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mellow✝blood  作者: 弐城 弥斗
プロローグ
2/8

英雄の帰還(1)

 


 現代――イタリア。



 その健美な有り様から『永遠の都』とも名高い聖都ローマは、大よそイタリア圏で一番の人口を誇る都市であり、カトリックを信仰する教徒に中心地として一目置かれた神聖なる領域である。


 にわかに信じ難い話ではあるが、神々が世界を創造した中で最もな拠り所としていたという諸説も一部の民には古来から言い伝えられているらしい。

 なるほど、疑いようもないほどにローマとは――神の慈愛に満ちていた。



 そして、その真実は……神に代行する者たちの手によって守り抜かれてきた奇跡の残照であることを、人々はまだ知らない。




 聖都ローマの中枢を支配する聖職者の神殿――『神聖教会』。

 国内面積の大多数を占める巨大城塞は、神に代行し、現世に散りばめられた怪奇や異常を〝救済〟の名のもとに神罰を下す異端審問機関の総称である。



『主、憐れめよ(キリエ エレイソン)』



 創設の根源に至るその賛歌は、神への忠誠を誓う祈りに等しく。

 同じ信仰を貫く者たちの集いは、救世の天命を担いし聖者の騎士団。

 世界の異径な歪みに対し刃を分かつ聖職者らは『神聖騎士』と呼称され、抗う邪悪を斬り伏せた数だけ民からは多くの歓声を受ける存在である。もはや、それは正義掲げる使者に他ならない。


 神に愛されたが故、神を愛してしまった者たち。その忠誠に、聖職者は神が残し去った現世の歪みを救済し続けるという。

 それも、全ては神罰の代行の名のもとに――





「――ティリシア様。只今、使いの者より二つの速達が届きました」


 厳粛な雰囲気に支配された神聖教会の一室。

 広大な室内面積を誇る大司教の執務室では、その広さを生かすこともなく木製の古びた机が一つだけ窓際に配置されている。

 何とも簡素な様式美ではあるが、それが〝室内に巣食う支配者〟の意向なのだから、半ば仕方ない。

 唯一の家具として存在する机に備えられた椅子へ席につく当室の支配者――ティリシア=レイノームは、扉を開け放った部下のミランダ=モルグに対し気だるげな様子で視線をぶつけた。

 顔を覆い尽くすように垂れ下がるシルバーの長髪は、見え隠れする視線から一種のホラー映画に例えられなくもない。

 しかし疑いもなく、彼女は齢二十八にして大司教という高位へ上りつめた偉大な聖職者である。

 

「……先に悪い情報から離せ。簡潔にだ」


「承知致しました。現在ローマ近郊の街へ遠征されているマリア=シュトレント様からの速達です」


 苛立ちからか威圧的な雰囲気を放つ上司の姿に臆することもなく、ミランダは淡々と言葉を口にする。

 常人からしてみれば全身へ襲う殺気にも等しい重圧な空気を、しかし彼女には耐えうるだけの精神があった。俗にいう、経験した場数というものだろう。

 初々しき頃には幾度と吐き気を催し、胃液を撒き散らかしたか記憶に定かではない。

 むしろ記憶に留めておきたくはないトラウマというものだ。


「マリアか……続けろ」


 それほどに、権力ある聖職者から垣間見る霊気(オーラ)というものは本来の常人と雲泥の差にあった。

 しかし、この世界に足を踏み入れた以上、もはやそれは乗り越えなければいけない神の試練にも等しいと。

 ミランダは可愛げのあった乙女の心を壊死させ、運命に身を委ねることでその試練を屈した。

 他愛もない、全ては神に使えるため……淫らな人格をそぎ落とし、神に愛されるだけの清らかな魂へと洗礼したまでのこと。


 聖職者としては、ただそれだけのことだった。


「――交戦は激化。街は壊滅状態にあり……とのことです」


 微かに宿る悲しみの言霊は、静寂な室内に響くこともなく儚げに散る。

 零れ落ちるよう口にした報告の言葉と寸分違わぬ時の中で増した威圧に、気づけば彼女は頬に一筋の雫を垂らす。

 それが果たして伝えた報告の内容に記された過酷な現状に涙したのか、修練した精神でも耐えきれない〝恐怖に似た何か〟に恐れを抱いたのか。

 どちらにせよ、感情に流されている時点で自身はまだまだ未熟なのだろうと。ミランダは反省し、上司であるティリシアの返答を待つ。


 やがて、鋭い眼光を一直線に向けるティリシアは、重たい口を開く。


「……そうか」


 ただ、その一言だけを。


 か細く呟いて目を伏せたティリシアは、僅かな期待をよせていたのかもしれない報告の結果に落胆し、大きく背もたれに倒れた。

 

「……厄介な世界だな、つくづく思うが」


 大司教ともあろう聖職者が罰当たりな言葉を口にしたと、彼女は自身の発言に対して頬を歪ませる。

 しかし、仮にも零した彼女の言葉がその通りだとするならば……それは、神への崇高すら疑念を抱くほどに残酷な、そして歪な現世の有り様に全ての原因がある。





 邪悪の死徒――『吸血鬼』





 近代において、イギリス圏を脅かす絶望の正体とはまさに、人類を捕食し支配する吸血種の怪物に他ならなかった。

 果たしてどのように姿を成し、この現世に現れたのか。この世界に明かされている正史によれば定かではない。それはまさに暗闇に潜む影のよう……気づけば、ローマ全域は崩壊の一途を辿っている。

またも、報告によれば一つの街はそうして壊滅したという。幾重の民も、栄えある大地も……部下が口にしたその一言は、無残にも〝敗北〟という現実を告げた。


「……Amen(エイメン)


