05
葵に案内されたのは稲葉屋の隣に立つ葵の家の店だった。土間を通って奥へ抜け、手招かれるまま庭の垣根の隙間をくぐれば、稲葉屋の蔵の影に出た。
稲葉屋の雇人がいなくなった隙をつき、二人は庭の縁側から離れの部屋に滑り込む。
「来てくれたよ」
葵が孝昭に声をかける。
さすがに床は払われてはいなかったものの本当に調子がよいらしい。時間をかけながらも一人で身を起こした孝昭は、確かに前よりも頬の影が減っている気がした。
「ご面倒をおかけして申し訳ない」
「いいえ。それで、どんな影にしましょうか」
詫びる孝昭を制し、小夜は聞いた。
どうやって取り上げられずにすんだのか、あの時小夜がひっくり返した御影提灯は、変わらず孝昭の寝床の傍にあった。
姉が用意してくれた籠の中に、空の提灯もあったが、使う必要はなさそうだ。
「どんな?」
孝昭が首を傾げる。孝昭が考えている間、小夜はさっと目を凝らした。この前感じた気配は、やはりはっきりとは見当たらない。
「前回と同じものはだめでしょうか?」
「桜と紅葉の?」
「そう。鳥と蝶も」
「できますが……」
小夜はふむと考える。
「まったく同じでなくてもよろしいでしょうか?」
「どうして?」
「同じ桜と紅葉と鳥と蝶でも、きっと今の方がうまく仕込むことができます。たくさんあった方が綺麗だと思ったのですが、あれはちょっと入れすぎました。踊りにくかったと思います」
「踊るの?」
「はい。御影提灯の影が、次々と形を変えるのは中で蛍が踊っているからです」
小夜は背負籠から光竹を取り出すと、ぱきりと芯を折った。ほのりと発光しはじめた光竹を中心の台座に設置する。葵に頼み木戸を全て閉めてもらうと、部屋は暗がりに沈んだ。
「よろしいでしょうか?」
「え?」
「まったく同じでないと、ということであれば、以前と同じにいたします」
「あぁ、いいえ。小夜さんに任せます」
「わかりました」
小夜は気を落ち着かせるため、息をついた。使う道具を順に並べていく。
葵が手行灯に火を入れて孝昭の傍に腰を下ろした。格段に手元が見やすくなり、小夜は礼を言う。
小夜は型紙の入った重箱を開いた。中には多種多様な型紙が段ごと仕切りごとに並んでいる。
二人から興味深そうに見守られながらの作業は、母たちから指導を受けている時とはまた違った緊張感があった。
小夜は竹の鑷子で型紙の端を摘み、一枚ずつ計算しながら慎重に提灯のうちに仕込んでいく。
型紙の位置を吟味した後、小夜は籐籠の蓋を開け、口を近づけた。
提灯の様子を覗いた蛍のいくつかが、ふわりと中に着地する。
光竹の明かりの調子にあわせるように、蛍がぱちりぱちりと光を弾かさせたのを見届けて、小夜は手行灯の火を消した。
孝昭と葵が揃って息をのむ。
御影提灯に影が浮かびあがる。大木が枝を伸ばし、揺れていた。はらはらと散る桜が、翻って紅葉に変わる。その合間を蝶が遊び、鳥が時折羽を休めに木にとまる。
季節が巡り、また桜が花開いたことを寿ぎながら、鳥が空へ飛び立っていく。御影提灯の影が踊るのにあわせ、照らし出された部屋中の影も踊り、まわる。
「いかがでしょうか」
「すごい……ありがとう」
孝昭は身を乗り出し食い入るように御影提灯を見つめた。
思い出したように提灯のうちを覗き込んで目を細める。
「踊っている?」
孝昭に聞かれ、小夜は首を傾げた。
「ごめん。はっきりと姿形が視えるわけではないんだ。何かいるようには視えていたんだけど。どのように踊っているのですか?」
小夜は得心して頷いた。
「ひれで型紙を弾いて踊っているんです。特に胸びれと尾びれは長くて大きいんです」
「あれ? 虫じゃなかったの? そう聞いていたんだけど」
葵から意外そうに聞かれ、小夜は思案しながら言った。
