄まじい殺気を感じた。
鼓動が大きく高鳴り、冷や汗が流れ落ちる。
その様子を終始見降ろしていた古老の吸血鬼は不敵な笑みを浮かべ始めた。
「お前さんが先ほど言った、〝すくわれる〟という言葉……いったい何が〝すくわれる〟のだ?」
マリアは双眸を見開く。身体を蝕む嫌な予感に対し、そうであってほしくはないという気持ちが全力で否定する。
しかし、彼女が咄嗟に振り向くや否や
「それはもしや――足元が〝すくわれる〟ということなのではないかね?」
成す術もなく、背後に待機していた部下たちの膝より下は、死角からの襲撃を仕掛けてきた新たな吸血鬼によって無惨に切り落とされた。
「「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!?」」
言葉の形を成さない絶叫が街中に轟き渡る。
しかし、その声を発していた頭部さえ、瞬時に移動する第二の吸血鬼によって首から上を切り刻まれていった。
「な――――」
マリアは愕然とした。
しかし、事細かな状況の理解をする猶予もなく、新たな標的は残り一人となった彼女へ定まる。
風を切り裂いて猛進する第二の吸血鬼に対し、マリアは真っ向から剣戟を繰り出してみせた。
その数こそ、秒を刻む時の中でおおよそ十合。
打ち合う刃が火花を散らし犇めかせる最中、マリアはその時初めて第二の吸血鬼の正体を知ることになる。
「あれれぇ? おねーさん、なかなか手強いね!」
それは幼い観かけをした矮躯な少女だった。
その双眸は紅に染まり、生え揃った鋭利な牙を口元から覗かせてる。
明らかに人間でないことは断定でき、現段階の年齢さえ吸血鬼となってしまっては不詳だ。
だが、不老不死の概念を持つ存在でもあるが故に、一つの事実は憶測できる。
今、目の前に対峙する第二の吸血鬼は幼い少女である時期に『真祖の吸血鬼』と吸血の契りを交わした。
「……くっ!」
慈悲深いマリアでさえ、収まりのない怒りがこみあげて来る。
生きて帰すと誓った仲間を無残に虐殺された上、新たに出現した吸血鬼はまだ幼い少女にすぎなかった。
果たしてこれが、『真祖の吸血鬼』たちの望む世界なのかと。
「ゆる、さない……絶対に、許さないッ! 仲間たちの報い、この刃で受けてもらうぞッ!」
怒れる感情は闘志を燃やす。
無邪気な笑顔を振りまく第二の吸血鬼に対し、決意をいっそう固めたマリアは反撃に繰り出した。
四方を喰人鬼に囲まれた絶対絶命の中、枯れた噴水を中心に間合いを取ろうとする第二の吸血鬼に対し、問答無用で噴水を駆けあがったマリアは重力に身を任せてセントクロイツを振り落す。
しかし、瞬時の移動を得意とする身のこなしには通用せず、あえなく空を斬ることとなった。
「あはは。遅いよ、おねーさん!」
すかさず振り返り横薙ぎに刀身を振るうが、やはり吸血鬼の少女に刃が触れることはない。
此度は空を斬ることもなく、距離を縮めていた喰人鬼を斬り伏せる。
もはや怪物の一種となったそれが活動を停止し浄化されていく瞬間を見定めながら……彼女は、生前の姿を連想し、心が締め付けられるような苦しみを味わう。
せめてもの慈悲にと、マリアは現状の危機を理解していながらも尚、瞳を閉じて祈ることで変わり果てた人間たちを弔った。
そして、その行為は彼女の感情を抑制させ、瞼の奥に潜む双眸には冷徹が宿る。
姿が追えぬのならばいっそ、追うことをやめてしまおう。
それは決して諦めではなく、一度きりかも知れない勝機に直感の全てを賭けるということ。
自暴自棄にも見えかねないその姿に、とうの吸血鬼二人はほくそ笑んでいた。
傍から見れば、生きることを諦めた少女が現実から目を背けるように瞼を閉じ、今にも吸血してくれと言わんばかりの無防備さ。
しかし、それが罠なのではないかという疑惑も、人間と同様の感覚として存在する。
吸血鬼の二人は互いに視線を向けた挙句、マリアを放置して喰人鬼の餌食になる瞬間を待ち侘びた。
卑怯にあたるかもしれない行為だが、あいにく吸血が必要不可欠な行為でなければ、命を奪い合うことも正統な行為ではない。
吸血鬼からすれば、全てが自身を愉悦させる娯楽なのだから。
今にも血肉を貪られる姿が待ち遠しいと、二人は胸を高揚させる。
仮に、喰人鬼の接近に気づき刃を振るうものなら――
その時こそ、吸血鬼たちにとって隙をつく勝機となる。