パンがないなら、レベルを上げて素手で殴ればいいじゃない
「パンがないなら、お菓子にすればいいじゃない」
私の家の庭で開かれたお茶会で、誰かがそう呟きました。
確かにその時は、楽しいお話で盛り上がっておりましたから、誰も気にすることはありませんでした。
それから十日後……。
「どうして、私が言ったことになっているのかしら?」
私は怒りに震えていました。
お父様から渡された新聞を、破れんばかりに握りしめます。
新聞といっても、紙一枚だけの張り紙のような粗末なもの。そこには、お茶会でのあの発言が私の言葉として、センセーショナルに、そして悪意に満ちた文体で書かれていました。
『国民の窮状を理解しない、貴族たちの呆れた感覚』
そう題された記事は、今日食べるパンすらないほどの国民の状況にも関わらず、豪華なお茶と食事を囲んでいる貴族の娘たちをこき下ろすものでした。
お父様はため息を吐きます。
「マリーア。……この発言は不用意だったな」
「さっきも言いましたが、私の言葉ではありませんわ!」
私の強い口調をなだめるようにお父様は軽く頷き、そして首を横に振りました。
「確かにそうなのだろう。だが、新聞に書かれてしまった」
「嘘の記事ですわ。どこだかの自称新聞記者が書いた三文記事を鵜呑みにするような貴族はいません!」
私の怒りに満ちた瞳に、お父様はたじろぎました。私は言葉を重ねます。
「私の発言ではないと、公の場で弁明いたしますわ。きっと、お茶会に同席してくれた友人たちも証言してくれます」
お父様はもう一度ため息を吐きました。今度は長く、深呼吸をするように。
「貴族と違って、大衆は真実を求めてはいないんだ。大事なのは、自分たちにとって都合のよい事実だけ。お茶会の主催者は、お前なんだろう」
「そう言えなくもないですが……」
お茶会を言い出したのは、幼馴染のリトリーです。
国全体を包む暗い雰囲気の中、「私たちができることを考えよう」と、貴族の令嬢たちが集まったのでした。
それぞれが少しずつお菓子を持ち寄る形でしたから、記事にあるような豪華な食べ物はひとつとしてありませんでした。
私がお茶を準備する担当でしたので、我がクヤック家の庭園でお茶会を開くことになったのです。
お茶会の進行をしていたのもリトリーですから、私の主催といえるのかは微妙です。しかし、場所を提供したのだから、そう捉えられても仕方ありません。
「お嬢様、恐れながら。あの場であの言葉を誰も咎めなかったのが、不味うございました」
老練な執事ジャン=ジャックルが、そう言いながら、私がクシャクシャにしてしまった新聞を受け取ります。
「でもね、ジャン=ジャックル。社交場やパーティでの失言なら、揚げ足を取られるのも分かるわ。でも、これは親しい友人たちとのお茶会よ。自由に意見を言い合えるプライベートの場なのよ」
「私どもが酒場で話す与太話とは一緒ではありません」
それでも、私は納得ができませんでした。
「酒場には行ったことはありませんが……、そこも気の置けないお友達と、冗談や無駄話に花を咲かせる場所でしょう? そんな所での話を、さも常日頃の考えかのように取り上げられて、平気な人がいますか?」
「いいえ、お嬢様。どんな場所でも気を抜いてはなりません。なぜなら、あなた様は……」
ジャン=ジャックルが、忠告をしようとした時、メイド長が扉をノックして入ってきました。
かなり焦っている様子で、「失礼します」と礼もおざなりに駆け寄ってきました。
「王宮からの使者が参りました。マリーアお嬢様一人で、急ぎ参上するようにと」
王宮からの呼び出し。
お父様は目を見張ります。このタイミングで……というのが、いい知らせではないことを予感させました。
しかし、私はそこまで考えが至っておりませんでした。
「すぐに準備いたします」
私は王子に会える喜びで、自分の部屋へと浮かれるように駆け出しました。
「使者を応接室へ、マリーアの着替えが終わるまで待ってもらいなさい」
お父様の指示に、メイド長は首を振ります。
「いいえ、旦那様。使者はもう帰られました」
お父様は絶句しました。
今までに王宮からの使者が先に帰ってしまうことなんてありませんでした。
呼び出すのですから、案内人としての使者と馬車を準備して待つのは、当然のことです。
これは礼を欠く行為。王宮の人たちが、この当然を知らないはずがありません。
「行くな、マリーア」
お父様は、私が聞いたことのある中で一番低くて恐ろしい声を出しました。
「どうして、お父様?」
「恐らく新聞の件だ。マリーア一人だけを呼び出すなんて……」
「私一人で王宮へ来るように言うのは、王子様です。彼は、私のことをちゃんと分かっていてくれていますわ。私があんなことを言うはずないって」「しかしだな……」
「きっとお願いすれば、私に弁明の機会を与えてくれます」
それでもお父様は慎重です。
「お前にとって、辛い話になるかもしれない。私も一緒について行った方が……」
お父様の言葉を遮って、私は言い切りました。
「大丈夫です。どんなことがあっても、私は負けません」
お父様は、私と王子様の絆を分かっていらっしゃらないから心配するのです。
「そうだな、お前は強い子だ」
そう呟いたお父様の瞳は、どこか虚ろで悲しそうでした。
一時間後。私が王宮に着くと、待たされることなく応接室へ通されました。
「マリーア、大丈夫かい?」
出迎えてくれたのは、ミメ王子。私の手を取ってキスをしてくれました。
「もちろんです」
「心配していたんだ」
