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mellow✝blood  作者: 弐城 弥斗
プロローグ
3/8

英雄の帰還(2)

 時刻未明――日本海海上。



 臭気を帯びた濃霧は徐々に消え去り、立ち込めていた灰の空間はたちまち早朝の日差しを取り戻した。

 それでも異常は全てとして解決しない。

 人々が辺りを鮮明に確認できるようになった頃合いには、自分たちが置かれている現状に誰もが思わず口を覆っていた。


 氷結する海面は荒々しい造形を模り、世界旅行へと赴くはずだった客船は成す術もなく氷の餌食となってしまっている。

 前代未聞とも言えるこの異常事態に、乗客客員は時が経過するにつれて再び船内を走り回るほど慌てふためき始めた。

 救助を呼ぶ声、身内の安否を確認する姿、一命を取り留め安堵する人々……

 

 その中で、少数の人間は甲板から不思議な光景を目にした。

 安堵を再び噛みしめるよう、胸ポケットから取り出した煙草で煙をふかす男の瞳には、とある人間の姿が映った。

 それが、同じく客船内で生存に幸福する人間ならば疑いはない。

 この現状では当然にも等しい情景だろうが……しかし、男は両瞼を擦っては再び異様な光景を見定める。

 そして、第一発見者ともなる彼は同じく甲板に居座る乗客たちへと凄まじい見幕で審議した。



 その末――やはり、間違いはないと。



 凍てついた海原の上には、辛うじて人であると判別できるだけの距離をおいた場所に、二人の人間が対峙していた。

 













「そこの君、動くな。これから僕の質問に答えてもらう。一切の抵抗は許さないと思え」

 

 氷結する海を踏みつけて歩む一人の青年は、手元の〝指揮棒に似た何か〟を目前に存在する男へ向ける。

『叡智の巨塔』より排出された英才魔術師――ルーク=アンデルセン。

 彼は氷の海原を進みながら、自身を支えるほどに凝固する日本海へ疑念しかなかった。



 客船を襲撃した吸血鬼――ゲルマー=ディセルの〝死の海域〟は、魔術師の世界でもひとしきり噂となった厄介な存在である。

 かつて同じ魔術師であった彼は、吸血鬼に関する研究の末に邪の道へと堕ちた、ルークからすれば三流魔術師だ。

 ミイラ取りがミイラになると言う言葉は、まさにこのことに尽きるのだろう。

 その目的がどうであれ、世界の悪へと成り下がった末に最後は聖職者に神罰を下されたというのだが……性質(タチ)が悪く、俗に言う怨霊のような存在として死後ですらこの世界に漂い続けてしまっていた。


 それが後に海上へと頻繁に出現するようになる〝死の海域〟だった。


 もはや今回の接触は、引導を渡してやれとの天意にも等しいと。

 同じ志を抱いた魔術師として、ルークは全身全霊で葬り去るつもりだった。

 相手は呪い、怨みにも似た類いの存在と化した吸血鬼だ、魔術師としては不利に等しい。

 それでも、手を尽くせば可能な域にまで到達していると、ルーク自身はアンデルセン家の次期当主として己が魔術を自負していた。だが――



「おいおいよせよ、これでもガキの頃からわんぱく小僧だったんだ、じっとしているのは女を口説くより難しいね!」



 背を向けるよう立っていた男は、ルークの呼びかけに対しておどけた様子で振り返った。

 黒地のローブを羽織り、目元までフードを深々と被る姿はルークにとって不信感しかない。

 背丈と声の特徴から、自身とそう歳の離れない青年だと悟ったが……重要なのは謎に包まれた彼の身元であり、ルークは他に関してさほど興味を示さない。

 やがて、フードを取り去った男は日差しに対して億劫な様子を見せながらもその風貌をさらけ出し、口元を歪ませた。


「思ったよりは、歳が上か……君は僕をおちょくっているのか?まあいい、身元を明かしてもらう」


「おいおい、暴力ってのはよくないぜ、暴力ってのは!」


ルークは自身の宝具である魔術礼装の指揮棒を突きつけ、着実と距離を詰めていく。

 その過程でルークが確認したのは、先程まで〝死の海域〟として存在していた濃霧の端くれが青白い炎によって燃え散っていく様子だった。

 熱さえも感じさせない残り火からは、気のせいか絶命の叫びに似た声さえ微かに聞こえてくる。

 益々をもって深まっていく謎……だが、ルークはこれで断言できる。


 

