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黒鋼の空

作者: 夏野陽炎

 誰かが言っていた。

『これは誰が為の戦いであるのか』と。

 誰かが厳かな声で、気高く答えてみせた。

『名誉の為の戦いである』と。

 当時、その問答を傍から聞いていた僕は、まるで自分にとって無関係なもののように思っていた。だから当然のそれを聞き流していた。この戦いの意味など、半生を振り返ってもただの一度さえ自問する機会など無かったからだ。そして大して記憶に留めようとも思わなかった。だが、その時の記憶は唐突に、かつ鮮烈に僕の脳裏を駆け巡って蘇った。当時の鉄の錆びた臭いも、誰かの身体にこびり付き、部屋中に漂わせていた人の死臭も、同時に全てを思い出す事が出来た。

 どうしてそんな遠い……いや、もしかすれば最近の事だったかもしれないが、当時の記憶が蘇ったのだろうか。簡単だ。今自分、それを己へと問いかけているからだ。自分の行いや、敵と言われる、『人類に限りなく近い存在』の行い、そして誰かの陰謀や策略、それらを称して自分は無意識下に『これは誰が為の戦いであるか』を問うたのだ。

 隣の動かなくなった戦友を見下ろし、その手を取る。数時間前まで、彼はいつものようなお調子者の様子で、仲間内を賑わせていたのだ。彼は人が楽しむような事を考えるのが好きだった。戦火の中で沈鬱となる僕らにとって、陽だまりのような男だったと、友人であった僕は自信を持って言える。しかし、その彼もついに死んでしまった。その手は動かない。冷たく、脈も流れず、目を見開いたまま白目を剥いている。

 後方で支援重火器を扱っていた友人は、頭と両腕が無くなり、胸には大穴が開けられていた。それが友人であったと僕が認識できるのは、彼の死に際をこの目で見てしまったからだ。今の彼の姿を見て、誰が元の彼の姿を想像できるだろうか。全身が真っ赤に染まり、肉や骨が所々飛び出て、言葉通りぐちゃぐちゃになっていた。一瞬の出来事だった。何も出来なかった。助ける手段も暇も与えられなかった。彼は一瞬にして死んだのだ。故郷の両親を想う(いとま)さえ無かった。

 誰も二人の死に嘆く事は無かった。二人の死体に目線を配ってすらいない。こうやって二人の死に強い衝撃を覚えている僕だけが、異端のように思われていそうだった。だがこれは当然だ。もう人が死に過ぎた。誰かが死ぬという事象に、誰もが麻痺しているのだ。頭では判っている。ああ、誰かが死んだのだ、と。だがそれは僕らにとっての日常で、誰かの死に対して慟哭したのは、戦場へと投入されて間もない頃だけだった。だから、ここにいる人間が誰かの死に対して恐怖したり、忌諱(きい)したりする事も無い。

 淡々と、そし平然として、色を失った瞳と銃口を敵向けて抹殺するしか頭に無い。そうする事でしか、自我を保つ事すら赦されない。

 僕とてその一人だ。無自覚の内に、死に対して畏怖無き戦士である仲間たちのような冷血さを得てしまいつつある。誰が死んでも、誰を殺しても、決して感情が揺るがず、ひたすらに敵を殺すだけの機械になってしまうかもしれない。周囲に漂う死臭にも以前ほど違和感を覚えなくなったのも、その前兆と言える。あれほどこの鉄分の血生臭ささに恐れを知っていたはずなのに、着実に環境が僕の意識を攪乱させていっている。こびり付くような鉄の臭いは、確かにこの一帯を包み込んでいる。鼻を衝くような腐った臭いだ。間違いない、自分自身がそうであると、今ならまだ認識出来ている。

 今の僕はそれを厭わない。異臭を嫌悪している間に、次にその異臭を放つ事になるのは自分自身になるからだ。

 僕はゆっくりと、握っていた冷たい彼の腕を地面に置いた。弔いさえも出来ないのだろうか。見知らぬ大地の生命の肥やしとなり、土に還る、それだけが彼の運命とするなら、随分と皮肉めいている。僕たちはそんな価値のない犠牲のために、この星へ来たのではない。

 もっと意義のあるもののために、誰かのために、ここへ来たはずだった。だから彼もこんなところで死ぬべきではなかった。僕だってそうだ、こんなところで死ぬわけにはいかない。無意味な死を遂げるわけにはいかない。それは自分の為でもあるが、同時に誰かの為でもある。曖昧だと、抽象的だと罵られても構わない。だがここで戦い続けている事こそが、僕らの生きている理由であって、僕らにとってはきっと、それだけで十分なのだ。そうでなければ戦場で自我の維持など不可能だ。この戦いはもはや戒めなのだ。

