06
「神様って、晴雨佐久毘古様ですか?」
清一から聞かれ、小夜は兄にしがみついたまま「いえ」と否定した。
「主神様のような上位の神様方ではなく、もっと……神域から離れると姿も視えなくなるくらいの、まだ年若い神様だと思います。十日祭で言えば、数いる留守神様のお一人かと」
「その方が、一体どのような御用があってうちに憑いているのです?」
「稲葉屋様にではなく、孝昭様に、です」
皆が固唾をのむ中、事態を察した燈史郎が唸って頭を抱え込んだ。
「脚か」
「うん」
燈史郎の確認を、小夜は硬く肯定する。
「どういうことだ」
青褪めた清一の唇が震えた。
「孝昭の脚が動かないのは神様が原因だったってことか。なぜそんな悪霊のようなことを。どうして孝昭なんだ」
清一は呻いた。力ない背を葵がさすり、支える。
二人の後ろで真白な顔をしている孝昭を、小夜は気遣いながらも見据えた。
「神様のすることに悪意などありません。きっと、何かきっかけがあったはずです。脚が動かなくなる前、何かありませんでしたか?」
「そうは言われても……」
孝昭は戸惑いながら顔を振るった。代わりに答えたのは清一だ。
「……社の石階段でこけて、脇に並ぶ神使の像にぶつかったことがある。ちょうど四年前だ」
「まさか。兄さん、あの時は擦り剥いただけで、すぐに治ったじゃないか」
「だが、ちょうど四年前だろう。私のせいかもしれない。孝昭は躓きそうになった私を支えて、代わりにこけた」
清一の推察に「あり得なくはないな」と燈史郎は応じた。
「知らぬまに懐に入った石ころが、神様が乗っていたお車でそのまま迷子になったと聞いたことがある。こけた折にそういう何かを持ち帰ったのかもしれない」
「だけど、ついてきていたとして、孝昭様に憑いた神様が、ずっとここを離れたがらない理由は別にあるはずなの。きっとよほど心惹かれるものを見たはずなの」
「何かそう思う根拠があるのか?」
「癇癪を起こしたみたいだから。それに蛍がつくる影が好きみたいなの」
小夜が言うと、燈史郎は怪訝に眉を寄せた。小夜は兄に言い募る。
「動けなくなってずっと脚が痛かったと聞いたの。去年、清一様が持ち帰った御影提灯でそれが和らいだ。蛍の影譲りを見た後には、脚が動くようになった。たぶん、何かを見たかった神様はそれが叶わなくて癇癪を起こして脚を痛ませた。御影提灯は好みに添うものだったから、癇癪を治めた。影譲りは特に気に入ったのだと思う。今日も、仕込んだ影に合わせて、神様はずっと部屋の中で舞っている」
部屋に集った面々が、息をつめて辺りを見渡す。
木戸が開かれた部屋の中では、御影提灯の影はうすらとしか映らない。それでも風とは違った方向に、時折影が揺れていた。
「兎野の神様方は賑やかなものや新しいものが好き」
孝昭が張り詰めた空気を破り、静かに口を開く。
「そうでしたよね?」
確認してきた孝昭に、小夜と燈史郎は揃って頷いた。
「では、花火かもしれません」
孝昭が言うと、葵は「あ」と声をあげた。そのまま、ぱしぱしと清一の背を叩く。
「そうだ。そうだわ。あの日、朱谷川の方で花火大会がある予定だったじゃない。だけど、孝昭くんが怪我をしたから、大事をとってここで香炉に線香花火を立てたでしょう。ちょうど仕入れたのがあるからって、おじ様が出してくれたじゃない。すごく綺麗で、楽しかった。孝昭くんの具合が悪くなってからは、そんな機会はなかったはずだし」
「きっとそれですね。打ち上げ花火はともかく、社にいる神様が線香花火を見ることなんて、そうないでしょうから。気に入ったからまた見たくて待っているのに、見ることができなくて、その時と同じように孝昭様の脚を苛んだのだと思います」
「そんな勝手な」
小夜の推測に、清一が憤慨する。
「私はどうすればいいでしょうか」
理不尽を被ったはずの孝昭の声の方が、よほど凪いでいた。そこに温度がないように聞こえるのは、あまり期待をしていないからなのかもしれない。
小夜はちらと兄を見あげ、袖を引いた。
「お戻しした方がいいと思う。そろそろ不興を買う」
「不興ですか?」
孝昭が問う。燈史郎は渋い顔をした。
