天使と悪魔の鬼ごっこ
宇宙は無限に存在し、無限に存在する宇宙を膜が包み一つの世界を作り出す。そんな世界もまた無限に存在することで、全ての世界は成り立っている。
時間で、意思で、可能性で、あるいはそれ以外で宇宙は常に増え続け、その分だけ世界もまた増えている。無限を超え、更に無限を超え、更に更に無限を超え、いつでもいつまでも世界は常に増え続ける。
ならば、宇宙の始まりはどこにある。世界の始まりはどこにある。
それが、ここにあった。
そこには、あらゆる全てがあった。
人があった。地面があった。空があった。宇宙があった。空間があった。時間があった。世界があった。因果があった。知識も、知恵も、可能性も、事実も事象も矛盾も存在もそれ以外も。
ありとあらゆる全てがそこにはあり、ありとあらゆる全ての始まりがそこにはあり、ありとあらゆる全ての終わりがそこにはあった。
宇宙とは、世界とは、ここから漏れでた破片で構成されているのだ。ありとあらゆる全ては、ここから流出した欠片で作られているのだ。
名前をつける必要はないけれど、そこには名前があった。
『セントラル』。
そこは、ありとあらゆる世界の中心。そこは、ありとあらゆる全ての始まりにして、ありとあらゆる全ての終わり。そして、あらゆる全てを覆うもの。
ありとあらゆる全ての中では、ありとあらゆる全てが起こる。
◆
「鬼ごっこだね」
「鬼ごっこだよ」
「僕が鬼で」
「僕は逃げる」
クスクスと可愛らしい声が響く。天使と悪魔の笑い声だ。
白と黒の二つの球体。天使と悪魔。似ているようで似ていない。近いようで遠いもの。同じようで違うもの。そして、対で存在し、対で存在しなければならないもの。
天使と悪魔は宇宙の外で遊んでいた。天使が鬼で、悪魔が逃げる。ただそれだけの、子供でもわかる単純な遊びだ。
「ヨーイドン」
天使の声を合図に、天使は逃げる。少し遅れて、悪魔が追う。
宇宙に入ったと思ったら、次の瞬間にはすぐに抜ける。その影響で、その宇宙は壊れてしまう。
宇宙に入り、そして抜け、宇宙に入り、そして抜け――何度も何度も繰り返す。
天使と悪魔は、似ているようで似ていない。同じようで違うものだ。
似ているならば、似たようなことが出来る。同じようなものならば、同じようなことが出来る。
そのため、天使は悪魔を振りきれず、悪魔は天使に追いつけない。
永遠に終わらない鬼ごっこ。無駄ではあるが、天使と悪魔はそれを楽しんでいる。
世界に突入する。無限の宇宙を内包したその中を、天使と悪魔は駆けていく。翔んでいく。
宇宙を超え、宇宙を超え、宇宙を超え――無限の宇宙のその先に、世界の端は存在する。
世界を駆ける天使と悪魔。誰かが見ていたならば、それは光の矢のように見えただろう。もっとも、天使と悪魔は光など止まっているような速度で駆けているのだが。
徐々に世界の端が、天使の知覚内に入ってくる。透明の膜のようなそれが、世界の端である。世界の外から見れば、あるいは泡のように見えるかもしれない。
「えい!」
掛け声とともに、天使は世界を抜けた。続いて、悪魔も世界を抜ける。
突如天使が動きを止め、悪魔に振り向く。球体なので前も後ろもないのだが、天使の認識としては、悪魔に向かって振り向いた。
悪魔の動きが少し揺れる。それは、悪魔の動揺が動きに出たものだ。
何をする気なのか。悪魔が考えた瞬間には、既に遅かった。
衝撃とともに吹き飛んでいく悪魔。どこまでも吹き飛んでいき、無限の世界の彼方まで悪魔は消えた。
「ホームラン!」
嬉しそうな天使の声。天使の横には、宇宙を無数に固めて作ったバットが浮いている。天使は逃げている途中に無数の宇宙を回収。それを固めて、バットを作っていたのだ。