 再び地面に置き去りにしたままのアサルトライフルを手に取る。懐に残されたワンマガジンを手に取ってリロードすると、引き金に指をかけて標的へと向き直した。

 もう振り返る事は赦されない。それは自分自身への戒めでもあるのだが、同時にこの地で散って行った仲間たちと、故郷に残された同胞の為でもあった。

 グローブの指先はとうに擦れきれており、随分と指先だけが冷えた。



 戦場に残された兵士は、僕を含めて両手の指で数えられる程度にしかいなかった。その残された兵士たちも、よもや生気など残されていない。誰もがその眼を虚ろにして、色を失っていたのだ。……果たしてそれがそう見えるだけなのだろうか。きっと僕も第三者が見れば同じ感想を抱くに違いない。

 見渡せば一面中に無残に砕け散った死体と、その死体がまき散らした鮮血、そして破壊された町の瓦礫と銃創だった。死体を見ても敵味方どちらかなど判らない。形などとうに保っていなかった。特に敵側の兵器は地球人の技術のそれよりも上回っているため、こちらの方の被害が圧倒的に大きい。

「化けもんだよ、あいつら……」

 何度その言葉を耳にしただろうか。疲弊しきった声で、一人の男が譫言(うわごと)のように呟く。いつものように僕は聞き流した。

「あいつら、まさに人の皮を被った化け物さ。まるで昔話に出てくる鬼だ。ただ普段は人みてえな姿でそれを隠してる。キレると、ああやって本来の姿を曝して戦うんだ」

「んなこたぁわかってんだよォッ!」

 返答された男は怒鳴り上げて発狂し、頭を掻き毟りながら呼吸を荒立て、崩れた民家の方に向かって唾を吐き捨てた。倒壊した民家の瓦礫に埋まっている、人の腕があった。そして少し離れた場所に、心臓から上がばっさりと切り取られたように、肋骨や潰れた何らかの臓器らしきものが、赤黒くゼリー状に固まった血液に彩られ、打ち捨ててあった。誰のものなのだろうか。僕は目を塞ぎたいと思う半面で、その死体の正体が誰なのか暴きたいという、冒涜的思考に陥っていた。

「その上なんだ! あんなふざけた兵器! 撃たれた奴はまともな形してねえ! あれが人間だったなんて誰も思えねえだろ!?」

 彼の憤りは誰に向けられているものなのか、その場にいた誰もが揃って察しかねただろう。僕たちに向かって八つ当たりをしているのか、それとも敵に向けられたものなのか……それとも無力な自分への憤りなのか。

 僕たちの戦っている敵と言われる存在、それはいつからか『超人類』と呼称されていた。誰がそう言い始めたのかは知らないが、きっと『彼ら』の姿を見れば、誰だって同じような発想に辿り着くだろう

 超人類は普段僕らと何ら変わりない、人類に限りなく近い容姿をしている。それだけの見た目ではきっと判別する事は不可能だろう。だからこそ、人類と超人類のファーストコンタクト時、人類は超人類を同じ種であると一方的に想定したのだろう。そして願わくは、大規模な環境異変により壊滅的状況に陥った地球を救う、救世主となってくれる事を祈って。

 結果的に言うと、人類と超人類の交渉は決裂した。今考えれば当然の結果だったのだ。単純に、超人類側が人類を救う必要も利益も無いのだから。

 超人類の住んでいる星は地球と比べてとてつもない程に資源が豊富であり、そして平穏だった。地球の何倍の大きさである星でありながら、気温、気候、生物、酸素濃度など、あらゆる環境において地球に類似していた。どうにかコミュニケーションを取る事も出来た。だからこそ、人類に限りなく近い存在という呼称が定着したのだろう。

 僕は比較的薄学だ、惑星のどうこうについて詳細は知らない。そういった、かいつまんだ程度の平面的な知識と、あやふやな事実だけを詰め込まれてここに来た。

 交渉の決裂した人類と超人類はどうなったのか。見ての通り、戦争だ。

人類側は焦っていた。人類の滅亡までのカウントダウンは着実に進行しており、既に終焉のその時を間近に迎えていたのだ。それを未然に防ぐには、どうしても地球環境を再生させるための資源や技術が必要とされた。そしてそれらを手にしようとした人類は、限られた資源すら用いて、超人類に戦いを挑んだ。結果は……結果というにはまだ相応しくない状況かもしれないが、この有様を見て言うなら大敗だ。

 超人類側は人類よりも発展した技術があったが、それ以上に人類と超人類と呼ばれる者の間には、大きな違いがあった。

「巨大化し、皮膚を硬化させ、筋力を通常の何十倍、もしくは何百倍も向上させ、視野や聴覚、および嗅覚を拡大させる能力。とても同じ人類とは言えないからな」

 数少ない老兵の一人が、火の点いていない煙草を(くわ)えながらぼやくように言った。きっと既に齢六十は超えている。しかし彼は至って平然と、僕らと同様に戦火の中に身を投じている。きっと精神が擦り切れるような、うんざりする体験を人一倍多くしてきているはずだ。言葉には計り知れない重みを感じられる。

