第8話 再会 2
紗枝は早歩きでワシントンホテルに向かう。あまりの緊張感にそれほど寒さは感じない。行きかう人の波が駅まで続いている。皆コートを着て、マフラーや手袋をして、寒そうに歩いている。
ホテルに着くと、部屋のキーを受け取る。部屋のナンバーは1005。エレベーターに向かうと、入り口のほうに目をやる。まだ浩二の姿は見えない。本当に来るのだろうか。いや、きっと、それはない。ライブの後は何かと忙しいはず。(来ないほうがいいのよね・・・)そんなことを考えてふと悲しくなる紗枝だった。
「はらちゃん、誰?さっきの女性。」
仲間が訊いたので、浩二はさっと答えた。
「昔の恋人だよ。」
「えー?ほんとう?」
浩二は嬉しそうだった。
「何だか嬉しそうに、まったく。じゃ、今日は早くその彼女のところに行ってあげたら?」
シールドコードを片付けながら、仲間の一人が言った。
「どうしようかと思ってるんだ。」
「あら、約束したんじゃなかったの?」
ドラムを片付けながらもう一人が言った。
「うん、あ、いや・・・」
「あれ、何だかはっきりしないね。今日のはらちゃん。いつもだったらそういうことはさっさと答え出してるでしょうが。」
「まあね・・・」
浩二も迷っていた。もう会うことはないと思っていた紗枝に、どんな顔で会いに行けばいいのか。
4人のメンバーのうち、結婚していないのは浩二だけだった。他の3人は、家に帰れば温かな家庭が待っている。
「はらちゃん、早く行きなって。あとはやっとくからさ。」
「あの・・そんなんじゃないんだって・・・」
浩二は、バンドの仲間内ではプレイボーイで通っていた。そんなこともないのだが、独身で自由人で、周りからはそう見られることが多かった。でも、3年前に最愛の妻を病気で亡くしてから、もうきっと結婚はしないと考えていた浩二は、周りに貼られたレッテルのように、それは自由に気まままに生活をしていた。
ステージの後片付けを他のメンバーに頼んで、浩二はタクシーを使いワシントンホテルに向かった。(どんな顔して会えばいいのだろう・・)紗枝と同じことを考えていた。
ホテルに着くと、ロビーを見渡した。紗枝はいなかった。フロントで尋ねた。
「あの、山本紗枝さんという女性が泊まっていると思うのですが。」
「お待ちください。」
調べてもらったが、そういう名前の女性はいないということだった。(まさか、紗枝が言ったことは間違いだったのか・・いや、そんなはずはない・・・そうか、もしかして姓が違うのか。)
山本というのは、紗枝の旧姓だった。今の彼女の名前は、杉本紗枝。確かに浩二の知らない彼女がそこにはいたのだ。
「浩二・・」
途方に暮れていた浩二の背中で、小さい声がした。振り向くと、紗枝がそっと右手をあげた。一度部屋に戻った彼女は、もしかしたら浩二が来るかもしれないと思い、また再びロビーに戻ってきたのだった。
「紗枝。」
「本当に来てくれたのね。」
紗枝にはとても信じられなかった。目の前に、昔の恋人がいる。大好きだった彼がいる。20年もの間、彼はどんな生活をしていたのだろう。今はどんな生活をしているのだろう。いろんなことが頭の中をよぎる。
「一緒に食事でもどう?」
そう浩二に誘われ、紗枝は静かにうなずくと、キーをフロントに預けた。紗枝は、すべて夢を見ているようだった。