ホログラム
SNSで勉強用に書いたものです。
テーマは「30年後の未来」
縛りは「素粒子」をいれること。登場人物4人以上。
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少女は、灰色の空をぼんやりと見上げていた。
電車の高架線路と、それと並行して店を並べた商店街。二つの平行線に切り取られた灰空からは、柔らかく冷たい雪がふわふわと落ちてくる。
少女が腰掛けている花壇の前には、高架下に店を構えた紳士服店のショーウインドウ。男のマネキンが灰色のコートを着て立っていた。映像技術が発展した現在では、見本は立体ホログラムで展示するのが普通だというのに、マネキンとは珍しい。それが証拠に、道路を挟んだ向こうの婦人服店では、赤セーターを着た女の3D映像が優雅に歩いている。
「私はマネキンの方が好きだけどな。コーディネートを空想出来るし」
少女は、二つの展示を見比べポツリとこぼす。
「なんか独り言なんて柄じゃない」
こぼれる呟きもまた、少女らしくないことだった。少女は饒舌な方ではない。むしろ、人目を恥ずかしがって会話でさえ口ごもってしまう。
そんなちょっと内気な少女から言葉を押し出した犯人は、胸を圧迫する緊張だった。
少女は、ずっと想っていた――けれど今日、遠い町へと巣立ってしまう――幼馴染の少年を、駅前の花壇で待っている。
今まで秘めていた想いを打ち明けようと、淡雪を肩に積もらせながら。
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マネキンの紳士は恋をしていた。
黒スーツに灰色コート。そんなピシッとした格好の彼も、視線は道路の向こうのホログラムに釘付けだった。そこにいる赤セーターの彼女が、足を動かしその白いふくらはぎを覗かせる度に、お辞儀をして襟首から白い胸の谷間を覗かせる度に、彼は伸びもしない鼻の下を伸ばしている。
彼女は、たとえ見知らぬ通行人に挨拶をされても挨拶をきちんと返すほど礼儀正しく、また、彼女を見かけた者は男女問わず足を止めるほど美しかった。
そんな彼女を見つめるのは彼の日課。
そして今日もまた、彼は、警察に職務質問されかねないほど情熱的な視線を、彼女に贈り続けるのであった。
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「よっ!」
少女がマネキンをぼーっと観察していると、道路に面した背中から声をかけられる。声に驚き振り返ってみると、そこには青のジャンパーを着た少年が、寒さに両腕を抱えながら笑みを向けていた。
待ち人が来たことに少女の顔にも笑顔が花咲く。どうやら後ろから来たため、前ばかり見ていた少女は気づけなかったらしい。
「ちょっと、危ないじゃない。交通ルール守ってよ」
少女は上目遣いで少年を見上げながら、唇を尖らせる。
「信号無視はしてないぜ?」
「横断歩道渡ってないものね。小学生みたいな言い訳しないの」
少年がふざけ、少女がたしなめる。何度も繰り返されてきた日常の一コマ。
そんな暖かいやりとりに二人の唇は自然とほころんでいる。
「ははっ、手厳しい。わりぃわりぃ。それはそうと、ここ寒いしさ、」
少年は、紳士服のマネキンを飾る店の隣をさして言った。
「喫茶店にでも入らね?」
ドアを開けて店の中に入ると、鈴の音が音を立てて二人を迎える。
入った喫茶店はそれほど広くはなく、中はカウンター席と円形のテーブル席が窓際に3つ。客は、カウンター奥にマスターと談笑している老人が一人だけ。少女はテーブル席の一つに少年と向かい合って座る。
「ご注文は?」
「コーヒー二つ、ミルクは一つで。お前はブラックだよな?」
「……うん」
少年は、席に座るとすぐ店員を呼び注文を告げる。
(別に暖を取りに来ただけなんだから、そんなに急いで注文しなくていいのに……)
と、少女は思ったけれども、少年が自分の嗜好を把握していたことが嬉しくて言葉に直すのはやめた。
蒸されたおしぼりの熱が、少女の冷え切った指先をじんわりと温める。
「大学合格、おめでとう」
「おっ、サンキュー! 俺も受かるとは……思ってたけどな、あっハッハッハ!」
「わー、謙虚だねー。すっごいねー」
少女は棒読みで少年の返事を拾う。
「で、やっぱり物理学科?」
「ああ」
少年は、さっきまでのやり取りが無かったことにされたというのに、平気な顔で頷いた。
「今、物理学では非加速器による実験研究が確立されて、素粒子物理学が熱いからな。それに俺も挑戦してみたい」
「相変わらずの実験オタですこと」
「いいだろ、好きなんだから。もちろんああいうのを発明するのも興味あるけどね」
言って少年は首を窓の外に向ける。その視線をなぞると、そこにあるのはホログラム。
「凄いよな! ちょっと前までじゃ大掛かりの設備が必要だったのに、今ではこんな身近に存在している。しかも、観察している人の要求に応じてポーズとったり動いたりするんだから、本当にあれを発展させた人はすげぇよ!」
あの3Dは、ウインドウにとりつけられたカメラとマイクで、動きを変える機能を持っていた。「走って」と言えば走るし、「こんにちは」といえばおじぎもする。別にありふれた光景で特段珍しいものではないのだけれど、目の前の少年はいつも目を輝かせて、それを語るのだ。まるで雪が何故降るのかを考える幼児のように、無邪気に真っ直ぐにいつまでも不思議と向き合う。少女はそんな瞳をした少年が好きだった。でも――
(遠くで夢を追う彼にとって、私は邪魔でしかないんじゃないだろうか?)