 超人類に人類向け火器はほとんど通用しなかった。それはあくまで人類を殺戮する為のもので、超人類のような突飛した相手を殺す為に設計されているわけではないからだ。逆は当然アリだ。超人類を殺す為のものが、人間を殺せないわけがない。

 こんな状況に陥ってしまうまで、そう時間はかからなかった。もしかすると、明日にでも人類は滅びてしまうのではないだろうか。少ない資源で造られた宇宙船に乗り、見知らぬ星へと投入された兵士は次々と死に、戦える者はよもや残されていないに等しい。物資だって限界が来ている。

「……どうしてあなたはまだ戦ってるんですか? 本来こんな場所にあなたくらいの年齢の方がいるなんて事が信じられないんです」

 老兵は「ふむ」と喉を鳴らしながら、白髪混じりの無精ひげを指先でいじっていた。

「ただ、たまたまここに来て、この歳になるまで生き残ったというのもある。でもな、地球じゃ難民だったんだ。行く場所も、帰る場所も、家族も金もない。何一つ残されちゃいなかった」

「異変の、影響ですか」

 恐る恐る尋ねると、何事も無く老人は首を縦に振った。

「あれの影響で俺みたいな境遇の奴が何百何千万人と生まれちまっただろ。そのうちのほとんどは誰に助けてもらえるわけでなく、飢え死にやら疫病やらで死んじまった。そんな中で取り残されたら、まともに生きられるわけがない」

「……」

「そういうお前さんはどうしてこんなところにいる? ……いや、そんな事は訊く必要もないか」

「想像している通りですよ。召集されて投入された、それだけです。志願したわけでもない。一方的に棺桶のみたいな輸送機に乗せられて、ここに送り込まれただけです」

地球政府(むこうがわ)はそれほど焦ってるのか。こっちにいると、地球の情報はなかなか手に入らないからな」

「ええ、それに――――」

 地球にいるよりも、こうやって戦いに身を投じて我を忘れられるなら、そちらの方が幸せだろう。

「僕が送り込まれる直前の地球は、もう限界が目に見えていましたから。戦争に巻き込まれたとはいえ、向こうに比べてまともなものが食べられるこっちの方が、遥かにマシですよ」

 食糧の配給なんてろくなものも来ない。一ヵ月に一度、芽の生えた泥まみれのジャガイモが数個と、気休め程度に詰められた、萎びた野菜がいくつか。それらを家族で分け与え合う。当然それらだけで足りるわけがない。僕を含め、周囲の誰もが日に日に見るからに痩せ細っていく。それに並んで配給は月日を追うごとに少なくなっていく。握れば折れてしまいそうな妹のか細い腕が瞼の裏に焼き付く。パンや米や肉なんてものは贅沢品で、政府に関与しているような一部の上流階級の人間のみ貪る事が出来た。一般市民である僕らは、腐りかけの野菜に齧り(かじり)つきながら、地球が再興する日をいつかは、やがていつかはと希いながら、虚空へ手を伸ばしてもがいていた。

 だからだろうか。召集が来て、途端に安堵したのだ。なぜだろうか。僕一人が抜けたからと言って、政府からの配給に余裕が出来るわけでもない。家族がより満腹に近づけるわけでもない。だが、戦場に行けば、地球よりもまともなものが食べられるとは聞いていた。腹を肥やせる。たとえ首をもがれる運命が待っていたとしても、現状の地獄から抜け出すためには、風説に身を任せても良いと思った。

 しかし、ここと地球のどちらが、より地獄と称するに相応しいだろうか。僕は唐突な頭痛に頭を抱え込み、三回程深呼吸を行った。そんな気休めで頭痛が治まるわけがなかった。地球に残留していても、餓死が待っている。上流階級の人間に虐げられ、一方的に朽ちていくだけの死と、化け物に蹂躙され、異国の地で肉体の原型さえ残さず死ぬ事と、どちらがより地獄と言えるだろうか。答えは判っている、差異など最初から存在しない。そのどちらにも名誉の死という、栄光などは一切無く、僕たちは壊れた備品のように扱われ死んでいく。廃棄され、焼却され、誰の記憶にも残されず忘却されていく。ここらに散っていった仲間たちがまさにそれだ。彼らも政府にとっての道具でしかない。僕らの命の価値なんてものは、それくらいなのだ。

「だからと言って、心の底からここが天国だなんて言えないですけどね。あくまで食糧での面で、って事で」

「ケッ。その分、地球側に負担がかかってんだけどよォ」

 先程唾を吐いた男が、衛生兵から受け取ったコーヒーをちびちびと口に含みつつ、沈鬱な様子で嘆きながら、足元にあった拳くらいの大きさの石を手に取ると敵の死体に向かって頬理投げた。

「食わねば死ぬさ。それに俺たちはいい口減らしだ。死ねば死ぬほど、結果的には食糧に余裕ができる」

「……わかってらァ。だがよ、こんな事続けても、いずれは俺らの食糧まで尽きちまうサ。ジリ貧なんて馬鹿げてやがる。この星に来て、戦争までおっぱじめて、人類様がどれだけの資源を得た? どれだけの土地を得られた? 枯れ木と砂しかねえようなド田舎攻めて何を得た? 石ころ欲しさに来たわけじゃねえんだ。そんな事で馬鹿どもは喜んだ、俺だってそうだ。それだけしか得られなかったんだ」