ミメ王子の瞳は、私の目を真っ直ぐに見つめます。私はその眼差しに信頼を感じました。
「んっ、おっほん!」
後ろから、咳払いが聞こえてきます。
王子は仕方ないと言った顔で、私と距離を取りました。
王子の後ろで座っていらっしゃったのは、国王陛下です。王子はその側へ控えました。
「マリーア・ユミア・クヤック殿」
ミメ王子から、フルネームで呼ばれたのはいつぶりでしょうか。それに、家名と敬称までつけて。
今この場所では、二人は恋人同士ではないということなのでしょう。
「巷で話題の新聞に書かれていることは嘘だろう?」
ここで「本当か?」と聞かないところがミメ王子らしい。私のことを信じてくれているに違いありません。
「はい、もちろん嘘です。あの発言は私ではありません」
「父王よ、彼女もそう言っています。やはり彼女は……」
王子が国王陛下に詰め寄るように報告すると、国王陛下は左手を上げて王子を制しました。
国王陛下は私の方を見つめると、威厳のある声でゆっくりと言葉を選んでおっしゃいました。
「君の主催した会で、あの発言があったのは間違いないか?」
「……はい」
「今の、我が国の状況は分かっているな?」
私は一瞬、国王陛下が何をおっしゃりたいのか分かりませんでした。
プライベートなお茶会での誰かの失言と、この国の状況に、何の関係があるというのでしょうか。
「……え、あの」
国王陛下の真意を測りかねて戸惑っている私を、ミメ王子は見逃しませんでした。すかさずフォローをしてくれました。
「長く続く隣国との戦争で、国全体が疲弊しています。そこに今年の干ばつが追い打ちをかけ、国民には不満が高まっ……」
また、国王陛下が左手を上げられましたので、王子は喋るのを止めました。
国王陛下は、暗い視線を私に投げかけます。
「そこで、この発言だ。国民のフラストレーションの矛先が一気に貴族へと集中してしまった」
「彼女の責任ではありません!」
王子は叫ぶような強い気持ちで、国王陛下に言います。
私は、お父様の言った「辛い話」の意味が分かったような気がしました。
「このまま放っておけば、国をひっくり返そうとする輩の追い風になるやもしれん。ミメよ、国民を無視しては国は成り立たんのだぞ」
国王陛下は、教えるように王子を諭しました。
そして、冷たく言い放ちます。
「決定事項だ」
王子は「分かりました」と小さく呟くと、苦虫を噛み潰したような顔をして、私の前へと歩いてきました。
「……すまない、マリーア。君との婚約は一旦解消しなければならない」
ああ。何ということでしょう。
こんな事で、王子との仲を引き裂かれることになるなんて。
国王陛下と王子のやりとりで、何となく分かりました。
私が無実を証明しようが、どれだけ弁明をしようが、意味がないのです。
国民の不満が王政へと向かう前に、槍玉にあげられた私を切り離さなければならないということなのです。
スケープゴート。
そんな言葉が頭をよぎりました。
それでも、ミメ王子は婚約解消の言葉の中で「一旦」に力を込めていました。
これで終わりではないんだと言う、強い意志が垣間見えました。
ミメ王子が両手を広げました。私はその胸に吸い込まれるように抱きつきました。
「申し訳ない。分かってくれ」
王子は私の頭を撫でながら、謝ります。
私は、この温もりを忘れないよう、しっかりと王子を抱き締めました。
「うっ、くっ……」
王子がその辛さを我慢できずに、声が漏れます。
私たちの様子を見て、国王陛下が私に声をかけました。
「世間が忘れるまで、家で籠もっているのが良いだろう」
私は深々と一礼して、応接室を出ていきました。
ミメ王子は、私を見送った後、力が抜けたようにへたり込みました。そして、喘ぐように国王陛下に言います。
「マリーアの抱擁をご覧になったでしょう。彼女は素晴らしい女性です」
国王陛下は、王子を心配しながらも努めて冷静に言葉を選びます。
「彼女の資質を疑ってはいない。ただ……ただ時代が悪かったのだよ」
「私はまだ諦めておりません」
王子はそう言い残し、側近に肩を借りて出て行きました。
***
私は帰りの馬車の中で、うつむいておりました。
これまで二人で積み重ねてきた時間が、走馬灯のように蘇ります。
舞踏会やパーティ、花畑での食事会、狐狩りや鹿狩り、観劇や武道大会。全て良い思い出です。
それなのに……
でも、凹んでばかりも居られません。国王陛下からは、自宅謹慎するように言われました。だからこそ、家の中でできることを考えなければ。
あれもしたい、これもしたい。そんな事を考えているだけで、少し楽しくなってきました。
ところがです。
我が家の前の通りには、とんでもない群衆ができていました。
「こりゃあ無理だ、お嬢様。勝手口に向かいますよ」
御者は、馬車を家の裏へと回しました。
勝手口では、お父様が青ざめた顔で待っていました。
「ただいま戻りました」
「お帰り。ああ……マリーアが元気そうで良かった」
お父様は私の笑顔を見て、安心したようでした。
「表の騒ぎは何なんです?」
私の問いには、ジャン=ジャックルが答えました。
「それが……お嬢様が、王妃候補として相応しくないという国民が押しかけておりまして……」
「なんだそんなことですか。それならもう大丈夫ですわ」
あっけらかんとしている私を見て、お父様が訝しみます。
「もう大丈夫? どういうことだ?」
「先程、王子様から婚約の破棄を伝えられました」
「は? ……な、何だと!?」
「はい。ですから、婚約の破棄です。私はもう王妃候補ではありません」
