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作者: 誠人

 岩のごつごつとした湯船に浸かりながら、空を見上げて男は聞いた。

「何故、これを『雪』と言うか、知っとるか?」

 儂は寒さに震えて、その背中を追いながら答える。

「そんなこたぁ知らねが」

 しんしんと牡丹雪に降られ、一刻も早く湯に浸かりたくて浴びた湯は、冷えた躯にジンと痛みを与える。

「ここの湯はぁ、熱っちぃのぅ」

「そりゃ、お主の躯が凍えとるだけじゃ。じき、馴れるわ」

 男は、その細身に似つかわしくない豪快な笑い声をあげた。

 この男、儂より2つ3つばかり年若いはずなのだが、どうにも年寄り染みた雰囲気がする。かとおもえば、高髷を結わず、今などは細かな銀細工の簪で長い髪が濡れぬように刺し止めるような傾奇者で、一見、女子と見紛うがごとき容姿をしている。

 童子の頃は殿様の戦小姓をしておったとのまことしやかな噂にも頷けるというものだ。

「なぁ、何故じゃと思う?」

 ジンジンと沁みる躯を湯に沈める儂に、再び男が問う。

「じゃから、儂ぁ知らんと言うておるがよ」

「少しゃぁ、考えて物申すようにせねばぁ、出世は夢に消ゆるぞ」

「儂ぁ、お前様みてぇに名のある家でねぇ。こん戦から帰りゃぁ、ただの百姓じゃ。田圃の中にゃぁ出世道なんぞ通っちゃぁくれんがよ」

「お家なんぞ、糞じゃ」

 何が楽しいのか、カラカラと笑う男の左肩口には、まだ、塞がりきっていない深い刀傷があり、左目には薄汚れたさらしが幾重にも巻かれていた。

 戦場では常に一番駆けをするという噂も真なのかもしれぬ。

「百姓はぁ、自分の食い扶持は自分で作って賄うとる。じゃがのぅ、武士っちゅうもんは、その百姓から奪うだけの虫じゃ。知恵ぇ持っとる分、虫より質が悪い」

 儂は呆れた。

「お前様は、真に武士か?」

「戦場以外に居場所がないからのぅ。武士じゃぁなけりゃ、戦人じゃろ」

 男は肩口の傷に湯をかけ、顔をしかめる。滲みるのだろう。

「じゃが、次、里に帰れば儂に居場所ができる」

「ほぅ。祝言でも挙げるがか?」

「そうじゃ」

 男は頭の簪に触れながら、遠くを眺めている。そちらに男の故郷があるのだろう。

「この簪を刺してやると誓うて里を出た」

「ほう。どんな女子じゃ?」

「騒がしゅうて口煩い女子じゃ」

「何じゃ、尻に敷かれに帰るがか?」

 思わず笑う儂につられ、男も笑う。

「そうじゃ。この頭の傷も、紋付きに合わぬと謗られるに違いない。今から言い訳を考えておるんじゃがのぅ。いっこうに思い付かん」

「今から鬼女のごとき言い種じゃと、末は真の鬼婆かのぅ」

「儂の許嫁を捕まえて何を言う」

「お前様がそう言わせとるんじゃろうが」

 儂はふと、男の問いの答えを思い付く。

「分かったぞ」

「何がじゃ?」

「『雪』じゃ『雪』。ありゃぁ、これが降ったら戦が無うなるから『幸せ』ってゅうて、『幸』が『雪』っちゅうようになったと、こう言いたかったんじゃろう?」

 男は隻眼を細める。

「そうじゃったら、この『雪』っちゅうもんに降られても悪うない気がするじゃろ」

「酒でもありゃぁなお、えぇがの」

 儂がそういうと男は、違ぇねぇ、と空を喰らう様に笑った。



(完)




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