 目の前の青年こそ、〝死の海域〟を完全に消滅させた人物であると。



 その手段は定かではない。

 だが、疑わしき謎は指折り数える程度に存在する。

 〝死の海域〟には存在しない災厄、海面を凍結させる何か。そして、目の当たりにした青白い炎――


 実際、ルークは〝死の海域〟の出現時に出る幕などなかった。

 それこそ、異常に苛まれ怯える乗客と同等のように。

 しかし、目の前の青年は違う。

 率先し、そして難解不落とも称された災厄の一つを成仏してみせたのだ。



 ルークの要求に対し、しばし黙り込んだ青年は眉をひそめつつ、口を開く。


「……あんた、魔術側の人間だろう? なら互いに関わらない方が身のためだと思うぜぇ、俺は」


「そんなことは二の次だ。僕は今、あの〝死の海域〟を消滅させた君の正体に興味がある」


「こ、この俺に興味だぁー!? おぇぇ……悪いがあいにくそっちのけはないんでね、あばよ坊ちゃん」


 吐き捨てるように言葉を零すと男は踵を返し、凍てつく海原を歩み始める。行く先は遥か先まで大地の見えない、地平線へ向けて。


「お、おいッ? 待て、何を誤解している! いや、その前に、質問にはしっかり答えろ! どこへ行くんだ!」

 

「ああぁぁぁぁもうしつこいぜあんたッ! これだから貴族育ちは嫌いなんだ、ったく」


 去り際で苛立ちながら、男は振り返る。

 一陣の風が吹き抜けるを機に、ルークは会話の口火を切った。


「待て、さっきから君は……僕の正体を知っているのか?」


 苛立ちを見せながらも男はしぶしぶ頷く。


「『叡智の巨塔』と謳われた名門魔術家の人間だろう? その名は俺の世界でもそこそこ知れ渡っているさ。前々回のローマ法王の知名度くらいにはな。 ……しゃーない、俺もフェアじゃねぇのはあんまり好まないんでね、特別に正体を明かしてやるよ」


 男は肩を落とし、押し負けた様子を大袈裟に表現する。そして、満足げなルークを前に不敵な笑みを浮かべながら再び口を開き――


「俺の名は祓儀凍也――神に見放された男さ」


 刹那、異変が再び海上を襲う。


「な、なんだ!? 待て、何をしたッ?」


 その場を覆う冷気は突如として消え去っていき、氷結の海原は――元のあるべき姿へと戻っていく。

 

「さぁ、さっさと船に戻りな坊ちゃん。じゃなきゃ、じきにお魚さんと海中デートだぜ!あばよ!」


「そ、そんな……君はまさか、聖職者なのか!? 待て、まだ質問は終わってない!」


 最後に言葉を残した青年――凍也は、未だ凍結する海原を駆けて行った。彼が走り去った表面は、その僅かな差で原型へと姿を変えていく。それは同様に、ルークが足を着いていた場所や、客船を囲っていた氷でさえも。


 咄嗟に指揮棒を構え、凍也へ目がけて魔術を行使しようと試みるルークだが、足場の崩壊が思うより早く、無数に枝分かれする亀裂は軋む音を打ち鳴らす。

 魔術の詠唱とその対象が定まらず、歯ぎしりを立てるルークは舌打ちを一つ漏らすと渋々撤退を決意し、足早にその場を後にした。




 ■■■




「兄ちゃん、あぶねえぞ! これに捕まれ!」


 細々とした氷塊を瞬時に飛び移って客船へと帰還したルークに対し、乗客の内の一人である巨漢は、人間業とは思えないそれを終始見届けた上で甲板に設備されていたロープを投げる。


「すまない、恩に着る!」


 ルークは一瞬戸惑ったものの、一般人の前でこれ以上の非現実的行為を見せるのは問題になりかねないと判断し、魔術を行使した脚力で飛び移るのを諦め、感謝を告げた上で素直にロープを掴んだ。


