陽だまりの月
R18まで行きませんが、近い表現があると思いましたので、R15設定にさせていただきました。
苦手な方は戻るボタンをぽちり。
魔法…それは、体内に存在する魔力を具現化させることを指す。
具現化出来るのは様々で、火、風、水、土の基本の四属性や、氷、雷といった変化属性、幻を見せたり音を発生させる幻惑属性等が代表的である。
使える者と使えない者が世界には混在し、それは即ち、体内の魔力量に関係しているというのが一般論。
魔力が少なすぎると、具現化することが出来ないのだ。
逆に体内の魔力量が多ければ、必然的に強力な魔法の使い手となる。
もちろん例外も在り、魔力が多いのに魔法が使えない者もいたりするわけだけど。
どうも才能なんてものが関係している場合もあるとされているが、未だ、魔法に関しては研究途中。
上手く使えれば攻防の力にもなり、生活の基盤にも組み込めるこ とから、各国がこぞって進める研究分野の最先端だった。
そんな世界情勢の中。
小さな魔法の研究所で、あたしは研究員をしていた。
雷の魔法を得意とし、その魔力を持て余し放浪していたあたしを拾ってくれたのはエディッツという燃え盛る炎のような赤い髪の男の人。
その髪が表すような炎の魔法を操る人物で、その人柄は明るく、あたしは家族のような友人のような関係を築いているように思う。
彼は、その小さな研究所の所長だった。
歳はあたしと変わらず、20代半ば。
その若さで所長だというのは、彼の魔力量がずば抜けていて、とても強力な魔法を使えるからだった。
…あたしは、あたし以外でそれだけの魔力量を誇る人を、彼以外に知らない。
そして魔法の研究を名目にしながら、実際は魔法が使えることで迫害された人や、そ れを負い目に感じている人を保護している場所だった。
そう、まだ未知の部分が多い魔法は、必ずしも歓迎される力ではなかったのだ。
街や村から離れた山に囲まれた場所で、あたしとエディッツ、他の何人かの研究員達はひっそりと暮らしていた。
「ん…」
頭が痛くて重い。
深く暗い靄がかかった中、意識をようやく浮上させる。
…じめじめしたカビと苔の臭いが肺を満たす。
目を開けると、松明一本の頼りない明かりに照らされた暗く小さな部屋が見えた。
剥き出しの岩肌は湿っていて、松明の炎の揺らめきを反射させている。
視線を廻らせる。
誰もいないけれど、何かの気配が感じられた。
起きたばかりで身体が怠い。
身じろいだあたしは激痛に呻いていた。
ジャラリと重い金属音。
軋む身体の状態を、ゆっくりと脳が理解していく。
…繋がれている。
金具…鎖。
大の字に、壁に張り付けにされているのだ。
「うぅ…」
頭が痛い。
どうして…何が…。
考えたとたん、あたしは声にならない悲鳴を上げて いた。
研究所から少し離れた場所にある実験場…そこで突然襲われたのだ。
ローブをすっぽりかぶり、性別も顔も不明の3人組。
放った魔法が一人にぶちあたり、残った二人が素早くあたしの両腕を取った。
手をかざされ、光が溢れる。
瞬間、咄嗟に雷を発しようとしていたあたしはぐっとそれを押さえつけた。
強力すぎるあたしの魔法は…加減が出来なければ危険なのだ。
…ぎゅっと閉じた瞼の裏までその光は伝わって…あたしの意識は途切れたのだった。
「起きたか」
回想から意識が引き戻される。
くぐもった声がして、あたしは鼓動が早くなったのを感じた。
冷や汗が身体中から滲み出て、すうっと寒気が走る。
ローブ姿の…たぶん、男。
あたしより頭一つ分大きいそいつは、フードを深くかぶり、それだけでなく顔の大半を布で覆っている。
声がくぐもるのはそのせいだった。
「…良い眺めじゃないか」
あたしが伺うのを知ってか知らずか男はそう言うと、品定めをするかのようにあたしを凝視した。
「衣を纏わずもその眼。クリムゾンフレアの愛でる女に相応しい」
「!」
クリムゾン、フレア…。
エディッツのことだとすぐにわかった。
それに、衣を纏わずって…。
あたしは、自分が裸のまま張り付けにされてることを知る。
「 揺らいだか。雷使い、取引をしよう」
繋がれた手を握りしめ、感触を確かめる。
…ぴりぴりした感覚が走り、魔法は使えると確信した。
「…我等はクリムゾンフレアと取引するためにお前を掠った。見えないだろうがその美しい身体にある術を施してある」
男が近付き、あたしを見下ろす。
…瞳は銀。
冷たいナイフの刃の色に見えた。
「っ…」
瞬間、男はあたしの胸を鷲掴みにした。
「…今一つ膨らみに欠けるか?…クリムゾンフレアはさぞかしこの胸を愛でているのだろうな」
指先が、つ、と胸を滑る。
…どういうわけか、こいつはあたしとエディッツが恋人同士だと思っているのだ。
…滑稽ね。
「…何故笑う?」
訝しがる男からは、殺気のようなものは感じない。
甘く 見られたものである。
…が、その時。
「そこまでだ」
「!」
男は咄嗟に振り返り、何かの障壁を張った。
跳ね返った炎に松明が燃え上がり、瞬時に燃え尽きて部屋が暗くなる。
「…クリムゾンフレア!?何故ここに…」
「テュールを返してもらいにね。…悪いけど、俺今怒ってるし。火傷じゃ済まないからな」
「くっ…こちらには人質が…くあっ」
ビリビリッ
あたしの発した雷が男の無防備な背中を撃つ。
「な、何故…腕は押さえてある…はず…」
「別に、身体全体から発すればいい」
通常ならば、人は手をかざすことで魔法を使う。
けれど強すぎるあたしの魔法は、身体全体からでも発することが出来るのだ。
「そん、な…馬鹿な…」
崩れた男を踏み越えて、エディッ ツの陰がそばに来てくれた。
「ふふ、助けに来なくても大丈夫だったかな?」
「そ、それは困るよ。鎖が取れないもの…」
エディッツは少し熱いけどごめんなと言って、一瞬で枷を焼き切った。
急に自由になって身体を支えられないあたしを、エディッツが抱きとめる。
「…あ、ごめん…うまく立てなくて」
「……」
「エディッツ?」
「お、お前…あの、は、裸?」
「!」
身を硬くしたあたしに、エディッツは慌てふためいて上着を被せた。
丈の長いコートは、すっぽりとあたしの身体を隠す。
「み、見てないから!暗くて見えないから!」
「う、うん…あの…ごめん…」
「ば、ば、馬鹿!何で謝るんだよ!むしろ役得だし!お前、柔らか…じゃなくてっ」
「や、柔らか… 」
「いい!そこをピックアップしなくていい!」
「ふ……その油断が、命取りだ!」
「っ!?」
ばちんと音がした。
あたしは崩れ落ちる。
「テュール!」
…意識があるのに、身体のどこにも力が入らなかった。
「恋人を愛でてるとは、余裕があるな。おかげで、なんとか発動出来たが」
「発動…?お前、テュールに何を」
エディッツの手から炎が噴き上がる。
すごい熱に肌がぴりぴりした。
「…俺を焼けば術は解けんよ。そいつは今、俺の人形なのだから」
「!」
まるで操られるように身体が動く。
あたしはふわふわと男に近付くと、その首に腕を回した。
な、な、何これ!
