第2話:同調
王都の中心に位置する丘の上。
太陽に最も近いと謳われるそこに聳える王宮は、この日も王都をあまねく見下ろしていた。
淡い象牙色の外壁が陽光を反射し、街全体を明るく照らす。どの方角からもはっきりと視認できるその姿は、まさに光と権威の象徴だった。
王宮の奥深く、女王ルミエラがごく限られた客人のみを迎える応接室に、キアラはいた。
溢れんばかりの日差しが天窓から降り注ぎ、大理石の床に光の波紋が躍る。深緑のタペストリーが壁一面を覆う室内は、静謐と威厳に満ちていた。
何度訪れても慣れることはない。緊張した面持ちで、ふかふかのソファに背中を預けることなく、キアラは彼女を待った。
「わたくしの可愛いキアラ。よく来てくれたわね」
「女王陛下」
ほどなくして現れた女王ルミエラは、そのエメラルドの目を細めて優美な笑みを浮かべると、侍女を従え、キアラに近づいた。挨拶をするために立ち上がろうとするキアラを、片手で制する。
「いいのよ、そのままで。楽にしていて頂戴」
物腰は柔らかく、語り口も穏やか。それでいて、女王という立場と視座の高さを否応なく感じさせる、確かな気品を纏っている。
白みがかった金髪を見事に結い上げ、深緑のドレスに身を包んだその容姿は、とても五十代とは思えぬほどに麗しい。
「ロイとは、うまくやっていけそうかしら?」
白磁のティーカップを口元に運びながら、ルミエラはごく自然な調子で問いかけた。
現在、ロイは応接室の外で控えている。ルミエラが入室する直前に彼と交わした会話の内容は聞きとれなかったが、ふたりのあいだに主従以外の個人的な関係があることを、キアラは感取していた。
ドレスの裾を、無意識にきゅっと握り締める。穏やかながらも、すべてを見透かしているかのようなルミエラの問いかけに、キアラは訥々と答えた。
「……え、と……彼は、とても優秀だと思います。無駄がなくて、迷いもなくて。でも……」
「でも?」
「その……まるで、人形みたいで……」
「人形、ね」
ルミエラは唇の弧を崩すことなく、静かに繰り返した。わずかに細められた目が、俯くキアラを映じる。
「彼は、そう在ることを長く求められてきました。ですが、わたくしが彼をあなたのそばに置いたのは、彼がただ忠実に任務をこなすだけの人形だからではありません」
カチンと、カップがソーサーに戻された。硬質な音が、広い室内に反響する。
「彼は嘘をつきません。自分を偽ることもない。……わたくしが保証します。彼は、あなたにとって、きっと最も信頼できる存在となるでしょう」
ルミエラの口から語られたのは、ロイに対する深い理解と、惜しみない評価だった。言葉の端々に、やはりどこか個人的な情の色が滲んでいる。
キアラの心に湧き上がる疑問を察したのだろうか。それを解消するように、ルミエラはこう続けた。
「ここで詳細を告げることは控えますが、今は亡き、彼の育ての親であるグラント大佐は、わたくしの親しい友人だったの。ふたりのあいだに血の繋がりはなかったけれど、確かな親子の絆で結ばれていたわ」
懐かしそうに、ルミエラが語る。おそらくルミエラは、幼い時分のロイのことも知っているのだろう。
キアラは、ルミエラが語る彼と、自分の知る無機質な彼との大きな乖離に、返す言葉を必死で探した。
そのときだった。
——ザザッ、ザッ。
「……っ!」
あの灰色の砂嵐に、またしても視界が襲われた。
天窓から差し込む陽光が激しく明滅する。柔和に微笑むルミエラの顔がぐにゃりと歪み、ノイズで千切られた。
「……どうかした?」
「い、いえ。……なんでも、ありません」
ソファを掴む指先に力がこもる。不快、などというひとことでは、到底形容しきれない事象。まるで、世界に綻びが生じているかのような。
生前の父の言葉が、脳裡に蘇る。
『この国の平和の下には、ヴァイザーの血でしか御すことのできない、巨大な仕掛けが存在している。……キアラ。お前が成人する頃には、すべてを話すつもりだ。それまでは、ただの少女でいなさい』
そう言った父の眼差しは、痛ましいほどに優しかった。
「キアラ」
ルミエラに呼びかけられ、はっと息を呑む。
キアラの不調に気づいているのだろうか。ルミエラは、その目に為政者にしか持ち得ぬ冷徹さと覚悟を湛え、抗いがたい圧を帯びた声音でこう告げた。
「これまでは、わたくしも、あなたの父君の意思を尊重してきました。可能な限り長く、あなたを普通の少女として育てたいと願った、彼の親心を。……ですが、父君亡き今、ヴァイザー家の血を受け継ぐあなたの存在は、この国にとって必要不可欠なのです」
立ち上がったルミエラは、ゆっくりとキアラのそばへ歩み寄ると、その細い双肩にそっと両手を置いた。
「近いうちに、あなたをある場所へ案内します。……あなたのその瞳に灯る太陽で、この国を、もう一度照らして頂戴」
静かな、されど、揺るがぬルミエラの言葉。それに呼応するように、キアラの視界を覆っていた砂嵐が、霧散するように引いていく。
「はい、女王陛下」
迷っている暇はない。ルミエラの真剣な表情に、キアラはそう直感した。
ヴァイザーの人間にしかできない何かがあるのなら、年齢などは関係ない。課せられた宿命、その重みに、青い瞳に灯る橙が小さく揺らめく。
ルミエラに恭しく頭を下げ、キアラは室内をあとにした。廊下の傍らに直立したままのロイに、努めて明るく声をかける。
「お待たせ、ロイ。帰ろう」
「承知しました」
自分の後ろを歩くロイの影を、足元に重ねながら。
キアラは、まっすぐに歩き出した。