前から感じていた不安がよぎる。
それに。少年のその直向きさを少女は愛していたけれど、目を潰すほどの輝きを放つそれは少女を恐れさせてもいた。
――私はあれほど真剣になれることがあるのか? と。
気付けば指先を温めていたおしぼりはすっかり冷め、今度は手から熱を奪っていくばかり。嬉々として語る少年の前で少女は、作り笑いを浮かべ、マネキンのように動けなくなっていた。
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(うむむ!? 今こちらに挨拶をしなかったか?)
3Dの女は通行人に頭をさげただけなのにマネキンは勘違いし、息も出来やしない鼻で息を荒くしている。
(いつか近くで触れたいものだ……)
紳士(?)であるマネキンはそんなことを夢見るけれども、この部屋の有様を見てつけもしないため息をついた。
部屋はマネキン一人だけ。昨日にはあった家具は全部無くなり、あるのはガラスの窓と白い壁だけだった。3D展示が広まっている現在。時代遅れとなりつつあるマネキンは、競争力低下のために実は今月中に撤去が決まっていた。
マネキンとて部屋の有様を見て何も思わないわけはない。段々と撤去されていく仲間達。それがすぐにでも自分の身にも起こるであろうことは、マネキンは易々と悟っていた。震えもしないプラスチックの体が震える。液状の樹脂に戻る光景が脳裏にこびりついて離れない。
(――でも、そんなもんだろう)
しかし、マネキンは怯えながらもその末路を受け入れていた。いずれこの部屋を埋める後輩達が自分より立派であるならば、先輩として道を譲らざるを得まい。
けど、一つ心残りがあった。それは彼女に想いを伝えられないこと。
せめてここから離れる前に、彼女に脈打ちもしないこの心臓のときめきを伝えたかったけれど、動きもしないプラスチックの足は――やっぱり動いてくれない。目の前にあるガラスは、取り繕ったその場しのぎの物のように薄っぺらいというのに、その向こうには永遠に足を踏み出せない。
突然、男女二人が横からマネキンの視界に現れた。そのうち男の方が、3Dの彼女に向かって「バイバイ」と手を振る。3Dの彼女はその動作を読み取り、背を翻しマネキンの前から遠ざかって行った。今でさえマネキンから遠いのに、更に遠くへと歩いていく。
思いを告げられないならせめて、ずっと彼女を見ていたかったけれど。瞳の前には勢いを増して降り始めた雪。
そして――
あの人の背中は白に埋もれていく。
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カランと鈴の音をたて、二人は喫茶店の外へと足を踏み出す。いつの間にか柔らかく降っていた淡雪は、乱れ降る吹雪へと形を変え重みを増していた。
結局喫茶店内では、少女は何も言えず、ただ少年の話に相槌を打つばかりだった。
「おーい、ばいばーい!」
俯いたまま店を出ていた少女は、少年が発した言葉にビクっと肩を縮こませる。恐る恐る顔を上げてみると、少年は少女に対してではなく3Dに向かって言ったようだった。向かいの3Dに向かって手をぶんぶん振っている。
「すっげぇ。道路挟んでるのに反応したぜ、やるな」
少年は遠い3Dが反応したことに驚き、またはしゃいでいる。少女がホッと息をついたのも束の間、少年はポツリとつぶやく。
「俺も頑張って、あんな発見が出来るような人にならないと」
瞬間、吹雪く風が、少女の髪をさらっていく。
かろうじて喉に引っかかっていた淡い期待も、その一言が重しとなり胸の奥へと沈んでいく。
――私には彼が眩しすぎて近づくことが出来ない。追いつけ、ない。
代わりに浮かび上がるのは、今まで目を背けていたこと。今日一日あがいてみたけれど、足はやっぱり動いてくれない。向こうになんかいけるわけがない。
少女は痛み出すその胸に手を添えて耐える。
「じゃあ、行くぞ」
いよいよ別れの時。今なお笑う少年の輝きを見て、少女はガラスのように脆い作り笑顔。
「……うん! 向こうでも元気でね!」
「おうっ!」
元気な返事とともに、彼の背中は翻る。そして、そのまま一度も振り返らず、真っ直ぐに改札へと向かっていく。
思いを告げられないならせめて、ずっと彼を見ていたかったけれど。瞳の前には勢いを増して降り始めた雪。
そして――
あの人の背中は白に埋もれていく。
………
………………
雪風は厳しさを増し取り繕ったガラスなぞ易々と超えて、その冷たさは胸をえぐっていく。白い雪はだんだんと視界を覆っていくけれど、一番認めたくないことは隠してはくれない。
――雪煙に霞んでいくあの人の背中を見て、
気づいてしまう。
気づいてしまった。
「私は――」
(僕は――)
「(もうきっと――)」
――あの背中には届かない。