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光の雫、影の帳  作者: 『光の雫、影の帳』制作委員会
双つ紅葉は影に舞う/ながる
25/38

第5話 庚申の夜

 折しも、庚申の夜は新月だった。

 三尸(さんし)の虫が天帝に悪行を言いつけに身体から出ないようにと、一晩を寝ずに過ごす夜である。宴を開く者もあれば、ひとところに集まって過ごす者もいる。

 桔梗はいつものように紫苑の用意した(まじな)いの符を帳台(ちょうだい)(寝所を囲う建具)に貼った。けれど、紫苑も楓も一緒に夜を明かすのかと思うと、そんなことをせずとも眠気はやって来そうになかった。


 紫苑は明るいうちにやってきて、邸内外になにやら(まじな)いを施していた。

 楓に負けてなるものかという気迫が見えて、「張り合うことではないのに」と言う桔梗の言葉も右から左に抜けているようだ。

 楓は辺りが暗くなってからやってきた。別の邸に呼ばれていたらしい。


「夜に来られないなら、明るいうちに、と。そこまで言われては断るわけにも参りませんで」


 白拍子姿で苦笑する楓に、紫苑は「来なくても良かったのに」と憎まれ口をたたく。

 羽振りの良い家よりも良い礼を渡せるとは桔梗も思わない。乗り掛かった舟とはいえ、楓がここまでよくしてくれる義理も本当はないはずだ。


「ではお疲れでしょう……あの、無理はなさらなくても」


 御簾越しが少々もどかしい。楓とはもう何度も素顔を合わせてしまっている。衝立も要らないのではと桔梗は思うのだけど、紫苑は許してくれそうにない。

 楓はふふと笑って、袖で口元を覆った。


「このような格好をして歌舞(うたまい)もいたしますけれど、本職は巫女だと自負しております。加えて好奇心旺盛で……見聞きしたことのない出来事を目の前に差し出されれば、首を突っ込まずにおられません。どうぞ、付き合ってやってくださいまし」

「そんな……ええ。よろしくお頼もうします」


 紫苑の舌打ちが聞こえて、桔梗は御簾越しに睨みつけた。

 帰洛していた紫苑が再びやってきた時、また背後に影が現れていた。以前よりは随分薄いものだけれど、都ではやはり悪意もまた濃いのかもしれない。紫苑が『影』のことを解ってくれたと思いたかったが、本人に告げるとなると躊躇いが強かった。

 夜が更けるまで歌合(うたあわせ)をしたり、四郎と紫苑は双六や囲碁で競ったり、楓の今様(いまよう)を観賞したりと和やかに過ごす。勝ち負けに物申すひと時のにぎやかさが、桔梗に幼い頃の団らんを思い出させた。


 桔梗が、ひとつ、あくびをかみ殺したとき、厠へと立ち上がった紫苑の背後の影が揺らめいた。

 ろうそくの灯りの揺らぎかと、慌てて目を凝らして見る。


「紫苑?」


 呼び止め、振り返った紫苑の『影』はゆらり揺らめきながら天井へと昇っていく。以前に見た炎のような激しさはなく、紫苑から離れていくようだった。

 桔梗が感じたように、家族の団らんを思い出して『影』が薄れたのならいい。けれど、桔梗の心は何故かざわついた。

 邪魔な御簾の内側から出て、さらに目を凝らす。


「桔梗?」

「姫様? いかがなされた?」


 ただならぬ気配を感じて、紫苑も四郎も緊張を見せる。

 『影』を追う桔梗の視線を追って、楓も表情を硬くした。


「『影』……でございますか」

「ええ……でも……四郎、手燭をちょうだい」


 四郎は頷いて、すかさず動いてくれる。


「桔梗、そなたが動くことはない。なんだ?」

「『影』は()にしか見えませぬ。確認するくらい大丈夫です。この(やしき)に何年住んでいると思って?」


 気丈に言ってみても、桔梗の視線は楓に向いてしまった。

 楓はにこりと微笑んで、太刀を手に立ち上がる。


「我も行きますゆえ」


 ほっと頬を緩めた桔梗へと四郎が手燭を差し出す。


「みなで行けばよかろう。兄君の厠もついでに」

「四郎! 余計なことを言うな!」


 ひと笑いしたところで、桔梗は先に立って母屋(もや)を出る。足早に東対(ひがしのたい)に続く透渡殿(すきわたどの)に向かい、坪庭と北渡殿の方へ手燭を向けた。『影』は闇とは少し色合いが違って見えるので、本当は灯りをかざさなくともいいのかもしれないが、それでみなは桔梗がどこを見ているのか判った。