「虐殺ごっこなんて、上も悪趣味な事をさせたもんだ」

「……虐殺の対象って、もしかしてこの星の民間人ですか?」

 僕が問いかけると、男は少しばつが悪そうな顔をした。

「おうよ。無抵抗の奴らに爆弾浴びせたさ。躊躇いも無くな。ただの弾薬の無駄遣いだぜ。でも俺らはそうする事でしか、勝利の美酒なんてのは一生味わえなかっただろうな。ただの憂さ晴らしだったのサ。一番怖いのは、俺自身もそれを愉悦と感じていたってこった。無人機での航空爆撃作戦でな。ボタン一つでミサイルが発射できた。これの怖い所ってのは、直接手を下さないせいか、人を殺してる感覚が微塵もねえ。ガキのお遊びみたいなもんだ。淡々と、ただ淡々と敵意のないヤツを殺して、それを愉しんでいたんだ」

「とんだ愉悦だ」

 老兵が吐き捨てるように肩を竦める。だがその声には同情の色が混じっていた。それがどちらへの同情なのかは察しかねた。

「それも遠い昔の話だけどよ」



 翌日も戦場に駆り出された。当たり前だ、戦うためにここに来たのだから。

 僕らよりも前線で戦っていた小隊が壊滅寸前と言う連絡を受け、体を休めていた深夜に突如緊急に呼び出され、装甲車に詰め込まれた。寝ている暇も無いくらいに人類側は切羽詰っているのだろうか。

 ――だとすれば、今すぐにでも降伏してしまえばいいのに。

 本能的に目の前の現実から思考を逸らし、逃避していた。そもそも僕らを派遣したところで、僕らの分隊も昨日の戦闘で残された三人しかいないのに、言ったところで状況が改善されるだなんて、きっと僕を含めて誰一人として思っていやしないだろう。

 現場は既に硝煙と焼き焦げた人肉の異臭が漂っていた。凄惨な光景だ。ようやく駆けつけた時には小隊は壊滅しており、誰一人として生き残っていなかった。崩れた街に埋もれるようにして、原形を留めていない死体が埋もれている。もう、見慣れた景色の一つだ。

「手遅れだったか……」

 老兵は吸っていた煙草を捨てて、軍靴(ぐんか)で踏みつけて消火すると、ゼリー状になった血液が付着した瓦礫の一つをひっくり返して見せた。

「……こりゃまた随分と」

 瓦礫の下に埋まっていたのは、顔の形をしていたものだった。瓦礫に潰されてしまったせいで、潰れた眼球や、僅かに形を留めている骨を見て、それが顔だというのが判った。

「僕、あっちの方見てきますね」

 二人に背を向けて、曇天の下に広がる崩壊した街を練り歩く。ここらの地域は冬が到来しており、首元が肌寒く感じた。両手をポケットに入れて、周囲を見渡す。曇っているせいで辺りは薄暗く、ところどころで燃え盛る炎が、篝火のように明るかった。

「さっきの死体とこの惨状、爆撃でもあったのかな」

 白い息を吐きながら嘆息する。見たところ周辺の生存者はゼロらしい。敵も味方も民間人も、揃いに揃って皆殺しにされている。本当の無差別爆撃だ。超人類は味方を犠牲にまでしたのか? 地獄絵図の一部だ。それが切り取られて投影されているかのようだ。例によって、こんな光景はこちらに来てからうんざりするほど見ているのだが、何度見てもこれがただの悪夢で済んでいれば良かったのにと思わされる。しかし目の前の現実を叩き付けられてしまえば、たとえ悪夢であろうとその夢はすぐに覚めてしまう。世知辛いというか、何というか。

「…………ん?」

 ふと、何かが聞こえた気がした。蚊が耳元を通り過ぎて行く程度の誰かの声、さっき別れた二人の声のどれとも違う。


――――――――。


 やはりその声は確かに聞こえた。その人物が何を言っているのか全く理解できなかったが、誰かが声を発しているのには間違い無い。もしかすれば生存者がいるかもしれない。

「二人に報告すべきか……」

 真っ先にその考えが浮かんだが、また戻ってくるのも手間だと考え、単独で接触すると決定する。万が一の事態に備え、腰元に装備していたハンドガンを取り出した。残弾数を確認し、構えながら声のする方へと近づいていく。

「出来れば交戦するような事態は避けたいんだけど……ね」

 じりじりと、慎重に、物音を立てないように目標に近づく。その間も声が聞こえる。何を言っているのか、何を伝えようとしているのかは、相変わらず理解できない。声を発しているという事象のみを認識できるレベルだ。