「ここにいる神様はもう四年もお役目をさぼっている。いくら神々の時間が長いとはいえ、皆々様のお叱りは避けられない……小夜はだめだ。帰った方がいい」
「だけど、兄さんは視えないじゃない」
「なんとかなる!」
「ならないよ!」
「えーっと……もしかして私たちも叱られる感じなの?」
兄妹の言い合いに、葵が遠慮がちに割って入る。
「誰かが連れて行かないといけないからな。正直、巻き込まれた時にどうなるかはわからない」
「なら、燈史郎たちは構わなくていい。これまでのこと悪かった。こちらに理由があるのなら、この先は稲葉屋の問題だ。私がどうにか連れていく方法を考える」
「待ってよ兄さん。当事者は私だよ。私に憑いているんだら、私が行かなくては」
「稲葉屋様には無理ですよ。これはうちの里の領分です!」
「そうだ。腕の一つなくなったとて、旅まわりの俺たちであれば、箔がついたと話の種にもなるけどな。お前らじゃ、そうはいかないだろう」
「腕がなくなるのですか?」
「例えばの話ですよ。もしかすると金が降る可能性もあります。すべて神様次第です」
「もし私にも不幸があったら、みなさん不憫に思って売り上げがあがるかもしれない。こっちだって、どうとでもなる」
小夜と燈史郎、孝昭に清一は、互いに譲らず睨み合う。
一人、様子見に徹していた葵が、急に身を乗り出し一向を見渡した。
「ね。明日の見送り行列に紛れ込ませたらいいんじゃないかしら。留守神様たちも朱毛浜まで見送りに出るというでしょう? ちょうど店の前の通りが通り道の一つだし。ほら。あたかも『初めからここにいましたよー!』みたいな。神様、聞こえてる? そうしない? 怒られるよりもいいでしょう? こっそり紛れちゃいましょうよ」
葵は天井に向かって陽気に呼びかける。名案とばかりに、にっこりと笑う葵は迷いがない。
小夜は呆気に取られた。
「葵様、それは……ばれると思います」
「ばれるだろうな」
「確かに出かける前の忙しい最中だったら、面倒になって後回しにするかもしれない……だろうか?」
「だとしたら、いいけど。私だったら余計に叱ってしまうと思う」
毒気が抜かれたように、睨み合っていた面々は顔を見合わせ力を抜いた。
「だけど、葵ちゃんの言う通り、戻すのなら見送りにも間に合わせた方がいいのは事実だな。留守神様の大事な仕事の一つだ」
「見送り行列なら心惹かれるものが多いし、お連れしやすいと思う。お戻しすれば、他の皆様が引き留めてくださるだろうし」
燈史郎に続き、小夜が葵の案に同意する。
「なら、やっぱり兄さんは来られないでしょう? 明日は社から神様を送り出す仕事があるじゃない」
「姉さんに代わってもらう。事情が事情だし、あの人の方が影を使うのは得意だから、親父も何も言わないだろう」
小夜が同情の目を向ければ、「代わりに何を押し付けられるかが怖いな」と今から憂鬱そうに燈史郎がぼやいた。
「小夜は」
「姉さんが来ないのなら、お誘いできるのは私しかいないと思う」
小夜はきっぱりと言い返した。諦めた燈史郎が、他の面々を見渡す。
「どうする?」
「行きます」
決然とした面持ちで宣言したのは孝昭だ。だが次の瞬間、眉を下げて近くの兄を鑑みる。
「とはいえ、私の場合は連れて行ってほしい、なのですが。お願いできますか、兄さん」
懇願された清一もまた複雑な思いを飲み込むことにしたらしい。「わかった。一緒に行こう」とようやく承知した言葉には、諦念が滲んでいた。
「なら、みんなのお面は私が用意するわね。うちの祖父が大好きでね、毎年買いすぎて困っていたんだけど、役に立つこともあるのね。孝昭くんは参加するのも久しぶりよね。せっかくだからお祭りとしても楽しみましょう」
「ちょっと待ってくれ。どうして葵まで……」
「どうしてって、まさか私だけ除け者にするつもりだったわけではないでしょう?」
ぎょっとして止める清一に対し、葵は不思議そうに小首を傾げた。
「それにほら。もしお叱りのとばっちりを受けるのなら、人数が多い方が分散されるかもしれないじゃない?」
ね、と笑う葵の姿は、晴れやかで、迫力がある。
小夜は、葵が姉と親しくしていたことを思い出して、なぜか妙に納得してしまった。