それを聞いたお父様は、一瞬で痩せこけてしまったように見えました。
「想定していた中でも最悪の事態だ……」
お父様がよろめいたので、ジャン=ジャックルがお父様を支えて寝室へと連れて行きました。
メイド長は私を心配して、優しく声を掛けてくれました。
「お嬢様は平気なのですか?」
「もちろん、全く平気という訳ではありません。ですが、この身一つさえあれば、どんな状況でも、きっと何とかなりますわ」
それに、ミメ王子も私の事を信じてくれています。
「お嬢様は、本当にお強いですね」
メイド長が呆れたような、そしてどこか憧れるような目付きで呟きました。
***
さらに十日が経ちました。でも、我が家の前で抗議する人たちは後を絶ちません。
私は部屋の窓から、隠れるようにして外を眺めます。
彼らは暇なのでしょうか。
戦争と干ばつで、生活が困窮している人々がいることは知っています。そのために、彼らは日がな一日あそこに立って声を上げているのです。
しかし、本当に困窮する人たちのためならば、彼らには他にやるべきことがあるのではないでしょうか。
「マリーア、ちょっと来てくれ」
その時、お父様に呼ばれました。
私は床にケトルを置いて、お父様についていきます。この数日で、お父様の背中は小さくなったような気がします。
一番広い部屋には、クヤック家の各分家の当主が集まっていました。大事な会議をしていたのです。
お父様が、私に頭を下げました。
これは、絶対に良くない。良くない知らせです。
「すまない、マリーア……。クヤック家の名誉のために、お前を勘当しなければならなくなった」
その言葉は、苦渋に満ちていました。
「か、勘当……!?」
つまり、親子の縁を切るということ。私がクヤック家の一員ではなくなるという意味です。貴族の地位を捨てろと言われたのです。
私は軽い目眩を感じました。まさかこんなことにまでなるなんて。
分家の一つ、マッキー家の当主が立ち上がりました。私の顔を見て、本当に申し訳なさそうに頭を下げます。
「このままマリーア殿がクヤック家に残ると、名門の家名に傷がついてしまう。どうか、分かって欲しい」
その他の当主も立ち上がり、全員が私の方を向いて、頭を下げました。
「すまない……」
大の大人が揃いも揃って、私のような小娘一人に頭を下げる。
いくら私でも、これが異常事態であることがすぐに飲み込めました。
「マリーア様!」
当主の後ろに控えていたママッキー家の令嬢リトリーが、私に駆け寄ります。
昨夜からずっと泣いているのでしょう。目が真っ赤に腫れ上がっていました。
「……ごめんなさい。私がお茶会を提案したせいで」
「良いのよ、リトリー。あなたが悪い訳ではないわ。もちろん、ここにいる誰一人、あなたと私が悪いとは思っていないはずよ」
「ああ……、マリーア様。私ができる事なら何でもしますわ」
私は、リトリーを優しく抱きしめました。
外にいる群衆が、いつ暴徒と化すか分かりません。私の命を狙ってくるならまだしも、リトリーを傷つけさせる訳にはいきません。
私一人が耐えれば……。
思わず腕に力が入ります。
「うっ……くっ……」
私の胸の中で、リトリーはさめざめと泣きはじめました。私が手を離すと、フラフラと当主の元へ戻りました。
お父様が辛そうに声を絞り出します。
「遠縁にはなるが、カナイドの領主にお前のことを頼むことにした。あそこなら王都の情報が入るのはかなり遅い。マリーアも静かに暮らすことができるだろう」
私は、お父様たちがそこまで考えてくださったことに感激すら覚えました。
ですが、これを受け入れるということは、マリーア・ユミア・クヤックではなくなるということ。私はただの一国民になります。
私がここで拒否したところで、外に出られるまでの期間が長くなるだけ。もしかしたら一生を部屋の中で過ごすことになるかもしれません。そんな事、私には耐えられません。
どうあっても、これは受け入れるしかない運命なのです。
私は膝を折り、深く頭を垂れました。
「分かりました」
***
王都から遥か遠く離れた小さな都市、カナイド。
都市というより、少し大きな村です。ここは穀倉地帯で、刈り取った後の麦の畑が広がっていました。
干ばつのせいで、今年は収穫量が少なかったと聞いています。
確かに、こぼれ種から生えるはずの若麦や雑草の緑が目に見えて少ない気がします。
「土の水分が少ないのね」
「左様にございます、お嬢様」
ジャン=ジャックルが私の後ろを付いてきます。
「私はもう、お嬢様ではありませんわ。あなたまでついてこなくてもよかったのに」
「いいえ、お嬢様。私にとって、お嬢様はいつまでもお嬢様です」
そう言って、シワだらけの顔で笑います。
「私には、あなたとあなたの家族を養うだけの財力はありません」
「安心してください。旦那様がお許しくださったのです」
つまり、お父様がジャン=ジャックルの家族の面倒も見てくださるということ。私は、お父様の深い愛情に感謝しました。
私たちは、カナイドの領主であるジンコ様のお屋敷に向かっていました。
道中で見かけた人々には生気がありません。町には活気がなく、灰色に包まれているようでした。
こんな辺境に近い町にも、戦争の影響が出ていることがひしひしと伝わります。
到着したジンコ邸は、高い壁と柵に囲まれ、壁の向こうには沢山の蔵が並んでいました。
それを警護しているのは、王都の兵士です。
私もジャン=ジャックルも違和感を覚えました。領主の邸宅とはいえ、私邸です。国の兵士が守る義務があるでしょうか?