 露天甲板に上がると、いつしか乗客のほとんどがその場に集まっていたらしく、第一発見者の噂を聞きつけた人間たちがこぞってルークの安否を心配していた。

 タオルケットや温かい缶コーヒーなどを投げ渡され、苦い笑みを浮かべながら会釈を返してそれを受け取る。

 災難に見舞われた際の人の優しさ以上に染みる温かさはないなと、人間の団結力に改めて感銘を受けていたルークのところへ、救助に回っていた男の一人が声をかけて来る。


 「間一髪だったなぁ、兄ちゃん。俺ぁあんたの運動神経に驚いたぜ」


 「いや、それほどでも。生まれの雪国では毎度のこと厳しく育てられたので」


 言い慣れた嘘偽りを言葉巧みに羅列させ、正体に違和感を抱かれないよう話を収めていく。

 悲しき定めか、一般人に紛れ生きていく人生の中で何よりも向上したのは魔術でなく話術であるのがルークを含め魔術師の大半である。


 「なるほどな、俺も漁師で大物を釣り上げるのは毎度のことだ、あんたを助けることは造作もなかったわい! しかし……」


 先ほどまで陽気に笑っていた男は途端、眉をひそめて疑問を口角に零す。


「俺はてっきり人が二人に見えたんだが……兄ちゃん、知らねえか?」


「僕の他にもう一人かい? いや、見ていないな」


 咄嗟に、しかし動揺一つ見せず真実味をおびた口調で返答する。


「僕は船に起きた異常を確認するために周囲を歩いてきたんだが、あいにく人らしき姿もなければこの現象の原因も見当たらなかったよ」


 ルークは肩をすぼめ、大きく嘆息する素振りを見せると、男は再び陽気な笑顔を見せた。


「そうか……そうだよな! 全く、好奇心旺盛な青年があんた一人だけで良かったもんさ!」


「はは、そうだな。迷惑をかけたことはこの場の皆に謝りたい」


「気にするな、誰だって命が一番だ。犠牲者が出なかっただけで御の字ってもんよ」


 二人の会話を軸に、あたりは和やかな雰囲気に包まれる。各々の人間達は現状の不安から話題を変え、気づけばこの後の予定や本来の目的など語り合い始めた。


 その人混みに紛れる直前、ルークは助けてくれた男に今一度感謝を告げるとその場を後にする。

 やがて、ふと足を止めた彼は先ほどまで自分がいた海原へ振り返えると、既に見えなくなってしまった人物のいた場所を見つめ、何気なく言葉を零した。


「祓儀凍也、神に見放された男か……全く、何とも聖職者らしくない言葉だ」


 小さく微笑み、ルークは船内の自室へと戻っていく。

 その背景では、救助に訪れた日本のヘリを発見した人々たちが安堵の息を漏らし、助けの声を叫びあげていた。





 ■■■





 「ヘークショイッ! ちくしょう、誰か噂してやがるぜ……全く、今日はついてねぇや」


 辺り一面が凍結していく海原の中心で、凍也は寂しげに独り言を漏らしながら歩みを進めていく。

 目指すはイタリア――聖都ローマ。

 途方のない旅路に心が折れそうになりながらも、持ち前のポジティブ精神で歩幅を広げる。

 次第に駆け足へと変わる彼の歩数は、胸の高まりに比例して着々と数を増やしていった。


「……いいや、こいつはきっと、俺の帰りを待つ女が噂しているに違いねぇんじゃねえか!? マリアか? マリアか? それとも……いや、マリアか?」


 先ほどとは打って変わり、嬉々として独り言を続ける凍也だが、彼の帰りを待っている(?)女の候補を名指しで挙げる際、ふと過るティリシアの存在に一瞬身震いをした。

 だが、何事もなかったかのようにマリアへの愛を突き通してみせる。


「さーて、こいつはさっさと帰ってやらねぇとな! ……待ってろよ、みんな」


 ローマが未だ、吸血鬼の脅威にさらされているのは日本に渡っていた凍也でさえ把握している。

 極東の地、日本への遠征から一年。

 長期ととるか短期ととるかは受け手次第ではあるが、凍也からすれば身の落ち着かない日々であったのは言うまでもない。


 一刻も早く帰還し、ローマの防衛に加担したい。

 

 陽気な口調や性格からは見受けられないような曇りなき正義が、彼の中では確かに燃え盛っている。

 全ては彼を愛してくれた人々を愛すがため。

 例え神に見放されようとも、神に代わって自身が人々に慈悲をもたらす。


 それが、この過酷な世界に対しての決意だった。


 

今なお走り続ける海原のように、彼の走り続ける人生にも実のところ、大まかな目標以外答えが見えないでいる。

 しかし、今はそれでもいいと凍也は思った。

 答えはいずれ現れる。

 その時までに、選択肢を決断できる覚悟さえあれば、それでいいと。





 これは、とある小さな世界の物語――



 世界の歪みに抗う小さな存在――祓儀凍也が駆け抜けた数奇な人生の物語である――――


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