 自分の身長より一回りは大きなコンクリートの瓦礫に背を密着させ、そこから声のする方を確認した。

「――――■……■■■■…………■」

 声の発している人物が視界に映る。か細い声で、何を言っているのか意味は汲み取れないものの、誰かにすがるような乾いた声だった。

 声の主は少女だった。きっと歳はまだ十歳かそこらだろう。僕の妹と同じくらいの年齢だ。腰の辺りまで伸びた雪のような白い髪が扇状に地面に広がっており、薄い肌色の頬は煤に汚れ、少女の眼には蝋燭の光程度の小さな生命力しか残されていなかった。すぐに見ただけで判った、彼女は今、瀕死だ。こんなところに小さな子供がいると考えれば、超人類側の民間人だろうと直ぐに察しがついた。

 少女を救護するべきかしばらく迷った。僕が彼女を救えば、僕は反逆者となり、軍法会議にかけられ、きっと処刑されるだろう。だが彼女は民間人だ、この戦争とは全く無関係な存在で、こんな仕打ちに合う必要さえ無かったはずだ。それにこんな幼い少女が目の前で苦痛に苛まれているというのに、見殺しにできるほど僕は厳しい人間になれなかったし、生まれてから自然に刷り込まれてきた、道徳的観点がそのような事を許さなかった。

 僕は腰のホルスターに銃を仕舞うと、少女のもとに駆け寄った。僕は僕自身の顔を見る事はできないが、きっと鬼気迫るような表情をしていたのかもしれない。

「大丈夫っ!?」

 少女の下半身には崩れてきたコンクリートの瓦礫らしきものがのしかかっており、彼女の脱出を阻んでいた。

「■■■…………■■…………」

 なるほど、言葉が理解できなかったのは異星の言葉だからだ。残念ながら僕はこちらの星の言葉を知らない。一部の人は理解し、話す事ができるらしいのだが、母国語以外に大して話せない僕には、異星の言葉など未知の音にしか思えない。

「大丈夫、僕は君の敵じゃない」

 きっと彼女は僕と同様に異星の言葉を理解できないのだから、僕が何を言ったところで意味の無い行動だとは理解していた。僕は彼女を安心させたい反面で、僕自身が精神を安定させ、この瓦礫を除去しなければ、という意思を自らが言葉を発する事で義務化させたかったに違いない。

 少女の下半身を覆っている瓦礫に手をかける。ざっと触れてみたところ、結構な重さがあるらしい。そして気が付いた事には、下手に瓦礫を動かせば、少女に対して更に負担になるような事態になりかねない事と、少女が足を怪我したらしく結構な出血を伴っているというのが判った。軍に所属しているとはいえ、僕はあくまで召集されてここに来た身だ。多少の怪我やトラブルの解決方法は、訓練によって会得しているとはいえ、このような事態に遭遇した機会がこれまでになく、しばらくの時間僕は思考回路をフルに稼働させて、どうすべきかと模索した。

「そうだ、持っているものでどうにか……」

 手持ちにあるのはハンドガン、ペンライト、サバイバルナイフ……ダメだ、大半の荷物を向こうに置いてきているせいでろくな物がない。ハンドガンでは威力不足で瓦礫を破壊するのは難しいだろうし、仮に破壊できた際に散る破片や、貫通した時が危険だ。向こうで待っている二人を呼んでくるのが得策だろうが……こんな小さな子でも超人類だ。老兵の方ならまだしも、もう一人の男は衝動的になって、反射的に殺しにかかりかねない。かといってあの男だけを取り残して老兵だけを呼び出せば怪しまれるだろう。

「結局、僕一人でやるしかないって事か……」

 少女の瞳が揺れる。この状況に対する恐怖によるものだろうか。違う、それだけではない。彼女にとって脅威はもう一つある。――僕自身だ。彼女たちにとって僕らは敵だ。同胞を殺す野蛮人、悪魔、死神……。僕が助けようとしても言葉は通じないのだから、もしかすると僕が襲いかかろうとしているようにも見えているのかもしれない。いや、そうなのだから彼女の瞳はゆらゆらと、蝋燭の焔のように恐怖に怯えているのだ。どうすれば彼女と意思疎通ができるだろうか。

 そんな事を考える前に、僕は一人では到底持ち上がりそうにないであろう瓦礫を、両腕を広げて掴んだ。グローブ越しに冷たい石の感覚が伝わってくる。

「くっ……」

そのまま真上に引き上げる。これなら少女は瓦礫から下半身を引き抜くだけでいい。だがかなりの重量がある瓦礫は全く持ち上げられない。それに冬の寒さもあって指先がかじかみ、上手く力を入れられない。

「■……■■■■…………」

 少女が悲痛そうな声を上げ、苦しむような表情をする。言葉が通じなくたって、それだけで十分に彼女が思っている事は理解できるのだ。

「大丈夫……だから、僕を信じて欲しい……」

 もう一度、腕と指先に力を込める。非力な自分が忌々しい。それでもこちらに来てからは、人並み以上の筋力は付いてきたと思っていたのだが、とんだ思い違いだったらしい。この程度の瓦礫さえ動かせないのだから、これではあってもなくても同じようなものだ。