「テュールに…何をした」
「人形にしたのだ。ほら、俺の命令でこんなことも」
ぐぐっ と力がかかり、男の布ごしにくちづけをする。
うう、や、やだ…。
その時、ふわりと何かが鼻をくすぐった。
「…」
お日様の香り。
柔らかい陽射しの、その香り。
「…どうだ、恋人を取られた気分は?」
エディッツは困惑した顔で応えた。
「お前、さっきから恋人、恋人って…テュールはそんなんじゃない…。だから、そうやって彼女にキスさせたりするのはやめてやってくれないか」
「何?」
「テュールは大事だ。だから言うことを聞いてやるよ。だけど、彼女を俺の恋人だと思ってそんなことするなら辞めろって言ってる」
「な…そんな、お前達は…」
動揺が伝わる。
あたしの指先に力がこもる。
「っ…きゃー!」
ばちーん!!
「うぐっ…」
「ち、ちょっと!布 ごしとはいえファーストキスよ!?何してくれるのよっ」
男は打たれた頬を押さえ、呆然としていたが…瞬間、我に返った。
「っ…」
すぐに身体から力が抜ける。
しまった、気絶でもさせてやれば良かった。
「く、クリムゾンフレア。…約束しろ、お前がいうことを聞けば、危害は加えん。おって指令を送る。鳩でだ。今は引け」
「……わかった」
エディッツ…。
「テュール、必ず助けにくる。…お前、名前は?」
「……」
「呼びにくいだろ。愛称でもなんでもいい」
「…日向」
「わかった。日向、もし彼女を傷付けたら、その時はお前を跡形なく燃やしつくす」
エディッツは冷たい瞳でそう言って、いなくなった。
「話せるようにはしてやる。質問に答えろ。お前、クリムゾンフレアの何だ?」
「何って…。何だろう…仕事仲間…上司と部下?雇われの身…あ、友達?」
日向と名乗った男は、眉を寄せた。
「恋人では…」
「残念ながら。エディッツもあたしに興味は無いと思うけど」
「何だと?」
あたしは彼を見ながら、自然と緊張しないでいる。
…何だか、悪い人に思えなかった。
エディッツが大人しく帰ったのも、ここがそう危険ではないと判断したからのような気がする。
「ねぇ日向。貴方は…お日様の匂いがするね」
「…え」
「…だから日向なのかな。…っていうか、うう」
「どうした、どこか痛むのか」
躊躇った後で、日向はそっとあたしを座らせた。
「…手荒い真似を したからな。…どこが痛むんだ」
「違う。貴方がキスなんてさせるからよ」
思い出したら混乱する。
「…くちづけは嫌いか」
「き、嫌いとかそういう問題じゃないでしょ!ファーストキスよ!布ごしなんてどうしてくれるのよ」
言いながら、自分で意味がわからないと思った。
日向は銀の目を光らせた後、口元の布を引き下げた。
「布ごしでは駄目なのだな」
「え…!?ちょ、待っ…」
そ、そういう意味で言ったわけじゃ…。
唇が…。
日向の温かい唇が、あたしの唇を塞ぐ。
「んむ…」
優しいくちづけが、日向の吐息と重なってあたしを翻弄する。
「…」
日向は唇を離すと、これでいいかと真顔で聞いた。
あらわになった日向の顔は、とても美しくて…。
ちょっと、 いや、かなり格好良い…って、違う!違ーう!
「ばっ…馬鹿ーっ」
「何故怒る。女はくちづけてやれば喜ぶと聞いたが…」
「好きな人とするからよ!日向、あなた好きな人いないわけ?」
「好きな人…?」
「あっそう、いないのね。じゃあわからないわよ…好きな人としたくなるのよ。好きな人とするから、ドキドキしたり嬉しくなったりする。…日向、あたしとキスして嬉しくなった?」
「…いや?」
「でしょ?…って、やっ…ちょ…」
日向がゆっくりあたしに覆いかぶさる。
「しかし女は…こうすれば喜ぶのだろう?」
「喜ばないわよっ」
「…お前、女じゃないのか」
「んなっ…失礼ね!?」
「…ふう、わからないな…」
日向は上からどくと、あたしをまじまじと見た。「…見た目は女だった。…膨らみに欠けているが胸も本物。…しかしどうも…今までの女と違う」
「あのね、膨らみに欠けてるとか…いちいち失礼よ…。まぁいいわ…えっと、日向」
「…何だ」
「貴方格好良いのに勿体ない。…エディッツに何をさせる気なのか知らないけど…やめたら?」
「それは出来ない」
「じゃあ何をさせたいの?」
「何故言う必要がある」
「…それもそうね…じゃあ、それはあたしに出来る?」
「…?」
「エディッツじゃなく、あたしに出来ることなら…あたしが」
日向はあぁ、と納得したように頷いた。
「お前には無理だろう。クリムゾンフレア並の魔法の使い手が必要なのだ」
「そんなことは…あたしだって結構…」
言い終わらない内に、あたしは 言葉を発っせなくなっていた。
日向は下げていた布を目の下まで引き上げると、こちらに背を向ける。
「…守備はどうだ、日向」
部屋に誰かやってきたのだ。
「影…上々だ。クリムゾンフレアは承諾した」
「ほう、やはり恋人を盾にされれば弱いものだな。…お前は早速女をものにしたのか?」
「いや、俺には無理なようだ」
「何?日向で落ちないのか。…ふむ、日向、俺にやらせてみないか」
あたしは、力の入らない身体を硬くした。
ふとももに、影という男のひんやりした手が這う。
「影に?……」
日向はあたしを振り返り、何故か困惑した顔をする。
「いや、辞めておこう。少し興味がある」
「そうか。…中々愉しめそうな女だと思ったんだがな。残念だ」
すっと手が 離れ、あたしは心底ほっとした。
「すまないな」
「…ま、喰われるなよ。ではな」
「…何で渡さなかったの」
「…クリムゾンフレアは傷付けるなといったからな」
「…」
「…不満か。お前が嫌そうに見えたが」
「あは、違う。貴方、悪役は向かないね、ふふ」
「何故笑う?」
「さあ?…ねぇ日向…貴方はどうしてお日様の匂いがするの?」
「…日の下にいるのは好きだからな」
「あぁ、やっぱり。…柔らかい陽射しの香りがするの。あたしの好きな香りよ」
「…お前は、花と緑の香りがした」
「えっ」
「…行くぞ」
「っ、わ」
急に自分が立ち上がるから、何だか目眩がしたみたいだった。
日向が動かしているのだ。
あたしは日向の後ろから、ただ映像を見ているような気分で着いていく。
…どこかの地下にある、鍾乳洞のような場所。
そこにあたしはいたらしい。
細い階段を上がり、出てきた先は立派な屋敷だった。
最初は屋敷の中が眩しくてたまらなかったけど、すぐに目が慣れる。
広い。
首は回せないけど、ちらりと見た屋敷はぐるりと塀に囲まれているみたいだ。
エディッツはこんな場所を一人で突っ込んできたのだろうか?