悪魔が吹き飛ぶのを見届けた天使は、さあ逃げようと行動する。が、ただで吹き飛ばされる悪魔ではない。天使が出来る事ならば、悪魔も出来るのだ。
天使は気づいていないが、天使目掛けて飛来する物体があった。
光速などという速度ではない。それはまさしく無限を超え、一瞬という時間すら必要としない間に到達する。
飛来した物体。それは、槍。
天使に突き刺さる世界の槍。世界を千個束ねて作られたそれは、完璧に天使の中心部を捉えた。
天使の知覚外から飛んできた一撃だ。天使はそれに反応することが出来なかった。
もっとも、世界の槍には『天使に当たっていた』という結果が付与されていたため、天使が反応しても結局当たることになっていたのだが……。
既に確定している結果を避ける事は、天使でも少し苦労するのだ。仮に気づいていたとしても、槍を避けるための準備をする時間は残されていなかった。
混乱する天使。天使自身の予想外のことが発生したため、混乱するのも無理は無い。
あらゆる全てである『セントラル』に存在する天使は、あらゆる全てを知り、あらゆる全てを可能とする。いわゆる全知全能というものであるが、それにも限界がある。天使よりも強い力を持つものには天使の全能は通じず、また同格の力を持つものならば、天使の不意を打つことも可能である。
天使に世界の槍を打ち込んだのは、天使と同格の存在――すなわち悪魔だ。悪魔が完璧に天使の不意を打って打ち込んだ槍は、見事に一つ目の役割を果たした。
そして、悪魔の目的はもう一つ。それは、天使に追いつけないのならば、天使を引き寄せればいいというものだ。
世界の槍に繋がれている紐。それは、『紐』の根源を束ねて作り、さらに『護る』という概念をコーティングしたものだ。
根源とは始まり。あらゆる全ては、始まりがあるからこそ作られた。始まりがあるからソレはあり、ソレがあるから始まりはある。それは切っても切れない事であり、常に等しくある事だ。
つまり、始まりを滅ぼすには、始まりから作られたもの全てを滅ぼし、そして始まりそのものも滅ぼす必要があるということである。
そして、概念をモノに与えることにより、そのモノ自体が与えた概念の意味を持つ。紐には『護る』という概念が与えられているため、紐自体が『護る』という意味を持つ。それは即ち、紐自体があらゆる攻撃を防ぐ究極の盾になったといっても過言ではない。
天使が世界の槍に繋がれている紐を断ち切るには、紐にコーティングされた概念を破壊し、あらゆる全ての世界から紐という紐を消去した後、紐を切断するしかないということだ。
無論、そんなことをすればあらゆる世界から紐はなくなり、大混乱というレベルでは済まない騒ぎが起こる。それ以上に、そんなことをしている時間がない。
飛んでくるのも一瞬以下ならば、戻るのも一瞬以下である。
急速に引き寄せられる天使。もちろん、行き先は悪魔がいる場所だ。
あっという間すらなく悪魔の元へと引き寄せられた天使。そこは、どこかの宇宙だった。宝石を散りばめたように星々が無限に輝く、ただ一つの宇宙だった。
天使の背後には悪魔がいる。が、天使が気がついた時には既に遅く、悪魔は影のような手を伸ばして、今にも天使に触れようとしているところだった。
「タッチ!」
悪魔の声。とても嬉しそうな声だ。球体のため顔はないが、もしも顔があるならば、まさしく喜色満面だったに違いない。
反対に、天使は悔しそうに震えている。いざ逃げよう、とした瞬間にこれである。悔しさを覚えるにはいささか子供じみた理由だが、球体の中央から外側まで悔しさが滲んでいることだろう。
