第12話 二人の心、そして振り切る思い
翌朝。
少し遅く起きた紗枝は、今日もすっきりと晴れた北国の空を、ホテルの部屋の窓から見上げた。夕べの出来事は全部夢のよう気がした。でも、現実に紗枝は、浩二と再会し、新しい恋の予感に震えたのだ。
紗枝は、今日のデートをとても不安に思った。(夕べ以上に彼に心が動いてしまったら・・・。もしも彼の胸に飛び込んでしまうようなことがあったら・・・?)そんな思いをかき消す。(いいえ、それはないは。きっとそうはしない。)そんなふうに心に決める。でも、同時に、今日限りで彼と逢うことはもうないのだと思うと、無性に切なく、悲しい気持ちになるのだった。
着替えをして化粧をして、荷物をまとめると、紗枝は一人、モーニングに出かける。夕べお酒を飲みすぎたらしい。ちょっと頭が重かった。野菜ジュースをひとつ注文した。
部屋に戻り荷物をまとめると、早めにチェックアウトした。その前に、ホテルのお土産売り場で地酒と笹かま、それに「萩の月」の類の銘菓をいくつか買った。少し荷物が多くなってしまったが、何とか一人で運べそうだったので、宅急便を使うのはやめにした。
タクシーで仙台駅のコインロッカーに荷物を預けに行き、再びホテルに戻った。今度の運転手さんとはほとんど何も話さなかった。
ホテルに着くと、10時半だった。辺りを見回しても、まだ浩二の姿はなかった。一度ロビーに入ると、ちょっと遠慮しながらソファーに腰を下ろし、浩二を待つことにした。
(彼はきっと、私が明日帰ると思っているのだろう。今日も一泊するだろうと思っているはず。何て言おうか・・・やっぱり今日帰らなくてはいけないのだと伝えよう。)そんなことをぼんやり考えながら待っていた。
浩二は、黒のセダンでホテルの前に現れた。15分ほどの遅刻だった。
「ごめんごめん、遅くなって。」
「いいのよ。」
そう言いながら紗枝はホテルの玄関の自動ドアを開けて外に出た。浩二が時間に遅れたには、ちゃんとわけがある。なかなか家を出られなかったのだった。実は、今日浩二は他に約束があったのをすっかり忘れていたのだった。
朝10時、浩二のアパートの前で〜
「どうしたの?こんなに早く。」
「あら、やだ忘れてた?今日は付き合ってくれるって言ってたでしょ?」
「あ、そうだったね・・・ごめんごめん。」
由紀という浩二の彼女が、いそいそとやってきたのだった。そして、確かに今日の約束だったのを思い出した。
「夕方でもいいんだったよね?」
「あ、別にいいけど?どうして?急な用事?」
「あ、ちょっとね、昨日ライブの後に忘れ物をしてさ、大事なものなんだよ、取ってこなくちゃいけなくて。」
「そうなの?じゃ、わかった。私も他の用事を先に済ませてから、また来るから。4時ごろでいいかな?」
「助かるよ、サンキュー!」
約束というのは、今度一緒に住む部屋探しだった。彼女は少し怒っているようだったが、そういう用事じゃ仕方がないということで、もう一度出直してくるということになった。浩二はホッと胸をなでおろした。(でも、俺としたことが、すっかり忘れてたな。)着替えを済ませて時間を見ると、もう約束の11時だった。あわてて飛び出し、車のエンジンをかけると、ワシントンホテルまで急いだ。(紗枝になんて言おうか。彼女はきっと今夜もホテルに泊まるつもりでいるんだろうな。)そんなことを考えながら運転をする浩二だった。
「どこに連れて行ってくれるの?」
「ちょっとドライブしてさ、少し行ったところにおいしいレストランがあるんだ。そこに連れていってあげようと思ってさ。」
紗枝は助手席に乗ると、また逢えた嬉しさに自然と顔がほころんだ。浩二も嬉しそうだった。
「夕べはよく眠れた?」
「ええ、なんとかね。」
「そう、それはよかった。」
「ほら、これが広瀬川だよ。」
「あら、ほんと景色がきれいね。こんなきれいな景色を見ながら青春時代を送ったのね。」
「ははは、そういうこと。」
二人は単純に楽しかった。カーステレオからは、きれいなメロディーの曲が流れている。
「この曲は?」
「これはニールラーセン。」
「あ、そうね、そうだわ。」
この曲も、紗枝は昔の恋人から教えてもらったものだ。そういえば、誕生日にCDをプレゼントされたことがあった。
「あのさ・・」
「ねえ・・」
二人が同時に口を開く。
「どうしたの?なに?」
「そっちこそ先にどうぞ?」
(また私が先・・か。)20年前を思い出す。〜言おうかどうしようか迷った末にいった言葉。そのせいで二人は壊れた。そして、また今度も同じ。
「あのね、やっぱり今日私東京に帰ろうと思って。」
自分で背中を押して言った。ドキドキした。
「そう、わかった。何時に帰る?駅まで送るよ。」
冷静に答えながら、浩二も内心ほっとしていた。でも、これでもう逢えなくなるのかと思うと、これが20年前だったらどんなによかったかと思うのだった。
「ありがとう。何時でもいいんだけど。」
そう紗枝が言うと、浩二は黙ったまま車を走らせた。その間、全然景色など見る余裕はなかった。いつのまにか、静かな木立の中のおしゃれなレストランに到着した。(最後のデートだ。)紗枝はすっと背中を伸ばし、車から降りた。