いや、でも…特に混乱は起きてないようだけど。
通り過ぎる人は皆日向と同じ、黒いローブをすっぽり被っている。
…ここは…宗教か何かの本拠地なのだろうか?
変装でもして入ってきたのかもしれない。
しばらく歩き、あたし達は小さな部屋に入った。
ベッドとテーブル、シャワー室とトイレだけのこぢんまりした部屋は…陽の香りで満ちている。
自然と和らいだ気持ちでいると、日向がとんでもないことを口走った。
「俺の部屋だ。今日から全てを共にする」
「ど、どういうこと…」
「まずは着替え…いや、汚い。洗う。脱げ」
「ちょ、汚いって…っていうか、脱げ!?わわわ」
あたしの両手は勝手にエディッツの上着のボタンを外していく。
日向は黙ったままシャワーを出しに行き、戻ってくるとローブをがばりと脱いだ。
ぱさり…。
エディッツの上着が床に落ちるのと同時に、日向の上半身もあらわになる。
明るい場所で裸にされた上、目の前で上着を脱がれてあたしは急に 恥ずかしくなった。
「ひ、日向っ…だめ、見ないで…自分で洗うからっ」
「それは出来ない。逃げるつもりだろう」
「に、逃げないっ…約束するから、お願いっ」
「駄目だ」
「ひあっ」
日向の温かい手が背中に触れる。
そのままシャワー室にあたしを突っ込むと、日向は黙ったまま後ろからあたしの頭を洗い始めた。
「命令して洗わせることも出来るが、加減がわからない。息が苦しい時は言え」
「……」
「どうした、苦しいか」
何これ、何なの!?
は、恥ずかしいよ…何なの…!
「…」
堪え切れず涙が溢れてくる。
それを隠すようにシャワーが顔にかかる。
どうしよう…。
髪を一通り洗うと、日向は優しく指ですきながら泡を流していく。
「…熱くないか」
「 ……」
答えられない。
後ろからとはいえ、日向はあたしの身体が見えている。
それがたまらなく恥ずかしく、悲しかった。
…どうしよう。
「先程まではあんなに口が回ったのに…お前はよくわからない」
日向の手が離れ、あたしはほっと息をつく。
…しかし。
「んあっ!?」
日向は次に、大きなスポンジであたしの身体を洗い始めたのだ!
後ろからだからいいってもんじゃない!
「ひ、日向っ…お願い…や、やめて…やめてよ…やめ…」
「…?」
日向はぴたりと動きを止めた。
「お前、泣いているのか?…痛かったか?」
「違う…わからないの?は、裸なの…そんなの、人に見られたくない…見られたく、ないの…」
「……最初はあんなに挑戦的な眼を…」
「あれは 暗かったしっ…じ、自分でも…見えなかったし…う…っ」
「…」
日向は何か思案しているようだった。
「わかった。自分で、洗え」
「え…」
「逃げようとしたら、容赦しない。…終わったら呼べ」
日向がドアを開けて出ていくのを感じた。
恐る恐る振り返ると、磨りガラスの向こうに寄り掛かる日向が見える。
あたしは呆然としていたけど…とにかく身体を洗うことにした。
髪をとく、日向の優しい指の感触が…心臓を締め付ける。
恥ずかしくてこのまま死んでしまいそうだ。
「終わった、よ」
ドアを少し開け呼び掛けると、日向はドアの前から離れた。
「そうか。…服を用意した。着替えろ」
言いながら、振り返りもしない。
身体は自由に動いた。
あたしは背中を向けたままの日向を見ながら、どうしていいかわからずに取り敢えず置いてあったタオルで身体を拭いて用意された服に着替えた。
日向と同じローブと、ちゃんと下着も用意されている。
最初からあたしはここに監禁されるはずだったんだろう。
…そうしてる内に、気が付く。
日向の髪…その色が、夜空に浮かぶ、美しい月の色をしていたのだ…。
金と銀を合わせたような淡い輝き。
あたしはタオルを持ったまま思わず呟いた。
「綺麗、だね」
「…何がだ」
日向はこっちを向かない。
あたしは「もう着替えたよ」と言って続けた。
「日向の髪。お月様みたい」
「…」
日向は着替え終わるのを待っていたのだろう。
こっちを向くと、突然あたしの身体を自分の方に歩ませた。
「俺の髪など気にせず、自分の髪をちゃんと拭け」
日向はあたしが持ったままだったタオルを奪い、ごしごしと髪を拭く。
さっきは泣いてしまう程恥ずかしかったのに…今は気持ちが凪いでいた。
「…でも、綺麗、なんだもん」
「お前の 髪ほどじゃない」
「へっ?」
「お前の髪は日の光に似ている。…綺麗だ」
言われて、あたしは髪をとく日向の指を思い出してしまった。
「う…」
恥ずかしくなって俯くあたしに、日向は突然言った。
「…すまなかったな」
「え…?」
「まさか泣く程とは。本当にお前はわからない」
難しい顔であたしを見る日向に、あたしはどんな顔をしていいかわからなかった。
「あのね、日向。あたしが変なんじゃないよ…日向の見てきた女の人達が…変なんだと思う」
あんな風にされて、恥ずかしくないわけがない。
それに、キスされたり触れられたりして簡単に喜ぶだなんて。
「どんな風に習ったかは知らないけど…あたしみたいな人の方が多いはずよ」
「…そうなのか?」
彼はあ たしの髪を拭いていたタオルを降ろし、まだ濡れている髪を一房、指に絡めた。
「…じゃあ聞くが…人質のくせに逃げようとしないのは普通なのか?」
「!」
あたしははっとした。
そうだ、今まで自由だったのだ。
魔法の一つでもお見舞いしていたら…。
あたしはそう考えながら息をついた。
「…そ、それは…あたしがマヌケだからよ…」
日向は指に絡めたあたしの髪を玩びながら笑った。
「ふふ、そうだろうな」
「…」
わ、笑った…!