「動けよ……動いてくれよっ……!」

 自分へ戒めるように虚空へ言い放ちながら、瓦礫を持ち上げようと全身に力を込める。指先、腕、肩、背筋、腰、脚、踵、全身のありとあらゆる筋肉へがむしゃらに力を込める。力を込めては抜き、また力を込める。その繰り返しの動作を行うたびに、僕の口からは機関車の蒸気のような白い息が出て、指先は無理な痛みに堪えた。

 だがそれ以上に、瓦礫の下で痛みと凍えるような冬の寒さを耐えている彼女の方が、余程辛いに決まっている。僕の弱音や痛みなど、とてもくだらない。今にも消えそうな生命(いのち)の火がそこにある。虚ろな瞳が見つめている、僕のありとあらゆる挙動を凝視し、同時に委ねている。何を考えているのかは判らない。それでも今の僕には少なからず、彼女を助けなければならないという義務があった。だとしたら、僕は何度だってこの瓦礫に挑んで見せる。

「くっ……あぁ……ああああぁぁっ……!」

 凍てついた指先に再び重く圧し掛かる、同時に喉から無意識の悲鳴のような声が上がった。腕が痙攣したように震えて、腰の骨がめりめりと鳴る。

「■■■……■■……」

 彼女は僕を見つめながら首を振って何かを言った。やはり何を言っているのかは僕には理解できないのだが、それはもう諦めてくれと言っているように感じた。

「そんな事……言わないでくれよ……。君には生き残る理由があるんだ……こんなところで、こんなつまらない場所で、君が死ぬ道理なんて、あるわけがない……」

 吹き上げるように筋肉に力を込める。その時、微々たるものだったが、抱えていた瓦礫が持ち上がった。この調子で続けていれば、もしかすれば彼女を助けられるかもしれない。

「誰もこんな戦い……望んでいなかったはずだよ。ただ救いを求めていただけなのに……。こんなのは誰の為の戦いでもない……歯車がこじれたから、こうするしかなくなっただけなんだ……だから、君がこんな目に遭う必要は無かった」

 また少し瓦礫が持ち上がる。

「バカな人類を笑ってくれてもいいんだ……僕ができるのはこんな事しか無いから。……こんな償いしかできないんだ」

 たくさんの人間が死んだ、だが同時にたくさんの超人類も死んだ。僕はこの手で引き金を引き、何度も何度も、何人も何十人もの超人類を殺した。それが僕の残された道だったから、生き残る手段だったからこそ。だがそれは結局本意などではない、矛盾に挟まれながら、自分の行いが悪だと判っていながら、命令を遵守してきた。

「ごめんね……本当なら君たちは、もしかすれば僕たちにも、幸せになる権利だってあったのかもしれない。こんな事をしなくても、どちらにしてももう人類は手遅れなんだから……」

 僕にとっての幸せとはなんだっただろうか。地球で懐かしい黄昏の空を眺めながら、命の終わり迎える。平穏な人生を振り返りながら、生きてきた意味を顧みながら、走馬灯に包まれて意識を閉ざす。肉体から魂が剥離され、精神は遠い宇宙の果てへ還っていく……そこが人の起源であり終焉なのか。それこそが僕にとっての幸せだったのだろうか。もしかすればそれも一種の幸福だったかもしれない。誰も殺さなくて済む人生。目の前で鮮血に染まって散った仲間を見送る事も無かった人生。

「動いてくれ……頼むから……」

 幸福など残されていない世界で、唯一の(よろこ)びとはなんだろうか。いや、きっと僕は幸福の概念すらあやふやになっている。何が僕に歓喜をもたらすだろうか。ただ平和に生きて寿命を全うするのが幸せなのだろうか。――そんな事を考えても、時間は遡らない、もう振り返る事すら出来ない。

 瓦礫がゆっくりと持ち上げられる。少女はそれに気付くと、重い身体を這うように引きずって、瓦礫の下から抜け出した。

 僕はぼんやりとしてきた視界の中で少女が脱出したのを確認すると、すぐさま全身の力を抜いた。どしん、と重低音が地面に響き、また地面が少し揺れたような気がした。

「やった……」

 僕は静かに喜び、そのまま地面に向かって倒れ込んだ。ここまで酷い疲労も久々だ。そんな僕を少女はしばし観察して、怯えるように僕の方へとゆっくり近づいてきた。

「■■■■■、■■■■■■」

 ……ああ、よかった。

 少女の心配そうな瞳が僕の顔を望みこみ、長く伸びた白い髪を揺らしながら、僕の肩を揺さぶった。だが僕は全身の疲労のせいか、ただ笑いながら応えるしかできなかった。

 その時になってようやく、僕は生まれて初めて本当の幸福に出会えたような気がした。敵を全滅させた時の、虚しい勝利や栄光ではなく、誰かを救うための為の、本当の意味での自己犠牲によって、僕はようやく味わった事の無い感触に触れたような気がした。