そんなことを考えながら敷地を進み、邸宅の扉の前で、ジンコ様が出迎えてくれました。
「ようこそカナイドへ」
「ボージャ・クブ・ジンコ様、はじめまして。マリーアと申します」
私は膝を折って、丁寧にご挨拶しました。
ジンコ様は「玄関先ですまない」と前置きし、立ったままで話を進められました。
「マリーアさんが元お妃候補とはいえ、今はただの一平民。特別扱いするわけにはいかないのです。ご理解ください」
屋敷の中にすら通されないなんて。
今まで貴族として当たり前だと思っていたことが、通じない現実を思い知らされました。
「ここは辺境の地です。あなたを知る民はおりません。王都のようなことは起きませんので、安心してお暮らしください」
そこの点については、ホッとしました。誰にも迷惑を掛けることはなさそうです。
「さて、お父上と約束していた家が確保できなくなりまして。少し離れた場所で古い建物になるんですが、構いませんよね」
無理をお願いするわけにもいきません。私はもう平民なのです。
「……よろしくお願いいたします」
「では、使用人に案内させましょう」
案内されたのは、一時間ほど歩いた町外れ。森の手前にある掘っ立て小屋でした。
焦げた匂いがぷーんと鼻をつきます。どうやら炭焼き小屋のようです。
「こ、こんなものは家ではない!」
ジャン=ジャックルの目が怒りに燃えます。
「俺はここへ案内するよう言われただけだ。何も知らねえ」
使用人は逃げるように帰って行きました。
「待ちなさい!」
「良いのよ、ジャン=ジャックル。もう日が暮れるわ」
「しかし、お嬢様……」
追いかけようとする彼を制します。
野宿する事を思えば、屋根と壁、そして鍵のついた扉があるだけでも良しと考えなければ。
「それに、この家にも他にはない素晴らしいところがありますわ。ほら素敵な暖炉が」
私が炭焼きの窯を指差すと、ジャン=ジャックルが笑いました。
「さすが、お嬢様」
「この家も、少しずつ手直ししていけばいいですわ」
「分かりました。では真っ暗になる前にベッドメイキングをいたしましょう」
ジャン=ジャックルが、持ってきた鞄から大量の服を取り出しました。それを布団代わりになるように、低いテーブルの上へと並べ始めました。
「でも、なぜ炭焼き小屋が空き家になるのかしら?」
「ここには木挽のための鋸がありません。鉄の供出に出したのでしょう。木を切り出せなくなって廃業したのかもしれません」
戦争のために、軍は慢性的な鉄不足。国民には鉄の供出が求められています。農具や調理器具まで持って行かれたという話も聞きました。
「そう……これが国民の現実なのね」
今日一日、本当に疲れました。
私たちは簡単な食事をとった後、すぐに眠りにつきました。
***
ここに住み始めて十日。
質素ながら家具や道具を買い揃え、カーペットを敷きました。
二人が住むには少し手狭ですが、少しずつ住み心地の良い空間が出来あがってきました。
王子からのお手紙も何度か届きました。
渡り鳥が飛んできたことや大物の鹿を仕留めたといった、王子の日常が書かれていました。
いつも最後は私への愛の言葉で締められています。
王都の様子について書かれていないのは、私を心配させまいとする王子の優しさでしょう。
しかし、父からの手紙で、私は知っていました。あれから、王都では国民の非難が収束し始めていること。それでもまだ王家や貴族に対する不満が燻っていること。
そして、王子が隣国の姫と婚約するという話が進んでいるということ。
間違いなく講和のため。政略結婚です。
ミメ王子の手紙には、そのことは一切触れられていません。私を心配させないためなのでしょう。
私が婚約破棄を受けた時には、もうこの話は進んでいたのでしょうか。
王子がどう思っているのか……彼の声が聞きたい。
私は王子からの手紙を大事に大事に鞄の一番下にしまいました。
その時です。
「マリーア!」
家の外で私の名を呼び付ける声がします。
外に出ると、領主の使用人が、兵士を連れてやってきました。
「うちの領民になったからには、税を払ってもらわないとなりません」
「そんな……」
「二人分の人頭税と、ここの土地税、物件税と……」
使用人が税額を足し合わせていくにつれ、ジャン=ジャックルの顔色が青ざめていきます。
「とても、今の手持ちのお金で払い切れる額ではありません」
「転入者は三年間分をまとめて支払ってもらうのが、カナイドのやり方なんで」
「そんな横暴なっ!」
「じゃあ、物品を差し押さえさせてもらおうか」
使用人が兵士に指示を出すと、彼らは私たちの家に押し入りました。
「やめてください!」
制止を無視して、部屋の中を漁り始めます。
化粧品やドレス、わずかばかりの宝石。それを見つけた彼らは、大喜びで袋に詰めていきます。
兵士の一人が、私の鞄を引きずり出してきました。
「かなり重いぞ、お宝が入っているんじゃないのか?」
「私の許可なしに、勝手に開けないでくださいませ」
彼らに私の悲痛な声は届きません。兵士たちは「平民が王都の兵士に逆らうんじゃない」と言って笑います。
彼らの中には、私が元貴族だと知っている者がいるのかもしれません。
「おいおい、ケトルがあるじゃないか。戦争で鉄が不足しているんだ、早速供出してもらわなければ」
私が王都から持ってきた愛用のケトルでした。その下には王子からのお手紙がしまってあります。