その笑顔は…優しくて、日だまりを思わせる。
「笑顔まで日向みたいなのね」
思わず言うと、日向は口元を押さえながら可笑しそうに身じろいだ。
「何だそれは?聞いたことない口説き文句だな」
「だ、誰も口説きたくて言ってないわ よ…」
全く、本当に、変な人。
あたしは目の前で着替え始めた日向に、せめてあたしに見せないでと怒鳴って目を閉じた。
本当に、何なのだろう。
人質になって3日…。
あたしは特に酷いことをされることなく、平穏な時間をすごしていた。
何というか…人質というより、単によそ者扱いをされているだけに感じる。
日向と「常に」行動を共にしている以外、後は何の問題も無かった。
日向はと言えば、部屋ではあたしを話せるようにし、トイレやシャワーの時はあたしを自由にし、部屋から出る時は全てを操るといった具合だ。
…逃げることは考えていなかった。
日向はシャワーの間もあたしの動向に目を光らせていたし、ここの人達は何か不思議な術を使う。
エディッツに何をさせたいのかもわからないし…とにかく情報が必要だ。
幸い、操られていても音は聞こえるし目も見える。
あたしはそれを頼りに、日向に着いて歩 く間も懸命に情報を集めていた。
「そろそろか…行くぞ」
「またあの変な部屋?」
「いや、今日は礼拝には行かない。厄介だからな」
「…?」
日向は口元まで布を引き上げ、フードを深く被るとあたしを操り、部屋から出た。
だんだんこの感覚にも慣れていたあたしは、話せないことに何の不満もなく情報収集に専念する。
…歩いているうちに、いつもと違う様子に気付く。
日向と同じ黒いローブの人だけでなく…くすんだ緑色のローブの人と、くすんだ朱いローブの人がいるのだ。
…何かしら…異教徒…?
違う派閥…?
…日向達が…何かを崇めているのは感じていたし、ほぼ確信はあった。
いつもは、すり鉢状の何も無い部屋に行き、その中央に司祭のような人物が立ち、朗々と聖典を読み上げるのを聞くのだ。
そしてそれを聞き終えると、日向や他の黒ローブ達は決まってこう言う。
【生命の神アユラの名の元に】
…それが礼拝なのは間違いないと思うけど…今日は厄介だから行かないだなんて。
あれだけ熱心に通っているのにも関わらず、だ。
多分、この緑と朱のローブ達が関係しているのだろう 。
漠然とそう思っていた時、突然日向が足を止めた。
予期せず一瞬身体が自由になり、勢い余ったあたしはその背中に突っ込んだ。
何か言う前に身体の自由は消え、日向の後ろに立たされる。
…今自由になったのは…日向が動揺したから…?
「やあ日向。礼拝には行かないのかい?」
「…火焔様」
カエン様。
日向の呼んだ名前を、頭の中で反芻する。
飄々とした声は、その調子とは裏腹に冷たい気がした。
「今日は、夜の礼拝に行きます」
「そうなの?僕は日向にも来て欲しいのに。…そちらのお嬢さんにも、ね」
背中がひやりとした。
日向の向こうから、あたしを見ている気配。
あたしにはその姿は見えないけど、それがとても恐い。
「…」
その時、あたしはぴたりと 寄り添う程に日向の背中に近付かされた。
…庇われてる…?
「火焔様、からかうのはお辞め下さい。こいつは礼拝に参加しても意味が無い…人質なのですから」
「人質ってことはさ、そのこの為に、クリムゾンフレアは怒る?」
「……」
「あぁごめん、日向を虐めるつもりは無いんだよ。ただ、さ。クリムゾンフレアはそのこがいなくなったら、どんな顔をするかと思って」
っ…。
はっきりわかるほど、その言葉は敵意に満ちていた。
「ふふ、恐い顔しないでよ。じゃあね日向」
その気配が遠くなって消えるまで、あたしは瞬きを忘れ、恐怖感に固まっていた。
何、今の人…。
…日向がようやく身体の力を抜いた時、あたしの身体からも力が抜けるのを感じる。
日向が無意識にあた しの身体も緊張させていたのだ。
「……」
何も言わず、日向は再び歩み始めた。
誰なのか、どんな奴なのか。
日向からは何の情報も漏れては来ない。
やきもきするあたしを余所に、彼は屋敷の裏手から出て、小さな門から敷地の外へと歩いていく。
外に出るのは初めてだった。
…細い木が絡まり合うようにして森を作っている。
その幹にはさらに蔦が這い、濃い緑の葉を茂らせていた。
深そうな森。
…近くにこんな場所は無かった気がする…。
遠くまで連れてこられたのかな…。
あれこれ考えながらどれくらい歩いたのか…突然開けた場所に出てあたしは呻いた。
「う…眩し…あれっ」
…声が出る。
先を行く日向は振り返り、フードと口元の布を降ろした。
「大丈夫か… 何も話さないからショックを受けていると思っていたが」
「え、あ…話せるようになってると思わなくて」
「…あぁ、それで」
納得したのか、日向は少し笑みを浮かべ、あたしに言った。
「あの木の下ならば、葉が陽射しを和らげる。行こう」
「あ、うん」
着いて行きながら、はたと気付く。
「って、えっ?自分で歩いていいの?」
日向は何も答えず、木の根本にどっかりと腰を降ろすとあたしを見上げた。
「…お、お邪魔します…」
隣に座るあたしに、日向は呆れた声を上げる。
「お前は…何故逃げない」
「何故って…そうね、逃げられる気がしないからかなぁ」
それに、日向が恐くないからと言おうとして、飲み込む。
ぐるりと見渡すと、ここは小高い丘の上だと予想出 来た。
小さな広場になっていて、あたし達が寄り掛かる木がほぼ中央にぽつりと構えているだけ。
葉を透かして踊る陽射しは心地良くて、あたしは目を閉じた。
「…あ、日向の匂いだぁ」
「ここは…特等席だからな」
「特等席…日向の好きな場所なんだね…」
「あぁ」
それきり日向は黙ってしまう。
聞きたいことはたくさんあるけど…あたしも黙っていた。
そうしているとふと光が陰り、あたしは目を開けた。
「わあっ!?」
…隣から、上半身を乗り出すようにして日向があたしの顔を覗き込んでいるのだ!