 少女の両手が僕の右手を包み込む。心配そうな面持ち。彼女の手はひんやりと氷のように冷たく、とても小さく、儚く、そして生きていた。

「■■■■……■■■■■■」

「ああ、大丈夫だよ。もう少しすれば動けるようになる、今はまだちょっと、疲れているだけだから」

 大きく息を吐いた。口から白い煙のような息が吐き出され、そして虚空へ消えていった。心持とても満足していた。ようやく今、僕は生きていた意味を見つけられたような気がしていたからだ。

「おい、何をしている? 戻ってこないから心配になって……」

「……おい、お前。そいつってまさか……!」

 中々帰ってこない僕を心配してか、老兵と男がこちらへやってくると同時に、横たわる僕の傍にいた少女を見つけて目の色を変えた。

「違うんだ! この()は関係ない!」

 男たちがこれから何をするのかはすぐに察しがついた。

 僕が警告するよりも早く、男はホルスターに収まっていたハンドガンを取り出して、こちらに構えていた。

「動くなよ超人類め……一体同胞に何をしようとしていたんだ? ああっ!?」

 男の脅迫じみた物言いに、少女はびくりと肩を震わせた。多分、男が構えている物が何なのかも理解しているだろう。それは紛れも無く、少女へと向けられていた。

「やめろ! この娘は民間人だ! 武装だってしていない! 確認済みだ!」

「バカ野郎が! 民間人だと? だったら何だ! そんなものは関係ねェ、ここで皆殺しにしてねえと、いずれ俺たちそいつに殺されるぞ!? お前だって狩られる側になっちまうんだぞ!」

 男の隣にいた老兵は、しばらく僕と男の問答を深刻な目で観察していた。きっと下手に男へ干渉すれば、逆上して発砲しかねないと考えているのだろう。

「そうなる前に人類は終わるって、あなたも判っているはずだ! どちらにせよ、もう人類は終わりだ、どうしようもないって……! それに誰よりも民間人の虐殺を毛嫌いしていたのはあなたも同じはずだ!」

 僕の言葉は説得どころか、男をより腹立たせるものになった。

「知るかこのクソ野郎! あれから状況も変わっちまった今はそんな事知ったこっちゃない! それにあれは直接見なかったからで、今はこうやって目の前に敵となりうる芽がいるだろうが! それでも地球人かよ、この反逆者め!」

 男は興奮した口調のまま、ハンドガンの照準をこちらへと向けた。

「反逆者だなんて……そんなつもりは……」

「おめェには誇りはねえのか! 地球人として誇りがよォ!」

「あったとして、銃を下してくれるのか……!?」

 男はふんと鼻を鳴らした。

「そこにいるガキを殺せ。装備はあるんだろ?」

「何を言って……」

「殺せって言ってんだろォ! だったらお前らまとめてここでぶっ殺すぞォ! 今すぐにぶっ殺すんだよ使えねえなァ!」

 顔を真っ赤にして男は鬼のような形相で僕を睨んだ。それを見て、男は本気で僕らを殺そうとしているのだと確信した。途端に冷や汗がにじみ出てくる。呼吸が余計に荒くなり、思考がぐらぐらと揺れて焦燥に駆られていた。

「さっさとしろって言ってるだろうが! できねえのかァ!?」

 僕は慌ててホルスターからハンドガンを引き抜いた。だがそれ以上に手は動かなかった。少女は僕の方を見て、ふるふると怯えていた。それ以上に手が動くわけがなかった。

「彼女は無関係だ……。僕らに危害を加えようなんて微塵も考えちゃいない。だから、その銃を下せ……。下してくれ、頼むから」

「腑抜けが! 反逆者何ぞここでぶっ殺してやらァ!」

 男の怒号の次の瞬間、甲高い二つの銃声が鳴った。聞き慣れてしまったありふれた日常の音、悪趣味な音。だがそれは一つの銃声ではなく、もう一つ銃声のは僕の持っている銃から発した音ではなかった。目の前で佇む老兵が、男の背後から男の心臓部に向かって銃を構え、発砲していた。男の心臓部からは紅い血が勢いよく噴出され、白目を剥きながら男はその場に顔面から崩れ落ちるように倒れた。倒れた男は痰の混じったような咳をしばらく繰り返すと、ピクリとも動かなくなった。

 撃たれたのは男だけではなかった。僕もまた激痛と同時に意識が遠のいていく。視界が霞んで、男を撃った老兵は僕の方を見ながら残念そうな顔をすると、背を向けて去って行った。

 僕は老兵に言葉を伝えようと喉を絞り、手を伸ばしたが、既に体がほとんど動かず、宙をもがくように歪んだ弧を描くだけで、思ったようにはいかなかった。薄れゆく意識と視界の中、老兵の影は遠くなっていき、やがては見えなくなってしまった。最後に見えた老兵の顔は、疲弊しきっており、諦めるような顔だった。