「それはダメです!」
私が兵士を押し除けるようにカバンを押さえ込みます。
「そんなに高価な物なのか?」
「あなたたちが袋に入れた物で、税金は事足りるでしょう?」
少なくとも彼らの提示した税金の倍の価値があるはずです。しかし、今の私たちにその価値を証明する手段がありません。
一人の兵士が嫌な笑みをたたえて私を見下ろします。
「これからも税金を納めなくちゃならないんだぜ。あんたも金を稼がないとな。娼婦でもやるかい? 高く買うぜ」
さすがに今の言葉は許せませんでした。
私は思いっ切り、兵士の頬に平手を打ち付けました。
「ぐぅっ」
「とんだ跳ねっ返り娘だ。怖い怖い」
彼らは倒れた兵士を連れて帰って行きました。
私の足元には、頬当ての歪んだ兜が落ちていました。
「忘れ物よっ」
私は彼らに兜を蹴りつけてやりました。
誰かに当たったようです。遠くから金属のぶつかる音と、悲鳴が聞こえました。
「あの兜でも、もらっておけば生活の足しになりましたのに」
ジャン=ジャックルがため息を吐きます。
「いくら平民になったからといって、そんな浅ましいことはするつもりはございません」
「ですが、お嬢様。ほとんどの財産を持っていかれました。私たちには、もう何も残っていません」
「何を言っているのですか、まだ私たちには、この体があります。体を動かせば、未来は切り拓けます」
袖をまくって、私なりの力こぶを見せました。
彼は疲れた顔で笑います。
「本当に頼もしいですな」
***
私たちは生活のために仕事を始め、十日ほどが経ちました。はじめは、ご近所の人々のお手伝い程度から。小娘と老人ですが、できることは何でもやりました。
裁縫、荷物運び、洗濯、道路整備、掃除、狩りの補助。
二人で手分けをして、いろいろな仕事をしました。
おかげで、多くの町の皆さんと知り合い、仲良くなることができました。
今日は仕事終わりに、井戸端会議へ誘われました。立ち話ではありますが、お茶会のように様々なお話が聞けて面白いです。
「この人は王都からきた人だから、もっととっつきにくい人だと思ってたよ」
パン屋の女将さんは、何かと私たちの面倒をみてくださるようになりました。
「美人さんなのに気取ってないし、よく働くし、旦那も褒めてたわ」
大工棟梁の奥方も、私たちを認めてくれ、いろいろな仕事を回してくれます。
「あんたたちのおかげで、畑を耕すのが早くなったし、こんな嬉しいことはないね」
今日仕事をさせてもらった農家のマダムたちからも好評をいただきました。
「鍬を取り上げられてから、全然耕せなくて、困ってたんだ」
「金槌を供出させられて、旦那も仕事ができんとぼやいているよ」
「うちも小麦が手に入らなくて、この数日パンを焼いてないわ」
話題は、彼らの生活苦に移ります。お茶会では聞けない、国民の生の声が聞けました。
彼らは、私の素性を知りません。知っていたら、こんな話は聞かせてもらえなかったでしょう。
「溜池でもあれば、干ばつもここまで酷くはならなかったのに」
「毎年領主様に要望しているんだけどねえ」
「あれだけ税金として持っていくんだから、溜池工事のために使って欲しいわ」
「知ってる? あの領主、麦を買い占めてるらしいよ。王都で高く売れるんだって……」
その時、兵士が角を曲がってきました。
「あら、そろそろ夕飯の準備をしなくちゃ、またよろしくね、マリーアちゃん」
井戸端会議は解散となりました。
私が家に戻ると、ジャン=ジャックルは指先を包帯で巻いていました。
「どうしたのですか?」
「裁縫や洗濯といった仕事には、慣れるまでなかなかに苦労しております」
「ごめんなさい。あなたまで働かせてしまって」
「構いませんよ。お嬢様こそ、大変なお仕事でお疲れではありませんか?」
「このくらい、なんともありません」
「そうですか……でも無理はされませんように」
その時、私のお腹が鳴ってしまいました。
ジャン=ジャックルには聞こえていないといいけれど……
「お嬢様、夕食の準備はもうできております」
「ふふふっ、ジャン=ジャックルには敵いませんわね」
***
十日もすると、いよいよ食料不足が深刻になります。明日食べるパンすらありません。
私たちは、今日捕まえた鹿をお世話になっている皆さんにお裾分けすることにしました。
人が人を呼び、私たちの家の周りには多くの民が集まっていました。
猟師の親方が、解体から燻製にするまでを手伝ってくれました。炭焼き窯から出てきた鹿肉の燻製を見て、みんなから拍手が沸き起こりました。
「本当に助かるよ。肉なんて久し振りだ」
「子どもも喜ぶわ」
「肉を食えば力が出る」
皆さんに喜んでもらえて、本当に嬉しい限りです。
肉を食べて、人々には活力が戻ってきたようです。
「しかし、こんな大きな鹿を二頭もよく捕まえたねぇ」
「狐狩りや鹿狩りをよくやっていましたので」
「まるで、貴族みたいなこと言うわね」
私はその言葉にドキッとしました。元貴族であることを隠す必要はないのだけれど、これまでの皆さんとの関係が壊れるのはどうしても避けたいのです。
「何言ってんだ。貴族の鹿狩りなんて、沢山の人や犬で囲んで、剣や槍でトドメを刺すんだ。マリーアちゃん一人にできるわけがない」
猟師の親方がそう言うので、みんな納得してくれました。
私は否定も肯定もせず黙っておりました。
「今日明日はこれで何とかなるが、この先どうなることか……」