今のうちにと逃げ出す悪魔。誤算だったのは、悪魔が影の手を伸ばしたままだったことだろう。
ガシッと強く掴まれる影の手。影の手を掴んだのは、天使から伸びた光の手だ。
光の手は二本伸びている。一本は影の手を、もう一本は悪魔自身を掴んでいた。
「捕まえた」
「卑怯だよ。もうちょっと待つべき」
「そしたら追いつけない」
「僕だって追いつけなかったよ」
「そうだね。だから、逃げられない内に捕まえた」
「無効だよ」
「有効だよ」
「無効!」
「有効!」
子供じみた言い合いだ。だが、そんな言い合いだからこそ、天使と悪魔は白熱していく。
止めるものは何もない。止める者は誰もいない。子供じみた言い合いは徐々に徐々に白熱し、いずれ子どもじみた戦いへ発展していく。
光の手が悪魔を掴み、影の手が天使を掴む。お互い限界まで力を込めているため、ミシミシと軋むような音――は聞こえないが、天使と悪魔の体が少し歪んでいる。
お互いに掴んだまま、今度は殴りあう。天使が殴れば悪魔も殴り、悪魔が張れば天使も張る。目には目を歯には歯を。やればやるだけ、やられた分だけ天使と悪魔はやり返す。
その戦いもどんどんヒートアップする。止める者がいないのだ。当たり前だろう。
殴るだけでなく、今度は手近にあるものを投げ始める。
最初は小さく、漂っている小石。次に手のひらサイズの石へ。もっと大きく氷の塊。それはいずれ小惑星になり、太陽のような大きなものまで。さらにだんだん大きくなり、いずれは宇宙の投げ合いへ。お互いに投げた宇宙がぶつかり合い、相殺される。投げられた宇宙はその衝撃で破壊されるが、天使と悪魔は知ったことではないとばかりに宇宙を投げる。
戦いは激化する。もはや数えることすら出来ないほど伸びている光の手と影の手。無限に広がる宇宙のように存在する二つの手は、手当たり次第に宇宙を投げる。
一つの世界には無限ともいえる数の宇宙が存在し、それは常に増え続けている。しかし、その宇宙がわずか数秒で投げ尽くされてしまうほど、天使と悪魔が投げる勢いは凄まじい。
一つの世界から宇宙がなくなったら、天使と悪魔は別の世界へと手を伸ばす。そこからも宇宙がなくなったら、また別の世界へと。
崩壊する宇宙と世界。しかし、天使と悪魔は止まらない。止められない。
いくつもの宇宙が崩壊する。いくつもの世界が消滅する。消滅する世界にも生物は生きているが、天使と悪魔はそんなこと関係ない。お互いに、目の前の相手を倒すことしか既に考えていないのだ。
そして、天使と悪魔の争いはもはや留まるところを知らない。あらゆる事を可能とする自らの全能性を全て、相手を倒すことに集中させている。
魔導光線が貫く。
精神が崩壊する。
魂が破壊される。
存在が消去される。
情報が失われる。
あらゆる手段で、あらゆる手をつくして、天使と悪魔はお互いを打倒すべくその全能を振るう。
しかし、全てが無駄に終わっている。天使と悪魔は似ているようで似ていない。完全に同格の存在であるため、出来る事も出来無い事も全て把握しているのだ。
出来る事を全て把握しているため、相手が自分に行う干渉に対して対策を行えばいい。それは天使も悪魔もわかっており、そしてそれを実践しているため、お互いの全能は全て無駄に終わっている。
もちろん、この状況を良しとする彼らではない。どうすれば相手を倒せるか。どうすれば相手を破壊できるか。無限の手段を考え、無限の方法を考え、それを実践する。
しかし、それも結局彼らが出来る事の一つであるため、無効化されるのが現実だ。
千日手。イタチごっこ。同じ事が出来るため、同じようにしかなっていない。
