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光の雫、影の帳  作者: 『光の雫、影の帳』制作委員会
玻璃の天蓋/橘紀里
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二、影の都

 脳裏に浮かぶのは、容赦(ようしゃ)なく降り注ぐ太陽の光。この地の柔らかな宵闇とはまるで異なる()(れつ)な光にさらされて(かわ)(あえ)ぐ人々。彼はその人々の命運を担ってここにやってきた。どんな苦難も乗り越え、何を犠牲にしてでも救う手立てを手に入れる。そう覚悟を決めていたから、迷うことなど何もない。そう思っていたのに。


 ——あなたが(さら)ってくれるの?


 それは軽口に過ぎなかったはず。だが、夜明け前、ほんの一瞬だけ色を失うあの空のような灰色の瞳は、どこか切ない光を宿してはいなかっただろうか。


 ドンドン、という乱雑な音でラディールは我に返った。とっさに起き上がって剣をとり、扉の前に立つ。

 昨夜、雪原で出会った娘はシーファと名乗った。ラディールの名を聞くとそれだけで満足したように彼を伴い、閉じていた門をあっさりと門衛たちに開かせた。そうして、宿の場所と名を告げると翌朝迎えにくるからと言い置いて、踊るような足どりで去っていってしまった。寒空に一人取り残されたラディールにできたことといえば、教えられた宿を訪ねるだけ。おまけに深夜の来訪にも不審がらず、やたらと歓迎してくれた宿の女将(おかみ)に案内された部屋で倒れ込むように眠ってしまい、こうして朝を迎えているというわけだった。


 自分でも無警戒にすぎる自覚はあったから、この期に及んでとは思いつつも、不用意に扉を開ける気にはなれない。扉の前に立ったまま答えずにいると、向こうから聞きなれない男の声がわずかに苛立ったように彼の名を呼んだ。

「ラディール・ラハ殿。起きておいでですか?」

 彼の名を知っているのは、この都では一人だけ。宿の女将には、名乗る暇さえなくこの部屋に放り込まれたからだ。つまりは、この相手はシーファの使いということになる。

 ゆっくりと扉を開けると、鳶色(とびいろ)の髪と目をした青年が、あからさまに不機嫌そうな顔で立っていた。白地に青い糸で細かな刺繍がなされた長衣を身にまとっている。女将と見比べるまでもなく、高位にある人間だと知れた。


 青年は腕を組んで顎を上げたまま、尊大な態度でこちらを見つめ、ついでラディールの左のこめかみあたりに編み込まれた貴石の飾りを認めると、顔をしかめた。

「なぜお前がシーファ様の髪飾りを……⁉︎」

「人に何かを尋ねるなら、まずは名乗るのが礼儀では?」

 鞘に収めたままとはいえ、左手に剣を握ったままそう尋ねたラディールに相手はさらに眉根を上げたが、さすがに非礼を悟ったのだろう。いかにも不本意といった風情で組んでいた腕を解いた。

「クシェル・アールヴと申します。『影の神殿(スクガクーリク)』より、使いとして参りました。ご同行いただきたい」

「朝食が済んだ頃に迎えにくるとは言っていたが、神殿の使いが来るとは聞いていないな」

「織り手の君が御自ら、このようなところに足を運ばれるわけがないだろう」

 何を馬鹿な、と喉元まで出かかった罵倒を口に出さなかっただけでも褒めてやるべきだろうか。神殿への伺候は実のところ、むしろ望むところだったのだが、見知らぬ土地で明らかに自分に好意を持っていない相手に従うほど不用心でもない。

 クシェルと名乗った青年は、威勢こそいいが、相手を見て交渉するだけの能もなさそうだ。武器を帯びてもいない。ラディールの左手にある長剣が目に入っているかも怪しい。穏当に済ますか、()()()()()()お帰りいただくか。