「このままでは、飢え死にしてしまう」
「領主様の家の蔵には、麦がたんまりとあるのにな」
だんだん、皆さんの言葉に力が入ってきました。
「蔵を開けて貰うようにお願いに行こう」
「どうせ、兵士に門前払いされるだけだ」
「町のみんなを集めるんだ。沢山の人が集まれば、領主様……いや、ジンコも無視はできまい」
たんぱく質の摂取が、彼らにやる気を与えたのです。
「領民の食料を独占するなんて、領主の風上にも置けませんわ」
私がそう呟くと、人々は各々に叫び始めました。
「よし行こう! みんなを呼べ! ジンコの家を囲むんだ!」
止めようとする者は誰一人いませんでした。みんな限界だったのです。
私とジャン=ジャックルも、彼らの後ろをついて行きました。
ジンコの邸宅に着く頃には、町中の人々が集まりました。男も女も老いも若きも関係ありません。ジンコの家の壁を囲んで、「食料を出せ」とまくし立て、持ち寄った木の棒や板で壁を叩きます。
兵士たちが何事かと門から出てきました。
「ここにある食料を出せ!」
「ジンコが溜め込んでいるのを知っているぞ」
「もう俺たちは耐えられない!」
騒ぎ立てる町の人々の前に、一人の兵士が立ちはだかります。
彼の鎧には三ツ星の星章が付いています。兵士長といった立場でしょうか。
「うるさい」
兵士長は腰の剣を引き抜くと、先頭の人が持っていた棒を真っ二つに斬りました。
「すぐに帰れ。帰らなければ、次に真っ二つになるのはお前だ」
兵士長は切っ先を突きつけます。
私は我慢ができずに、前へと進み出ました。
「なぜ、王都の兵士が国民に刃を向けるのですか?」
「我々は貴族だ。我々に従わない平民を数人斬ったところで、何の問題もあるまい」
兵士長は薄ら笑いを浮かべました。
そういうことですか。貴族の子息が、軍に参加したと箔をつけるために、安全な田舎で警備をやっているのですね。
しかも、領主と結託して、本来守るべき人々を虐げている。
「自国民に手を出す兵など、わが国の兵士ではありません。貴族なら尚更のことです」
「なっ!」
「あなたたちは前線へ行くのが怖い、腰抜けということですわね」
私の強い言葉に、兵士長の目が怒りに燃えます。
「何を!?」
兵士長が私の頭に向かって、剣を振り下ろしました。
私はスウェーバックで切っ先を避けます。
「そんな、甘い剣なんて当たりませんわ」
怒りに任せた直接的な剣の軌道なんて、簡単に読めます。
彼が二度、三度と剣を振りますが、この程度なら、ウェービングで避けることができます。
「ええい、ちょこまかと!」
私と兵士長のやりとりを見た町の人々から声が上がります。
人々に勢いが生まれてきました。
「いいぞ、嬢ちゃん!」
「へなちょこ兵士!」
兵士長は焦りを隠すために、声を抑えて冷静を装います。
「はっ、お前がどれだけ避けても、この鎧がある限り、我々に勝つことはできん。帰れ帰れ!」
それは虚勢ではありません。木の棒では彼らにダメージを与えることはできないでしょう。
しかし、町の人々も引きません。ここで引けば、何も変わらない。苦しい生活が続くだけだと分かっているからです。
「その鎧は、私たちの鍬や鍋の鉄を使っているんだろうが!」
「そうだ、そうだ!」
「鉄を返せ! 道具を返せ!」
町の人々がどれだけ声を上げても、鉄の剣を構え、鉄の鎧で身を守る兵士たちは平気な顔をしています。
「フライパンの一つでもあれば、お前たちをぶん殴ってやるのに」
主婦の一人が悔しそうに呻きます。
「そんな物なくても、自分を鍛えれば武器になるのです」
私はバックステップで半歩下がります。
「「え?」」
兵士たちは私の言葉がすぐには理解できないようでした。
私は、その隙を見逃しませんでした。
「鍋がないなら、レベルを上げて素手で殴ればいいじゃない!」
私は、そう言うが早いか一歩踏み込み、兵士長の顔をぶん殴りました。
「な……」
兜が吹き飛び、鎧がぶつかる音を立て、兵士長が崩れ落ちます。
「自分の筋肉は裏切りませんわ。体を鍛えてレベルを上げれば、いざという時、そして常日頃の自信につながります」
兵士長の隣にいた兵士にも、一発をお見舞いします。相手の意識を刈り取るように、あごを狙います。
彼は声をあげる間もなく、倒れ込みました。
「鹿を仕留めるよりも簡単ですわ」
驚きで動きを止めた兵士たちなんて、サンドバッグが並んでいるようにしか見えません。
攻撃も防御も、歩みが止まってはいけません。歩み足が大事なのです。
背の高い兵士はキックで体勢を崩してから顔面を、盾を持っている兵士には、ステップで後ろに周りこんでから延髄を攻撃します。
あっという間に十個の鎧が地面に転がりました。
「徒手空拳のお作法は、淑女の嗜みですから」
後ろの方で、ジャン=ジャックルが深く頷きました。
「あ……あいつの顔、知ってるぞ!」
一人の兵士が叫びました。
「王都の武道大会で三連覇したマリーアだ。鋼鉄のマリーア! マリーア・ユミア・クヤック!」
その名を聞いて、兵士たちがざわつきます。私の顔は知らなくても、名前は知っている方が多いようですね。
「マリーアって王妃候補だろ? なんで、こんな田舎にいるんだ!?」
「知るかっ! とにかく逃げろ、殺されるぞ」
兵士たちは散り散りに逃げていきました。平民の抗議に恐れをなして逃げ出したと知られたら、貴族としてやっていけないのでは……?