 北側の女房の居室の辺りにはよく影が出る。桔梗は『影』がやはりゆらゆらと天井に吸い込まれていくのを見た。

 次いで、庭に目を向ける。池の向こうでも『影』が空へと昇っていた。

 ハッとして駆け戻り、庭へと降りていく。

 空を見上げれば、四方八方から昇る『影』が闇に紛れて星を瞬かせていた。

 よろり、知らずよろめいた桔梗の身体を四郎と楓が両側から支える。


「紅葉の君」


 楓の声に、桔梗は空を指差した。


「『影』が昇ってゆきまする……あれは、三尸の虫……だったのでしょうか」


 言いながら違うと解っている。紫苑は眠っていないし、『影』は人にばかりついているものでもない。


「似て非なるもの、とは思いますが……」


 桔梗以外の者には、星空に薄く雲がかかって見えるだけ。桔梗が顔をこわばらせながらも何故いつまでもそれを見上げているのか、理解は及ばない。


「桔梗、向かってくるなら怖くもあろうが、昇っていくならそのまま消えるのであろう。冷える前に戻ろうぞ」

「いいえ。いいえ、紫苑。毎月こうして消えてなくなるのであれば、『影』が怖いものに見えるはずがありませぬ。吾は、見届けなければ……」


 ひたと空を見据える桔梗は動かないものと、四郎は表着(うわぎ)を一枚取りに行った。楓は黙って桔梗と同じ空を見上げ、紫苑はやれやれと仕方なしに周囲を窺う。

 月見をすることはあれど、月のない夜に空を見上げることなどなかった。遅くまで灯りを使う贅沢も、ほとんどしたことがない。

 どこからか笛の音が小さく聞こえてくる以外は、一見、静かな夜だ。しかし、このまま朝が来るとは思えなかった。




 細々と続いた笛の音が止んでしばらく。ゆらゆらと昇っていた影がなくなった。

 そのまま静かな時が過ぎれば桔梗も安心できたのだが、悪い予感は当たるもの。空には次なる異変が現れた。

 風も、虫の音も、時が止まったかのように静かになった瞬間、空に一筋の切れ目がついた。誰かがよく切れる太刀で空を斬ったかのようだった。


「……空が……」


 その切れ目をこじ開けるように、奥からどろりとした影があふれ出てくる。

 禍々しい『影』は滝のように大枝(おおえ)山の方へ降りてゆく。昔、鬼退治があったと有名な山だ。

 口元を両手で覆い、青褪めながらも桔梗は空を見渡した。

 都の方でも同じように太い影が降りている。それが紫苑の言った通りの辺りなのか、細かいところまではわからなかったけれど。


「紅葉の君、何が見えている?」

「空に裂け目が。水が零れるように『影』が降りてきて……」


 上手く言葉にできないうちに、細い影がこちらに降ってくるのが見えた。

 息を呑み、とっさに楓の着物を掴み邸の方へ下がる。


「紫苑! 四郎!」


 必死の声に、わからぬまま二人も従う。

 降りてきた細い影は庭の池に注いで、次の瞬間水が波打った。かと思うとそこから奇妙な(かたち)の小鬼が数匹飛び出してくる。

 一番反応が早かったのは紫苑だ。印を結び符を飛ばす。小鬼が一匹弾けて消えた。


「桔梗は中へ! 四郎!」

「おう。見えておればこんなものっ」


 いつもの太刀の柄に符を巻いたもので、四郎は頼もしく小鬼を蹴散らす。

 しかし、その四郎の立ち回り先に、また細い『影』が降りてきていた。


「四郎!!」


 桔梗は叫んで、思わず駆け出していた。


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