「何だ、急に」
彼は顔をしかめてから、あたしの髪をといた。
「やはり…お前の髪は綺麗だな」
「…!」
何だ急に…じゃないわよっ!
し、しかも…な、何でい きなり、髪を…。
顔が熱くなった。
日向は何も思ってないんだろうけど。
「も、もうっ!普通の女の子はね、そんなことされたら…」
「髪をとくのも嫌なのか」
「いっ、嫌かどうかじゃなくて…あ」
あたしはふと日向の髪を見た。
さらさらの髪は、きらきらしていてすごく綺麗。
それはしいて言うなら…陽だまりに浮かぶ月のようだった。
…日向は、触られたらどう感じるんだろ。
あたしは手を伸ばして、その髪をそっととく。
「………」
日向はあたしの髪から手を離し、ぽかんとこっちを見た。
「日向の髪、綺麗」
「…っ」
すべすべして、気持ち良い。
日向は急に身を引くと、そっぽを向いてしまった。
「あれ、日向?」
「おっ…お前は、よくわからないっ」
「な、何…怒ってるの?」
「怒ってなど…」
じゃあ照れてる?と聞こうとして辞めた。
…もしかしたら、すごく嫌だったのかも。
「ごめん、もうしないね」
ちょっと残念だけど…。素直に謝って、あたしはよいしょと立ち上がる。
陽射しの下に出ると、濃い緑の匂いと花の匂いがした。
「ねえ日向!どこかにお花があるの?っわ」
「…離れるな」
振り返ろうとしたあたしは、追い掛けてきていた日向に引き戻され、彼の胸にぶつかる。
「痛ー…」
「…お前、人質の自覚はあるのか?」
呆れた声で、日向は少し間をあけて付け足した。
「髪くらい…いくらでも撫でて良い。だが勝手に歩くのは駄目だ」
「えっ、髪、撫でていいの?」
「まず最初の質問に……」
言いかけた日 向と目が合う。
驚く程近い距離に、あたしは固まった。
ち、近っ!
日向はあたしを離さない。
それどころか、何だか強く抱きしめられてるような…。
「くちづけをしたいと思うのは、好きだからか?」
「は?」
「俺は今、お前の柔らかそうな唇にくちづけたい。それは好きだからか?」
「っ…!!」
あたしは日向を突き飛ばし、座りこんだ。
驚きのあまり、膝から力が抜けてしまったのだ。
「な、何てこと言うのよっ…キスしたい…から、好きかどうかなんて、知らないわよっ」
「お前の言い方では、好きだからしたいということではなかったか…?」
「自分で好きかわからないならしないでっ」
「…難しいな」
「きゃあっ」
日向はあたしを抱き上げると、そのままあた しの唇を奪った。
温かくて、柔らかい日向の唇が、あたしを翻弄する。
「…テュール…」
「!」
日向の唇から、吐息と一緒に名前が零れる。
瞬間、あたしは日向の頬に思いっっ切りビンタしていた!
ばちーん!と派手な音が空に溶ける。
「う、ぐ」
「や…な、何で…あ、あたしはっ…」
ドキドキする。
日向の触れた場所が熱い。
名前を呼ばれて、すごく…嬉しくて…。
「…悪かった。クリムゾンフレアに消されてしまうな」
日向はそう言うと、あたしを降ろす。
あたしは背を向ける日向に、呆然としていた。
どうしよう、日向を…好きになってしまった…。
…日向は、どう思ったんだろう…。
きっと何も感じてない。
そう思うと、どうしようもなく苦しかった…。< /div>
その日、夜になっても朱と緑のローブ達はいなくならなかった。
それどころか、難しい顔をして他の黒ローブ達がひっきり無しに日向を訪ねてくる。
部屋にいてもほとんど自由は無く、あたしはただ話を聞き漏らさないようにしていた。
…していたんだけど。
日向の一挙一動に、つい意識が逸れる。
ドキドキしたり苦しくなったり、それはもう目まぐるしい。
どうしよう、どうしよう。
何人目かの黒ローブが帰った時、日向が隣に座った。
「…ふう」
「……」
うう、緊張しちゃう…。
日向は疲れた顔で、何か飲むかと聞いてきた。
「あ…あたしが容れてあげるっ。お、お茶でいい?」
「…ああ」
返事を聞いて立ち上がり、テーブルに置かれたポットから、お茶のポット を選ぶ。
カップに注ぐと、ほんのりと良い香りがした。
「お前は自由になりたいか?」
「え?」
カップを渡してまた隣に座ると、日向はお茶を飲んで話し出した。
「我等の宗派には『流』が3本ある。ローブの色でどの流に所属しているかがわかる」
りゅう。
派閥と同じ意味なのだろうか。
「一つが俺のいるアユラ。朱いローブはカエン。緑のローブはスイと言う。…流の長は流で1番強い者が選ばれ、流と同じ名前を名乗ることになっている」
「…あ、じゃあ今日会ったのは…」
「カエン流の長、火焔様だ。カエン流は…一言で言えば戦を好む流。クリムゾンフレアを挑発し、戦う為に…」
日向は躊躇った後、あたしの髪を撫でて言った。
「火焔様はお前を殺そうとするだろう」< BR>「え…!?」
「鉢合わせてしまったのは…俺の注意が足りなかったからだ。お前を危険な目に合わせてしまった」
「え、えっと…恐かったけど、まだ何も危険な目には…」
「顔を知られたはずだ」
「…?」
「これからはあまり部屋を出られなくなるだろう。いつ狙われるかわからないからな…。この部屋は影の術で守られているから他の場所より安全だ」
影。
最初に、日向があたしを渡さなかった人だ。
それから…。
「ねぇ日向、よくわからないんだけど。エディッツは…どうして狙われるの?」
「…クリムゾンフレアは、我等の宗派の3流を束ねる宗派長になるからだ」
「は、はぁ…?」
「昔、クリムゾンフレアはこの宗派をたった一人で攻めてきたのだ。宗派の3流を束ねる 前長は…クリムゾンフレアに負けてしまった」
「ま、負け…?」
「3流で最も強い者が宗派長になる。それより強い者がいれば当然その者が長に。つまりクリムゾンフレアが長になるはずだったんだ…だが彼は姿を眩ませてしまった」
日向はため息をついて、続けた。
「何度もクリムゾンフレアに打診をした。ことごとくあしらわれたが。だから…お前を人質にしたのは、クリムゾンフレアに長になってもらうためなのだ」
そ、そんな理由で…。
「誰か他の人を長にしたらいいじゃない」
思わず言うと、日向は渋い顔をした。
「そうすればいいと俺も思った。しかし…アユラ様と翠様はそれを望まない。…現時点で3流で1番強いのは火焔様だからな」
火焔様が宗派長になれば、争いに身を 投じることになる…と日向は続けた。
「クリムゾンフレアさえ…長になってくれれば。クリムゾンフレアが宗派長になれば、火焔様は間違いなく挑戦の儀を行うだろう。3流の長は生涯において一度だけ、宗派長に挑むことが出来るのだ。負ければ生涯、宗派長になる機会を失う。つまりクリムゾンフレアが勝ってくれれば…火焔様は生涯、宗派長にはなれなくなるのだ」
成る程、話が見えてきたわ。
エディッツを宗派長にして火焔を倒させることで、争いを避けようとしてるのだ。
「挑戦の儀に勝てば、クリムゾンフレアは長を降りていい。火焔様はもう宗派長になれないから、スイ流の翠様が宗派長になる」
聞きながら思う。
それじゃあ、火焔は陰謀にはまった様なものだ。
カエン流の人々は 良く思わないだろう。
内部での争いになってしまうんじゃないだろうか?