「■■■■■■■■■……! ■■■■■■■■■……!」

 少女が駆け寄ってくる。泣きそうな顔、いや、その瞳は涙で溢れていた。

「あ、ははは……こんな時に……泣いて、くれる人が……いるなんて、僕、は……幸せ……だよ……」

 今まで戦場に散って行った仲間は孤独に死んでいった。こんな風に最期を看取られるなんて事は一度でさえ無かった。道端の石ころのように死体は無残に置き去りにされたまま、弔いなどされずに、冷たい土の上に伏せたままだったのだから。

「■■■■■! ■■■■■■……!」

 何かを必死に叫んでいた。言っている意味は判らないが、少女の声はとても綺麗なものだ。ガラスが反響するような、水晶のような声。冷たくも、それは美しい氷河の流れるような綺麗な音。

「■■■■、■■■■■■■……!」

 腹部が熱い。きっとここを撃たれたのだろうと。ぼんやり考えていた。まるでくだらない模索のように、それくらい意識でしか無かった。

 横たわったまま、空を見上げた。最期に見る空の色を。曇っていた、どこまでも、どこまでも、灰色の世界が最果てまで続いていた。白い雪が大地へと落ちては融け、落ちては融け、僕の鼻先や頬へ綿のような雪がまた一つ落ちると、融けて水になった。

 果てしなく続く、哀しい黒鋼の空。濁流のように雲が空を流れていく。何て酷い最期の景色だろう。

「ああ…………でも、よかった……」

 僕はもうすぐ意識が閉ざされ、死に直接触れてしまうというのに、不思議に満足な気持ちだった。どうしてだろうか、こんな終わり方を望んでいたのか? いや、そういうわけでもなかった。きっとこの満足感は、何かを成し遂げる事ができたから。

「最後に、誰かの為に……生きられたから……」

 そこには決して名誉も何も無かった。 他人からすれば、無価値な努力であり、無意味な行動だった。

 それでも、そんなものでも、救われた命はあった。それは目の前に、とても近くに。血を流して戦わなくても、僕は生きていた意味を見つけられたから。

 少女の海鳴りのような声が、遠くなっていく僕の意識を叩き起こそうとしている。

「僕は、きっと……ごほっ……」

 体は限界だった。男が撃たれた時のような痰が混じったような咳が止まらない。

「ごほっ……もうすぐ死んで、しまう……。でも君は、生きて……生きて、幸せになって、欲しい……」

「■■■■■■■……」

「こんな、愚かな僕らの代わりに……」

「■■■、■■■■■■■■■!」

「君が、生きて、幸せになって……」

 視界が真っ白になっていく。ああ、人の終わっていく感覚とはこういうものなのか。体からふっと、力が抜けていく。鎧を脱いだように身体は軽く、どこまでも飛んでいけるような気がした。見えないその先に、ずっとずっと、遠くへと――。



To the earth of 0.2 lux


 いつか、遠くの記憶でも辿っているような気がしていた。それは自分にとって、全く身に覚えのないもものはずだ。昨晩の夢の内容のような気がするし、そもそも夢は見てなかった気がする。だがどうしてだろうか、一瞬、そんな濃密な記憶が、体内に溜まっていた泥を急激に吐き戻したかのような勢いで、僕のどこかから排出されたのだ。

「どうしてだろう……」

 最果ての町にある小さな家の中で、刹那の眩暈に僕はしばらく頭を抱えながら、僕はひとりごちた。窓から見えるのは、雲間から覗く月と、どこまでも広がり、波打つ芒の海。

 僕のくだらない妄想が膨らみ過ぎたのだろうか。自分に対して呆れてしまう。

 それにしても今日は穏やかな夜だ。風が音楽を奏でるように吹いて、とても心地よさそうに感じられた。こんな夜は何となく外へ繰り出したくなるものだ。

 僕は上着を羽織ると、ランプの火を消して家から出た。その瞬間、穏やかな夜の風が僕の全身を包み込んだ。そして僕はふと思い出した。あのくだらない妄想に出てきた、僕にとてもよく似ていた一人の男が、死ぬ間際にとても幸福な気持ちに包まれていたのだと――。



 そしてその夜、僕らは再会したのだ。

 あの日からは随分時間も経ってしまったし、姿も変わってしまったけれど。それでも、きっと僕らは互いを認識し合えるだろう。

 0.2ルクスの月光の照らす芒の海で、僕らは再び出会ったのだった。

オムニバスシリーズ第二弾。

といっても、それぞれ一つ一つの短編として楽しめるように書いているので大丈夫……なはず。

架空世界ではありますが、戦争という題材について初めて書いたものでもあります。

この当時「やっていないジャンルにどんどん手を出していこう」と思いながら書いた結果だったと覚えています。

前作の短編小説「0.2ルクスの地球」の前日譚となる時間軸のお話です。

オムニバスシリーズはまだ続きますので、次回もお楽しみに。

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