第4話:解析
ヴァイザー家を継いでからというもの、キアラは多くの関係者と顔を合わせなければならなかった。
政界や財界、官界に学界。そのほとんどは、キアラ本人というより、王家と近しいヴァイザー家の持つ強大な影響力に興味のある者ばかりだった。
値踏みするような目つき。媚びるような物言い。社交界においては新参者のキアラだが、彼らに対して必要以上に愛嬌を振りまくことはない。ただ黙って受け流し、最低限の礼節だけを守った。
そんなキアラの唯一の支えは、いつも傍らに立つロイの存在。
会話らしい会話はほとんどない。けれど、ひとりぼっちのキアラにとって、その強靭な存在感が、今は何より心強かった。
ヴァイザー家は、レクシオン王家にゆかりのある由緒正しい貴族の家系だ。王家と直接の親戚関係にはないが、どの貴族よりも王家に重宝されているのには理由があった。
レクシオン王国有史以来、ヴァイザー家には、ある異名が与えられている。
〈レクシオンの鍵〉。
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この日も、キアラは焼き菓子を作っていた。
外はサクサク、中はしっとり。アーモンドパウダーと芳醇なバターの香りが立ち込める、琥珀色のフィナンシェだ。
キアラにとって焼き菓子作りとは、心を落ち着かせるための小さな習慣であり、誰かと距離を縮めるための手段でもあった。
「ねえ、ロイ。これ食べる?」
「……」
「いらないなら、それでもいいの。もし食べたくなったら、そのとき食べてくれれば」
キアラに言われるままに、ロイはそれをひとくち食べた。相変わらず無駄のない動きで、音も立てずに。
その横顔に、表情の変化はない。まるで機械に燃料を補給するかのごとく、淡々と咀嚼を繰り返す。
それでも、ロイが命令せずとも食べてくれたという事実が、キアラは純粋に嬉しかった。
不意に。
玄関ベルの重厚な音が、屋敷に響き渡った。
「……誰だろう」
キアラが呟くよりも先に、ロイが立ち上がる。先ほどまでの平穏な空気が、一気に引き締まった。
ロイの背中を追いかけて玄関へ。
怪訝そうな顔つきで扉の向こう側を見やるも、そこに立つシルエットを視認したキアラは、破顔し、歓待した。
「叔父さん!」
「やあ、キアラ。元気だったかい?」
涼やかな目元に、柔らかな物腰。王立大学で教鞭を執る知的で穏やかなその風貌は、どことなく凪いだ海を思わせた。
ユタス・バレル。母の実弟であり、キアラの叔父にあたる人物だ。
葬儀以来、およそ三か月ぶりとなる再会に、ユタスはキアラを包み込むように抱き締めた。
「忙しくてなかなか来られなかったけど、ようやく顔が見られて安心したよ」
キアラの頭を撫でる大きな手。母によく似たあたたかさに、キアラは得も言われぬ心地よさをおぼえた。
ユタスの手を取り、応接室へと案内する。先ほど焼いたフィナンシェを皿に載せて、紅茶とともに差し出した。
「叔父さん、甘いもの好きだったよね?」
「ああ。君は小さい頃から焼き菓子を作るのが得意だったね。……姉さん譲りかな」
ユタスのその言葉に、キアラは嬉しそうに笑った。
キアラにとって、ユタスは肉親の死を分かち合える唯一の存在だ。事故当時、憔悴していた自分の代わりに、警察の対応から葬儀の手配まで行ってくれた彼には、感謝してもしきれない。
「叔父さんがいてくれて、本当によかった」
ありがとう……そう、キアラが微笑んだ直後のこと。
ふっと、ユタスの表情が、わずかに翳った。キアラが気にも留めない程度の、ほんの一瞬の変化。
彼は、喉を潤すように紅茶をひとくち飲むと、キアラの背後に立つロイへと視線を向けた。
「君がキアラの護衛を?」