日向はあたしの考えを悟ったのか、疲れた顔のままカップを起き、言った。
「火焔様は自分がクリムゾンフレアより強いとお考えだ。…負ければ潔く身を引くだろう」
「そう…。ねぇ日向、あたし…」
あたしが火焔と戦おうか、と言いかけた時、身体の自由が無くなった。
うう、前もこんなことがあった気がする。
「日向、入るぞ」
「…影か」
入ってきたのは黒いフードですっぽり顔を覆った人物だった。
影…。
布越しの声は確かに聞き覚えがある。
影は入ってくるなり、フードを剥いで口元の布を降ろした。
って、ええ!?
「ふう、やはり息苦しいのは好まんな」
「…同感だ」
にこやかに日向と 会話するその顔。
多少違うとはいえ、どう見ても…。
兄弟…にしか見えない!
日向より少し濃い髪は短髪で、目は銀色。
日向よりは年上に見え、無精ひげを生やしている。
「火焔様は滞在することになった。翠様も火焔様に合わせ滞在すると言い出したぞ。全く、お前、人質を火焔様に見られたらしいな?」
「…あぁ、すまない…」
「何故外に出た?」
「それは…」
言い淀む日向に、影は顔をしかめる。
「どうした?」
「たまには…日向に出してやりたくて…」
えっ。
日向の言葉に、どきどきする。
あたしのためだったんだ…。
あの場所で自由にしてくれたのは、息抜きをさせてくれようとしていたからで。
日向の優しさに、ぎゅっと苦しくなる。
「…成る程な」
影は苦笑いすると、あたしを見た。
「お前…テュールと言ったか。日向を喰ったか」
「くっ…喰うだなんて失礼ね…」
思わず口走る。
…ちょっと、急に話せるようにするの辞めてよね…。
ばつの悪い顔をしていたあたしに、影は少し笑った。
「日向を落としたのは褒めてやるが…恋人はどうした」
「あのね…貴方達、揃いも揃ってどうしてそうなの?エディッツは恋人じゃない」
「何?」
やはり兄弟なのだろう。
そっくりな返答だった。
…だいたい、日向はあたしに落ちてなどいない。
それがわかるから、どんどん悲しくて苦しくなる。
それと同時に、どうしようもない怒りが心を焼いた。
「エディッツは…大事な友人よ。エディッツだってあたしに恋心なんて無いと思う。 …日向」
「な、何だ…?」
「自由になりたいか聞いたわね。答はノーよ。あたしと火焔を戦わせて」
一瞬の沈黙の後、影がぶはっと吹き出してげらげらと笑い始めた。
「ひははっ!戦わせろだと!?お前に何が出来る、雷使い!ははははっ」
むっとして何か言おうとした時、困惑している日向と目が合った。
「っ日向までそんな顔しなくてもいいじゃない!あたしだってエディッツと同じくらいは…」
「ひはっははは、辞めておけよ、日向、聞いたか?こいつは傑作だ!火焔様はお前みたいな小娘…っ!」
「…それ以上言うと…消してしまうからやめて…」
堪え切れず、身体から雷が溢れてくる。
日向まで困っているのを見て、悔しくてたまらなかった。
バリバリと音を立て弾けた雷が、テーブルのポットを砕いてしまう。
堪えようとしているのに、涙まで溢れてきてしまう。
「 …テュール、大丈夫だ、落ち着け」
「……ひ、なた…」
日向が、あたしの名前を呼んでいる。
「影、テュールに謝れ」
その言葉に、影は我に返った様に言った。
「あ、あぁ…す、すまない…。しかし…今のだけでは…、だなぁ…」
「影。その話は俺に任せろ。今は…」
「…すまない、改めて訪ねる」
影は日向に咎められ、布を引き上げてフードを被ると、部屋から出ていった。
…沈黙。
雷は落ち着いたけど、気持ちが高ぶったのか涙はいつまでも止まらなかった。
日向は隣に座ると、そっとあたしの頭を自分の肩に寄せる。
「…すまない、まさかそんな事を言い出すとは…予想が出来なかった」
…慰めのつもりなのか、日向はそう言って続けた。
「…お前を掠った時、お前は 雷を発しなかったな…あれは何故だ?」
「…」
…咄嗟に魔法を放つのが恐かったのだ。
考えて使わない、咄嗟の発動は…力の加減が出来ないから…。
日向の肩に涙を染み込ませながら、あたしは答えなかった。
「テュール、答えてくれ」
日向の優しい声が降ってくる。
「…恐かったのよ…貴方達を…消してしまうかもしれなくて」
「…そうか…」
やがて日向はあたしの背を優しく撫で始めた。
子をあやすようなその手に、気持ちが落ち着いていく。
涙も引っ込んで、あたしはようやく日向から離れた。
身体は自由だった。
「…ごめん、もういい」
「…そうか」
日向はずるい。
求められれば抱きしめるしキスもするのだろう。
「あたしは火焔と戦うわ。エディッツを道 具みたいに使わないで」
そう言うと、日向が眉を寄せた。
「クリムゾンフレアの為に戦うのか?」
「何よ、悪い?」
「いや…当然だな。俺達のために戦うのかと…思っただけだ」
日向は目を伏せる。
あたしは初めてそんな日向を見た。
悲しそうに見えるのは、あたしの都合の良い見方だろうか?