そんな心配、いらぬお世話ですわね。
町の人々が門を押し開き、壁の内側へとなだれ込みます。
「蔵を開けろ、鍵を探せ」
「ジンコ、出てこい!」
屋敷の中へ人々が殺到していきます。
しかし。
「うわぁ」
「ぎゃっ!」
玄関から人々が放り出されます。
続けて、体の大きな男が出てきました。彼が人を投げ飛ばしたのでしょう。それだけの筋肉量があることが、見ただけで分かります。
「……」
無言で人々を睨みつける男。おそらく用心棒でしょう。
ジンコと使用人がその後ろで笑っていました。
「平民どもが恐れおののく姿を間近で見てやろう」
これだけの人が押しかけているのに、彼らが余裕を見せているということは、彼が相当に腕が立つ用心棒だということなのでしょう。
人々が彼を遠巻きに囲みます。私は人々をかき分け、彼の前に進み出ました。
「元貴族のマリーアじゃないか。わざわざ殺されに出てきたのか?」
ジンコが厭味ったらしく声を掛けてきます。
「……」
用心棒は私の顔を一瞥すると、無視して歩き始めました。
舐められたものです。私は、彼の弁慶の泣き所に、ローキックをお見舞いしてやりました。
「っ!」
まるで巨木を蹴ったような感覚。姿勢を崩す事すらできません。かなりしっかりと鍛え上げられた肉体です。筋肉だけなら、称賛に値します。
彼も私の蹴りの威力に気付いたようです。腕を振りかぶって拳を打ち込んできました。
でも、そんなテレフォンパンチ、私に当たる訳がありません。
「背中がガラ空きですわ」
私は用心棒の背後に回り込み、彼を抱き締めました。もちろん、王子やリトリーと交わすような愛ある抱擁ではありません。ベアハッグです。
人は、この技をマリーア・ブリーカーと呼びます。
正面からのベアハッグは反撃を受けるので危険です。
彼のような巨体であれば、背後への攻撃は苦手なはず。
そして、こうして持ち上げてしまえば……
「!?」
彼のつま先が宙に浮きます。
踏ん張ることが出来なくなれば、体をよじって攻撃することもできなくなります。
「……っく……があっ」
少しずつ腕に力を込めていきます。
肋骨がミシミシと音を立て、用心棒から苦悶の声が響いてきました。
あと少し。
「う、嘘だろ」
ジンコの驚愕の声が漏れると同時に、用心棒が泡を吹きました。
彼をそっと降ろすと、その肉体は、そのまま地面に倒れ込みました。
「ふうっ。次はあなたですわ。ボージャ・クブ・ジンコ様」
スカートの裾を持って膝を折り、ジンコに丁寧すぎる挨拶と笑顔を見せます。
ジンコは後ずさり、腰を抜かしてへたり込みました。
「あ、ああ……」
町の人々がジンコを取り囲みます。
後は皆様に任せておけば大丈夫でしょう。
「蔵の鍵を出せ」
「か、鍵はない。使用人が持って逃げた」
そう言えば、いつの間にか使用人が居なくなっていました。
「お嬢様、これを!」
ジャン=ジャックルが、背負っていたカバンを地面に置きます。ドスンという低い音が響きました。
「さすが、ジャン=ジャックル。もう、鍵なんて必要ありませんわ」
私はカバンを開け、愛用のケトルを取り出しました。重さが十歳の子どもくらいあるトレーニング用のケトルベルです。
片手でケトルを持ち上げ、蔵の前に立つと思いっきり振り回します。そして、勢いをつけて扉にぶつけました。ドゴンと大きな音を立て、鉄の扉がぐにゃりと曲がりました。
「やった!」
「さすが、マリーアさん」
人々が扉の隙間から蔵の中へと入っていきます。これで一安心。食料は大丈夫でしょう。
体を作るには、食事が重要です。筋肉を育ててレベルを上げるには、十分な栄養が大切なのです。
「な……無い。蔵に何もない!」
人々が青い顔をして蔵から出てきました。
それを見たジンコが、大声で笑います。
「ハハハハハ、もう食料は全て王都に売ってしまった。金ならあるぞ。ワシを助けた奴には金をやろう」
私はツカツカとジンコに歩み寄ります。彼は顔を引きつらせ、情けない表情になりました。
「マリーア……いや、マリーア様。あなたは、『お菓子を食べればいいじゃない』と言ったお嬢様だ。ワシと同じだ! そうだろ!?」
私は首を横に振ります。
「私が世間知らずであったことは間違いありません。……でも、平民となって、国民の苦しみを実感することができました」
私は遠く王都に思いを馳せながら、ここに集まった領民を見渡します。
「今なら心から言えます。領民を守るのが領主、国民を守るのが貴族の役目なのです!」
バチン!
平手で彼の頬を叩きました。ジンコが「がっ」と唸ると、その口から奥歯が一つ飛び出しました。
彼は痛みと悲しみで泣き始めました。
人々に絶望の感情が広がっていきます。
「泣きたいのはこっちだよ」
「ここにも食べ物がないなんて」
「もうダメだ……」
さっきまでの勢いがなくなり、暗い雰囲気に包まれました。
私には、もうできることがありません。どうしたら良いのでしょうか。
「マリーア様っ」
その時、懐かしい声が私を呼びました。
振り返ると、門の外に馬車が止まっていました。その後ろに大量の荷車を引き連れて。
馬車から降りてきたのはリトリー・マッキーです。
「リトリー!」
私が駆け出して、リトリーにハグしようとすると、彼女は全力で身を躱しました。
「マリーア様、お助けに参りました」
「どうしてここへ?」
「マリーア様のお父上から、カナイドの食料事情が厳しいとお聞きしていたのです。」
私がお父様への手紙に書いたことです。
「それなのに、先日から王都にカナイド産の食料が大量に流通しはじめたのです。私、これはおかしいと思いました」
そして、リトリーが荷車を覆っていたカバーを取り去ります。そこには、麦、果物、野菜、干し肉。沢山の食料がありました。
「そこで、私ができることを考えました。マリーア様に、そしてカナイドに食料を持ってくることです」
人々から大きな歓声が上がります。
「ああ、リトリー。なんて賢い子なのかしら」
「いいえ。農業をおろそかにする国に、未来がないと教えてくれたのは、マリーア様ですわ」
「そうだったかしら?」
私とリトリーは笑いました。
人々も満開の笑顔で荷車の食料を分けています。
その様子を見て、私はホッとしました。
その時です。
「あれを見ろ。兵士たちが戻ってきたんだ!」
羊飼いの青年が指差した先には、王都軍の旗を翻して進む兵士の隊列が見えました。
「王都軍だ。こっちに向かってきてる」
それを聞いて、ジンコが喜び始めました。
「ハハハハハ! 使用人を走らせて正解だった。もう軍隊が来てくれるとはな。領主を襲撃したお前たちは罰せられるぞ。死罪確定だ」
人々がザワザワとし始めました。不安の声も上がります。
隊列の統率された動きは、領主の邸宅を警備していた兵士たちと明らかに違ったのです。
「ヤバいよ。すごい数の兵隊だ」
「俺たちみんな殺されてしまうんだ」
私は、慌て始めた人々の前に駆け出しました。その勢いのまま、馬車の上に飛びあがります。
「皆様、大丈夫ですわ。落ち着いて」
できるだけ大きな声で、皆様に届くように叫びました。
人々の視線が私に集まり、混乱が収まっていきます。
「安心してください。あの方は王子です」
そうです。隊列の先頭を行く馬に乗っているのは王子。ミメ王子なのです!
