第6話 ライブ
開場と同時にサテンドールの店内に入る。常連客と思われる人を除けば、他にはお客さんは紗枝だけだった。少し考えて、一番後列のカウンター席に座った。想像以上に狭い店内だった。客席とステージの違いがほとんどなかったので、どういう風に座っていればいいのかとても困った。
「いらっしゃいませ。」
早速ドリンクのオーダーがあったので、カシス・ソーダとフライドポテトを注文した。何だか落ち着かなかった。
6時半を過ぎると、どんどんお客さんが入ってきた。店内もだいぶ活気が出てきたので、紗枝はほっと一安心した。そのうちに照明が少し落とされ、ライブハウスのとてもいい雰囲気になった。
バンドのメンバーがチューニングに顔を出し始める。いよいよだ。会場からいろんな声が飛んでいた。一番後ろにいる紗枝にはよく聞こえないのだが、上連客がバンドのメンバーと何か話しているらしかった。紗枝はとにかくギターに注目していた。確か昔浩二が使っていたはずの赤いストラトキャスターは、ステージ上に見当たらなかった。代わりに黄色いレスポールがスタンドに立てかけてある。アコギも置いてある。
浩二らしき人が姿を現した。紗枝は息を呑んだ。会場からは掛け声が飛んだ。遠くからでもすぐにわかった。間違いなく浩二だった。白いシャツを着て、細いジーンズをはいて、相変わらずラフな格好に、少しゆるくパーマのかかった茶色の髪が、柔らかく肩にかかっていた。紗枝は浩二から目が離せなかった。(浩二・・・紗枝よ、覚えてる?私はここにいるのよ。)叫びたい衝動に駆られる。
おもむろにレスポールを手に取り、チューニングを始めると、すぐに振り返り、一度コードを鳴らした。会場からは歓声が上がった。
バンドの構成は、ドラムにベース、そしてギターが2本だった。
「こんばんは『U・スティック・リズ』です。」
浩二の声。あの時のまま。全然変わっていない。とても優しい響きに、紗枝は思わず泣きそうだった。会場はもう拍手に歓声に、とても盛り上がっていた。
「〜今日は最後までお付き合いよろしく!」
そういうと、ドラムのカウントで曲が始まった。クラプトンの曲だ。曲名はちょっと忘れてしまった。3曲ほど続けて演奏した。とても大人の雰囲気のバンドだった。
浩二が唄っていたのは意外だった。なかなか甘い声で上手だと思った。昔は唄ったところなんて見たことがない。彼のMCでそのままライブは進行していく。
「最近、スマップがね、ほら・・。〜」
「やってやって!」
会場からリクエストが飛んだ。
「いやー、今更スマップもちょっと恥ずかしいんですが。」
そう言いながら、スマップの『友達へ〜Say What You Will〜』が始まった。会場はもう大歓声だった。浩二の歌う歌詞は英語だった。そしてアレンジも、少し大人の雰囲気になっていた。会場は最高潮に盛り上がっていた。
唄い終わると、休憩に入った。少し照明が明るくなり、メンバーが楽屋に戻る。ちょうど後ろの出口からの退場となるため、縦長の店内は、彼らの通り道が限りなく紗枝の座っているカウンターのそばを通ることになる。(どうしよう。)普通なら、自分からそのミュージシャンに握手を求めていくような彼女なのだが、この時ばかりは逆だった。戸惑いながらも、つい浩二に目がいってしまう。そしてふと、彼の目と目が合ってしまった。紗枝はその瞬間すぐに顔をそらした。そして、氷の溶けたカシスソーダを一気に飲んだ。
休憩中に再びオーダーを取りにウエイトレスの女の子がやってきたので、もう一杯カシス・ソーダを注文した。
程なく、浩二がギターを弾きながらステージに現れた。一気に歓声が上がる。ギターのそのフレーズは、おそらくそこに集まっている観客の全員がその時代に愛したあの曲『スモーク・オン・ザ・ウオーター』のイントロのフレーズだった。それはもう、ハードロックそのもの。そして、紗枝と浩二も何度も演奏した曲。紗枝もいつの間にか一緒に歓声を上げ、椅子から立ち上がると手拍子を打った。気のせいか、また浩二と目があったように感じた。
『スモーク・オン・ザ・ウオーター』は全曲演奏せずに、また静かなナンバーに切り替わった。オリジナル曲らしい。少ししっとりとしたラブ・バラードのようだった。日本語の歌詞で浩二が唄う。ギターのアルペジオがとてもきれいに響いていた。
その後MCの中で、いろんな話題に触れていた。仙台光のページェントの話や、スキーに行った話などは会場を和やかな雰囲気にした。(スキーできるようになったんだ・・)確か彼はスキーができなかったはず。でもそんなことがあっても全然不思議ではない。今年こそは嫁さんを・・なんて話から、結婚してないこともわかった。
最後の曲になる。彼らのバンドがいつも最後に演奏する曲のようだった。ちょっとしっとりと、でもサビの部分は結構ドラマティックな展開の曲だった。ギターソロはさりげなくハードロックのフレーズを盛り込んでいた。歌詞は、ちょっと切ない恋歌で、遠い昔の恋人へのまるでラブレターのような曲に聞こえた。紗枝はついつい自分の思いと重なりながら聞き入っていた。
ステージでギターを弾きながら唄う浩二の姿は、遠いあの日、紗枝にとって大切なあの浩二の姿そのものだった。ここまで来て本当に良かったと思った。
ラストナンバーが終わると、アンコールの掛け声がかかり、最後クラプトンの曲でステージは締めくくられた。
余韻の残る店内で、もう一杯注文したカシス・ソーダを飲みながら、なかなか席を立つことができない紗枝だった。昔とまるで変わらない(と紗枝には見えた)浩二に会うことができた。これでもう悔いはないと思った。