「…何で?」
「え…」
「何で日向がそんな顔するの」
「どんな顔…」
さらに顔を背けようとする日向を見て、堪えられなかった。
あたしはその肩をひっつかみ、無理矢理引き寄せて唇にキスをした。
「日向の為に戦うのよ。貴方は何とも思わないだろうけど!」
目の前にある日向の瞳に、驚きが浮かんでいる。
「もう怒った。火焔はどこ?エディッツもエディッツよ!エディッ ツが逃げなければ、あたしは…」
…日向に出会わないで済んだのに。
勢い良くドアを開け放って、あたしはずんずんと歩いた。
途中、たくさんのローブ達とすれ違ったけど、どのローブも一歩引いてあたしを伺っているだけ。
「火焔はどこ!あたしを殺す気なら勝負しなさいよ!」
苛立って怒鳴ると、ローブ達はそそくさと逃げていく。
次の瞬間、あたしは力が抜けて床に突っ伏してしまった。
「…」
日向があたしを見下ろして立っている。
何よ、操るなら部屋を出る前にすればいいのに…。
「お前は…離れるなと言っただろう」
あたしを抱き上げる日向に、あたしは目線だけでもそっぽを向いた。
…自分がいじけた子供みたいなのはわかっている。
日向はあたしを部屋に連れ帰 ると、黙ってあたしをベッドに寝かせ、布団をかけた。
「…テュール、これから術を解くから…勝手に部屋から出ないと約束してくれ」
「…」
答えずにいると、日向はあたしの髪を優しくといた。
「…言っていたな…好きな人とくちづけると、嬉しくなると」
「……」
「お前はさっき、嬉しかったか?…俺には…怒ってる様に見えた」
「………」
「…テュール、今からくちづける」
「なっ…!?」
…身体は自由だった。
跳び起きようとしたあたしをベッドに押し付け、日向の唇が無理矢理あたしの口を塞ぐ。
強く、強く。
今までの優しいキスはどこにも感じない、荒いくちづけだった。
「ん…うぅ」
涙が零れる。
日向は…日向はどんな気持ちでこんなこと…。
「…は …」
荒い息をついて、日向が離れた。
あたしが黙って見上げていると、日向は困った顔で…あたしを見下ろす。
「…嬉しく、ないか…?」
「……」
「俺は…嬉しいが、悲しい…気もする」
あたしの涙にくちづけて、日向はもう一度あたしを見下ろした。
「…テュール、俺は何とも思ってないと言ったな?…そんなわけあるか。…今も、お前を傷つけたくないのに…くちづけたくて堪らない」
「…嘘」
「嘘じゃない。…何故泣いている?…お前は、悲しいのか?」
「……」
嘘。
日向が困惑している。
嬉しいと言った。
悲しいとも言った。
…まるで…あたしと同じ気持ちだ。
「ひ…なた……」
「…テュール?」
あたしの名前を呼ぶその声は…優しくて、優しくて。
あ たしは手を伸ばし、日向の頬を撫でた。
胸が詰まって、苦しい。
「…あぁ、わかった。お前も…俺と一緒なんだな…」
自分を好きであるはずがないと。
そう思っていた。
日向は呟くと、あたしを強く抱き寄せ離さなかった。
「本当にいいのか?」
影が何度目かの台詞を口にする。
あたしは笑った。
「影、何度聞いても同じよ。あたしは火焔と戦う」
「だがな…おい、日向、テュールはお前の恋…」
「影、もうテュールが決めたことだ」
「う、すまない…しかしだな…」
顎を摩り、影は視線を逸らす。
……日向はあたしの後ろからずーっと腕を回しているのである。
「いや、戦うことはもう問わない。しかし…人目を憚ってくれ…」
「あ、はは…」
あたしが笑うと、急にざわざわと周りが騒がしくなる。
あたしと火焔の戦いを見に来たローブ達が、遠くにひしめいているのだ。
「火焔様だ」
影が声を低くして呟く。
あたしは昨日、日向から火焔の術について聞いていた。
蛇のような術…。何か蛇に似た長い長いものを放ち、それで巻き取って殺す術。
あたしはそれに巻かれないよう逃げながら雷を当てればいいと日向は言った。
「…まさか自分から殺されに来るなんてね」
火焔は初めての時と同じように、飄々と言った。
顔を見るのは初めてで、思った以上に若いと気付く。
「貴方、…若いのね」
あたしのことをお嬢さんなんて呼んでいたのは、ただの嫌味だったらしい。
「…甘く見ないでよ。すぐ絞め殺してあげるから」
「…あたしはね、雷を使うの」
「……は?」
「だから、雷を使う。感電するから迂闊に触れないでね」
「お前、僕を何だと思ってるの?」
「あと、約束してね。あたしはエディッツの…クリムゾンフレアの代わりよ。あたしに負けたら、貴方は 宗派長にはなれない。それでいいわね?」
「ふん、当たり前だろ?お前みたいな奴に負けないさ」
あたしはほっとして日向を見上げた。
「行ってきます」
「…テュール」
日向は急にくちづけようとする。
「ま、待って待ってっ」
慌てて押し退け、言った。
「か、勝ったらね!」
「そうか」
うぅ、出来れば誰もいないところでがいいんだけどなぁ…。
とにかく、あたしは気を取り直して火焔に向き直った。
日向と影は距離を取り、見守ってくれている。
あたしの服は動きやすいよう、掠われた時の物にしてもらった。
負ける気はしない。
「じゃあ、始めましょ」
火焔の手から放たれる、2匹の長い蛇。
宙を舞い、うねりながらあたし目掛けて突っ込んでくる蛇をかわし、雷の球を火焔に投げた。
火焔はひらりとそれを避け、蛇と一緒にあたしに突っ込んでくる。
蛇に狙いを定め雷を放つけど…蛇は易々とそれを飲み込んでしまった。
「テュール!」
日向の声を聞いて、気持ちが奮い立つ。
瞬間、蛇の一匹があたしの左腕に絡みついた!