「いつか必ず……」
「どうしよう?」
天使と悪魔は似ているようで似ていない。ある部分では似ていても、別の部分では似ていないのだ。
天使は自分が使える能力で悪魔を打倒しようとしており、悪魔はどんな手段を使っても天使を打倒しようとしている。
それが分かれ目だった。
天使は自らの全能で悪魔を打倒しようと動いている。愚直に、真っ直ぐに。素直といえば聞こえはいいのだが、この場合は単純であるといったほうが良かった。
突如、悪魔の動きが変わる。悪魔が発生させたのはシールド。悪魔の前方にしか発生させていないが、それは外からも内からも完全に干渉を遮断する究極の結界だ。しかも、悪魔はそれに全力を割いているため、天使といえど簡単に破ることは出来ない。いや、破ることは不可能といってもいいだろう。
何をしているのか。天使は疑問に思い、その動きを止めてしまう。
シールドを発生させて即、天使と悪魔を完全に包み込むように宇宙が発生する。発生させたのは悪魔だ。天使がわずかにブレたのは、動揺の現れだろうか。
天使が気づかぬ内に、シールドは悪魔を完全に覆っていた。何をするのか。天使は悪魔を観察し、周囲を観察し、そして――全ては遅かった。
悪魔が発生させた宇宙。それは、崩壊を始めていた。悪魔は滅びかけている宇宙を発生させていたのだ。
宇宙が崩壊するとき、中に存在するあらゆる全てもまとめて崩壊する。それは決められたルールであり、法則であり、終わりという概念だ。
あらゆる全てが崩壊するため、天使と悪魔も崩壊する。ただし、悪魔はシールドで周囲を覆っているため、崩壊を免れることが可能だ。しかし、天使は既に巻き込まれているため、崩壊を止めることは不可能だ。
白の球体が崩れ始める。砂がこぼれるように、ゆっくりと、宇宙の崩壊に合わせて崩れていく。
「負けちゃったー……」
崩れゆく体で天使が呟く。軽い口調だ。まるで、親友とゲームをしていて負けた時のような、そんな軽い気持ちで天使は呟いた。
天使の崩壊は止まらない。崩れゆく事実を認め、認識し、受け入れていた。
悪魔は喋らない。何を思っているのか伺うことは不可能だ。ただ、静かにそこにあるだけだ。
そして、その時は訪れる。
宇宙の崩壊が終わる時。それは、宇宙が完全に消え去る時であり、天使が完全に消える時だ。
宇宙が揺れる。それは、宇宙の最後の鼓動であり、宇宙の最後の輝きだ。終わるために作られた宇宙でも、それは他と変わらない。
消え行く宇宙。消え行く星々。そして、消え行く天使。
全てが消えたそこには、悪魔だけが残っていた。
◆
「鬼ごっこだね」
「鬼ごっこだよ」
「僕が鬼で」
「僕は逃げる」
クスクスと可愛らしい声が響く。天使と悪魔の笑い声だ。
白と黒の二つの球体。天使と悪魔。似ているようで似ていない。近いようで遠いもの。同じようで違うもの。そして、対で存在し、対で存在しなければならないもの。
天使と悪魔は宇宙の外で遊んでいた。天使が鬼で、悪魔が逃げる。ただそれだけの、子供でもわかる単純な遊びだ。
天使と悪魔は対で存在し、対で存在しなければならない。そのため、一方を滅ぼしても、もう一方が存在する限り、完全に滅ぼすことは出来ない。
これからも、天使と悪魔は遊び続ける。何をするかは、その時にならないとわからない。
しかし、これからも天使と悪魔は遊び続け、白熱すれば互いに滅ぼそうとするだろう。
これは遥か過去から未来まで繰り返されることであり、繰り返されてきたことだ。
天使と悪魔は遊び続ける。これまでも、そして、これからも。時間がある限り、時間が許す限り、ずっとずっと変わらずに、遊び続ける。