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光の雫、影の帳  作者: 『光の雫、影の帳』制作委員会
玻璃の天蓋/橘紀里
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三、紡ぎ手

 それから七日の間、シーファは毎日ラディールのもとを訪れ、国中を案内した。『影の都(タッドースク)』は決して豊かとはいえない。だが、()の国には当たり前のようにある薄汚れた貧民街もなければ、反対にきらびやかな貴族の館が立ち並ぶこともない。どの家も薄い緑や、白に近い水色、淡い茶色など、月の光を受けて輝くような不思議な素材で造られている。石材のように見えるが、この都を囲む森の針葉樹を乾かし、特殊なニスを塗って仕上げたものだという。雨にも強くほどよく湿気を吸い込み、火にも強い。断熱性も高いから、寒さの厳しいこの地には何より重宝される材木なのだそうだ。


「その樹木の名は?」

月白樹(ランヴィトゥーラ)と呼ばれているね」

月光樹(ルーナエトゥリエ)じゃないのか?」

「月光樹は月の光が豊かな地でしか育たないからね。月白樹は、月光樹が枯れ果てた後に、御神の恵みで生まれたものだよ」

 シーファはこともなげにそう答えたが、その口調はどこか重い。

「月の光を紡ぐ役目は、それほど大役か?」

 そう問えば、シーファはぱっと顔を上げ、驚いたように彼を見つめた。それからふわりと笑う。

「……とても、幸せなことだよ」

 屈託のない笑みを浮かべてそう言って、シーファは胸元に手を当て、軽くお辞儀をするとラディールに手を差し伸べた。

「あんたはいつもそうやって誰とでも手を繋ぐのか?」

「ええ? そんなことしないよ。あなたが初めてだよ」

 予想外の返答に、ラディールは言葉を失う。まじまじとシーファの顔を見つめたが、冗談を言っている様子はなかった。

「……よそ者の俺が、初めて?」

「そう」

「これまでによそ者がこの地を訪れたことは?」

「もちろんあるよ」

「その度に、これを鑑札(ふだ)代わりに渡しているのか?」

 髪に編み込まれた貴石の飾りを示せば、シーファはさすがに呆れたように眉根を寄せた。ラディールとて本気で言ったわけではない。ただ、その理由がわからなかっただけだ。

「これは私が最初にもらった贈り物なんだ。この都で生まれ育った細工師が、一人前になった時に、感謝の証だといって」

 陽の恵みの薄いこの地では、シーファが紡ぐ光がなければ人も植物も健やかには育たない。感謝されるのは当然だろう。ラディールが首を傾げると、シーファは淡く柔らかな金の髪を揺らしながら、彼の髪に編み込まれた貴石の髪飾りにそっと指を伸ばした。

「そう、私は与えられた役目を果たしているだけ。でも、なぜだろうね、その贈り物はとても嬉しかった」

 つ、とその視線がまっすぐにラディールを捉える。

「あなたになら、わかってもらえるかと思ったんだ」

 星を宿す灰色の瞳がわずかに揺れる。ラディールはほとんど無意識に髪飾りに触れる指先を掴もうと手を伸ばしたけれど、シーファはその手が届く前に、くるりと身を翻した。

「明日は日が沈む頃に迎えにくるよ。一番近くで見てもらえるように、話はしておいたから」

 ではまた、と笑った顔にはもう(かげ)りは見えなかった。


 宿に戻ると、もうすっかり顔馴染みになった女将のロヴィが迎え入れてくれた。宿屋といってもこの国を訪れるものは少ない。この七日の間も、ラディール以外に客は見かけなかった。普段から、食堂と酒場の方がメインなのだろう。

「いよいよ明日ですねえ」

 愛想はいいが、あまり無駄話をしないロヴィが珍しく物憂げにため息をついた。ラディールが視線を向けると、ロヴィは亜麻色の頭を振って窓の外を見やる。

「明日は満月。シーファ様が最後の天輪を織り上げる日ですから」

「……最後?」

「あら、ご存知なかったんですか。そうですね、この国でもすっかり忘れている者も多いですから」


 光の紡ぎ手、月耀の天輪を織る君は、月の神がつくりたもうたもの。


「その昔は織り手の君は満月のたびに現れて月の光を紡ぎ、天輪を織り上げ、そのまま天へと(かえ)っていかれたとか。けれど何代目かの織り手の君が自ら月の神様に願ったんだそうです。もう少しこの世界と人々を見ていたいと」

 自分が紡ぎ織り上げた光を浴びて健やかに過ごす人々を見守りたい。叶うならば、そのすぐそばで、ともに。

 月の神はその願いを聞き入れ、以来、御使の妖精がつかわされたその月に、この『影の都』で生まれた者たちとの間に絆が結ばれる。

 その絆がある限り天輪を織る役目はその紡ぎ手に委ねられる。絆子たちがすべて天に召されると、紡ぎ手も役目を終える。


「あたしの祖父がシーファ様の絆子の最後の一人でしてね。月初めに亡くなったんですよ」

「もしかして、これを作った細工師か……?」

 ラディールが髪に編み込まれた貴石の飾りを示せば、ロヴィは少し寂しげに、だが誇らしげに頷いた。

「ええ、祖父はシーファ様をそれはそれは敬愛していたんです。あれは恋だったんだよ、なんて祖母も言ってましたけどねえ。所詮は叶わぬ片想いだったんでしょうけどシーファ様は、いつも肌身離さずその飾りを身につけてくださっていました。祖父はどんな病をおしても百まで生きると息巻いておりましたけれどねえ」

 己の命が尽きれば、敬愛する妖精の役目も終わる。それは最後の一人にとってはひどく寂しいことのように思えた。

「なぜ月の神はそんな制約を……」

「さあ……。ただ、シーファ様を見ていると少しだけわかる気もしますよ」

 常には明るい女将のいやに沈んだ声に、ラディールがじっと見つめていると、ロヴィはふう、とひとつため息をついた。

「シーファ様はとても情の深いお方。きっとこれまでの織り手の君もそうだったんでしょう。この国の人々を愛し憐れまれて、いつまででも繋ぎとめられてしまうでしょうから」


 シーファは、それは幸せなことだと、そう言っていた。なんの迷いもなく、ただ愛しい人々が去っていくのを見送りながら。

「ああ、しゃべりすぎましたねえ」

 じゃあまた明日、と苦笑して食堂へと戻っていったロヴィを見送り、ラディールも部屋へと戻る。ロヴィが灯しておいてくれたらしいテーブルの上の蝋燭(ろうそく)がゆらゆらと揺れている。その火を映す窓へと歩み寄ると、空にはわずかに真円に足りない月が輝いていた。どれほど明るくとも、それは人や植物を育むには到底足りない。シーファはどのようにして、地を照らすほどの光を紡ぐのだろう。


 一つ息を吐いてから、ラディールは窓を開け、剣を抜き放つ。

 掲げた(はがね)の刃は月の光を受け、彼の迷いを切り裂くようにつめたく鋭利にきらめいた。


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