「痛っ…」
ギリギリと絞まる。
骨が軋む。
向かってくる火焔の手から、一際大きな蛇が這い出してくる。
火焔の腕より遥かに太い蛇。
それに気を取られ、右腕も絡みつかれてしまった。
左右の蛇が、あたしを締め付けながら宙に張り付けにする。
「なんだ、もう終わり?」
大きな蛇が…ゆる りとあたしの足元からはい上がる。
ひんやりと冷たい感触が、昇ってくる。
「クリムゾンフレアはさ、君を辱めたら…もっと怒るかな?」
手を伸ばしてくる火焔は、睨みつけるあたしに可笑しそうに笑った。
「何てね、触ったら感電しちゃうんだろう?」
「ふ、ごめんね…言い忘れてたの」
「…何?」
あたしの身体に巻き付いた蛇が、あたしを締め付けようとする。
その瞬間、あたしは言った。
「その気になれば、この広場全体を巻き込めちゃうの」
「…な」
「日向!影!お願い!」
バリバリバリバリッ!!
蛇が弾け飛び、あたしの電撃が火焔を襲う。
その時、何かの障壁が火焔を包み、あたしの雷が障壁ごと吹き飛ばした。
勝負は、日向とあたし以外の誰もが思うさまに反し、あっけなく終わったのだった。
「おい、冗談だろう…」
気を失った火焔は、あたしの雷に抗おうと咄嗟にかざした腕にひどい火傷を負っていた。
日向と火焔が二人で張った障壁を突き抜けたあたしの雷が、火焔の腕を飲み込んだのだ。
「あの障壁を突き抜けるだと…?」
影は言いながら、すぐに医療の者を手配する。
「…なんと、これ程とは」
気がつくと、後ろに緑のローブと黒のローブの人が立っていた。
黒ローブは「礼拝」の時に聖典を読んでいた人で、緑ローブは見たことの無い人だ。
「アユラ様、翠様…」
日向が呼ぶのを聞いてはっとする。
3流の長だ!
「クリムゾンフレアに匹敵するとは…何とも…」
言い淀むアユラ様に、日向も苦笑いする。
その時、笑い声がした。
「何だ、やっぱり助け はいらないか!」
空を翔ける大きな影。
ワイバーンの背中からひらりと飛び降りてきたその人は、炎のような真っ赤な髪をしている。
「あ、エディッツ!?何で…?」
「いや、あのな、俺が鳩を飛ばしたんだ。…まさか勝っちまうと思わなくてな」
影がこほんと咳をする。
「しかも、殺したくないから障壁を張れだなんて…馬鹿な奴だと思ったんだが…」
尻つぼみになって黙ってしまう影は、気まずそうにしている。
エディッツはそんなことお構いなしにぐるりと辺りを見回すと、微笑んだ。
「何だ、全然本気じゃないんだな。…テュール、来いよ」
「ん…」
おずおずと近付くと、エディッツはあたしの頭を大きな手でぐしゃぐしゃした!
「…頑張ったな!しかも殺さないようにす るなんて。…偉いぞ!」
「え、えへへ」
思わず顔が綻んだ時、あたしはすごい勢いでエディッツから引き離された!
「触るな!」
「は…?お前、日向…」
日向は不機嫌そうにエディッツを見る。
「恋人じゃなかったならいいだろう?テュールに触るな」
「は?いや、待て待て。お前、何ちゃっかり抱きしめてんだよ?…あぁ、消すって言ったっけ?」
エディッツの手に炎が閃く。
「ま、待ってよ!うう、どうしてこうなるかな」
「そうだ、テュール」
「え?」
日向に呼ばれ、見上げると…あたしの唇に、日向の唇が降ってくる。
幸せな気持ちが溢れてくるのと同時に周りの人が凍り付いたのを、あたしはひしひしと感じてしまったのだった…。
3流で一番強い火焔を倒したあたしは、当然の如く宗派長に任命された。
それを受けてすぐ、あたしは宗派長に影を任命して日向と二人気ままな生活を送っている。
一番強い…つまり、武器ではなくて、一番守りに優れた盾としての宗派長。
そういう名目で氏名した影は、他の宗派の賛成を受けて長になった。
だって、あたしはこの宗教のこと、全然わからないものね…。
さて、それはそうと。
目覚めた火焔はどういうわけか、あたしの周りに現れるようになった。
「テュール!」
「うわぁ!か、火焔…?」
「今日は僕と昼食だよ。日向は連れてきちゃだめだから」
「ええ?な、何で…」
「僕の手、こんな風にしたのは誰だったかな」
「う…わ、わかったわよ」
「ちゃんとテュールが食べさせるんだよ!ほら、行こう」
「火焔様」
「うわっ、ひ、日向!?」
「いくら火焔様でも、テュールは譲れません」
「な、何だよ譲るって。僕はただ、手が使えないからテュールに責任取って食べさせてもらおうと…」
「そうでしたか。では僭越ながら俺が毎食、火焔様の手になりましょう」
「は、はぁ!?いいって!うわ、ちょっ…テュール!日向をど うにかしろ!おい!」
火焔を抱え、歩いていく日向。
あたしは手を振ってそれを見送った。
「…お前も大変だな」
「わっ…か、影かぁ。びっくりした」
「失礼な奴だ。…どうだ?これから俺と一杯やらないか?」
「影と?…そうね」
「その後は俺の部屋でだな」
「影?」
「じ、冗談だ。だが、日向よりは俺の方がいろいろじょう、ズッ」
ばこんといい音がして、影がうずくまる。
ひょいとエディッツが顔を出し、あたしは笑った。
「エディッツったら、あははっ、影が痛がってるよ!」
「いいのいいの。なぁテュール、久しぶりに飯でもどう?…ワイバーンでひとっとび!」
「あ、いいかも。…でもエディッツ、なんか最近随分ここに通ってるね…?」
「それは…」
「あ ーあー、どいつもこいつも報われないな」
下から影が言う。
あたしが首を傾げていると、日向が走ってきた。
「クリムゾンフレア!またテュールに…」
「よーしよし!テュールは今日も可愛いなー!」
いきなりぐしゃぐしゃと髪を撫でるエディッツに、日向が嫌な顔をする。
「触るな!テュールの可愛さはお前になどわかるものか!…部屋では顔を赤らめて…」
「ちょっ、きゃああーっ!」
ばちーん!
「な、何言って…もう!!お昼は一人で食べる!」
どっと疲れた気がするのは、きっと気のせいじゃないだろう。
………
陽だまりに浮かぶ月のような貴方と、これからもあたしは生きていく。
願わくばあたしが、貴方を守る太陽でありたいと思う。
「ねぇ日向…あたしね、貴方のこと…」
「…テュール」
言葉の先は紡げなかった。
けれど、重なる唇の隙間から、日向のささやきがこぼれる。
<愛している>
あたしはくちづけに同じ気持ちを込めて…その腕に身をゆだねた。
感想、評価などいただけると励みになります。
お読み下さった皆様、ありがとうございました。