「羽がついているので私たちは羽虫に近いと思っていますが、見た目は魚に近いですね。羽で風を起こして蛍たち自身と共に型紙も巻きあげるんです。蛍たちが光竹の光を弾くので、提灯に映る影の場所が変わります。それから興が乗ったら蛍自身も影を真似て形を変えるので、うちの御影提灯は景色を変えます」
そうして提灯の中で踊ることに興味をなくしたら、蛍は約定通りいっとう気に入りの型紙を携え去っていく。砂糖はあまいもの好きの彼らを長く居つかせるための小道具にすぎない。
「砂糖は一日八粒です」
「わかった。今度はあげすぎないように気をつけます。一匹につき一粒なんだね」
御影提灯を覗き込んだまま孝昭が聞いた。はっきり像は結ばないものの、やはりしっかり視えているらしい。小夜は「そうです」と頷いた。
「ですが、きちんと砂糖の数を守った場合も、蛍たち次第なのは変わりません。前回と同じほど長くいてくれるかは、約束できません。保証ができるのは三月までです」
「その時は、また小夜さんにお願いします」
孝昭は相合を崩し御影提灯をいっそう手元に引き寄せた。横から覗き込んだ葵が指先で影に触れると、桜の花びらがまた一つこぼれ、二人して声をあげている。
小夜は道具を片付けながら、部屋をまわる影に視線を巡らせた。
「不躾ながら孝昭様。葵様からあの夜から調子がよくなったとお伺いしました」
「見た。……すごかった。なんと言えばよいのかあれは……本当にすごくて」
提灯から顔をあげた孝昭はもどかしそうにその興奮を伝えようとして、うまく言葉にできないようだった。やおら諦めたように肩を落とし、小夜の問いに答える。
「調子がよくなった……と言うより、あの後、脚に少し力が入るようになったんです。立ち上がるのには難儀しますが、一人で身を起こしていられるようになった分、少し楽ですね」
「脚がまったく動かないわけではなかったのですか?」
思わず聞いてしまい、あまりに直球すぎたと小夜は硬直した。
孝昭は苦笑する。
「気にしないでください。私もそう思っていました。久しぶりに指が動いて驚いたくらいです」
もともとはね、と葵が神妙に息をつく。
「動かないのに加えて、時々ひどく痛むと言って長く苦しんでいたの。それが去年、清一が御影提灯を買ってきてから少しずつ痛みが和らいだから……偶然かもしれないけど、修理を頼みに行ったのは願掛けも兼ねていたの」
「姐やが私のわがままに付き合って、熱心に砂糖を選り分けてくれていたのも、きっと兄さんと同じ理由ですね」
ほんの少し動いただけなので期待に応えられるかはわかりませんが、と孝昭は掛け布団越しに脚をさする。
何も言えずにいる小夜に、孝昭は慌てて弁明した。
「違います。責任を押し付けようとしているわけではなくて、その、医者からもどこも異常はないと言われていて、つまり、動かないのは、心の持ちようが大きいと。小夜さんの御影提灯に、私は随分と慰められていたので……」
「いえ……」
いえ、と小夜は首を振るい、膝に置いた両手を握りしめた。
「——小夜!」
突如、木戸が開け放たれ、小夜たちは揃って昼間の日の眩さに目を細め、次いで目を丸くした。
取っ組み合いの最中なのか、燈史郎と清一がお互いの衿を引きつかんで、競うようになだれ込んでくる。
「一人で勝手に何やってんだ!」
「兄さん、お社で準備しなきゃなんじゃ……い、いひゃいっ」
燈史郎からぎゅうぎゅうと両頬を摘まれて、小夜は涙目になる。
「ねねね姉さんは!?」
「その姉さんから聞いた」
あの人店番さぼって寝てたぞ、と吐き捨てられ、小夜は『姉さん!』と心の中で叫んだ。
それで、と衿を整え腰を下ろした清一が、苛立ちに任せ、ばしりと板間を叩く。
「今度は何を連れてきたんだ」
「連れてきたんじゃなくて、元から変なのがいるって言ってんだろうが。こっちに難癖つけんじゃねぇ」
「兄さん」
小夜と孝昭は、揃って自身の兄の袖を引く。
小夜は燈史郎の袖に隠れるようにして首を横に振った。
「兄さん、変なのじゃない。神様が……神様が憑いていらっしゃる」