 まるで、救えなかった命の慟哭が聞こえて来るかのように。

 ティリシアは瞼の裏に映る悲惨な情景に悔いを感じながらも、手早く十字を切り弔いの意を口角に零す。

そして、せき止めていた何かが決壊するように、彼女は溜めに溜めた鬱憤を吐き洩らした。


「これで街の壊滅は二桁に至る……『死郷の吸血鬼ロスト・ヴァンパイア』は討伐して早十年、現在も尚、奴が発祥した地域を廃墟と化して邪悪な残留思念が巣食う始末。『鏡光の吸血鬼プリズム・ヴァンパイア』は最悪、錬金術師の者どもに押し付ければいいが、その先には『運命の吸血鬼カトブレパス・ヴァンパイア』の脅威が待っているか……」


 次から次へと羅列する宿敵の名だけ、ティリシアの溜息は一層に深まっていく。それはまるで、彼女一人だけが抱える問題かのように。


 人類の衰退を辿るかもしれない危機的現状は、なるほど並の聖職者では太刀打ちなどできないのだと。

 あくまで下っ端の聖職者に過ぎないミランダは把握させられる。

 大司教ともあろう存在――否、この神聖教会においてトップに君臨する最強の聖職者が頭を抱えるのだ。

 それほどに、吸血鬼という存在は……人類において脅威そのものでしかない。


「ティリシア様、もう一つの速達へと移りましょう」


「もういい、少し冷静にさせろ……」


「いえ、しかし」


「立ち去れ。これからはマリアの状況確認だけをこまめに――」









「昨日、日本海において〝死の海域〟が完全消滅しました」








 告げられた驚愕の事実に、ティリシアは口を閉じた。

 

「……続けろ」


「承知致しました」


 背もたれに倒れていた体制を立て直し、ティリシアは真っ直ぐに部下を見据える。


「乗船していた客からの聞き込みや地元警察の調査によりますと、昨日の朝に突如として発生した灰の霧に対し、数分後に海面が氷結。客船は停止してしまったもの、数分で霧は晴れた模様です」


「海上で発生する灰の霧ならば、混血種の吸血鬼であるゲルマー=ディセルの仕業に違いない。しかし、たかが数分で奴の〝死の海域〟を消滅させるなど、一体……」


 予想だにもしなかった事態に、ティリシアは次の言葉がなかなかでない。

 彼女が悩み、抱え込んでいた問題の内の一つが瞬く間に消失したのだ。しかし、同時に疑問を浮かべるのはその経緯について。

 彼女ともあろう人物が悩むほどの問題を、他者が容易く片づけたのだというのなら。



 その存在は、今後の事態にも期待し得る一筋の希望となるかもしれない。



「確認した乗客名簿によりますと、対処し得る可能性を秘めた人物が二名存在した模様です。一人は〝魔術師の巣窟〟とも呼称される『魔術教団』に属する上位魔術師――ルーク=アンデルセン。あの名門アンデルセン家の御子息であり、吸血鬼の生態と吸血衝動についてご研究をなされているとのこと」


「なるほど、『叡智の巨塔』と呼ばれたアンデルセン家のことだ、遅れは取らないだろうが……」


だが、いまいち納得がいかないとティリシアは腕を組んで唸り声を上げる。

 深々と考察に浸るものの、ティリシアの中で結論はでない。

 それこそ最終的には、塵にも等しい奇跡が舞い降りたとしか考えようのないほどに推理は息詰まる。


 難問に唸る上司の真面目な様子を終始見つめていたミランダは、首を傾げる哀れな姿に対し問答無用で回答を口にすることにした。

  

「もう一人の乗客は――」







「ご存じ、祓儀凍也様です」






 室内は、静寂に包まれた。

 挙げられた仰天の人物名に、しかし答えを理解したティリシアは納得すると――途端、口元を大きく吊り上げ静まり返る空気を絶つ。


「……そうか。奴もそろそろ日本への任務から帰還する頃合いだったな」


 不気味な笑顔を向けられたミランダはその迫力から意図もせず縮こまってしまう。

 なにしろ、ほとんどの表情はシルバーの長髪で見え隠れするような風貌だ。

 時折り見せる双眸が三日月のように歪んでいれば、それは恐怖でしかない。


「無駄に考えた私が馬鹿馬鹿しいくらいだ。そうか、奴ならやってのけないな。むしろ、〝死の海域〟程度は恰好の獲物かもしれん」


 不意に立ち上がったティリシアは手を叩き、ミランダへ命令を下す。


「そうとなれば、話が早い。遠征に出ている聖堂騎士たちをこの地へ戻るように伝えろ、そして伝言を一つ」


 艶やかな髪をかき上げ、微笑する。


「英雄の帰還だ、そう告げろ」


「……承知致しました。では、報告を終わりにします」


 態度の変わりように驚きこそ抱くもの、それでもミランダは下された指示に異議を唱えることなく執務室から早急に退室した。

 余談ではあるが、彼女は部屋をあとにしてから格段に呼吸がしやすくなったという。






「……そうか、この地に戻るのか……凍也」


 残された室内では一人、ティリシアが窓の外を眺めて言葉を零す。先に広がるローマの情景は、光り輝くほどに賛美で満ちていた。しかし、それも邪悪である吸血鬼の手に落ちるのは時間の問題なのだとしたら……



 そんな不安や恐怖を退ける、僅かな希望が彼女にはある。



「……どうやら私にも、この命尽きるかもしれない決戦の刻が近づいているようだ。私の右腕として……共に戦ってくれ、凍也」



 神聖騎士の一角を担う者――祓儀凍也。特別な存在は世界の命運を背負い、そして、新たに時の歯車は回り始める。

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