 ラディールの口の端に冷ややかな笑みが浮かんだその時、明らかに怒りを含んだ声と、のんきな声が割って入った。

「こんなボロ宿で悪かったねえ」

「そんなことないよ、ロヴィの宿はごはんも美味しいし、ベッドはふかふか、お風呂だって最高だよ」

 使者の青年がびくりと肩をこわばらせる。ラディールが扉の向こうを覗き込むよりも先に、ぱっと淡い金色が視界に飛び込んできた。

「ちょっとした行き違いがあったようで、すまないねえ」

「シーファ様、なぜ……!」

「お説教はもう十分聞いたし、反省もした。あとはお客人にきちんとこの国を案内するのが役目ではないかと思って」

 シーファはするりとラディールとクシェルの間にすべり込み、女将ににっこりと笑いかける。

「朝ごはんは二人分お願いできるかな? この後、街を見て回るからたっぷりね」

「承知しました。さぁさ、邪魔者は帰った帰った」

「誰が邪魔者だと⁉︎」

「あんまりこんなことは言いたくはないのだけれど」

 女将にいきりたったクシェルに、シーファは姿勢を正して向き直る。相手を見据える眼差しは決して厳しくはないのに、なぜだかラディールの背筋がぞくりと冷えた。

「私は御神の御心のままにこの国の光を紡ぐ。誰かに何かを指示されるいわれはないよ」

「……失礼いたしました。ですが、オルヴィーレ様もお客人を見——お目にかかりたいとおっしゃっております。シーファ様の御用がお済みになったら神殿へ足をお運びいただけますと」

「だって、どうする?」

 オルヴィーレが何者なのか説明する気もないらしい。神殿の使いが敬称付きで呼ぶなら、それ相応の地位にある者なのだろう。

「歓迎してくれるなら、断る理由はないな」

「じゃあ、また明日ね」

「……承知いたしました」

 苦虫をこれでもかと噛み潰したような顔で去っていく青年に、女将は舌を出して何かを振り撒く仕草をしている。なかなかに肝がすわっているらしい。この国における神官とやらのあり方を垣間見た気がして、ラディールは顎を撫でた。無精髭が残るそこを、さて剃った方がいいのやら、などと心にもないことを考えながら。


 朝食を済ませるとシーファはラディールを外へと誘った。その足どりは初めて会った時と同じように軽い。まるで踊っているように、ひらりひらりと人を避けて先を進んでいく。

「それで、あんたは何を見せてくれるんだ?」

「あなたは何が見たい? この都ならどこでも案内するよ」

 軽やかに振り返ってそう笑う顔は、どこまでも明るく、町娘のようだ——と言うにはその際立った美貌も灰色の瞳も無理があるが。とはいえ神殿で崇め奉られるような貴人にも見えない。どちらかといえば奇人の類だ。

 だが、ラディールにとってはどちらでも構わない。

「なら、『月の塔(ランヴィトゥ)』を」

 端的な答えに、シーファは少し目を見開いてからゆっくりと首を傾げた。

「そこはまだ早いかな」

「どこでも、というのは嘘か?」

「光を紡ぐ様子を見たいんでしょう? だったら七日後だから」

 まだ月は満ちていないからね、とシーファは屈託なく笑う。

「それとも、七日も待てない?」

「光を紡ぐとは、どういうことなんだ?」

「知らないのに月の塔を訪ねるつもりだったの?」

 からかうような声はどこまでも軽く明るい。その表情も変わらないのに、なぜだかラディールの胸の奥がざわざわと騒ぐ。シーファは、少しだけ困ったように笑って、それから彼の髪に編み込まれた髪飾りに手を伸ばした。

「この都には美味しいものや美しいものがたくさんあるんだ。この髪飾りもこの都で生まれ育った細工師が作ったんだよ」

 それは、元はシーファの髪にあったものだ。昨夜、宿を示して別れる前にシーファが手づからラディールの髪に編み込んだ。疲労と混乱もあってうっかり受け取ってしまったが、先ほどの神官の男の態度を見れば、ラディールが持っていていいものではないのだろう。外そうとしたラディールの手を、だがシーファは押し留めた。

