第9話 優しいキス
「本当に久しぶりで驚いてる。一体どうしたの?」
カウンター席に並んで座り、グラスビールを一口飲むと、浩二が尋ねた。
「あなたのライブを見に来たのよ。」
「わざわざ仙台まで?今、東京に住んでるんでしょ?」
「そうよ。」
そう言うと、紗枝もグラスビールを飲む。
雑誌のページをめくると、彼のギター姿の写真を見せた。
「偶然見つけて。」
「あ、これか、そうだったの、そういうこともあるんだね。」
「そうね・・・よかったよ、ライブ。いつの間にブルースをやるようになったの?」
「はは、いやあ、さすがにもう若くないからさ。結構楽しくやってるよ。」
「浩二が歌を唄うとは思わなかったから、驚き。」
「いやあ、恥ずかしいな。学生時代から歌は唄ってたんだよ。さすがにイアン・ギランのあの声は出せなかったけどね。あの頃さ、剛が歌ってたでしょ、あいつ今頃どうしてるのかな。」
剛というのは、彼らの高校時代のバンドのボーカルだった。急にその名前を浩二が口にして、一気に昔に戻る。そして、急に懐かしさがよみがえってくる。
「剛か、どうしてるんだろうね。全然わからないな・・・」
「そうか。もうみんなばらばらだよね。」
「ほんと・・・」
少し寂しい感じだった。二人の間に沈黙が流れる。
「ねえ、」
「なに?」
「・・・いや・・」
浩二は今の紗枝のことを何か尋ねようとしたのだった。紗枝は瞬間に、左手の薬指の指輪を右手で隠した。
「結婚・・・してるんだよね。」
「・・・ええ、まあ・・」
何ともいえない気まずい雰囲気だった。
「山本紗枝さんってフロントで訊いたら、そういう女性はお泊りになっておりませんって・・・」
「え・・?あ、さっきのホテルで?」
「そうだよ、だから、姓が変わったんだろうなって思ってさ。・・あれから何年?」
「もう20年も会ってないのよ、私たち。」
浩二は両手を上に上げて大きく背伸びをした。
「そうだよな、そんなになるよな、俺たち。何だか不思議だよ、紗枝がここにいるのが。」
同じように紗枝もそう思っていた。ここに浩二がいるのが不思議だった。二人ともずいぶん変わってしまった。
ライブ中のMCを聞いた限りでは、彼は結婚していないはずだ。しかし、20年という長い間には、恋愛の話はたくさんあるはず。気になりながら、何も訊けない紗枝だった。
「俺もさ、一度は結婚したんだよね。」
「・・そうだったの?」
「ああ、でも・・・」
「・・・」
「運命だから仕方ないけどさ・・」
「別れちゃったの?」
「ああ、死んじゃったんだよ・・」
「え?今なんて言った?」
「3年前に死に別れたんだ。」
「・・・そう、だったの・・・」
運命というのは非情なもの。愛し合う者同士を無残に引き裂く。そして、そういう辛い別れを、人は一生のうちに何度経験しなければいけないのだろうか。
「さ、今日は久しぶりの再会なんだから、ね、飲もう飲もう。」
「おう、そうだね。」
「何にする?」
グラスビールを空けると、浩二が訊いた。
「そうね、生グレープ・ハイにしようかな。」
「あれ?紗枝ってそんなにお酒飲めるんだっけ?」
そういいながら、酎ハイを二つ注文をした。
「何だか最近飲めるようになったのよ。体質が変わったみたいよ。」
「へえ、そうなんだ。」
そんな会話を交わしながら、二人は思った。あの頃、まだ19歳の二人は、お酒を飲みになんていったことないわけで、それぞれが飲めるのかどうかなどわかるはずがなかったのだ。とにかく、タイムスリップ状態の二人には、昔話をすることすら、難しかった。あまりにもブランクがありすぎるのだ。それだから、すぐに沈黙してしまう。話が続かなくなる。
「紗枝。」
「ハイ、なんでしょうか。」
「君は、いつも突然だな。」
「そう?そうかもね。」
「そうだよ、だってそうでしょう。何でここにいるのさ。」
「そうよね・・・。やっぱり来ちゃったのよね、20年前と同じ」
「何で来ちゃったのさ。」
「それは・・・逢いたかったからよ。だから・・・やっぱりあの時と同じ。」
「紗枝・・」
「なに?」
「・・・来ちゃったら・・・ダメでしょ。」
そういうと、浩二がそっと左手で紗枝の肩を抱き、右手で髪を撫でると、頬に優しいキスをした。紗枝の知っている浩二は、もうそこにはいなかった。紗枝は瞬間めまいがした。