柔和な面差し。それでいて、長年大学で教壇に立ってきた、学者らしい観察的な眼差しだった。
その瞳の奥には、うっすらとではあるが、確かに警戒の色が滲んでいる。
「……ロイ・バージェス君、だったかな?」
「はい」
「陛下から伺っているよ。特殊部隊上がりの君がこの子の護衛とは……また随分と物々しいね」
ユタスの口調には軽い皮肉が込められていたが、とくに敵意があるわけではない。むしろ、ロイの表情がまったく変化しないことに、彼は淡い興味さえ抱いているようだった。
そんなふたりのやり取りを、キアラは紅茶を飲みつつ眺めていた。落ち着いた態度とは裏腹に、脳内では別の思考が働いている。
……両親の事故のこと。
警察の報告書によると、帰宅途中にあった両親の車両は、滑落によって谷底に落ちたとされている。しかし、どの報道にも、あの道を通っていた理由についての言及はなされていなかったのだ。
事故当時、あの道は通行止めだったはず。自分の持つ情報や知識と照合する限り、あの事故を偶然だと処理するには、あまりにも不自然な点が多過ぎる。
「叔父さん」
キアラは、静かに口を開いた。
「パパとママの事故のこと。何か知ってる?」
これに対し、カップを持ち上げるユタスの手が、ぴたりと止まった。
「……どうして、そんなことを聞くんだ?」
「直接警察と話をした叔父さんなら、何か表に出てない情報を知ってるのかなって。……お願い。知ってることがあるなら教えて。わたしは、真実が知りたいの」
十五歳とは思えぬほどの、鋭さと意志を帯びた声音。
ユタスは、深く溜息をつき、ゆっくりとカップをソーサーに戻した。
「真実、か。……キアラ、君の知りたい気持ちは痛いほどわかる。だが、世の中には知らないほうが幸せなこともあるんだ。とくに、王家と近しいヴァイザー家の者にとってはね」
「……どういうこと?」
「君も知っているだろう? ヴァイザーの異名を。……〈レクシオンの鍵〉。王家を光とするなら、ヴァイザー家はこの国の影だ」
ユタスは、そっと身を乗り出すと、キアラの瞳を覗き込んだ。
青を基調としながらも、その中心に、夕陽のような橙が浮かぶ双眸。まごうことなき、ヴァイザー家の象徴——。
「警察は『不慮の事故』だと結論づけた。僕もそれを信じたい。もしもそこに君の言う真実があるとするなら……叔父として、なおさら君を近づけるわけにはいかない」
キアラは、それ以上言葉を継ぐことができなかった。ユタスの優しさが、少しだけ重くのしかかる。
——ザザッ。
最近なりを潜めていたあの砂嵐が、一瞬だけ視界を灰色に染めた。
「……ロイ君」
ユタスは、再度ロイへと視線を向けた。
「今回、陛下がこの子に護衛をつけたということは、現実にそういう危険があるということなんだろう。ぼくはこの子の叔父だけど、ヴァイザーの人間ではないからね。この家のすべてを知るわけではないし、この子の重荷をともに背負ってやることもできない。……もし今後、この子の命が脅かされたとき、君はどこまでこの子を守れる?」
眼差しが、研究者のそれから、剥き出しの刃のようなそれへと変わる。
ユタスのこの問いかけに、ロイはいっさいの揺らぎを見せなかった。機械的な忠誠でもなく、職務上の責任感でもない。ただ、一点の曇りもない覚悟を、その抑揚のない声に乗せた。
「キアラ様のすべてを」
その響きには、かすかな熱さえ宿っていた。
「……頼もしいね」
呟くようにそう言うと、ユタスは目を伏せた。「僕の姪をよろしく頼むよ」とロイに告げ、去り際にキアラをぎゅっと抱き締める。
彼がいなくなったあとの室内には、フィナンシェの甘い香りと、窓から差し込む落日の光だけが残っていた。