「それはあとでいいよ。さあ、行こう」


 薄いパンのようなものに、肉汁あふれれる焼きたての鶏肉を挟んだもの。山羊(やぎ)の乳を注ぎ、蜂蜜(はちみつ)を垂らしたスパイスたっぷりの香草茶に、銀箔が貼られた砂糖菓子。朝食を済ませたばかりだというのに、シーファは次々と彼女の好物らしきものを勧めてくる。甘すぎる菓子には閉口したが、それでも香草茶と一緒に口に含めば、なんとも言えない風味を醸し出すし、肉もパンもどれも確かに絶品だった。

「でしょう?」

「こんなに食うなら朝飯はいらなかったんじゃないのか」

「だってそんなことを言ったらロヴィががっかりするもの。あなたは体も大きいし、たくさん栄養が必要そうだったし」

 悪びれないシーファの言葉は、実のところ図星だった。陽の王国からこの都まではおよそ二月。隊商や乗合馬車を使ったのは全行程の半分程度。あとはひたすら徒歩の旅だった。その道行は旅慣れた彼にとっても楽なものではなかった。

「どうしてあなたは一人でここまで?」

「こんな最果ての地までやってくる酔狂な人間は、俺くらいなもんだろ」

「そうかな……そうかもしれない。何しろ、ここは世界の影を受け止めた国だから」 


 かつて、昼を(つかさど)()の神の力が衰え、世界に闇が満ちた。陽が昇らなくなり、作物も育たず、川の流れも淀み、人も獣も闇への恐怖と飢えに苦しんだ。

 夜を司る月の神は、苦しむものたちの声を聴き、心を痛めた。月の光では闇を払うことはできない。悩まれた末、月の神は自身を(まつ)る神殿がある地で闇を受け止めることにした。神殿を中心に、北の最果ての地を結界で囲み、世界の半分を覆う闇を引き寄せたのだ。

 以来、その地では、夏でさえ薄暮のように薄暗い日々が続いた。北の地にあるのは寂しい神殿のみ。だが、いつからか月の神を慕う北の地の人々は結界を越え、神殿の周囲に街を築いた。ただ一人孤独に身を浸す月の神を慰めるために。

 さりとて陽の差さぬ地では人は健やかには生きられない。病で倒れるもの、寿命を待たずして命を落とすもの。自らを慕って集った人々が半数以下に減ったとき、ついに月の神は側仕えの妖精の一人に、七色に輝く羽と一つの役目を与えた。

「その羽を使い、月の光を紡いで影と闇から人々を守りなさい。陽の神の天輪ほどの力はないにせよ、人々と大地に恵みを与えるくらいはできるでしょう」

 以来、七色の羽持つ妖精は、月が満ちる夜にその光を紡ぎ、月耀の天輪を編み上げる。その天輪は一月の間、大地を照らす。月の神の言葉通り、太陽ほどの力はなくとも、その光で春と夏の大地には緑が生い茂り、秋には実りをもたらす。


「でも、私が光を紡いでも、あなたの国に降り注ぐ()の光には遠く及ばない」

「それは、月の神が影を引き受けたからだろう。世界の均衡は神々のそんな危うい気まぐれで成り立っている」

「あなたは……」

 何かを言いかけて、けれどシーファは口をつぐんだ。ほんのわずか、その灰色の瞳にそれまでとは違う色を浮かべて。

「あなたはここまでたどり着いた。その旅路は決して無為にはならない。だって」

 じっとラディールを見つめる瞳にはきらきらと星のような光が浮かぶ。

「私があなたを見つけたから」

「それが?」

「それは秘密。種を全て明かしてしまっては楽しくないからね。さあ、まだまだ行くところはたくさんあるよ。七日の間にすべてを見てもらわなければ」

 くるりと軽やかにその場で回って、シーファはラディールに手を差し伸べた。初めて出会った時にそうしたように。

 その言葉は謎めいていて、何を示すのかもわからない。ただ、その温もりの薄い手は、どうしてかラディールにはひどく心地よいものに感じられた。


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