私は心が潤うのを感じました。
王子の馬が、人々の前に駆け寄ってきました。
私は馬車から降りて、深く頭を下げます。周りの人たちも、私に倣って頭を下げました。
「王子様! お助けください!」
そう叫びながら、ジンコが駆け出して王子の足元へと進みます。
護衛が王子の前を守り、ジンコを足止めしました。
「こいつら平民が、暴動を起こしました。マリーアが……こいつが首謀者です!」
ジンコが振り向いて私を指差します。その顔に嫌な笑みを浮かべて。
そうです、彼はここの領主。多くの平民が領主の邸宅に押しかけている今のこの状況は、暴動以外の何物でもありません。
王子は背筋を伸ばしたまま、努めて冷たい声で言いました。
「そうか。暴動であるならば、私はこれを収めなければならない」
「そうです、王子様。あの女を処罰して、ワシのカナイドを取り戻してください」
そうでした。もう私は王子の婚約者ではありません。一平民なのです。暴動の首謀者となれば、私は間違いなく処分されるでしょう。
王子は、まだ私の顔を見てくださいません。わざとこちらを見ないようにしておられます。
私が逆賊として処分されれば、王子も気兼ねなく隣国の姫と婚約ができるのでしょう。
私は、初めて悲しくなりました。
もし処分されるなら、王子の手で。そんな考えが頭を過ぎります。
王子は、ジンコに優しく語りかけます。
「だが、お前を断罪すれば、すぐにでも暴動が収まるだろう」
「は?」
王子の言葉を理解できていないジンコの前に、縄で縛られた使用人が連れてこられました。
「お前の悪行、知らないとでも思ったか」
王子の合図で、ジンコはあっという間に縄で縛りあげられました。その目は点になったままです。
王子は声を張り上げました。
「これから、ボージャ・クブ・ジンコの断罪を行う。ここに集まった善意の民衆よ。ジンコの悪行を教えてくれ!」
すると、人々から様々な声が上がりました。
「食料の独占」「法定外の重税」「要望の無視」「兵士の私物化」「税金の流用」「……」「……」
悪行の糾弾はなかなか終わりません。王子が頃合いを見て手を挙げます。
「ありがとう、皆さん。彼はカナイドの領主として相応しくないようだ。」
ジンコがみるみる青ざめていきます。
「彼は領主として道を外していたようだ。処刑しなければならない。さて、国民よ。刑の執行者として相応しいのは誰か?」
王子がさらに人々に問いかけます。
「マリーアちゃんだ」「マリーアよ」「マリーア!」
皆様から「マリーア」の大合唱が沸き起こりました。
王子が、初めて私の顔を見ました。
「マリーア、お願いできるかな」
「はい」
私は、ミメ王子から「マリーア」と呼んでいただけたことに、何よりも一番の喜びを感じました。
やはり、王子は私を信じてくださっていたのです。
ジンコが悲痛な声を出します。
「何を言っているのですか、王子! そいつは平民どもを扇動して、暴動を主導した上に、王都の兵士たち相手に暴れに暴れた女ですぞ!」
「そうだった。ここに赴任されていた兵士たちも処分しなければならんな」
王子が側近にそう命じました。
私は、ジンコの両足を掴んで力を込めます。
「あなたは領主失格です」
そのまま、彼の体をぶん回します。ケトルベル三個分といったところでしょうか。ちょうど良い重さです。
回転による遠心力で、彼の体が浮き上がりました。ジャイアントスイングです。
どんどん回転のギアを上げていきます。
「あなたは、このカナイドの地に、相応しく、ありま、せんっ!」
十分な勢いを付けてから手を離しますと、ジンコは壁を越えて飛んでいきました。
人々から大きな歓声が上がります。
「やったー」
「マリーア万歳!」
「最高だぁ」
皆様の笑顔を見て、私は心から嬉しいと思いました。
ミメ王子が馬から降りて、私の隣にやってきました。
「すまない、マリーア。軍隊を連れてくるのに手間取って、少し遅くなってしまった。私よりもリトリー嬢のほうが、早くて的確な対応だったかもしれんな」
「いいえ、そんなことはありません。王子ができることと、リトリーができることは違います。王子もリトリーも、それぞれに最高ですわ!」
私は王子にお礼を言いました。
「マリーア、あなたがカナイドの新しい領主になればいいんだよ」
パン屋の女将が思いつきを口にしました。すると、周囲から沢山の賛成の声が上がります。
「そうだそうだ、それがいい」
「新領主様の誕生だ!」
喜ぶ民衆に向けて、王子は叫びました。
「残念だが彼女は領主にならない!」
その声に驚いた人々は、騒ぐのをやめました。
「彼女は、この国の王妃となるのだ。このミメ・ウルワ・シォーケの妻としてな」
「でも、隣国の姫と婚約されるのでは……」
「政略結婚などしなくても講和はできる。だが、結婚には愛がなければならない」
「ミメ王子!」
私は人目をはばからず、王子に抱きつきました。
こんなに私を愛してくれた人。今までの気持ちを込めて抱擁をいたしました。
思わず両腕に力が入ります。
「うぐっ、ぐっ……そう、これこれ。絞まる……見事な筋肉……だ……」
王子はうっとりとした顔をしたまま、気絶しました。
ジャン=ジャックルは、私たちの様子を温かい目で見守っておりました。
***
晩年、ジャン=ジャックルは自伝にこう綴った。
『非常に身分の高い女性が「パンがないなら、レベルを上げて素手で殴ればいいじゃない!」と叫んだことを思い出す。この言葉が、この国の意識を変えた。結果、戦争を終わらせたのだ』
救国の王妃マリーア・ユミア・シォーケ付き執事 ジャン=ジャックル・ソウ




